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ジョニー・デビッド・デイモン(Johnny David Damon, 1973年11月5日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州フォートライリー英語版出身の元プロ野球選手外野手)。

ジョニー・デイモン
Johnny Damon
Johnny Damon on June 28, 2012.jpg
インディアンズ時代(2012年6月28日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カンザス州フォートライリー英語版
生年月日 (1973-11-05) 1973年11月5日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188.0 cm
205 lb =約93.0 kg
選手情報
投球・打席 投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1992年 ドラフト1巡目
初出場 1995年8月12日 マリナーズ
最終出場 2012年8月1日 ロイヤルズ
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカタイ王国の旗 タイ
WBC 2006年(アメリカ代表)
2013年(タイ代表)

目次

経歴編集

1973年、アメリカ陸軍フォートライリー基地において、白人で軍人の父親とタイ人の母親の間に生まれる。

ロイヤルズ時代編集

1992年ドラフトカンザスシティ・ロイヤルズから1巡目(全体35位)指名され入団。

1993年マイナーリーグで59盗塁を記録した。

1995年8月12日にメジャーデビューし、45試合に出場し、打率.282を記録した。

1996年、初めて1年を通してメジャーでプレーをした。145試合に出場し、打率.271、リーグ8位の25盗塁を記録した、8月10日エンゼルス戦では自身初の満塁本塁打を放った[1]

1998年は全161試合(メジャーは162試合制であるが、1998年ロイヤルズは161試合だった)に出場し[2]、打率.277、リーグ2位の10三塁打を記録した。

1999年は打率.307で初めで打率が3割台を記録したが、9月14日エンゼルスとのダブルヘッダー第2戦で欠場したため球団記録を更新し続けていた連続試合出場が305で途切れた[3]

2000年は開幕から4月下旬まで打率が2割を下回るなど極度のスランプに陥り、4月19日のツインズ戦ではトニー・ミューサー監督が彼らしいスイングが全くできていないからと、試合を休ませた[4]。本人はこの欠場が復調のきっかけとなったと認めており、翌日から5月7日にかけて14試合連続安打を記録し、その間に達成した10試合連続先頭打者安打は、25年前にこの記録を付けるようになってからで最長となった[4]

7月には打率.436を記録し、18日のカブス戦ではメジャータイ記録となる4二塁打を放ち[5]月間MVPに選出された。この年のレギュラーシーズンは自己最高となる打率.327・214安打・136得点・42二塁打・88打点・46盗塁を記録し、得点は球団新記録となった[6]

アスレチックス時代編集

2000年シーズン終了後にロイヤルズは5年総額3,200万ドルで契約を提示したが、デイモンの代理人スコット・ボラスは契約せず1年待ち、FA市場で試すことにした[7]。そして2001年1月8日にロイヤルズ、アスレチックスデビルレイズによる三角トレードでオークランド・アスレチックスへ移籍した[8]。155試合に出場し、打率.256、9本塁打、27盗塁と前年より成績が悪化したものの、チームは2年連続でプレーオフに進出し自身初めてポストシーズンへ出場。ディビジョンシリーズヤンキースに負け、シーズン終了後の11月5日にFAとなった。

レッドソックス時代編集

2001年12月21日、ボストン・レッドソックスに4年3,200万ドルで移籍した。

2002年オールスターにファイナルボートで選出され、初出場を果たした[9]。打率.286、リーグ5位の118得点、自己最多の11三塁打を記録した。2004年は打率.304・123得点・初の20本塁打・自己最多の94打点を記録し、チームの86年振りの世界一に貢献。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップの第7戦では、優勝を決定付ける満塁本塁打を放ち、カージナルスとのワールドシリーズの第4戦では、先制のソロ本塁打を放つ活躍を見せた。

キリストを意識した長髪と顔の下半分を覆うヒゲがトレードマークで、当時のあだ名は原始人 caveman だった。シーズンオフのファン感謝イベントではファンの目の前で髭と長髪をばっさり切り落とし、それをチャリティー商品として販売したこともある。

ヤンキース時代編集

2005年12月23日に4年総額5,200万ドルでのニューヨーク・ヤンキースへ移籍[5]。歴史的な因縁の多いライバルチームへの移籍とあって、大きな話題を呼んだ。それに伴い、その長髪と髭を切り落とした[10]

2006年はレギュラーシーズン開幕前に2006 ワールド・ベースボール・クラシック・アメリカ合衆国代表に選出された。

5月2日には古巣ボストンのフェンウェイ・パークで先発出場。凄まじいブーイングと大歓声に迎えられ、ヘルメットを振って応えた。同年は出塁率こそ前年より下がったものの、打率.285・25盗塁、自己最多となる24本塁打を記録し、初めて20本塁打・20盗塁を達成。デレク・ジーターと共にタブルチャンスメーカーとなり、効率よく得点をあげやすい打線を形成[11]。チームの得点は前年より44点上回りリーグ1位の930得点で、それに対しデイモンを失ったレッドソックスは90点減の820点となった[11]

