ネイト・ロビンソン
ネイト・ロビンソン(Nate Robinson)ことナサニエル・コーネリアス・ロビンソン(Nathaniel Cornelius Robinson, 1984年5月31日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のバスケットボール選手、プロボクサー。NBAのニューヨーク・ニックスなどに所属していた。公称身長175cm、体重82kg。ポジションはポイントガード。2020年に36歳でプロボクシングデビューを果たした。
![]() ニューヨーク・ニックス時代のロビンソン (2007年) | |
引退 | |
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ポジション | PG |
基本情報 | |
愛称 | Crypt Nate |
国籍 |
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生年月日 | 1984年5月31日(39歳) |
出身地 |
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身長(現役時) | 175cm (5 ft 9 in) |
体重(現役時) | 82kg (181 lb) |
ウィングスパン(現役時) | 188cm (6 ft 2 in) |
キャリア情報 | |
出身 | ワシントン大学 |
ドラフト | 2005年 21位 サンズ → ニックス |
選手経歴 | |
2005-2010 2010-2011 2012 2012-2013 2013-2015 2015 2015 2016 2017 2017- |
ニューヨーク・ニックス ボストン・セルティックス ゴールデンステート・ウォリアーズ シカゴ・ブルズ デンバー・ナゲッツ ロサンゼルス・クリッパーズ ニューオーリンズ・ペリカンズ ![]() デラウェア・87ers (Dリーグ) ![]() |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
経歴 編集
ワシントン州の高校時代は、バスケットボールとアメリカンフットボールの二刀流の万能選手として有名で、フットボールのポジションはQBだった。 ワシントン大学にアメリカンフットボールの奨学生として入学したが、その後バスケットボールに専念[1]、主にシューティングガードとしてプレイし、2005年のNCAAトーナメントではチームのスウィート16(ベスト16)進出に貢献し、自身は2年連続でパシフィック・テン・カンファレンスのファーストチーム入りを果たした。
2005年のNBAドラフトでフェニックス・サンズから1巡目21位指名を受け、直後に交渉権がニューヨーク・ニックスに譲渡された。NBAではリーグでも特に低身長であるため、ミスマッチを避けるために控え選手としてプレイし、抜群の身体能力を武器にスコアラーとして活躍している。
垂直飛びは90.2cm[2]を記録し、2006年のスラムダンクコンテストでは元NBA選手で元スラムダンク王のスパッド・ウェブ(168cm)を飛び越えてダンクを決めて優勝を果たした(他の年度でも優勝経験あり[3])。また2006年11月20日のヒューストン・ロケッツ戦ではリーグ最長身のプレイヤーである姚明 (229cm)のダンクをブロックするという離れ業をやってのけた(身長差は50cm以上である)。2005年にはチームメイトのジェローム・ジェームス(チーム最長身のプレイヤー)と諍いを起こし、2006年12月16日のデンバー・ナゲッツとの乱闘騒ぎでは、乱闘に参加した主要メンバーの1人として10試合の出場停止処分を受けるなど、プレイでもプレイ以外でも話題が絶えない。
2010年2月、マーカス・ランドリーと共に、エディ・ハウス、J.R・ギデンス、ビル・ウォーカー、そして年度未定の条件付きドラフト2巡指名権と交換で、ボストン・セルティックスへ移籍した。 プレーオフでは控えPGとして活躍を見せ、特にイースタン・カンファレンス決勝第6戦では 第2Qだけで13ptを取りチームを勝利に導く活躍を見せた。 この活躍を報道陣に聞かれロビンソンは「ドックのおかげだ」と語り ドック・リバースHCから「気持ちを持ち続けるんだ。そのうち、君のおかげで試合に勝つときが必ずくるから」 との言葉に耳を傾き続けたからだ、と答えた。[4]
2011年2月24日、ケンドリック・パーキンスと共に、ネナド・クリスティッチ、ジェフ・グリーンとの大型トレードに伴い、オクラホマシティ・サンダーへ移籍。2011年オフにNBAロックアウトが敢行された際、ロビンソンにNFL挑戦の噂が流れた。
2011-12シーズン開幕前日にサンダーを解雇されると、1月4日にゴールデンステート・ウォリアーズと1年107万ドル(約8200万円)で契約した。
2012年7月31日、シカゴ・ブルズと契約を結んだ。
