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定義と由来編集

genocideギリシャ語γενοσ種族)とラテン語 -caedes(殺戮)の合成語であり[1]ユダヤ系ポーランド人の法律家ラファエル・レムキン英語版により『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治』(1944年)の中で使用された造語である[3][1][4]

ラファエル・レムキンによる発案編集

レムキンは、ドイツの大学で言語学を学んでいる頃、アルメニア人虐殺の生存者でベルリンでタラート・パシャを暗殺したソゴモン・テフリリアン英語版の裁判に関心を持ち、法律を学び始め、1929年に学位を取った[3]「大量殺害を禁じ、かつ大量殺害が行われた場合には政治介入すること」を世界中の政府に約束させる趣旨の法案を作成していた[要出典]当時の司法界がこの法案を無視した結果、レムキンはその後検察官を辞任、1939年までワルシャワで弁護士を務めた[要出典]

1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻した。レムキンはこれを逃れ、その後スウェーデンを経てアメリカのデューク大学に渡る。1944年連合国側についていたアメリカで、カーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を刊行。同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として、「ジェノサイド」という新しい言葉を造語した[5]

なお、レムキンが「ジェノサイド」という言葉を思いついたのは1941年8月、ウィンストン・チャーチルBBC放送演説における「われわれは名前の無い犯罪に直面している」という言葉によるという[6]。のちに、1945 年のニュルンベルク裁判の検察側最終論告において、「ジェノサイド」が初めて使用された[7]

ジェイムス・J・マーティンらは、レムキンがカーネギー国際平和財団から出版したことや、ルーズベルト大統領政権で外国経済行政の主席研究員をつとめており、敵国押収財産の配分と実務処理を担当していたことなどから、ユダヤ・ロビーとの関連も指摘している[8]

日本語では「集団殺害」と訳されるが、ジェノサイドの実際の規定では殺害が伴わない場合もある。また、集団殺人であっても、民族・人種抹殺の目的を伴わない場合はジェノサイドに当らない。

また政治学者の添谷育志も「ジェノサイド概念を超歴史的に適用することは、歴史責任問題を無限に拡大することになりかねない」とも指摘している[9]

ジェノサイド条約編集

ジェノサイド条約における定義編集

国際連合で採択された(1948年)ジェノサイド条約(集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関する条約、Genocide Convention)(第2条)国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われる次のような行為と定義されている(カッコ内は条約で明言されていない具体例についての通説)。

  1. 集団構成員を殺すこと
  2. 集団構成員に対して、重大な肉体的又は精神的な危害を加えること
    • (拷問、強姦、薬物その他重大な身体や精神への侵害を含む)
  3. 集団に対して故意に、全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を課すること
    • (医療を含む生存手段や物資に対する簒奪・制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  4. 集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること
    • (結婚・出産・妊娠などの生殖の強制的な制限を含み、強制収容・移住・隔離などをその手段とした場合も含む)
  5. 集団の児童を、他の集団に強制的に移すこと
    • (強制のためのあらゆる手段を含む)

同条約第3条により、次の行為は集団殺害罪として処罰される。

  1. 集団殺害(ジェノサイド)
  2. 集団殺害を犯すための共同謀議
  3. 集団殺害を犯すことの直接且つ公然の教唆
  4. 集団殺害の未遂
  5. 集団殺害の共犯

通説では、集団の全部または一部を破壊する意図があれば足り、いかなる手段や動機・目的・理由付けによるかは問われないとする。また、行為の主体にも限定はなく客体の人数にも限定はないとされる。[要出典]民族浄化 (ethnic cleansing)」もこれに含まれる。[要出典]

なお、ソ連を始めとする共産圏の主張から「社会階級的、政治・イデオロギーまたは文化的な集団の全部又は一部を破壊する意図をもつて行われた行為」は条約の定義から除外された(階級闘争が「資本家階級に対するジェノサイド」とみなされるおそれがあるため)。[要出典]

旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所規程第4条2項並びに、国際刑事裁判所規程第6条には、ジェノサイド条約第2条と同様の規定があり、「集団殺害」について定義されている。

人道に対する罪との違い編集

人道に対する罪とは構成要件を異にする。すなわち客体は「国民的、民族的、人種的、宗教的な集団の全部または一部」であり、また意図に関する要件(集団の全部または一部を破壊する意図)がある。[要出典]

