メインメニューを開く

フィラデルフィア・イーグルス (英語: Philadelphia Eagles、略称: PHI)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。イーグルスの愛称の由来はニューディール政策のシンボル、ワシ[2]

フィラデルフィア・イーグルス
Philadelphia Eagles
1933年創設
永久欠番
ホームタウン
フィラデルフィア・イーグルスの位置(アメリカ合衆国内)
フィラデルフィア・イーグルス

ペンシルベニア州フィラデルフィア

Philly (45).JPG
リンカーン・フィナンシャル・フィールド
(2003-)
ベテランズ・スタジアム
(1971-2002)
フランクリン・フィールド (1958-1970)
コニー・マック・スタジアム (1940; 1942-1957)[1]
フィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアム
(1936-1939; 1941)
ベイカー・ボウル
(1933-1935)

所属地区
  • NFL(1933-現在)
  • NFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
  • 東カンファレンス(1953-1969)
首都地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
  • アメリカン・カンファレンス(1950-1952)
  • 東地区(1933-1949)
チームデザイン
チームカラー
     ミッドナイトグリーン
    
    
     シルバー
チームロゴ
ワシの頭部
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (1回)
カンファレンス・チャンピオン (3回)
NFC
  • 1980
  • 2004
  • 2017
地区優勝 (9回)
旧NFC東地区
  • 1980
  • 1988
  • 2001
NFC東地区
  • 2002
  • 2003
  • 2004
  • 2010
  • 2013
  • 2017
ワイルドカード(12回)
  • 1978
  • 1979
  • 1981
  • 1989
  • 1990
  • 1992
  • 1995
  • 1996
  • 2000
  • 2008
  • 2009
  • 2018
プレーオフ進出(21/53回)
  • 1978
  • 1979
  • 1980
  • 1981
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1992
  • 1995
  • 1996
  • 2000
  • 2001
  • 2002
  • 2003
  • 2004
  • 2008
  • 2009
  • 2010
  • 2013
  • 2017
  • 2018
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
  • 1948
  • 1949
  • 1960
カンファレンス・チャンピオン
NFL東
  • 1960
地区優勝
NFL東地区
  • 1947
  • 1948
  • 1949
球団組織
オーナー: ジェフリー・ルーリー
GM: ホーウィー・ローズマン
ヘッドコーチ: ダグ・ピーダーソン (2016- )

目次

歴史編集

NFL統合前編集

フィラデルフィアには1924年から1931年までフランクフォード・イエロージャケッツというNFLチームが存在した。イエロージャケッツは1926年にNFLチャンピオンに輝いたが、世界恐慌と本拠地の火災の影響から財政が悪化し、1931年のシーズン中に活動休止し、フランチャイズ権をNFLに返上した。

イエロージャケッツのフランチャイズ権返上以降、フィラデルフィアに本拠地を構えるオーナーを探していたNFLは、1933年バート・ベルラッド・レイに25,000ドルでイエロージャケッツのフランチャイズ権を与える形でフィラデルフィアでのチーム創設を許可し、設立されたのがフィラデルフィア・イーグルスである[2]。チームの愛称は世界恐慌からの回復するためのニューディール政策のシンボルであった、ワシのようにチームを上昇させたいと願い、ベルが名付けた[2]。10月15日の最初の試合では、ニューヨーク・ジャイアンツに0-56で敗れた。ホームデビュー戦となった翌週のポーツマス・スパルタンズにも0-25で敗れた。11月5日のシンシナティ・レッズ戦で初勝利、この年3勝5敗1分に終わった[2]

チームは当初、イエロージャケッツのユニフォームを着用してプレーしたものの、あくまでもピッツバーグ・スティーラーズシンシナティ・レッズと共にエクスパンションチームとして加入したチームであるので、イエロージャケッツの記録は継承していない。

1934年、開幕から6連敗を喫したが、最後の5試合中4試合に勝ち、4勝7敗で終えた。1935年、2勝9敗と成績は下降した。シーズン終了後、バート・ベルは、ラッド・レイからオーナー権を獲得、単独オーナーとなった[2]

ベルオーナーは、カレッジフットボールの選手獲得に、ドラフト制度を実施することを提案、1936年、イーグルスは全体1位でハイズマン賞受賞のジェイ・バーワンガーを指名した。しかしバーワンガーは入団を拒否、NFLでプレーすることはなかった。この年チームは、ベイカー・ボウルからフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムに移った。バート・ベルがヘッドコーチに就任し、開幕戦は勝ったものの残り11試合に敗れ、1勝11敗に終わった[2]

1937年、開幕から3連敗し、シカゴ・カージナルスの持つ連敗記録に並んだが、ワシントン・レッドスキンズに敵地で勝利、2勝8敗1分で終えた。1938年は5勝6敗と成績を改善させた[2]