2007年開幕戦で両膝を痛め、指名打者として出場する機会が増えた。センターの守備範囲も狭まり[要出典]、若手のメルキー・カブレラにセンターの定位置を奪われ、終盤はセンターよりレフトで出場する試合が増えた。成績も打率.270、12本塁打と前年を下回る成績で、30二塁打・100得点が9年で途切れたが、ルー・ゲーリッグスタン・ミュージアルに並ぶMLBタイ記録となった[12]

2008年は開幕から安定した成績を残し、6月7日ロイヤルズ戦でヤンキースの選手では1934年マイリル・ホーグ外野手以来74年ぶりとなる1試合6打数6安打を記録した[要出典]。しかし、7月4日のレッドソックス戦でボールを追ってフェンスに激突して右肩を負傷し、初めて故障者リストに入った。

2009年は右翼が狭い新ヤンキースタジアムにも助けられ[13]、自己最多タイの24本塁打を記録(本拠地で17本塁打)。デレク・ジーターと入れ替わる形で2番打者を務め、チームの9年ぶり世界一に貢献した。ワールドシリーズ第4戦では、同点で迎えた9回表にヒットで出塁し、二盗を決めると、がら空きになっていた三塁を一気に陥れ、「1球で2盗塁」を記録した[14][15]。シーズン終了後、ヤンキースとの残留交渉がまとまらずにFAとなった。

タイガース時代編集

2010年2月22日、年俸800万ドルの1年契約で、デトロイト・タイガースへ移籍。タイガースでは、主に指名打者として15年連続となる140試合以上に出場したが、それまで8年連続、15年間で11度記録していた2ケタ本塁打・2ケタ盗塁の同時達成はならず、特に本塁打は自身のキャリアを通じて下から3番目タイ、盗塁は下から2番目に低い数字であった。一方で、メジャー16年目を迎えた事もあり、通算記録部門では1500得点・2500安打・100三塁打・1000打点などを次々に達成した。

レイズ時代編集

2011年1月31日タンパベイ・レイズと525万ドルの1年契約を結び、2月3日にはレッドソックス時代の同僚であり、同じくレイズと1年契約を結んだマニー・ラミレスと共に入団会見を行った。4月にマニー・ラミレスが引退したために、5番指名打者での起用が主になった。史上2人目の200本塁打、100三塁打、400盗塁を達成。シーズン終了後、FAになった。

インディアンス時代編集

2012年4月13日、怪我で1年間欠場する事になったグレイディ・サイズモアの代役としてクリーブランド・インディアンスと125万ドルの1年契約を結んだ[16]
成績不振のため、2012年8月3日戦力外通告を受け[17]8月9日に解雇された[18]。11月には第3回WBC予選にタイ代表として出場した[19]

デイモンは公式に引退を発表しておらず、現役を続行して3000本安打を目指す意向を示していた。例えば彼の代理人のスコット・ボラスは、2014年12月頃の取材に対して、声さえ掛かればデイモンは喜んで現役復帰するだろうと語っている[20]。しかし2012年8月以降にデイモンと契約した球団はなく、事実上の引退状態にある。

選手としての特徴編集

打撃編集

ボールカウントを多く稼ぐスタイルを特徴とし、構えがやや大きいにも関わらずバットスピードは非常に速い[21]。従来のパワーも強く、ボールに強烈なバックスピンをかけるため打球を遠くへ飛ばすこともできる[21]

守備・走塁編集

一塁到達まで4.05秒のスピードを備え、一塁から三塁まででも巧みな走塁を見せる[21]。盗塁の際には一歩目がとても早いため、加速するのが速く、2000年には盗塁王を獲得している[21]

