1993年の野球
< 1993年 | 1993年のスポーツ
目次
競技結果編集
日本プロ野球編集
「日本プロ野球」も参照
ペナントレース編集
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日本シリーズ編集
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月23日(土) | 第1戦 | ヤクルトスワローズ | 8-5 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月24日(日) | 第2戦 | ヤクルトスワローズ | 5-2 | 西武ライオンズ | |
10月25日(月) | 移動日 | ||||
10月26日(火) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 7-2 | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 |
10月27日(水) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 0-1 | ヤクルトスワローズ | |
10月28日(木) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 7-2 | ヤクルトスワローズ | |
10月29日(金) | 移動日 | ||||
10月30日(土) | 第6戦 | 雨天中止 | 西武ライオンズ球場 | ||
10月31日(日) | ヤクルトスワローズ | 2-4 | 西武ライオンズ | ||
11月1日(月) | 第7戦 | ヤクルトスワローズ | 4-2 | 西武ライオンズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(15年ぶり2回目) |
個人タイトル編集
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 古田敦也 | ヤクルト | 工藤公康 | 西武 | ||
最優秀新人 | 伊藤智仁 | ヤクルト | 杉山賢人 | 西武 | ||
首位打者 | T.オマリー | 阪神 | .329 | 辻発彦 | 西武 | .319 |
本塁打王 | 江藤智 | 広島 | 34本 | R.ブライアント | 近鉄 | 42本 |
打点王 | 広沢克己 | ヤクルト | 94点 | R.ブライアント | 近鉄 | 107点 |
R.ローズ | 横浜 | |||||
最多安打 | 古田敦也 | ヤクルト | 161本 | 石井浩郎 | 近鉄 | 147本 |
和田豊 | 阪神 | |||||
盗塁王 | 緒方耕一 | 巨人 | 24個 | 大石大二郎 | 近鉄 | 31個 |
石井琢朗 | 横浜 | |||||
最高出塁率 | T.オマリー | 阪神 | .427 | 辻発彦 | 西武 | .395 |
最優秀防御率 | 山本昌広 | 中日 | 2.05 | 工藤公康 | 西武 | 2.06 |
最多勝利 | 山本昌広 | 中日 | 17勝 | 野田浩司 | オリックス | 17勝 |
今中慎二 | 中日 | 野茂英雄 | 近鉄 | |||
野村弘樹 | 横浜 | |||||
最多奪三振 | 今中慎二 | 中日 | 247個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 276個 |
最高勝率 | 山本昌広 | 中日 | .773 | 工藤公康 | 西武 | .833 |
最優秀救援投手 | 石毛博史 | 巨人 | 30SP | 赤堀元之 | 近鉄 | 32SP |
ベストナイン編集
「ベストナイン (日本プロ野球)」も参照
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 今中慎二 | 中日 | 工藤公康 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 田村藤夫 | 日本ハム |
一塁手 | 広沢克己 | ヤクルト | 石井浩郎 | 近鉄 |
二塁手 | ロバート・ローズ | 横浜 | 辻発彦 | 西武 |
三塁手 | 江藤智 | 広島 | 石毛宏典 | 西武 |
遊撃手 | 池山隆寛 | ヤクルト | 広瀬哲朗 | 日本ハム |
外野手 | 前田智徳 | 広島 | 秋山幸二 | 西武 |
A.パウエル | 中日 | 佐々木誠 | ダイエー | |