1939年、オールアメリカンのクォーターバックデイビー・オブライエンと12,000ドルで契約を結んだ。全試合に出場したオブライエンは、1324ヤードを投げてNFL記録を更新した。しかしチームは1勝9敗1分に終わった。10月22日のブルックリン・ドジャース戦がイーグルスの試合としては初めてテレビ放送された[2]

1940年に本拠地をフィラデルフィア・ミュニシパル・スタジアムからシャイブパーク(1953年にコニー・マック・スタジアムに改称)に移した。この年チームは1勝10敗に終わった[2]

1941年、本拠地をミュニシパル・スタジアムに戻した。ヘッドコーチには、グレイシー・ニールが就任した。チームは2勝9敗に終わった。1942年、チームは本拠地をシャイブ・パークに1年で戻した。チームは2勝9敗で最下位に終わった[2]

第二次世界大戦中の1943年には所属選手が不足したため、ピッツバーグ・スティーラーズと合同チームとなり、フィラデルフィア=ピッツバーグ・スティーグルス(Philadelphia-Pittsburgh Steagles)となった。この年チームは5勝4敗1分、シーズン終了後、合同チームは解消された[2]

1946年にバート・ベルはNFLコミッショナーとなった。アール "グリージー" ニールヘッドコーチに率いられたチームはスティーブ・バン・ビューレンなどの活躍で1947年から3年連続でNFLチャンピオンシップゲームに出場を果たし吹雪の中行われた1948年にはシカゴ・カージナルスに7-0、1949年にはロサンゼルス・ラムズに14-0とNFL史上唯一2年連続相手チームを完封して優勝した。1957年に本拠地をペンシルベニア大学フランクリン・フィールドに移した。同スタジアムは1969年に人工芝となりNFLチームとしては最初に人工芝球場を本拠地としたチームになった。

1960年バック・ショウヘッドコーチの下、後にプロフットボール殿堂入りを果たしたノーム・バン・ブルックリンチャック・ベドナリクらの活躍で3度目NFLチャンピオンとなった。また、この年無敗だったヴィンス・ロンバルディグリーンベイ・パッカーズを17-13で破った。

1963年、チームはジェリー・ウォルマンに買収されたが1969年レナード・トースが当時プロスポーツチームとしては最高額の1615万5000ドルで買収した。その後直ちに5シーズンで24勝41敗1分の成績しか残せなかったジョー・クハリッチが解任された。ピート・レツラフGMジェリー・ウィリアムズがヘッドコーチに就任した。

統合後編集

1970年のNFLとAFLの統合後、NFC東地区に所属した。その後同地区のライバルであるダラス・カウボーイズワシントン・レッドスキンズの影に隠れプレーオフ出場はなかなか果たせず1962年から1975年に勝ち越したのはわずか1回であった。1976年UCLAからディック・ヴァーミールを迎えると、1978年には18年ぶりにポストシーズンゲーム出場を果たした。11月19日のニューヨーク・ジャイアンツ戦ではイート・ザ・ボールされれば敗北必至のところ、相手オフェンスのファンブルをハーマン・エドワーズがファンブルリカバーTDをあげて勝利した[3]

1978年から1981年まで4シーズン連続プレーオフに進出した。1980年にはQBロン・ジャコウスキー、WRハロルド・カーマイケルらの活躍で初のNFC東地区優勝を達成、チームは第15回スーパーボウル出場を果たしたがオークランド・レイダーズに敗れた。この試合ではジャコウスキーのパスがロッド・マーティンに3回インターセプトされるスーパーボール記録を作られている[4]

1985年にチームはフロリダ州で自動車販売業で富を築いたノーマン・ブラマンらに6500万ドルで売却された。この際トース前オーナーがカジノでのギャンブルで2500万ドルの借金を抱えたことが報道された。1986年には第20回スーパーボウルを制したシカゴ・ベアーズのディフェンシブコーディネーター、バディ・ライアンがヘッドコーチに就任した。強力ディフェンスなどでチームは1980年代終わりから1990年代初めにプレーオフにしばしば出場を果たした。しかしプレーオフで勝てないライアンは1991年1月7日に解任されオフェンスコーディネーターのリッチ・コータイトが後任となった。1992年のプレーオフでチームはニューオーリンズ・セインツを破ったが1994年に7勝2敗から終盤7連敗して7勝9敗に終わるとコータイトは契約延長されることなくチームを去った。1988年から1996年までチームは9シーズン中6回プレーオフに出場したが地区優勝は1988年の1回のみであった。この時代のオフェンスのスター選手は走れるQBのランドール・カニンガムキース・ジャクソンハーシェル・ウォーカーなど、ギャンググリーンと呼ばれたディフェンスはレジー・ホワイトジェローム・ブラウンクライド・シモンズセス・ジョイナーウェズ・ホプキンスマイク・ゴーリックバイロン・エバンズエリック・アレンアンドレ・ウォーターズなどである。この時代はNFC東地区がハイレベルであり強力な同地区ライバルチーム相手に善戦するものの上位進出を阻まれ続けた。エースQBのカニンガムは並外れた身体能力を生かした次世代のQBとして期待されたが故障も多く、あと一歩の殻を打ち破れずにいた。

