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ルワンダ共和国
Republika y'u Rwanda(ルワンダ語)
République du Rwanda(フランス語)
Republic of Rwanda(英語)
Jamhuri ya Rwanda(スワヒリ語)
ルワンダの国旗 ルワンダの国章
国旗 国章
国の標語:Unity, Work, Patriotism
(日本語: 統一、労働、愛国心)
国歌美しきルワンダ
ルワンダの位置
公用語 ルワンダ語
フランス語英語
スワヒリ語
首都 キガリ
最大の都市 キガリ
政府
大統領 ポール・カガメ
首相 エドゥアール・ンギレンテ英語版
面積
総計 26,338km2144位
水面積率 5.3%
人口
総計(2012年 11,300,000人(???位
人口密度 429人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2013年 4兆9,150億[1]ルワンダ・フラン
GDP (MER)
合計(2013年 76億[1]ドル(142位
GDP (PPP)
合計(2013年174億[1]ドル(138位
1人あたり 1,608[1]ドル
独立
 - 日付
ベルギーより
1962年7月1日
通貨 ルワンダ・フラン (RWF)
時間帯 UTC (+2)(DST:なし)
ISO 3166-1 RW / RWA
ccTLD .rw
国際電話番号 250

ルワンダ共和国(ルワンダきょうわこく)、通称ルワンダは、東アフリカに位置する共和制国家内陸国であり、西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジ国境を接する。首都キガリで、イギリス連邦加盟国のひとつ。

アフリカで最も人口密度が高い国である[2]。 治安は比較的良いとされる。

国名編集

正式名称はルワンダ語Republika y'u Rwanda [u.ɾɡwanda] (  音声ファイル)英語Republic of Rwanda [ɹuːˈɑːndə, ɹuːˈændə]フランス語République du Rwandaスワヒリ語Jamhuri ya Rwanda

歴史編集

欧米人の到着以前、この地域には牧畜民系のツチの王が、農耕民系のフツを支配するルワンダ王国が存在していた。[3]

ドイツ植民地時代編集

1889年ドイツ保護領となる[3]。以後、ルワンダは第一次世界大戦終結までドイツ領東アフリカの一部とされる。植民地政府は、既存の統治機構を利用する間接統治方式を用いた[3]

ベルギー植民地時代編集

第一次世界大戦で敗れたドイツはルワンダを含む全ての植民地を失った。1918年以後はルアンダ=ウルンディとしてベルギー委任統治下に置かれ、少数派のツチが中間支配層に据えられた。

1959年、ルワンダ王国のムワミ(国王)であるムタラ・ルダヒグワ(ムタラ3世)の死を契機にツチとベルギー当局の関係が悪化し、万聖節の騒乱英語版を経て多数派のフツの抵抗も激しさを増した。1961年、ベルギー当局はクーデター軍政を敷き、王政に関する国民投票を実施。キゲリ5世を廃して共和制樹立を承認した。ルアンダ=ウルンディ初代大統領にフツのドミニク・ムボニュムトゥワが就任する。

独立後編集

1962年に独立し、ルアンダ=ウルンディの第2代大統領だったフツのグレゴワール・カイバンダがそのまま共和国の初代大統領に就任した。独立直後のルワンダは最貧国の一つであり、財政は大幅赤字状態で1963年には亡命したツチ系武装勢力が一時、首都のキガリから14kmまで迫るなど深刻な状態にあった[3]。しかし、1966年から開始された経済再建計画の成果もあり、以後ルワンダ紛争勃発までの約20年にわたり、ルワンダはアフリカの模範生としてほぼ一貫して発展を続けることになる[3]。カイバンダ政権にはツチの閣僚も存在したものの[3]、政治的にはツチを排除する政策が取られた[4]

1973年ルワンダ・クーデター英語版が起こり、フツのジュベナール・ハビャリマナが第2代大統領に就任する[3]。ハビャリマナは開発独裁を行う一方、ツチに対しては和解政策を進め、政治分野以外での抑圧は減少した。[4]

