コパスカー・FD01 (Copersucar FD01) は、フィッティパルディ・オートモーティヴが開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはリチャード・ディヴィラ

コパスカー・FD01
ウィルソン・フィッティパルディがドライブするFD01、2007年
ウィルソン・フィッティパルディがドライブするFD01、2007年
カテゴリー F1
コンストラクター ブラジルの旗 フィッティパルディ
デザイナー ブラジルの旗 リチャード・ディヴィラ
後継 コパスカー・FD02
主要諸元
エンジン フォード-コスワース DFV 3.0 リッター V8 (90°), NA ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド FG400 5速 MT
重量 602 kg (1,327 lb)
燃料 ルーカス
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム コパスカー-フィッティパルディ
ドライバー ブラジルの旗 ウィルソン・フィッティパルディ
初戦 アルゼンチンの旗 1975年アルゼンチングランプリ
出走優勝ポールFラップ
1000
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Photo de la Copersucar FD01 pilotee par Wilson Fittipaldi en 2007
コパスカー・FD01、2007年インテルラゴスで。
FD01はトランスミッション後方にラジエターを装着した。その後冷却効率を改善するため、前方に移動した。

開発の歴史 編集

コパスカー・FD01は、フィッティパルディ・オートモーティヴが開発した「ブラジル初のF1カー」であった。初公開は1974年10月16日、当時大統領のエルネスト・ガイゼル臨席の下、ブラジリアのブラジル上院議場で行われた。

車名はチームのメインスポンサーであったコパスカーから、「コパスカー・FD01」とされたが、資料によっては「フィッティパルディ・FD01」「コパスカー・フィッティパルディ・FD01」とも呼ばれる。車体はアルミニウム製モノコックで構成され、コスワースDFVエンジンを搭載、タイヤはグッドイヤー製であった。ラジエターはトランスミッション後方に位置したが、空力を考えそれを覆う後部カウルを装着した。

1975年シーズン開幕戦であるアルゼンチングランプリの予選でウィルソン・フィッティパルディは2分0秒22で23位と最下位であった。22番手のBRMマイク・ワイルズから11秒離れていた。ポールポジションを獲得したシャドウジャン=ピエール・ジャリエはフィッティパルディよりも平均で18km/h速く走っていた。

決勝では1周目で18位まで浮上したが、12周目にクラッシュし炎上、リタイアとなった[1][2][3]。第2戦のブラジルグランプリにはFD02が投入された。

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション

エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 ポイント 順位
1975年 フォード-コスワース
DFV 3.0 V8
G ARG
 
BRA
 
RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
SWE
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
ITA
 
USA
 
- 0
  ウィルソン・フィッティパルディ Ret

参照 編集

  1. ^ Qualifying for the 1975 Argentinian Grand Prix”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。
  2. ^ 1975 Argentine Grand Prix: Lap by lap”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。
  3. ^ Ranking of the 1975 Argentinian Grand Prix”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。

外部リンク 編集