外野守備では持ち前の俊足である程度カバーしてきたものの、横方向へ走る軌道の捕り方と後方の打球を処理する能力に欠けている[21]。肩の強さにも欠け、2006年の選手投票で『最も肩の弱い外野手』の1位となったこともある[11]。過去に務めたことがある一塁の守備もあまりうまくはないようで、味方の投げた球を後ろに逸らしかけるなど(デレク・ジーターは失笑していた)、安定感がない[要出典]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1995 KC 47 206 188 32 53 11 5 3 83 23 7 0 2 3 12 0 1 22 2 .282 .324 .441 .765
1996 145 566 517 61 140 22 5 6 190 50 25 5 10 5 31 3 3 64 4 .271 .313 .368 .681
1997 146 524 472 70 130 12 8 8 182 48 16 10 6 1 42 2 3 70 3 .275 .338 .386 .724
1998 161 710 642 104 178 30 10 18 282 66 26 12 3 3 58 4 4 84 4 .277 .339 .439 .778
1999 145 660 583 101 179 39 9 14 278 77 36 6 3 4 67 5 3 50 13 .307 .379 .477 .856
2000 159 741 655 136 214 42 10 16 324 88 46 9 8 12 65 4 1 60 7 .327 .382 .495 .877
2001 OAK 155 719 644 108 165 34 4 9 234 49 27 12 5 4 61 1 5 70 7 .256 .324 .363 .687
2002 BOS 154 702 623 118 178 34 11 14 276 63 31 6 3 5 65 5 6 70 4 .286 .356 .443 .799
2003 145 690 608 103 166 32 6 12 246 67 30 6 6 6 68 4 2 74 5 .273 .345 .405 .750
2004 150 702 621 123 189 35 6 20 296 94 19 8 0 3 76 1 2 71 8 .304 .380 .477 .857
2005 148 688 624 117 197 35 6 10 274 75 18 1 0 9 53 3 2 69 5 .316 .366 .439 .805
2006 NYY 149 671 593 115 169 35 5 24 286 80 25 10 2 5 67 1 4 85 4 .285 .359 .482 .841
2007 141 605 533 93 144 27 2 12 211 63 27 3 1 3 66 1 2 79 4 .270 .351 .396 .747
2008 143 623 555 95 168 27 5 17 256 71 29 8 2 1 64 0 1 82 5 .303 .375 .461 .836
2009 143 626 550 107 155 36 3 24 269 82 12 0 2 1 71 1 2 98 9 .282 .365 .489 .854
2010 DET 145 613 539 81 146 36 5 8 216 51 11 1 2 1 69 1 2 90 5 .271 .355 .401 .756
2011 TB 150 647 582 79 152 29 7 16 243 73 19 6 2 5 51 1 7 92 4 .261 .326 .418 .743
2012 CLE 64 224 207 25 46 6 2 4 68 19 4 0 0 0 17 0 0 27 0 .222 .281 .329 .610
MLB:18年 2490 10917 9736 1668 2769 522 109 235 4214 1139 408 103 57 71 1003 38 50 1257 93 .284 .352 .433 .785
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰編集

記録編集

背番号編集

  • 51 (1995年)
  • 18 (1996年 - 2000年、2002年 - 2010年)
  • 8 (2001年)
  • 22 (2011年)
  • 33 (2012年)

脚注編集

  1. ^ 1996 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  2. ^ Kansas City Royals Team History & Encyclopedia - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月22日閲覧。
  3. ^ 1999 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  4. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート カンザスシティ・ロイヤルズ/10試合連続先頭打者安打をマーク不振から脱出したデイモンの猛打」『月刊メジャー・リーグ』2000年7月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-7、45頁。
  5. ^ a b Johnny Damon Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2012年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月12日閲覧。
  6. ^ 2000 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  7. ^ Johnny Damon Biography” (英語). JockBio. 2008年9月12日閲覧。
  8. ^ Johnny Damon Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月12日閲覧。
  9. ^ Fans select Johnny Damon and Andruw Jones” (英語). MLB.com. 2008年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月12日閲覧。
  10. ^ 月刊メジャー・リーグ』2006年3月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-3、33頁。
  11. ^ a b c 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、43頁。ISBN 978-4-331-51213-5
  12. ^ 2006 Career Highlights:MLB.com” (英語). 2008年9月12日閲覧。
  13. ^ Jason Beck / MLB.com,Tigers not expressing interest in Damon,MLB.com(英語),2009/01/21閲覧
  14. ^ (動画)Broadcasters call Damon's steals,MLB.com
  15. ^ 松井秀、世界一王手!デイモン1球で2盗塁!…Wシリーズ,スポーツ報知,2009/01/21閲覧
  16. ^ http://espn.go.com/mlb/story/_/id/7805441/johnny-damon-says-deal-cleveland-indians
  17. ^ Indians recall OF Ezequiel Carrera from Triple-A Columbus” (英語). mlb.com (2012年8月3日). 2012年8月10日閲覧。
  18. ^ “Indians release Johnny Damon” (英語). NBCSports.com. (2012年8月9日). http://hardballtalk.nbcsports.com/2012/08/09/indians-release-johnny-damon/ 2012年8月10日閲覧。 
  19. ^ “デーモンがタイ代表入り=WBC”. 時事通信社. (2012年11月8日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012110800255 2012年11月10日閲覧。 
  20. ^ Jonah Birenbaum (2014年12月28日). “Scott Boras: Johnny Damon would 'love to come back'”. The Score.com. Score Media Ventures. 2018年4月27日閲覧。
  21. ^ a b c d e 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2006年3月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-3、12-15頁。

関連項目編集

外部リンク編集