1980年代末の時点でルワンダは大きな発展を遂げていたものの、一方で都市化の進展や環境破壊、さらに1987年のコーヒー価格の暴落もあり貧富の差が拡大[3]1982年には0.357であったジニ係数1992年には社会騒乱の危険ラインを超える0.583に悪化するなど、後の紛争の芽が育まれつつあった[3]

ルワンダ紛争編集

1987年、隣国のウガンダに逃れていたツチ系の難民が主体となり、ルワンダ愛国戦線 (RPF) が結成された。 1990年以降、ルワンダ帰還を目指したRPFとルワンダ政府の間で内戦に陥った(ルワンダ紛争)。タンザニアやザイールはRPFの攻撃をウガンダによる武力侵攻であるとして、派兵を行っている[3]。経済低迷や政治的混乱の中、さらにRPFの侵攻に晒されたハビャリマナは、これまでの和解政策を改め、反ツチのイデオロギーを掲げるようになる。[4]

1993年8月4日、戦況の膠着からルワンダ政府とRPFの間でアルーシャ協定英語版が調印され、同協定の遵守を支援するため国連平和維持部隊が展開した。

ルワンダ虐殺編集

 
多数の避難民が殺害されたントラマ教会。

急進的なフツ至上主義の台頭による政情悪化が収まらず、1994年4月にジュベナール・ハビャリマナが暗殺された事件(ハビャリマナとンタリャミラ両大統領暗殺事件)を発端に、政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発した(ルワンダ虐殺)。この結果、約100日間のうちに、当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ80万人から100万人が殺害されたと見られている。虐殺は、その勃発を受けて侵攻を再開したRPFがルワンダ全土を掌握したことで終息し、フツのパストゥール・ビジムング英語版を大統領、RPFのポール・カガメを副大統領とする新政権が樹立された。

大湖地域の難民危機編集

ルワンダ虐殺により、約210万人とも言われる大量の難民が周辺国に流出した。ジャーナリストのフィリップ・ゴーレイヴィッチ英語版によれば、難民の中身はRPFによる報復を恐れたフツの一般人と、旧フツ政権指導層および軍や民兵の組織的な大量疎開だった様に描写している[5]。このうちの後者について、ジェラール・プルニエなどは「難民キャンプをルワンダ奪還に向けた軍事拠点にしようとする旧フツ政権指導部による計画的な疎開であり、その意味では戦争の継続だった」としている[6]。以後、ルワンダ情勢は安定に向かったが難民の本国帰還は進まず、寧ろ周辺諸国の政治・軍事情勢を不安定化させて国際問題となり、大湖地域の難民危機英語版と呼ばれた。(ルワンダ周辺は、キブ湖ビクトリア湖など大きな湖が点在することから「大湖地域」と称される。)

ツチ主導のルワンダ新政府の要請を受けて、1994年国連安全保障理事会は、ルワンダ領域内及び隣接諸国においてジェノサイドや非人道行為を行った者を訴追・処罰するためのルワンダ国際戦犯法廷を設置、現在も審理が続いている。

コンゴ戦争編集

大湖地域の難民危機は、特に隣国ザイール(現コンゴ民主共和国)でモブツ政権の崩壊へと波及した第一次コンゴ戦争1996年 - 1997年)のほか、周辺8か国が介入する事態となった第二次コンゴ戦争1998年 - 2003年)の遠因となった。

カガメ政権編集

2000年、ビジムング大統領の辞任に伴いツチのポール・カガメが第5代大統領に就任した[3]

内戦によりルワンダの産業・経済は深刻な打撃を受けたが、1999年には内戦前の水準へと回復を果たした[3]。内戦時代に海外へ脱出(ディアスポラ)したツチのうちの200万人近くが戦後帰国し、海外で習得した様々なスキルで国の復興に尽力している。21世紀に入り顕著に近代化が進み、「アフリカのシンガポール[7]「アフリカの奇跡」[8]と呼ばれている。毎年の経済成長率が7%前後と急成長を遂げ、首都のキガリは中国企業[9]などによってルワンダで最も高いランドマークキガリ・シティ・タワー英語版をはじめとする近代的な建物や道路が建設されて、市内の街並みは新しくなり[10][7][11]、カガメは2018年度のアフリカ連合議長を務めてアフリカ大陸自由貿易協定の設立に主導的な役割を果たした[12]2000年頃からはICT立国を目指し、ICTの普及・整備に力を注いでいる。一方で、激しい反体制派への弾圧などで自らの権力基盤を強化するその手法は独裁的であるとの批判もある[13]。実際に2015年には憲法第172条が改正され、2034年まで大統領職にとどまることが可能となった[14]