2013年7月26日、デンバー・ナゲッツと契約した。サッカー選手のリオネル・メッシにちなんで背番号10をつけることになった。
2015年1月13日、ジャミーア・ネルソンとの交換でボストン・セルティックスに放出され[5]、1月15日にバイアウトが成立し、解雇された。
2015年3月7日、ロサンゼルス・クリッパーズと10日間契約を結びロースター入りしたが[6]、シーズン終了までの契約は更新されず解雇された。 2015年10月16日、ニューオーリンズ・ペリカンズと1年契約を結んだ[7]が、10月29日に解雇された[8]。その後中国でのプレーを希望しているという噂も流れたが実現せず、2016年には再びNFL挑戦を希望しているという噂が報道された[9][10]。
プロボクシングデビュー 編集
2020年11月28日、36歳でカリフォルニア州カーソンにて、マイク・タイソンvsロイ・ジョーンズ・ジュニアの前座でプロボクシングデビュー戦を行い、人気YouTuberのジェイク・ポールとクルーザー級6回戦で対戦し、2回KO負けを喫した[11][12]。
人物 編集
父親のジャック・ロビンソンもワシントン大学でRBとして活躍、オレンジボウルのMVPに選ばれ、その後NFLのフィラデルフィア・イーグルスでもプレーした[1]。
アスリート一般レベルで見ても小柄な体格ながら、攻撃的なスタイルを得意とする。ポイントガードでありながらそのスタイルは完全にシューティングガードである。スラムダンクコンテストを3度制する超人的な身体能力を秘め、ビッグマン相手に果敢にアタックをしかける強気な性格が売り。 また、幼いころからトレーニングを積んでおり、14歳のときにダンクに成功した。
戦績 編集
プロボクシング 編集
プロボクシング 戦績 | ||||||
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1 試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
0 勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1 敗 | 1 | 0 | 0 |
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
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1 | 2020年11月28日 | 敗北 | 2R 1:24 | KO | ジェイク・ポール | アメリカ合衆国 | |
テンプレート |
脚注 編集
- ^ a b “NBAダンク王者ロビンソン、NFL挑戦?”. NFL JAPAN (2011年7月13日). 2011年8月3日閲覧。
- ^ 2004年プレドラフトキャンプ時の測定
- ^ 【スポーツ科学研究所】ダンクシュートとジャンプ力との関係は!? J SPORTS
- ^ 宮地陽子 (2010年6月4日). “【NBA】ファイナルの視点〜リバースvs.ジャクソンの名将采配に注目せよ。”. Sportiva 2011年2月14日閲覧。
- ^ Boston Celtics Complete Trade With Denver Nuggets
- ^ “Clippers sign Nate Robinson to 10-day contract”. NBA.com (2015年3月7日). 2015年3月8日閲覧。
- ^ “Nate Robinson Agrees To One-Year Deal With Pelicans”. Real GM (2015年10月16日). 2015年10月17日閲覧。
- ^ “Pelicans Waive Nate Robinson”. NBA.com (2015年10月29日). 2015年10月30日閲覧。
- ^ Nate Robinson wants to play in the NFL
- ^ Nate Robinson: Playing in the NFL it's a big-time dream
- ^ “Jake Paul knocks out Nate Robinson but boxing names point to safety concerns”. BBC (2020年11月29日). 2020年12月3日閲覧。
- ^ “Jake Paul vs Nate Robinson result: YouTube star wins via knockout”. independent (2020年11月29日). 2020年12月3日閲覧。
関連項目 編集
外部リンク 編集
- ネイト・ロビンソン (@nate_robinson) - Twitter
- 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、knock out.html G League、ESPN、Eurobasket、RealGM
- ネイト・ロビンソンの戦績 - BoxRec(英語)