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ソビエト連邦最高会議幹部会議長

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ソビエト連邦最高会議幹部会議長(ソビエトれんぽうさいこうかいぎかんぶかいぎちょう、ロシア語: Председатель Президиума Верховного Совета СССР)は、ソビエト社会主義共和国連邦の立法府、最高会議の常設機関である最高会議幹部会英語版ロシア語版の議長。

ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
最高会議幹部会議長
Председатель Президиума Верховного Совета СССР
State Emblem of the Soviet Union.svg
官邸 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワカザコフ館
任命者 共産党中央委員会(事実上)
最高会議両院合同会議(形式的)
創設 1938年1月17日
初代 ミハイル・カリーニン
最終代 ミハイル・ゴルバチョフ (大統領)
廃止 1991年12月25日

目次

概要編集

最高会議は1989年の憲法改正までソビエト連邦の最高国家権力機関として位置づけられていたため、1938年から1989年までの間、最高会議幹部会議長は国家元首に相当する官職であった。

ここでは同じソビエト連邦の国家元首職として、上記官職とも関係性が深い、1938年以前のソビエト連邦中央執行委員会議長、1989年以降の最高会議議長ロシア語版およびソビエト連邦大統領ロシア語版についても説明する。

歴史編集

最高会議幹部会の英訳が「Presidium of the Supreme Soviet」であることから、最高会議幹部会議長は西側においてしばしば「大統領」と呼ばれた。しかし、最高会議幹部会議長は儀礼的・象徴的な意味合いが強い名誉職的な地位であり、実権はソビエト連邦共産党中央委員会書記長が握っていた。元首格の最高会議幹部会議長、ソ連共産党の最高指導者である書記長、閣僚会議(内閣)の首長である閣僚会議議長(首相)を兼任させずに分離した体制をトロイカ体制と呼ぶ。

1977年レオニード・ブレジネフ書記長がソ連史上初めて最高会議幹部会議長と党書記長を兼任した。

最高会議と大統領制編集

ソ連共産党書記長兼最高会議幹部会議長であるミハイル・ゴルバチョフのもと、1989年の憲法改正で新たにソビエト連邦人民代議員大会が最高国家権力機関として創設されると、最高会議はその常設機関とされ、最高会議幹部会議長のポストは廃止された[注 1]。代わって最高会議議長の職が新設され、人民代議員大会の議長も兼ねる国家元首となった。

また、1990年大統領制導入により、国家元首の地位は大統領へ移行した。新設された初代最高会議議長と初代大統領は、いずれもゴルバチョフ本人が歴任した。

歴代国家元首編集

氏名 所属政党 就任日 退任日
ソビエト連邦中央執行委員会議長[1]
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国代表
1 ミハイル・カリーニン   全連邦共産党 1922年12月30日 1938年1月12日
ウクライナ社会主義ソビエト共和国代表
1 グリゴリー・ペトロフスキー   全連邦共産党 1922年12月30日 1938年1月12日
白ロシア社会主義ソビエト共和国代表
1 アレクサンドル・チェルヴャコフ   全連邦共産党 1922年12月30日 1937年6月16日[注 2]
ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国代表
1 ナリマン・ナリマノフロシア語版   全連邦共産党 1922年12月30日 1925年3月19日[注 3]
2 ガザンファル・ムサベコフ 全連邦共産党 1925年5月21日 1937年6月
トルクメン社会主義ソビエト共和国代表
1 ネディルバイ・アイタコフ 全連邦共産党 1925年5月21日 1937年7月21日
ウズベク社会主義ソビエト共和国代表
1 ファイズッラ・ホジャエフ   全連邦共産党 1925年5月21日 1937年6月17日
タジク社会主義ソビエト共和国代表
1 ヌスラトゥッロ・マクスムロシア語版 全連邦共産党 1931年3月18日 1934年1月4日
2 アブドゥッロ・ラヒンバエフロシア語版   全連邦共産党 1934年1月4日 1937年9月
ソビエト連邦最高会議幹部会議長[1]
1 ミハイル・カリーニン   全連邦共産党 1938年1月17日 1946年3月19日
2 ニコライ・シュヴェルニク   全連邦共産党