カガメ大統領は日本の新聞社による取材に対して「完璧な指導者などいない」、「ルワンダにふさわしい統治をしている」と語り、強権的との批判は「気にしない」と述べている[15]

3月23日運動の反乱編集

2012年11月20日、ウガンダと共にツチ系武装組織3月23日運動 (M23) を支援し、コンゴ民主共和国で紛争(3月23日運動の反乱英語版)が勃発した。

政治編集

 
議事堂。
 
地図。

ルワンダは共和制をとる立憲国家であり、現行憲法は2003年5月26日に承認され同年6月4日に施行されたものである。

国家元首である大統領国民の直接選挙により選出され、任期は7年。3選禁止となっている。首相は大統領により任命され、内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは大統領が任命する。

現行憲法下のルワンダ議会は、二院制で上院と下院で構成されている。上院は定数26議席で、うち12議席は地方議会が選出、8議席は大統領が任命、4議席は政府の諮問機関である政治組織フォーラムが選出、2議席は高等教育機関の代表で構成される。下院は定数80議席で、53議席は国民の直接選挙で選出され、24議席は地方が選任する女性議員枠、3議席は青年組織や障害者組織が選出する。議員の任期は上院が8年、下院が5年となっている。ルワンダ虐殺で男性の数が減り、さらに憲法で女性議員数が全体の30%を超えるように決められているので、女性議員が世界で最も多い。2008年には女性議員が世界で初めて全体の過半数を占めた[16]

最大政党は現大統領のポール・カガメが率いるルワンダ愛国戦線 (RPF) である。同党は、キリスト教民主党(PDC)、理想民主党(PDI、旧イスラム民主党)、ルワンダ社会党進歩調和党ルワンダ人民民主連合とともに与党連合(RPF) を組んで政権を握っている。ルワンダ愛国戦線は1994年のルワンダ虐殺時に北部より侵攻して政権を握って以降、民政移管後も一貫して政権を維持しているが、議会選・大統領選ともに有力候補の排除や有力野党の登録禁止、偏向報道などにより圧倒的に与党有利の状況を作り上げて勝利してきており、強い独裁傾向を示している[17]。一方で、その開発独裁によって良好な治安と高い経済成長を実現させてもいる。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに社会民主党自由党などが存在する。

最高司法機関は最高裁判所(同上:Cour suprême)である。

内戦後のルワンダ政府における著しい特色として、ガバナンス(統治能力)の向上があげられる。一例として、内戦後のルワンダでは汚職の減少が急速に進み、2016年には政府のクリーンさにおいて世界50位、アフリカで3位にまでつけるようになった[18]。また、強化された中央政府の権力によって開発がスムーズに進むようになり、これはルワンダの経済成長の要因の1つともなっている。一方で、政府の指導が市民生活の隅々にまで入り込み、各地の行政官は上部組織に対しイミヒゴと呼ばれるノルマを設定して開発計画を進めていく[19]など、強権的な開発独裁体制が確立している。

国際関係編集

フランス政府はハビャリマナ暗殺に関わったとしてカガメ政権関係者を訴追し、カガメ側もフランスが虐殺を支援したと非難して国交を断絶していたが、2009年11月29日に3年ぶりに国交回復した[20]。その後ルワンダ政府は英語圏への接触を図り、2009年11月29日に英連邦への加盟が認められ、54番目の加盟国となった。旧イギリス植民地以外で加盟が認められたのは1995年のモザンビーク以来のことである。