新庄剛志 | 阪神 | 藤井康雄 | オリックス | |
指名打者 | R.ブライアント | 近鉄 |
高校野球編集
メジャーリーグ編集
詳細は「1993年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ - トロント・ブルージェイズが4勝2敗でフィラデルフィア・フィリーズを下す。シリーズMVPはポール・モリター。
できごと編集
1月編集
2月編集
3月編集
- 3月2日 - 野球評論家の江夏豊が神奈川県警保安課と縁北署に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕される[3]。
- 3月19日 - パ・リーグは今季のスローガンに「SEXY・パ・リーグ」としたと発表[4]。
- 3月23日 - ヤクルトスワローズは東新橋のヤクルト本社にて定例株主総会を開き、球団社長の相馬和夫が退任し酒井清人が新社長に、常務取締役・球団代表補佐に倉島今朝徳を選出[5][6]。
- 3月25日 - ロッテは株主総会を開き、球団代表の阿部利雄がロッテ商事取締役・商品需給部部長となり、後任にロッテ本社広報室担当部長の三ツ野充蔵が就任[7]。
4月編集
- 4月5日 - 第65回選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、上宮が大宮東を3-0で破り初優勝。
- 4月7日 - パ・リーグ会長に会長代行の福島慎太郎が就任[8]。
- 4月15日 - 日本ハムファイターズ対福岡ダイエーホークス戦(東京ドーム)で、ダイエーが8四球、日本ハムが12四球でパ・リーグ新記録の両チーム合わせて20四球(死球は0)。試合は12-8で日本ハムが勝利[9]。
- 4月16日 - 横浜ベイスターズは対阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で進藤達哉のサヨナラ満塁本塁打で6対2で勝利[9]。
- 4月17日
- 4月18日 - 福岡ドームのダイエー対近鉄戦で、近鉄のラルフ・ブライアントが若田部健一から同球場史上初の公式戦本塁打[9]
- 4月20日 - 近鉄のヘッド兼打撃コーチの藤井栄治が退団[10]。
- 4月23日 - 読売ジャイアンツの長嶋一茂がセ・リーグ3万号本塁打を放つ[2]。
- 4月29日 - 広島東洋カープの大野豊が日本プロ野球通算100セーブ、同史上4人目の100勝100セーブ[11]
- 4月29日 - 巨人の原辰徳が対横浜戦で日本プロ野球史上22人目の通算1000打点[9]。
- 4月30日 - 巨人の斎藤雅樹が対ヤクルト戦で日本プロ野球史上105人目の通算100勝[9]。
5月編集
- 5月1日 - ダイエーのジョージ・ライトが対近鉄戦(藤井寺球場)の1回に左打席で、7回に右打席でそれぞれ本塁打の、左右打席本塁打を記録[9]。
- 5月3日 - ロッテの伊良部秀輝が対西武戦(西武球場)で清原和博に対し、日本プロ野球史上最高の球速158km/h[12]。
- 5月4日 - この日の日本プロ野球の観客動員数が6試合で28万7千人となり(東京ドーム5万6千人、神宮4万8千人、甲子園5万5千人、西武5万人、千葉マリン3万人、福岡ドーム4万8千人)、史上最多を記録。前日の3日は25万2千人で史上4位(5日を含めて)、翌5日は26万2千人で4日に次ぐ史上2位を記録[9]。
- 5月7日 - 中日の落合博満が対横浜戦(ナゴヤ球場)でセ・リーグ通算200本塁打で、史上初の両リーグで200本塁打を達成(パで242)[1]。
- 5月7日 - 阪神の仲田幸司が対ヤクルト戦で日本プロ野球史上87人目の通算1000奪三振[9]。
- 5月8日 - 日本プロ野球記録の連続盗塁を記録していたヤクルトの飯田哲也がこの日の対巨人戦(明治神宮野球場)の1回に盗塁死で記録は30でストップ[6]。
- 5月8日 - オリックス・ブルーウェーブの山沖之彦が日本プロ野球史上88人目の通算1000奪三振[9]。
- 5月12日 - 西武の渡辺久信が対オリックス戦で日本プロ野球史上106人目の通算100勝[9]。
- 5月13日 - ロッテの小宮山悟が対近鉄戦で9回を完投で勝利投手となり、日本プロ野球史上初の開幕から完投で6連勝。この後小宮山は6連敗で、7勝目は7月12日となった[13]。
- 5月18日 - オリックスの藤井康雄が千葉マリンスタジアムの対ロッテ戦で同球場史上初の1試合3本塁打[9]。
- 5月19日
- 5月21日 - 日本プロ野球はこの日で通算4万試合[1]。
- 5月28日