1994年5月6日、ブラマンオーナーから1億8500万ドルでジェフリー・ルーリーにチームは売却された。フォーブスの2006年版によると評価額は10億2400万ドルでありNFLで5番目に高いフランチャイズとなっている。チームユニフォームのカラーも明るいケリーグリーンとシルバー、ホワイトから濃色のミッドナイトグリーンにブラック、ホワイトへと変更された。レイ・ローズが指揮した4年間は世代交代の時期とも重なり、2度プレイオフに進出したのが限度であった。

アンディ・リードの時代編集

1999年アンディ・リードがヘッドコーチに就任し、QBドノバン・マクナブの台頭もあってチームは一時期の低迷から脱し、2001年から2004年にかけて4年連続NFCチャンピオンシップゲームに出場した。最初の3回は敗れたが2004年シーズンには第39回スーパーボウルへの出場を果たしニューイングランド・ペイトリオッツと対戦したが21-24で敗れて優勝は果たせなかった。2008年シーズンはぎりぎりでプレーオフ出場を決め前年のスーパーボウル覇者であるニューヨーク・ジャイアンツを敵地で23-11と破ったがNFCチャンピオンシップゲームでアリゾナ・カージナルスに25-32で敗れスーパーボウル出場はならなかった。当時はチャンピオンシップで敗れたヘッドコーチがホノルルで開催されていたプロボウルにてカンファレンスの指揮を執っていたのだが、リードは4回もプロボウルのHCとなっており元スティーラーズHCのビル・カウアーと並んでアロハコレクターと揶揄された。

 
2しき009年ジェッツ戦(QBマイケル・ヴィック)

2009年、5月にジム・ジョンソンディフェンスコーディネーターが癌性腫瘍の治療のため、チームを離脱、トレーニングキャンプ直前の7月にショーン・マクダモットをディフェンスコーディネーターに昇格させた[5]。7月28日にジム・ジョンソンは68歳で亡くなった[6]

開幕直前に、闘犬賭博罪で収監され18ヶ月の刑期を終えたマイケル・ヴィックを獲得。2009年シーズン終了後、ドラフト権と引き換えにドノバン・マクナブをワシントン・レッドスキンズへ放出した。

2010年には、当初ケビン・コルブを先発QBとして開幕戦を迎えたが、負傷のため途中交代。2戦目以後、マイケル・ヴィックを柱としてチームは連勝を重ね、10勝6敗でNFC東地区優勝を果たす。一時はNFLから無期限出場停止処分を受けていたヴィックの活躍は、サクセスストーリとして全米の注目を集めるとともに、オバマ大統領も再起のチャンスを与えたイーグルスに対して賞賛を送った [7]

2011年には開幕前にナムディ・アソムーアドミニク・ロジャース=クロマティロニー・ブラウンヴィンス・ヤングプロボウルに出場経験のある選手を多く補強し、ドリームチームと呼ばれたが負け星が先行し、8勝8敗でプレーオフを逃した。

2012年は開幕から4試合で3勝1敗の成績をあげたが、その後8連敗するなど最後の12試合はわずか1勝で4勝12敗に終わり[8]シーズン終了後アンディ・リードヘッドコーチは解任された。リードは14シーズンで130勝93敗1分、地区優勝6回、カンファレンスチャンピオンシップに5回出場、スーパーボウル1回出場の成績を残した[9]。この年、チームはマイケル・ヴィックが開幕からターンオーバーを連発、ヴィック、ルショーン・マッコイ脳震盪で数試合欠場、デショーン・ジャクソンはシーズン絶望の負傷をしている。10月16日にはホアン・カスティーヨディフェンスコーディネーターが解雇された[10]

チップ・ケリーの時代編集

2013年オレゴン大学のヘッドコーチチップ・ケリーがヘッドコーチに就任した[11]。ケリーは正QBにニック・フォールズを据え、カレッジ仕込みのアップテンポオフェンスと3-4ディフェンスを持ち込み、10勝6敗で地区優勝を果たした。しかしワイルドカードプレーオフでニューオーリンズ・セインツに24-26で敗れた。翌2014年にはGM権も手に入れ多くの選手を入れ替えたが、その特異な攻撃システムも徐々に対策されて勢いを失い、デメリットの方が増えていった。シーズン途中に正QBだったフォールズが鎖骨骨折で戦線離脱してしまい、10勝6敗をあげたもののプレーオフ進出を逃した。2015年はケリーはHC職に専念。フォールズをラムズへ放出し、代わりに獲得したサム・ブラッドフォードを正QBに据えたが7勝9敗と負け越し、ケリーは解雇された。