中華人民共和国インドITインフラストラクチャー整備や企業進出で関与を強めている[21][15]。特に中国とは武器の供給など軍事的な関係もあり、2019年7月のルワンダ大虐殺解放25周年記念の軍事パレードでルワンダ軍は中国人民解放軍による訓練で従来のイギリス式から中国式のガチョウ足行進に改めた[22]

隣国ブルンジとは言語・社会構造・民族構成・地形などがほぼ共通しており、兄弟国と言っていいが、両国間の関係は独立以降1980年代末までは非常に険悪なものとなっていた。これは、独立直前の革命によってルワンダがツチの国王や社会上層を排除してフツ中心の社会を作り上げたのに対し、ブルンジは王政が崩壊した後もツチが社会の中心となっていたためである[23]

地理編集

 
地形図。
 
ナイル川源流の一つであるカゲラ川

ルワンダの面積は2万6000平方kmで、アフリカ大陸の中央にあり赤道から緯度で数度だけ南に位置する。西にコンゴ民主共和国、北にウガンダ、東にタンザニア、南にブルンジと接している。国土の中央に位置する首都のキガリ以外は基本的に丘陵地で、それぞれに小農場が分布する。北西の火山群から南東へごつごつした山地が連なり、西部にコンゴ川ナイル川流域を分ける平均海抜2,740mmの分水嶺が南北に走っている。その西斜面をキブ湖ルジジ川渓谷に下るとアフリカ大地溝帯の一部となる。キブ湖とルジジ川は、コンゴ民主共和国との国境ともなっている。東斜面はなだらかに中央高地から平原、沼沢地、湖へと標高が低下し、東端を南北に流れるカゲラ川がタンザニアとの国境となっている。

一部の山岳地帯を除き国土のほぼ全域がなだらかな丘陵によって覆われているため、ルワンダは「千のの国」と呼ばれた。この丘陵はすべて頂上まで耕されており、ルワンダの稠密な人口を支えている。居住形態は散村が一般的だったが、ルワンダ内戦後に政府の強力な主導の下で集住化政策が実施されて集村が誕生し、一部では農村形態が大きく変動した[24]。森林は、開発の制限されている3つの国立公園(東部のアカゲラ国立公園、北西部の火山国立公園、南西部のニュングェ国立公園)を除きほぼ存在しない。ニュングウェ森林では、2006年にイギリスの探検隊がナイル川の源流を発見したと発表した。

地方行政区分編集

 
現在の行政区分

現在の地方行政区画編集

2006年1月1日からルワンダの地方行政区分は新しいものになり、5つの州に再編した。

  1. 北部州 (Province du Nord)
  2. 南部州 (Province du Sud)
  3. 東部州 (Province de l'Est)
  4. 西部州 (Province de l'Ouest)
  5. キガリ州Kigali

2005年以前の地方行政区分編集

 
2005年以前の行政区分

2005年以前は11の県と、首都のキガリで構成されていた。

  1. ブタレ県 (Butare)
  2. ビュンバ県 (Byumba)
  3. チャンググ県 (Cyangugu)
  4. ギコンゴロ県Gikongoro
  5. ギセニ県 (Gisenyi)
  6. ギタラマ県 (Gitarama)
  7. キブンゴ県 (Kibungo)
  8. キブエ県 (Kibuye)
  9. キガリ郊外県(Kigali Rural)
  10. キガリ (Kigali Ville)
  11. ルヘンゲリ県 (Ruhengeri)
  12. ウムタラ県 (Umutara)

主要都市編集

主要な都市はキガリ(首都)、ギタラマがある。

経済編集

 
首都キガリの中心街。

通貨はルワンダ・フランで、IMFの統計によると2013年のルワンダのGDPは76億ドルである。一人当たりのGDPは704ドルと世界平均の10%を下回るが、タンザニアウガンダなど周辺国とはほぼ同じ水準にある。[1] 国土及び可耕地に対して人口が極めて多く、人口過剰が問題となっている。

