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ドミニク・ブフDominique Boeuf1968年6月6日 - )は、フランスの元騎手である。イヴリーヌ県メゾン=ラフィット出身。父は元調教師のジェラール・ブフ。

ドミニク・ブフ
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基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1968-06-06) 1968年6月6日(51歳)
騎手情報
初免許年 1984年
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来歴編集

ピエール・ビアンコーヌ厩舎所属の見習騎手としてデビュー。続いてその息子のパトリック・ビアンコーヌ厩舎所属になり、1984年9月15日に初勝利を挙げた。翌1985年には30勝を挙げ、最優秀見習騎手となった。

1987年5月17日グルームダンサー(Groom Dancer)でリュパン賞を勝ち、G1初制覇。

1990年11月25日ジャパンカップに出走するオード(Ode)に騎乗するため来日。日本での初騎乗となったインターナショナルジョッキーズ2では3着に、そしてジャパンカップではベタールースンアップ(Better Loosen Up)の2着に入った。

1991年5月12日ダンスーズデュソワール(Danseuse Du Soir)でプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を勝ち、クラシック初制覇。同年はG1・5勝を含む143勝を挙げ、初めてリーディングジョッキーに輝いた。

1992年ワールドスーパージョッキーズシリーズ初出場を果たしたが、最下位となる12位に敗れた。

1993年7月28日ビッグストーン(Bigstone)でイギリスサセックスステークスを勝ち、フランス国外のG1初制覇。

1994年コカインヘロインの密売容疑などで逮捕される。翌1995年の裁判では初め実刑判決が下されたが、後に執行猶予が付いた。

1996年5月12日、エリシオ(Helissio)でリュパン賞を勝ち、復帰後G1初制覇。しかし6月2日ジョッケクルブ賞(仏ダービー)では1番人気に推されながら5着に敗れ、ブフはエリシオを降ろされることとなった。後にエリシオは凱旋門賞など、G1を4勝した。

1998年、175勝を挙げ7年ぶりにリーディングジョッキーに返り咲いた。

2001年アクアレリスト(Aquarelliste)でディアヌ賞(仏オークス)を初制覇すると、翌2002年ブライトスカイ(Bright Sky)で勝利し、連覇を達成した。また2年連続でリーディングジョッキーにも輝いている。

2003年12月14日ヴァレーアンシャンテ(Vallee Enchantee)で香港ヴァーズを勝ち、ヨーロッパ以外のG1初制覇。しかし2004年6月4日コロネーションカップでのヴァレーアンシャンテの騎乗が馬主のアレク・ウィルデンシュタインの怒りを買い、主戦騎手契約を解除された[1]

2011年9月26日、騎手引退を表明した[2]。通算2521勝[3]。引退理由は「多くの優良馬に騎乗する喜びが無くなったため」としている[4]

主な勝ち鞍編集

参考文献編集

脚注編集