1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」判決編集

国際司法裁判所は、1996年の「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対ユーゴスラビア)(管轄権)判決において、ジェノサイド条約によって承認された権利と義務が、ジェノサイド条約という枠組みを超えて、対世的な(erga omnes)権利と義務であると認定した[10]

2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」判決編集

かつ、同裁判所は、2006年の「コンゴ民主共和国領における武力行動事件」(2002年新提訴、コンゴ民主共和国対ルワンダ)判決において、ジェノサイドの禁止がjus cogensの性質を有すると認定した[11]

このように、ジェノサイド条約で規定されているジェノサイドの定義、およびその行為を禁止し、防止し、処罰する個人及び国家の義務は、条約を超えて一般国際法上の義務となっていると解される。[要出典]

事例編集

以下、国連または一部の国にジェノサイドと認められている事例を概説する。ジェノサイドであるかどうか当事国の間で議論となっている事例、また国際世論において大まかにジェノサイドであると見なされているものもある。

条約上の集団殺害罪に該当するもの。なお、民族浄化の項目も参照のこと。国連でジェノサイドに当ると認定された行為は意外と少ない。例として以下のものが挙げられる。

ホロドモール編集

ウクライナ1930年代に行われたホロドモール。ソ連による人為的な飢餓と弾圧により多くの人々が死亡した。犠牲者数は開きがあるものの、400万人から1,450万人と推定されている。なお国際連合および欧州議会では人道に対する罪として認定されている[12][13]

ルワンダの虐殺編集

ルワンダ1994年春に行われた虐殺。進行している虐殺がジェノサイドであると判断される場合は条約調印国全部に介入義務が生じるため、介入を避けようとしたアメリカほか調印国の抵抗により国連でその認定が遅れ、その際にジェノサイド的行為(act of genocide)が行われていると見解を発表するにとどまった。虐殺終了後に事後的にジェノサイドであると認定された。(ルワンダ紛争ルワンダ国際戦犯法廷参照)

ナチスのホロコースト編集

ナチスユダヤ人に対するホロコースト(参考・ガス室

ユーゴスラビア紛争における民族浄化編集

ユーゴスラビアにおけるユーゴスラビア紛争。特にボスニア内戦時の民族浄化国際司法裁判所は、1995年7月13日より始まったVRS(ボスニアのセルビア人武装勢力)によるスレブレニツァにおける虐殺(スレブレニツァの虐殺)をジェノサイド条約2条上の集団殺害と認定した[14]

ダルフール紛争編集

ダルフール紛争における集団虐殺。これは進行中の虐殺である。ジェノサイドであるとの正式な認定が国連で行われていないために強制的な介入は行われていない。

オーストラリアのアボリジニ政策編集

オーストラリアアボリジニの強制同化政策。オーストラリアの議会の調査書でこれが条約によって規定されるジェノサイドに当るとの見解が出されたが、行政府はこれに反発している。

アルメニア人虐殺編集

オスマン帝国アルメニア人虐殺トルコ政府はこの見解に反発しているが、国際的には論争が続いている (詳細はアルメニア人虐殺)。

その他の事例編集

ここまでに挙げた「ジェノサイド」は、要件を人種民族国家宗教などの構成員に対する抹消行為としている。これに対して、存在に対する抹消行為という意味での比喩的な意味(用法)として、以下のような文脈で用いられることがある。

文化的なジェノサイド編集

文化的宗教的な集団の文化的・宗教的・歴史的な存在等の全部または一部を破壊する意図をもって、1つの文化的・宗教的集団の構成員または文化的・宗教的・歴史的な資産に対して行われる行為を、「文化的なジェノサイド」(文化浄化)と言う。この概念は、少なくとも国際法上では確立されていないが、ラファエル・レムキン(en)によると、ジェノサイドの一部を構成するとされる。[要出典]

集団が使用しまたは使用した言語の一部または全部の使用の禁止(その言語による書物・記録などの破壊を含む)、知識的階級(学者、賢者、僧侶、祭祀、無形文化財などあらゆる文化的・宗教的・歴史的要素の中心となる人物の階級を含む)の強制収容・移住・隔離、あらゆる重要文化財の組織的破壊(文化的・宗教的・歴史的な書物・偶像・碑柱その他)などが文化的なジェノサイドに該当する。[要出典]植民地支配もこれに含まれる場合がある。[要出典]