農業編集

中心的産業は農業であり、2012年には労働人口の75.3%が第一次産業に従事していた[25]。国土全域に緩やかに広がる丘陵は頂上までよく耕され、肥沃である。こうした農地では集約農業が営まれ[26]、ルワンダの過剰な人口をともかくも支えられるだけの収穫をあげてきていた。農地は細分化されており、人口の増加によって細分化はさらに加速しているが、人口の多くは農村にとどまる傾向があり、狭小ながらも農民の多くは土地の一片は所有していることが多い。ルワンダ内戦後にツチの難民が帰還してきたときに、内戦によって難民化したフツの空き家や農地を接収して居住したため、1996年にフツ難民が帰還してくると各所で紛争が起こった。これに対しルワンダ政府は家屋を旧所有者であるフツに返し、土地は両者で折半させる、いわゆるランド・シェアリング政策を実施し、また女子の土地相続権の確立も行われ、土地所有に大きな変動が起きた[27]。農産品ではマラバ・コーヒーなどのコーヒーが輸出品目として有名であり、2014年には総輸出の8.9%を占めた。もう一つの輸出農産品はで、総輸出の8.8%を占める[28]。また湖での漁業従事者も見られる。

鉱業編集

しかし、輸出において最も重要な資源は農産物ではなく、鉱物資源である。

アフリカ大地溝帯に位置するため、海嶺型の鉱物資源を産出する。生産量が最も多いのはスズ(1900トン、2013年時点)である。経済的に重要なのはタングステン(730トン)で、世界第8位の産出国である。レアメタルも重要で、タンタルの産出は150t(2012年)で世界生産の20.6%を占め世界1位となっているほか、ニオブの産出も190t(2012年)で世界3位となっている。このほか(3kg)と天然ガスを採掘している。輸出品としては、2014年度ではニオブが総輸出の15.8%、スズ鉱が11.0%を占める[29]

「アフリカの奇跡」編集

内戦終結後、農業改革やインフラ整備、綱紀粛正による汚職の減少、IT産業の振興、海外からの投資の奨励などによって急速な経済成長を遂げており[30]、この現象を指して「アフリカの奇跡」と呼ばれている。

内戦からの急速な復興を受けて、中印など外国企業の進出も盛んである(「国際関係」参照)。日本では、みずほ情報総研が日本企業の進出支援などで協力する覚書をルワンダ開発庁と結んでいる[31]

国民編集

 
ルワンダの農村部の子供たち。

民族編集

国民の84%がフツ、15%がツチ、1%がトゥワである[2]

言語編集

公用語ルワンダ語(キニャルワンダ語)、フランス語英語スワヒリ語である。ルワンダ語がほぼ100%の国民に理解されるのは、多部族・多民族国家が主流のサブサハラアフリカでは稀有な、単一言語的な国であるが、複雑な事情により4つの言語が公用語となっている多言語国家である。

ルワンダは、かつてはドイツ植民地のドイツ領東アフリカであったが、ドイツ語は普及しなかった。さらに1916年のベルギーの入植以降はフランス語圏となった。しかし長年の間、難民として英語圏であるウガンダに逃れていたカガメ大統領をはじめとするツチ族の現政権のルワンダ愛国戦線メンバーがルワンダ虐殺以降制圧してルワンダを統治するにあたり、主に英語話者であり、多くはフランス語が話せなかったことと、親フランス的であった旧政権に対して現政権と関係の深いアメリカとイギリスの後押しもあり、2008年に公用語にそれまではルワンダと全く関連の無かった英語が追加された。その翌年の2009年にはイギリス連邦に加盟し、英語圏諸国との関係強化を図った。同年、ベルギーによる植民地支配以来続いていたフランス語から教授言語も英語へと変更され、政府要人にも英語を学ぶように要求しているなど、実質的にフランス語圏から英語圏への転換を図っている。すでに政府等の公的機関のウェブサイトも英語版のみであり、フランス語版は存在しないなどフランス語の排除が進められた。

