コパスカー・FD04 (Copersucar FD04) は、フィッティパルディ・オートモーティヴが開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはリチャード・ディヴィラ

コパスカー・FD04
カテゴリー F1
コンストラクター ブラジルの旗 フィッティパルディ・オートモーティブ
デザイナー リチャード・ディヴィラ
先代 コパスカー・FD03
後継 フィッティパルディ・F5
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード-コスワース DFV 3.0 V8
トランスミッション ヒューランド FGA400 5速 MT
重量 640 kg (1,411 lb)
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム コパスカー-フィッティパルディ
ドライバー 30./28. エマーソン・フィッティパルディ
31./29. インゴ・ホフマン
初戦 1976年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
24000
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開発の歴史 編集

FD04はそれまでのFD01FD02FD03とほぼ同型であったが開発が進んだことで戦闘力は向上していた。

1976年シーズンはマクラーレンからエマーソン・フィッティパルディが移籍し、インゴ・ホフマンとの2台体制で戦うこととなる。開幕戦のブラジルグランプリでフィッティパルディはFD4、ホフマンはFD3をドライブする。フィッティパルディは予選5位、決勝13位であった。第3戦アメリカ西グランプリではホフマンもFD4をドライブするが、予選落ちした一方、フィッティパルディは予選16位、決勝6位と、FD4で初のポイントを獲得した。ホフマンは第4戦、第8戦でもFD4で参加したが、いずれも予選落ちしている。フィッティパルディは第6戦モナコおよび第9戦イギリスでもそれぞれ6位に入賞し、シーズンで3ポイント獲得、ランキング17位となった。

1977年シーズンになると車体のカラーはそれまで銀色であったが、黄色をベースとした物に変更された。フィッティパルディは開幕戦で4位入賞、ホフマンは予選通過したもののリタイアとなった。第2戦でもフィッティパルディは4位に入賞し、ホフマンは7位となった。第3戦からはフィッティパルディの1台体制となる。第4戦のアメリカ西グランプリでも5位に入りポイントを獲得。その後第7戦ベルギーグランプリで新車のフィッティパルディ・F5が投入される。FD5は第8戦のスウェーデングランプリでも使用されたが、これが最後となった。

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション

エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1976年 フォード-コスワース
DFV 3.0 V8
G BRA
 
RSA
 
USW
 
ESP
 
BEL
 
MON
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
JPN
 
3 11位
  エマーソン・フィッティパルディ 13 17 6 Ret DNQ 6 Ret Ret 6 13 Ret Ret 15 Ret 9 Ret
  インゴ・ホフマン DNQ DNQ DNQ
1977年 フォード-コスワース
DFV 3.0 V8
G ARG
 
BRA
 
RSA
 
USW
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
SWE
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
USA
 
CAN
 
JPN
 
11 9位
  エマーソン・フィッティパルディ 4 4 10 5 14 Ret 18
  インゴ・ホフマン Ret 7

外部リンク 編集

参照 編集