カネコア・ジェイコブ・テシェイラKanekoa Jacob Texeira, 1986年2月6日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州マウイ島出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

カネコア・テシェイラ
Kanekoa Texeira
ロイヤルズ時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ州マウイ島
生年月日 (1986-02-06) 1986年2月6日(38歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 ドラフト22巡目(全体675位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 2010年4月6日
最終出場 2011年9月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

シェーン・ビクトリーノは従兄にあたる[1]

経歴 編集

プロ入り前 編集

2004年MLBドラフトミルウォーキー・ブルワーズから31巡目指名されるも、契約しなかった。

プロ入りとホワイトソックス傘下時代 編集

2006年MLBドラフトシカゴ・ホワイトソックスから22巡目(全体675位)で指名され、6月14日に契約を結んだ。この年は、傘下のルーキー級ブリストル・ホワイトソックスとA級カナポリス・インティミデイターズでプレーした。

2007年は、A級カナポリスでプレーした。

2008年は、A+級ウィンストン・セイラム・ダッシュとAA級バーミングハム・バロンズでプレーした。

ヤンキース傘下時代 編集

2008年11月14日ウィルソン・ベテミージェフ・マルケスジョニー・ヌニェスとのトレードニック・スウィッシャーと共にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した[2]

2009年は、傘下のAA級トレントン・サンダーでプレーした。

マリナーズ時代 編集

2009年12月にルール・ファイブ・ドラフトシアトル・マリナーズへ移籍した[3]

2010年は、開幕ロースターに名を連ねた。4月6日オークランド・アスレチックス戦でメジャーデビューを果たした。しかし、5月31日DFAとなった[4]

ロイヤルズ時代 編集

2010年6月3日ウェーバーカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。6月15日ヒューストン・アストロズ戦で、メジャー初勝利を記録した。

2011年5月18日にDFAとなった[5]

ヤンキース復帰 編集

2011年5月25日にウェーバーでヤンキースへ移籍し[6]、傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでプレーした。7月6日に解雇されたが、7月20日にマイナー契約で再契約を結んだ[7]

レッズ傘下時代 編集

2011年12月15日シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。

2012年は、傘下のAAA級ルイビル・バッツでプレーした。

独立リーグ時代 編集

2013年は、アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュでプレーした。この年の、アトランティックリーグのオールスターゲームにも選出された。

レッズ復帰 編集

2013年7月4日にレッズとマイナー契約を結び、AAA級ルイビルで16試合に登板した。

独立リーグ時代 編集

2014年は、ブリッジポート・ブルーフィッシュでプレーした。

ブレーブス傘下時代 編集

その後、アトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスで13試合に登板した。

現役引退後 編集

2017年にブレーブス傘下ルーキー級ダンビル・ブレーブス英語版の投手コーチに就任し、2年間務めた。

その後もブレーブス傘下球団で指導者の道を歩み、2019年からは傘下A級ローム・ブレーブス英語版の投手コーチ、2021年から2022年まではA級ロームの監督[8]2023年はAA級ミシシッピ・ブレーブスの監督、2024年からはAAA級グウィネット・ストライパーズの監督と昇進している[9]

詳細情報 編集

背番号 編集

  • 53 (2010年 - 同年途中)
  • 54 (2010年途中 - 同年終了)
  • 50 (2011年)

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集