一方で2015年からはスワヒリ語教育が必修化され、2017年には公用語に追加された。また、2016年には初等教育でのフランス語教育が再導入され、閉鎖されたフランス語学校の再開等、悪化したフランス語圏との関係の回復も進められている。実際に、フランスの支持を取り付けたことでルイーズ・マッシキワボが2018年にフランコフォニー国際機関の事務総長に選出された。

国民の大半はフランス語を話せることはできても英語をほとんど話せない状況であったのにもかかわらず、戦乱による人口の減少・流出と、英米と結んだ新政権の判断によって短期間でフランス語圏から英語圏へと変わった世界でも稀な国でもある。

宗教編集

 
ルワマガナのカトリック教会

2001年の統計によれば、キリスト教ローマ・カトリックが56.5%、プロテスタントが26%、アドベンチスト教会が11.1%。ムスリムが4.6%、土着信仰が0.1%、無宗教が1.7%である[2]

教育編集

2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は70.4%(男性:76.3%、女性:64.7%)である[2]。2005年にはGDPの3.8%が教育に支出された[2]

主な高等教育機関としてルワンダ国立大学(1963)の名が挙げられる。

2007年時点では国際人権A規約の「中・高等教育の無償化」の条項を留保しているのは、ルワンダとマダガスカル日本の3か国のみであったが、2008年12月にルワンダは留保を撤回した[32]

初等教育3年次まではルワンダ語、その後は英語が教授言語となっている。スワヒリ語教育は必修となっている。国民の100%が理解できるルワンダ語は教育では初等教育を除くと使われていない。

IT立国を目指す政策により、電気のない地域にもインターネットなどができるバスを導入したり、簡易パソコンを使った初等教育を行ったりしている。またITを教えるトゥンバ高等技術専門学校も日本の援助で設立され、英語によって授業が進められている。

保健編集

ルワンダにおける2007年のHIV感染者は推計で約150,000人であり[2]、感染率は2.8%である[2]。ルワンダ人の平均寿命は56.77歳(男性:55.43歳、女性:58.14歳)である[2]

家族編集

姓が同じことは親類関係を意味せず、姓は家族間で異なるのが一般的。したがって、夫婦別姓である。慣習では、子には家族のいずれとも異なる姓をつける。家族がすべて同じ姓を持つことは極めてまれである[33]

文化編集

祝祭日編集

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
1月28日 民主制の日
2月1日 国家英雄の日
3月または4月 聖金曜日
3月または4月 イースターマンデー
4月7日 大量虐殺追悼記念日
5月1日 メーデー
7月1日 独立記念日
7月4日 自由の日
8月15日 聖母被昇天祭
10月1日 愛国記念日
11月1日 諸聖人の日
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシング・デー

ウムガンダ

毎月最終土曜日の午前中は店舗の営業や交通機関の運行をストップし、地域住民で奉仕作業を行うウムガンダという活動が義務付けられている。18歳から65歳までの国民が対象とされており、清掃作業や学校や病院などの建設作業も行われる。