- 中日のブルック・ジャコビーが任意引退[1]。
- 横浜の高木豊が対ヤクルト戦で審判に暴言を吐いたとして退場処分[9]。
- 5月29日 - 日本ハムは対西武戦で全員安打も完封負け。
- 5月30日 - 巨人は対中日戦に勝利し、日本プロ野球史上初の球団通算4000勝[9]。
6月編集
- 6月1日 - 巨人の原辰徳が対横浜戦で日本プロ野球史上106人目の通算1500試合出場[9]。
- 6月2日 - 中日に新外国人選手のマット・ステアーズが入団[1]。
- 6月2日 - 西武の辻発彦が対ダイエー戦で日本プロ野球史上310人目の通算1000試合出場[9]。
- 6月4日 - 近鉄の大石大二郎が対ダイエー戦で日本プロ野球史上67人目の通算1500安打[9]。
- 6月5日 - 近鉄は対ダイエー戦(藤井寺)で9回裏2死まで2-8とされていたものの、そこから7得点で9-8で逆転サヨナラ勝利。9回裏6点差からの逆転はパ・リーグ史上初[14]。
- 6月6日 - ロッテの愛甲猛が1987年の10月20日からこの日まで、球団記録の694試合連続出場[15]。
- 6月6日 - 広島の西山秀二が対ヤクルト戦で暴力行為を働いたとして退場処分[9]。
- 6月8日
- 6月9日 - ヤクルトの伊藤智仁が対巨人戦(金沢)でセ・リーグタイ記録の16奪三振。試合は篠塚利夫が伊藤からサヨナラ本塁打を放ち、1対0で巨人が勝利。16奪三振で負けたのは伊藤が初めてで、篠塚はこれが現役時代唯一のサヨナラ本塁打となった[16]。
- 6月10日 - 広島の北別府学が対横浜戦で日本プロ野球史上66人目の通算500試合登板[9]。
- 6月11日 - ダイエーの山本和範が対ロッテ戦で日本プロ野球史上169人目の通算1000安打[9]。同じくダイエーの浜名千広がパ・リーグタイ記録の3試合連続三塁打[17]。
- 6月12日 - 巨人の桑田真澄が対中日戦で日本プロ野球史上89人目の通算1000奪三振[9]。
- 6月19日 - 横浜のロバート・ローズが対広島戦(秋田市八橋野球場)で球団タイ記録の1試合3本塁打14塁打[18]。
7月編集
- 7月6日 - 中日の今中慎二が対ヤクルト戦(ナゴヤ)でセ・リーグタイ記録の1試合16奪三振。両チーム合わせて1試合28三振は日本プロ野球新記録[1]。
- 7月9日 - ロッテの佐藤幸彦が対西武戦で日本プロ野球タイ記録の1試合4犠打[12]。
- 7月14日 - ヤクルトのジャック・ハウエルが対横浜戦(神宮)で日本プロ野球新記録のシーズン5度目のサヨナラ本塁打[6]。
- 7月15日 - 横浜のグレン・ブラッグスが対ヤクルト戦で中前安打を放ち、外国人選手新記録の29試合連続安打[19]。
- 7月25日 - ロッテの南渕時高が対ダイエー戦(福岡ドーム)[12]でプロ野球新記録の14打数連続出塁(4安打10四死球)[20]。
8月編集
- 8月1日 - オリックスの鈴木一朗がウエスタン・リーグの対広島戦(GS神戸サブ)で初回先頭打者で安打を放ち、リーグ新記録の27試合連続安打。この後、8月8日に無安打に終わり、記録は30でストップ[21]。
- 8月6日 - ナゴヤ球場での中日対巨人戦は東海道新幹線の事故のため中止[1]。
- 8月8日 - オリックスの野村貴仁が対ロッテ戦の7回にパ・リーグでは初、日本プロ野球史上34年ぶり2人目の1イニング4奪三振[22] 。
- 8月22日 - 阪神の松永浩美が対ヤクルト戦(神宮)の1回表に、日本プロ野球史上初の3戦連続先頭打者本塁打を記録[23]。
- 8月23日 - 第75回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ、兵庫代表の育英が埼玉代表の春日部共栄を3-2で破り初優勝。
9月編集
- 9月12日 - ヤクルトの池山隆寛が対広島戦(広島)で日本プロ野球史上314人目の通算1000試合出場[6]。
- 9月14日 - 西武の竹下潤がイースタン・リーグでノーヒットノーランを達成[24][25]。
- 9月15日 - ヤクルトの宮本賢治が対阪神戦で日本プロ野球史上251人目の通算1000投球回[6]。
- 9月16日 - ヤクルトの山田勉が対広島戦(広島)でセ・リーグタイ記録の毎回の16奪三振[6]。
- 9月25日 - ヤクルトの広沢克己が対巨人戦(神宮)で延長10回裏にサヨナラ本塁打を放ち、日本プロ野球史上64人目の通算200本塁打となり、ヤクルトは日本プロ野球新記録の今季9本目のサヨナラ本塁打で、日本プロ野球タイ記録のシーズン14度目のサヨナラ勝利[6]。
10月編集
