アントニオ・バリオス
スペインのサッカー選手
アントニオ・バリオス・セオアネ(Antonio Barrios Seoane、1910年5月21日 - 2002年8月19日)は、スペイン・バスク州ゲチョ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。
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名前 | ||||||
本名 |
アントニオ・バリオス・セオアネ Antonio Barrios Seoane | |||||
ラテン文字 | Antonio Barrios | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1910年5月21日 | |||||
出身地 | ゲチョ | |||||
没年月日 | 2002年8月19日(92歳没) | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1932-1934 | アレナス・デ・ゲチョ | 20 | (5) | |||
1934-1944 | バジャドリード | 82 | (11) | |||
通算 | 102 | (16) | ||||
監督歴 | ||||||
1945-1948 | バジャドリード | |||||
1949-1950 | バジャドリード | |||||
1950-1951 | ラシン・サンタンデール | |||||
1951-1952 | CDマラガ | |||||
1952-1954 | アスレティック・ビルバオ | |||||
1954-1955 | アトレティコ・テトゥアン | |||||
1955-1957 | アトレティコ・マドリード | |||||
1957-1958 | ベティス | |||||
1959-1960 | エスパニョール | |||||
1960-1961 | エルチェ | |||||
1961-1963 | セビージャ | |||||
1963-1964 | レアル・ソシエダ | |||||
1964-1965 | アスレティック・ビルバオ | |||||
1965 | バジャドリード | |||||
1966-1967 | ベティス | |||||
1967 | セビージャ | |||||
1968 | バジャドリード | |||||
1969-1971 | ベティス | |||||
1972 | レクレアティーボ | |||||
1973-1974 | オサスナ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
略歴
編集およそ11シーズンのプロ選手としてのキャリアを終えた後は、18年もの間スペイン国内の多くのクラブを監督として率いた。1946-47シーズンに当時36歳で選手時代の古巣レアル・バリャドリードの監督に就任し、いきなりセグンダ・ディビシオンへの昇格を果たすと、セグンダ1年目となる1947-48シーズンは今度はプリメーラ・ディビシオン昇格にクラブを導いた。その後は主にプリメーラやセグンダのクラブを率いてキャリアを築き[1]、1962-63シーズンには監督キャリアで初めて国際大会の舞台をセビージャFCで戦ったが、1回戦でレンジャーズFCに敗れた。1964-65シーズンにはアスレティック・ビルバオでインターシティーズ・フェアーズカップに挑戦したが、ベスト8でフェレンツヴァーロシュTCに敗れている[2]。
1973-74シーズンのCAオサスナをもって監督業からは引退したが、プリメーラとセグンダ通算で642試合を指揮し、280勝144分218敗という成績を残した。
タイトル
編集監督
編集- バジャドリード
- セグンダ・ディビシオン : 1回 (1947-48)
- CDマラガ
- セグンダ・ディビシオン : 1回 (1951-52)
- レアル・ベティス
- セグンダ・ディビシオン : 2回 (1957-58, 1970-71)
関連項目
編集脚注
編集- ^ “Antonio Barrios Seoane”. Real Sociedad de Fútbol. 2023年11月5日閲覧。
- ^ “Antonio Barrios”. Athletic Club. 2023年11月5日閲覧。
外部リンク
編集- アントニオ・バリオス - BDFutbolによる個人成績
- アントニオ・バリオス - BDFutbolによる監督成績