ジョン・エドガー・フーヴァー

ジョン・エドガー・フーヴァー (John Edgar Hoover, 1895年1月1日 - 1972年5月2日) は、アメリカ連邦捜査局(FBI)の初代長官である。1924年5月10日に司法省内の捜査局(Bureau of Investigation:BOI)の第6代長官に任命され、組織がFBIに改称された後の1972年に死去するまで長官職にとどまった。就任当時の第29代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、これは現在に至るまで合衆国で、最も長く政府機関の長を務めた人物の記録となっている。なお彼以降はFBI長官任期は、10年に制限されている。

J・エドガー・フーヴァー
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初代FBI長官
任期
1935年3月23日 – 1972年5月2日
大統領 フランクリン・ルーズベルト
ハリー・S・トルーマン
ドワイト・D・アイゼンハワー
ジョン・F・ケネディ
リンドン・ジョンソン
リチャード・ニクソン
代理官 クライド・トルソン
前任者 自身 (捜査局長官)
後任者 パット・グレイ (代行)
捜査局長官
任期
1924年5月10日 – 1935年3月22日
大統領 カルビン・クーリッジ
ハーバート・フーヴァー
フランクリン・ルーズベルト
前任者 ウィリアム・J・バーンズ
後任者 自身 (FBI長官)
個人情報
生誕 John Edgar Hoover
(1895-01-01) 1895年1月1日
ワシントンD.C.
死没 (1972-05-02) 1972年5月2日(77歳没)
ワシントンD.C.
墓地 議会墓地英語版
教育 ジョージ・ワシントン大学 (LLB, LLM)
署名

フーヴァーはFBIを巨大な犯罪捜査機関として強化したことや、指紋ファイルや法医学研究所などの捜査技術の近代化と科学的な捜査手法を導入したことで称賛された。

晩年と死後、フーヴァーは権力の乱用が明らかになり議論の余地のある人物となった。彼はFBIの管轄権を超え[1]、政治的な反対者や活動家に対してFBIを使って秘密ファイルを作成し[2]、不正な方法を使って情報を収集したことが判明した[3]。その結果、フーヴァーには権力が集中し、大統領をも脅かす立場となった[4]。伝記作家のケネス・アッカーマンはフーヴァーの秘密ファイルが大統領による罷免から彼を守ったという考えは誤っているとする[5]。しかしリチャード・ニクソンは1971年にフーヴァーを罷免しなかった理由の1つとして、フーヴァーからの報復を恐れていたと述べている[6]

ハリー・S・トルーマン大統領によれば、フーヴァーはFBIを秘密警察へと変えた。トルーマンは次のように述べている:「ゲシュタポや秘密警察は欲しくない。FBIはその方向に向かっている。彼らはセックススキャンダルと明らかな脅迫でちょっかいをだしている。J・エドガー・フーバーは乗っ取るために右目をつけ、上院と下院の全ての議員は彼を恐れている。[7]

目次

経歴編集

生い立ち編集

ワシントンD.C.生まれと自称していたらしいが、生い立ちの詳細はほとんど知られていない。出生証明書は彼が43歳となった1938年までファイルされなかった。よく知られる初期のプロフィールは、ジャーナリストのジャック・アレグサンダーが1937年にニューヨーカー・マガジンに執筆した物による。実父は、連邦政府職員であったが心を病み療養生活に入っていた。高校卒業後、アメリカ議会図書館で働きながら、ジョージ・ワシントン大学学士号を取得後、1916年、ジョージ・ワシントン大学ロースクールを卒業。1917年にはジョージ・ワシントン大学から法律学の修士号を取得、また司法試験にも合格した。学生時代にフラタニティの1つである「カッパ・アルファ・オーダー」(en)のメンバーとなった。この図書館勤務でファイリング術を体得している。

司法省からFBIへ編集

大学卒業後、司法省に入省し、在留敵国人登録課長としてその有能さをすぐに証明した。1919年に司法省の新しい諜報部門の長となった(ギャングのパーマー襲撃を参照)。1921年には捜査局副長官、1924年に29歳の若さで長官に就任した。

就任当時、捜査局には441人の特別捜査官を含むおよそ650人の職員が在籍していた。彼はそれまで予算も少なく腐敗した弱小官庁だったFBIの組織改革に意欲的に取り組んだ。職員の私生活を調査し、不倫・同性愛・借金、さらには体重などを理由に次々に職員を解雇していった。代わりにアメリカ全土から優秀な警察官を採用した。

ただ、フーヴァーは人種差別主義者であり、当時のFBI捜査官に有色人種をほとんど起用しなかった。一方、日系人の強制収容には「スパイと思しき者たちは真珠湾攻撃の直後にFBIが既に拘束している」として反対し、罪と能力への偏見を明確に分けていた[8]

就任中は、1930年代のギャング狩り、第二次世界大戦中のスパイ摘発、戦後の冷戦期初期に台頭したマッカーシズム(いわゆる赤狩り)には非米活動委員会と協調した諜報活動を行うなど、時代の要請に応じて様々な活動を指揮した。

こうした彼の指揮する諜報活動は連邦議会議員にまで及んでおり、そこで得たスキャンダル情報を盾に政治家さえも対応に窮するほどであった(後述)。こうした中、捜査局は1933年に捜査部(Division of Investigation:DOI)に、1935年に連邦捜査局(Federal Bureau of Investigation:FBI)に変革改名され、1939年にはFBIが国内の諜報分野で卓越した能力と権限を持つことになり、1924年から1971年まで連邦議会はFBIの予算審議をいっさい行えないほどの「聖域」を築いた。