- 10月1日 - 中日は山本昌と今中慎二がともに15勝で、日本プロ野球史上34年ぶり、セ・リーグでは初の1球団から左腕投手15勝が2人[26]。
- 10月2日 - オリックスのケルビン・トーベが対日本ハム戦(GS神戸)の4回の打席で左飛となり、日本プロ野球新記録の野手で53打席連続無安打。なお、続く5回の2死満塁の打席で右前適時打で記録はストップ[27]。
- 10月3日 - ヤクルトの池山隆寛が対横浜戦(横浜)で日本プロ野球史上65人目の通算200本塁打[6]。
- 10月10日 - ヤクルトは対横浜戦(横浜)に勝利し、球団新記録のシーズン同一カード22勝[6]。
- 10月10日 - ジュニア日本選手権(福井)は巨人が中日に3-0で勝利[28]。
- 10月13日 - 西武は対ロッテ戦(千葉)に3対2で勝利し、4年連続パ・リーグ優勝達成[29]
- 10月14日
- オリックスの石嶺和彦が1988年8月14日からこの日まで、球団記録の696試合連続出場[15]。
- 近鉄のラルフ・ブライアントが対ロッテ戦(千葉マリン)の第1打席で、自己の持つ日本プロ野球タイ記録のシーズン198三振、8回に同新記録の199三振として、10回に同史上初の200三振とした。当時のメジャーリーグのシーズン三振記録を上回るものであった[30]。
- 【MLB】ワールドシリーズの第6戦が行われ、トロント・ブルージェイズのジョー・カーターが5-6で迎えた9回裏にワールドシリーズ史上初の逆転サヨナラ優勝決定本塁打(優勝決定本塁打は同2度目)となる3ラン本塁打を放ち、ブルージェイズがフィラデルフィア・フィリーズに8-6で勝利し、4勝2敗でワールドシリーズ優勝[31]。
- 10月15日 - ヤクルトは対広島戦(神宮)に5-1で勝利し、2年連続3度目のセ・リーグ優勝達成[29]。
- 10月18日 - ヤクルトは対阪神戦(神宮)に勝利し、球団新記録のシーズン80勝[6]。
- 10月19日 - パ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[26]。
- 10月20日
- 10月22日 - セ・リーグのシーズン公式戦全日程が終了[26]。
11月編集
- 11月1日 - 日本シリーズの第7戦(西武)はヤクルトが西武に4-2で勝利し、4勝3敗で15年ぶり2度目の日本シリーズ優勝[6]。
- 11月2日 - 正力松太郎賞はヤクルトの監督の野村克也が受賞[6]。
- 11月8日 - 横浜は屋鋪要、高木豊、市川和正、山崎賢一、松本豊、大門和彦に戦力外通告[32]。
- 11月9日 - 阪神からFAの松永浩美がダイエーに入団。日本プロ野球では初のFAでの移籍[33]。
- 11月11日 - ドラフト会議が行われ、この年から初めて大学、社会人選手の逆指名制度が導入[34]。
- 11月16日 - ダイエーの佐々木誠、村田勝喜、橋本武広と、西武の秋山幸二、渡辺智男、内山智之の交換トレードが成立し、両球団から発表[35]。
- 11月28日 - オリックスからFAの石嶺和彦が阪神へ入団[36]。
12月編集
- 12月6日 - 前西武の平野謙のロッテへの入団が内定[37]。
- 12月7日 - 中日に新外国人選手のディオン・ジェームズとドウェイン・ヘンリーが入団[26]。
- 12月9日 - 巨人からFAの駒田徳広が横浜へ入団[18]。
- 12月21日 - 中日からFAの落合博満が巨人へ入団[26]。
- 12月16日 - セ・リーグは1991年末に強制わいせつ事件で大洋を解雇された中山裕章元投手に関して「NPB全12球団に対する無期限契約自粛要請声明」の解除(=球界復帰の事実上承認)を決定[38]。声明は12月25日付で解除された[39]。
- 12月27日 - 中日が中山裕章を打撃投手(球団職員身分、1年契約)として採用したことを発表した[40][41]。
誕生編集
1月編集
- 1月5日 - 中谷将大
- 1月9日 - レオナルド・ウルヘエス
- 1月14日 - ドヴィダス・ネブラウスカス
2月編集
3月編集
- 3月1日 - マイケル・コンフォルト
- 3月2日 - ホセ・アドリス・ガルシア
- 3月5日 - カイル・シュワーバー
- 3月5日 - 後藤駿太
- 3月15日 - マイケル・フルマー
- 3月27日 - ブランドン・ニモ
4月編集
5月編集
6月編集
- 6月4日 - アーロン・ノラ
- 6月4日 - ホルヘ・ボニファシオ
- 6月4日 - 宇佐見真吾
- 6月7日 - 呉念庭
- 6月11日 - ホルヘ・アルファーロ
- 6月12日 - ショーン・ニューカム