ソビエト連邦共産党
1946年3月19日 1953年3月15日
3 クリメント・ヴォロシーロフ   ソビエト連邦共産党 1953年3月15日 1960年5月7日
4 レオニード・ブレジネフ[注 4]   ソビエト連邦共産党 1960年5月7日 1964年7月15日
5 アナスタス・ミコヤン   ソビエト連邦共産党 1964年7月15日 1965年12月9日
6 ニコライ・ポドゴルヌイ   ソビエト連邦共産党 1965年12月9日 1977年6月16日
(4) レオニード・ブレジネフ[注 5]   ソビエト連邦共産党 1977年6月16日 1982年11月10日
- ヴァシリー・クズネツォフ[注 6]   ソビエト連邦共産党 1982年11月10日 1983年6月16日
7 ユーリ・アンドロポフ[注 7]   ソビエト連邦共産党 1983年6月16日 1984年2月9日
- ヴァシリー・クズネツォフ[注 6]   ソビエト連邦共産党 1984年2月9日 1984年4月11日
8 コンスタンティン・チェルネンコ[注 8]   ソビエト連邦共産党 1984年4月11日 1985年3月10日
- ヴァシリー・クズネツォフ[注 6]   ソビエト連邦共産党 1985年3月10日 1985年7月2日
9 アンドレイ・グロムイコ   ソビエト連邦共産党 1985年7月2日 1988年10月1日
10 ミハイル・ゴルバチョフ[注 9]   ソビエト連邦共産党 1988年10月1日 1989年5月25日
ソビエト連邦最高会議議長[1][注 10]
1 ミハイル・ゴルバチョフ   ソビエト連邦共産党 1989年5月25日 1990年3月15日
2 アナトリー・ルキヤノフ   ソビエト連邦共産党 1990年3月15日[注 11] 1991年8月26日
- ラフィク・ニシャノフ ソビエト連邦共産党 1991年8月22日[注 12] 1991年12月26日
ソビエト連邦大統領
1 ミハイル・ゴルバチョフ   ソビエト連邦共産党 1990年3月15日[注 13] 1991年12月25日

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 最高会議幹部会は人民代議員大会の創設後も最高会議の召集などの権限行使のために存続。ただし、国家元首としての権能は最高会議議長に移譲。
  2. ^ 在任中に自殺[1]
  3. ^ 在任中に死去[1]
  4. ^ 1964年10月24日、ソ連共産党第一書記に就任。
  5. ^ ソ連共産党書記長(1966年4月8日に就任)と兼務。
  6. ^ a b c 最高会議幹部会議長代行(最高会議幹部会第一副議長)[1]
  7. ^ ソ連共産党書記長(1982年11月12日に就任)と兼務。
  8. ^ ソ連共産党書記長(1984年2月13日に就任)と兼務。
  9. ^ ソ連共産党書記長(1985年3月11日に就任)と兼務。
  10. ^ 1989年の人民代議員大会創設で最高会議幹部会議長のポストは廃止。新たな国家元首として最高会議議長職が設置される。
  11. ^ 1990年の大統領制導入により、最高会議議長は国家元首としての性格を喪失。ルキヤノフは1991年の8月クーデターの謀議に参加したため、最高会議議長職を解任の上、逮捕される。
  12. ^ ルキヤノフ議長が8月クーデターの黒幕として解任・逮捕されたため、後任が選出されるまでの間、最高会議議長職を代行。ただし、ソ連崩壊によって最高会議が消滅したため、事実上最後の最高会議議長。
  13. ^ 1990年の憲法改正により、初代大統領に就任。大統領制の導入を盛り込んだ憲法改正法では大統領は国民による直接選挙と定められていたが、初代大統領に限り特例として人民代議員大会による選出とされた。しかし、翌1991年12月のソ連解体により、結果的にゴルバチョフが最初で最後のソ連大統領となった。

出典編集

  1. ^ a b c d e f Высшие органы государственной власти СССР”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年4月20日閲覧。

関連項目編集