1966年にFBI長官としての功績に対し栄誉賞を受賞した。

Official and Confidential(公式かつ機密)編集

フーヴァーは人々の情報、特にFBIの記録とは別に非公式に政治家達の情報を収集してファイルに収録することでその影響力を蓄えていった。アメリカ大統領を筆頭にした政権の閣僚のスキャンダルも収録していたので、大統領さえも彼に手を出せなかった。『大統領たちが恐れた男』の原題であるOfficial and Confidential(公式かつ機密)は、フーヴァーが収録したファイルの名前を元にしている。「フーヴァー・ファイル Files of J. Edgar Hoover」[9]には、有名人に対する恐喝や政治的迫害が記録されている。

ジョンソン大統領は、自分が上院議員だった頃の電話を盗聴したのかフーヴァーに何度も電話で尋ねた。ケネディ大統領は、海軍に勤務していた20歳当時、女性との性的な関係を実際に盗聴されてしまった[10]

政治家からの追及編集

1960年代の始め、上院議員のエドワード・ロングは聴聞会を開き、FBIの盗聴を追及した。フーバーはこれに激怒し、彼に命じられた側近とFBI捜査官の2人が、ロングのスキャンダルをいくつか収録した「公式かつ機密」ファイルを本人に見せに行った。以後、ロングの追及は尻すぼみになった[10]

1961年に大統領に就任したジョン・F・ケネディもフーヴァーを免職しようとした。フーヴァーはすぐにケネディのもとに行き、もし免職したら自分が持っている情報(ケネディの女性問題や、自らも親しいジアンカーナなどのマフィアとの関係)を公開すると言い放ったという。ロバート・ケネディがFBIを厳しく締め上げたとき、フーヴァーの片腕のクライド・トルソンは「誰かが奴を撃ち殺してくれればいいのに」と言い残している。

フーヴァーの死の直後、リチャード・ニクソンが部下に命じてフーヴァーの書斎を調査させた。その「遺産」の内容を見たニクソンは激怒したと言われている。その非公式の「遺産」は膨大な量だったと言われ、事実、秘書のヘレン・ギャンディが処分に数日を費やしたほどだった。

マフィアとの関係編集

競馬など賭博好きのフーヴァーは、当時勢力を強めていたこともあり存在感とともに非難が高まっていたものの、賭博に強い影響力を持っていたフランク・コステロサム・ジアンカーナマイヤー・ランスキーなどのマフィアに対して、「FBIの管轄外である」として強い態度に出ることはなかった。また、マフィアから収賄があったことが死後明らかになっている。

私生活編集

 
クライド・トルソン英語版(左)とフーヴァーが1939年にロサンゼルスのビーチでくつろいでいるところ。

フーヴァーが同性愛者であり、服装倒錯者だったという推測及び噂が生前から多く出回っていたが、上記のように自らの記録を残さないようにしていたこともあり明確な証拠は殆ど残されていない[11]

フーヴァーはFBIのアシスタント・ディレクターであったクライド・トルソンと40年以上の付き合いがあり、彼らはしばしば共に休暇を取り、毎日昼食を共にとっていた。トルソンとの関係を証明する写真をマフィアが所有していたという噂もある。また、彼らは両方とも生涯独身であり、フーヴァーは1938年に母親が亡くなるまで母親と同居していた。

フリーメイソンのメンバーでもあった[12]

関連作品編集

関連書籍編集

関連項目編集

脚注・出典編集

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  1. ^ "J. Edgar Hoover", Microsoft Encarta Online Encyclopedia. Microsoft Corporation. (2008). オリジナルの2009年11月1日時点によるアーカイブ。. https://www.webcitation.org/5kwrg7R6c?url=http://encarta.msn.com/encyclopedia_761576769/J_Edgar_Hoover.html. 
  2. ^ "Hoover, J. Edgar", The Columbia Encyclopedia (Sixth ed.). Columbia University Press. (2007). 
  3. ^ Documented in Cox, John Stuart; Theoharis, Athan G. (1988). The Boss: J. Edgar Hoover and the Great American Inquisition. Temple University Press. ISBN 0-87722-532-X.  and elsewhere.
  4. ^ “J. Edgar Hoover”. Britannica Concise Encyclopedia. http://www.britannica.com/biography/J-Edgar-Hoover 
  5. ^ Ackerman, Kenneth (2011年11月9日). “Five myths about J. Edgar Hoover”. The Washington Post. http://www.washingtonpost.com/opinions/five-myths-about-j-edgar-hoover/2011/11/07/gIQASLlo5M_story.html 
  6. ^ Wines, Michael (1991年6月5日). “Tape Shows Nixon Feared Hoover”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1991/06/05/us/tape-shows-nixon-feared-hoover.html 
  7. ^ Summers, Anthony (January 1, 2012). "The secret life of J Edgar Hoover". The Guardian. 
  8. ^ Gentry, Curt (2001), J. Edgar Hoover: The Man and the Secrets, New York: Norton, p. 244, ISBN 0393321282 
  9. ^ 現代史研究者のAthan Theoharis, editor(Hardcover:1991、Paperback:1993)From the Secret Files of J. Edgar Hoover.「フーヴァー長官の秘密ファイル(未邦訳)」、Ivan R. Dee, Publisher. ISBN 1566630177.がある。
  10. ^ a b 『大統領たちが恐れた男―FBI長官フーヴァーの秘密の生涯』
  11. ^ Terry, Jennifer (1999). An American Obsession: Science, Medicine, and Homosexuality in Modern Society. University of Chicago Press. pp. pg. 350. ISBN 0-226-79366-4. 
  12. ^ Famous Masons

外部リンク編集