- 6月23日 - ティム・アンダーソン
- 6月26日 - 吉本祥二
- 6月27日 - 野田昇吾
- 6月30日 - トレイ・ターナー
7月編集
8月編集
9月編集
10月編集
11月編集
12月編集
死去編集
脚注編集
- ^ a b c d e f g 『中日ドラゴンズ70年史』 中日ドラゴンズ 編、中日新聞社、2006年、174頁。ISBN 4806205141。
- ^ a b セ・リーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine.セ・リーグ公式サイト
- ^ 毎日新聞1993年3月4日27面「江夏元投手を逮捕 覚せい剤所持現行犯 自宅マンション 『寂しくて、3年前から』」毎日新聞縮刷版1993年3月p131
- ^ 毎日新聞1993年3月20日24面「SEXY・パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1993年3月p774
- ^ 毎日新聞1993年3月24日24面「ヤクルト新球団社長」毎日新聞縮刷版1993年3月p928
- ^ a b c d e f g h i j k l m “球団のあゆみ 1990年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年12月31日閲覧。
- ^ 毎日新聞1993年3月26日21面「三ツ野氏がロッテ新球団代表に」毎日新聞縮刷版1993年3月p1021
- ^ パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年) Archived 2014年2月16日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 宇佐美徹也 『日本プロ野球記録大鑑』 講談社、1993年。ISBN 4062061082。「付録」
- ^ 鈴木啓示の『我が道』2011年10月26日、スポーツニッポン
- ^ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009 躍動!赤ヘル軍団』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、63頁。ISBN 9784583616001。
- ^ a b c “チームヒストリー 1993”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. 2015年12月31日閲覧。
- ^ 『プロ野球B級ニュース事件簿【平成版】-エーッ、ウソッ、アリャリャ……170連発-』 日刊スポーツ出版社、2009年、74頁。ISBN 9784817254719。
- ^ 記録メモ(チーム・その他編) Archived 2014年2月13日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ a b 個人打撃連続記録(1) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ “【6月9日】1993年(平5) 高速スライダーで16K 伊藤智仁、悲劇は150球目”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社. 2015年12月31日閲覧。
- ^ 個人打撃連続記録(2) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ a b c 『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』 ベースボール・マガジン社、2009年、26頁。ISBN 9784583616179。
- ^ “【7月15日】1993年(平5) 運も尽きた?外国人新記録のブラッグス 実は前夜に…”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年7月11日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ 個人打撃連続記録(3) Archived 2013年12月3日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
- ^ “【8月1日】1993年(平5) “1軍失格”鈴木イチロー、新記録の27試合連続安打”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年8月1日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2012年4月30日、 107頁。