脚注編集

  1. ^ a b c d e World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h CIA World Factbook "Rwanda" 2010年2月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 服部正也『『ルワンダ中央銀行総裁日記』』中公新書、2009年。ISBN 978-4-12-190290-0
  4. ^ a b c 饗場和彦 (2006年1月). “「ルワンダにおける1994年のジェノサイド」 (PDF)”. 『徳島大学社会科学研究』第19号. 徳島大学. 2015年5月16日閲覧。
  5. ^ ゴーレイヴィッチ 2003a, pp. 198-213。但し、ゴーレイヴィッチの虐殺の描写の精確さやフツ民衆とジェノシデールの同一視、RPFに関する記述については、武内からの批判がある(武内 2003)。
  6. ^ Prunier 2009, p. 24
  7. ^ a b “大虐殺乗り越え「アフリカのシンガポール」へ、ルワンダの首都キガリ”. AFP (フランス通信社). (2010年8月25日). http://www.afpbb.com/articles/-/2750558?pid=6107226 2013年11月17日閲覧。 
  8. ^ NHKスペシャル|アフリカンドリーム 第1回 “悲劇の国”が奇跡を起こす”. 東京: 日本放送協会 (2010年4月4日). 2010年4月23日閲覧。
  9. ^ “BOOM TOWN: KIGALI’S CHINESE INVESTMENT”. African Sentinel. (2014年1月10日). http://www.africansentinel.net/Boom-Town-Kigali-s-Chinese.html 2018年10月21日閲覧。 
  10. ^ “China is building Rwanda’s gigantic ‘Vision City’, Modi just gifted them cows”. the print. (2018年7月27日). https://theprint.in/opinion/china-is-building-rwandas-gigantic-vision-city-modi-just-gifted-them-cows/89151/ 2018年10月21日閲覧。 
  11. ^ “Chinese firms help transform business district landscape in Rwanda”. New Times. (2018年7月23日). https://www.newtimes.co.rw/news/chinese-firms-help-transform-business-district-landscape-rwanda 2018年10月21日閲覧。 
  12. ^ The Largest Free Trade Deal in Nearly a Quarter-Century Seeks to Make Africa a Single Market”. フォーチュン (2019年5月25日). 2019年7月13日閲覧。
  13. ^ Paul Kagame: Rwanda's redeemer or ruthless dictator?”. デイリー・テレグラフ. 2016年6月24日閲覧。
  14. ^ Rwanda: Kagame Free to Rule Till 2034”. AllAfrica.com. 2016年6月24日閲覧。
  15. ^ a b ルワンダ カガメ大統領に聞く「IT誘致し中所得国へ」ファーウェイなど先行 日本勢の投資に期待日本経済新聞』朝刊2019年1月11日(国際2面)2019年1月14日閲覧。
  16. ^ (2008年9月19日産経ニュース)http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/080919/mds0809190806000-n1.htm
  17. ^ 「ジェノサイド再考」p259-261 鶴田綾 名古屋大学出版会 2018年12月10日初版第1刷
  18. ^ 「ジェノサイド再考」p251 鶴田綾 名古屋大学出版会 2018年12月10日初版第1刷
  19. ^ 「ジェノサイド再考」p254 鶴田綾 名古屋大学出版会 2018年12月10日初版第1刷
  20. ^ 「仏とルワンダが国交回復」 AFP/時事 2009年11月30日閲覧。
  21. ^ 「ルワンダ進出 中印が熱視線/両国首脳訪問で投資追い風/内陸国の経済成長に期待」『日経産業新聞』2018年11月21日(グローバル面)。
  22. ^ “Rwandan troops trained by Chinese military mark 25th anniversary of liberation”. サウスチャイナ・モーニングポスト. (2019年7月7日). https://www.scmp.com/news/china/diplomacy/article/3017597/rwandan-troops-trained-chinese-military-mark-25th-anniversary 2019年7月13日閲覧。 
  23. ^ 「東部・南部アフリカ」(ベラン世界地理体系10)p63 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2019年6月10日初版第1刷
  24. ^ 武内進一「コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジの土地政策史」『アフリカ土地政策史』武内進一編著、アジア経済研究所、2015年11月13日、185頁。
  25. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p321 二宮書店 平成28年1月10日発行
  26. ^ 「東部・南部アフリカ」(ベラン世界地理体系10)p66 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2019年6月10日初版第1刷
  27. ^ 武内進一「コンゴ民主共和国、ルワンダ、ブルンジの土地政策史」『アフリカ土地政策史』武内進一編著、アジア経済研究所、2015年11月13日、184-185頁。
  28. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p321 二宮書店 平成28年1月10日発行
  29. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p321 二宮書店 平成28年1月10日発行
  30. ^ 「ジェノサイド再考」p250-252 鶴田綾 名古屋大学出版会 2018年12月10日初版第1刷
  31. ^ ルワンダ共和国・ルワンダ開発庁と業務協力覚書を締結みずほ情報総研(2018年5月30日)2018年12月6日閲覧。
  32. ^ 2009年6月8日(月)『しんぶん赤旗http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-06-08/2009060801_03_1.html
  33. ^ Rules on birth registration and children's surnames, Ministry of Home Affairs and Immigration, February 2013.

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集