ナチスのポーランドに対する絶滅政策(ホロコースト)には文化的なジェノサイドの側面が見られるほか、近年における典型的な例としては次がある。

その他編集

  • 聖書信仰における聖絶(ヘーレム)を、ホロコースト、ジェノサイド、殲滅として解釈する説がある[15][16]
  • 北京の中華人民共和国は異民族を武力で支配下に置くチベット自治区やウイグル地方において文化的のみならず虐殺・弾圧を繰り返し、男性には断種手術を強行、チベット族ウイグル族の女性と漢民族の男性との結婚・逆らえば強姦するなど、民族浄化を強行していると指摘する識者もいる。
  • 楊海英も、中華人民共和国による内モンゴル人民革命党粛清事件について「ジェノサイド」として論じている[17]
  • 中国東北部で発生した1945年8月のソ連対日参戦によって、急速な満州国崩壊に伴い、混乱の中で取り残された日本人居留民が、現地住民や中国共産党と関係する共産ゲリラなどに、旧満州国地域にある通化という街において、虐殺や強姦など凄惨な行為を含んだ事実上の民族浄化に該当される行為を受けた1946年通化事件があり、これを調査の上で国連に申請し、「ジェノサイド」に認定するべきとの専門家の声も増えている。この事件は発生が物証などから確認されている事象であり、組織的な関与の元で明らかな国際法違反が行われたと疑われている歴史上の事件であり、現在でも現場の都市名から「通化事件」といわれている。
  • 笑点にて五代目司会者の桂歌丸がしばしば行った回答者の座布団全部没収指示を、ネット上のファンは「歌丸ジェノサイド」と通称している。

脚注編集

  1. ^ a b c d 西井正弘「ジェノサイド」『世界大百科事典 12 シ―シャ』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、51頁。
  2. ^ a b 斉藤功高「ジェノサイド」国際法学会編『国際関係法辞典』三省堂、1995年8月10日 第1刷発行、ISBN 4-385-15750-2、377頁。
  3. ^ a b ジェーン・スプリンガー著・石田勇治解説・築地誠子訳『1冊で知るジェノサイド』原書房、2010年2月26日 第1刷、ISBN 978-4-562-04523-5、16~19頁。
  4. ^ 大量虐殺(ジェノサイド)の語源学-あるいは「命名の政治学添谷育志、明治学院大学法学研究90号、28ページ、2011年1月
  5. ^ 添谷前掲論文、32ページ
  6. ^ 添谷前掲論文、45ページ。Samantha PowerA Problem from Hell: America and the Age of Genocide、ロンドン、フラミンゴ出版社、2002年(邦訳サマンサ・パワー『集団人間 破壊の時代――平和維持活動と市民の役割』(星野尚美訳、ミネルヴァ書房、2010 年[要ページ番号]
  7. ^ 添谷前掲論文、47ページ
  8. ^ 添谷前掲論文、48ページ。 James J. Martin, The Man Who Invented ‘Genocide’: The Public Ca- reer and Consequences of Raphael Lemkin, California: Institute for Historical Review, 1984。木村愛二『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版,1995年)325-327 頁。
  9. ^ 添谷前掲論文 41ページ
  10. ^ C.I.J.Recueil 1996, Vol.II, p.616, par.31
  11. ^ C.I.J.Recueil 2006, par.64
  12. ^ Parliament recognises Ukrainian famine of 1930s as crime against humanity”. 欧州議会 (23-10-2008). 2011年5月閲覧。
  13. ^ Joint Statement on Holodomor”. 国際連合. ウィキメディア財団 (2003年11月10日). 2011年5月閲覧。
  14. ^ 「ジェノサイド条約の適用に関する事件」(ボスニア・ヘルツェゴビナ対セルビア・モンテネグロ)(本案)判決、2007年2月26日、I.C.J.Reports 2007, pp.98-108, paras.278-297.
  15. ^ 小坂井澄『さまよえるキリスト教』徳間文庫、2000年、p.84~87
  16. ^ 文語訳聖書では、通常「絶滅」などと訳される民数記21:3の「ホルマ」(ヘーレムの語根ハラムの派生語。新改訳聖書ではホルマがそのまま使われている)を「殲滅」と訳し、「ほろぼし」のルビを振っている
  17. ^ 楊 海英「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 1: 滕海清将軍の講話を中心に」風響社. 2009年、同「モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料 2 内モンゴル人民革命党粛清事件 内モンゴル自治区の文化大革命」風響社2010 [要ページ番号]

関連項目編集