- ^ “【8月22日】1993年(平5) 阪神在籍1年 巧打者松永浩美が残した世界初の記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2007年8月5日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ 翌年もイースタンリーグでノーヒット試合を達成しているが、1失点で敗戦投手となっている。
- ^ 『ベースボールマガジン』、ベースボール・マガジン社、2012年11月、 72頁。
- ^ a b c d e f ドラゴンズ70年史 2009, p. 175.
- ^ “【10月2日】1993年(平5) ブーマー切って入れたが…マジメ助っ人53打席音なしの新記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年9月30日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “ファーム日本選手権 各年度試合結果(1990-1999)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年12月31日閲覧。
- ^ a b 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2013年10月7日、 42 - 43頁。
- ^ B級ニュース 2009, p. 102.
- ^ 『メジャーリーグ「ワールドシリーズ伝説」』 ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツ伝説シリーズ〉、2001年、18頁。ISBN 4583611552。
- ^ “【11月8日】1993年(平5) 旧大洋の顔を大リストラ 横浜流FA参戦”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2007年10月25日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “タイガースヒストリー 1990-1994”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年12月31日閲覧。
- ^ “【11月11日】1993年(平5) ドラフト逆指名元年 ダイエー大逆転!1位に“ロッテの恋人””. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年11月1日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “【11月16日】1993年(平5) “特殊潜航艇”根本、久々の大型トレードで秋山ゲット”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2007年10月30日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “【11月28日】1993年(平5) 初のFA他球団交渉 大モテ石嶺和彦 好条件も気持ちは一つ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年11月12日). 2015年12月31日閲覧。
- ^ “【12月6日】1993年(平5) ゴールデングラブ賞なのに戦力外…平野謙、半額で新天地へ”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2009年12月1日). 2015年12月31日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『読売新聞』1993年12月17日東京朝刊スポーツ面A欄15面「『獲得自粛』をセ会長が解除 中山元投手と面談 球界復帰の意思確認」
- ^ 『中日新聞』1993年12月25日朝刊第一スポーツ面19面「契約自粛の解除文郵送 中山問題でセ会長」
- ^ 『読売新聞』1993年12月28日東京朝刊スポーツ面A欄19面「元大洋(現横浜)の中山裕章投手が球界復帰 中日と打撃投手契約」
- ^ 『中日新聞』1993年12月28日朝刊第一スポーツ面21面「中山元投手が復帰 中日 『打撃投手』として契約」