ダグ・ピーダーソンの時代編集

2016年にはダグ・ピーダーソンが新HCに就任した。ドラフトでは全体2位でQBカーソン・ウェンツを指名、開幕直前に正QBのサム・ブラッドフォードミネソタ・バイキングスへ放出した。新人QBらしからぬ落ち着いたプレイを見せたウェンツと守備はチーム伝統の4-3隊形に戻して安定感も取り戻し開幕から3連勝を飾ったが、その後失速して7勝9敗で地区最下位に終わった。

2017年はベテランのWRアルション・ジェフリートレイ・スミス、RBリギャレット・ブロウント、CBロナルド・ダービーらを獲得、ドラフトでは守備陣を中心に補強してランディフェンスが向上、シーズン途中には負傷で戦線離脱したRBダレン・スプロールズに代わり、RBジェイ・アジャイを獲得した。QBウェンツの成長もあってチームは8連勝を記録するなどして首位を独走していたが、第14週のロサンゼルス・ラムズ戦でウェンツが左膝の前十字靭帯断裂し、シーズン絶望となった。3年ぶりにチームに復帰した控えQBのニック・フォールズが先発QBとなった。チームは13勝3敗で地区優勝、NFC第1シードを獲得、ホームアドバンテージを獲得した。第1シードを獲得したもののウェンツを失ったチームはフォールズがシーズン終盤に低調なプレーを見せた試合もあり、プレーオフでは格下と見られた。ディビジョナルプレーオフではアトランタ・ファルコンズを15-10で、NFC チャンピオンシップではミネソタ・バイキングスを38-7でそれぞれ破りカンファレンスチャンピオンとなり、2004年以来となるスーパーボウル出場を果たした。

第52回スーパーボウルではニューイングランド・ペイトリオッツと対戦。下馬評では戦力的にイーグルスが不利と思われていたが、その評価を覆してペイトリオッツを41-33で破り、チーム史上初のスーパーボウルチャンピオンとなった[12]

2018年は連覇が懸かるが主力選手・コーチ陣の移籍、厳しいスケジュール、低いドラフト指名順で苦戦が予想された。ドラフトでは全体32位の1巡指名を行わず2順でTEゴダートを獲得した。スーパーボウルMVPのフォールズが開幕QBの座を得るも序盤から低迷、第3週からウェンツがQBに復帰するがチームの主力に怪我人が続出、特にランニングバックとセカンダリーに怪我人が集中しラン攻撃とパスディフェンスが弱体化した結果プレーオフ出場が厳しい状況に置かれた。シーズン終盤、再びウェンツが負傷してフォールズがスターターに復帰し残り3試合を全勝、最終週で第6シードの座を奪い取りプレーオフ進出を果たした。ワイルドカードプレーオフでは第3シードのシカゴ・ベアーズと対戦、相手の決勝フィールドゴールをブロックし16-15で勝利、ディビジョナルプレーオフは第1シードのニューオーリンズ・セインツに14-20で敗戦した。

2019年シーズンの対戦相手

2019年シーズンのイーグルスの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ペイトリオッツ ラムズ セインツ ベアーズ カウボーイズ
2位 チャージャーズ コルツ スティーラーズ ドルフィンズ シーホークス ファルコンズ バイキングス イーグルス
3位 ブロンコス タイタンズ ブラウンズ ビルズ 49ERS パンサーズ パッカーズ レッドスキンズ
4位 レイダーズ ジャガーズ ベンガルズ ジェッツ カージナルス バッカニアーズ ライオンズ ジャイアンツ

    :1度対戦     :2度対戦

永久欠番編集

殿堂入り編集

Eagles Honor Roll編集

75周年記念チーム編集

歴代ヘッドコーチ編集

成績編集

NFC東地区(4地区制、2002年-現在)編集

年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2018 DAL(4d) 10 6 0 PHI(6d) 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 5 11 0
2017 PHI(1v) 13 3 0 DAL 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 3 13 0
2016 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5w) 11 5 0 WAS 8 8 0 PHI 7 9 0
2015 WAS(4w) 9 7 0 PHI 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 4 12 0
2014 DAL(3d) 12 4 0 PHI 10 6 0 NYG 6 10 0 WAS 4 12 0
2013 PHI(3w) 10 6 0 DAL 8 8 0 NYG 7 9 0 WAS 3 13 0
2012 WAS(4w) 10 6 0 NYG 9 7 0 DAL 8 8 0 PHI 4 12 0
2011 NYG(4v) 9 7 0 PHI 8 8 0 DAL 8 8 0 WAS 5 11 0
2010 PHI(3w) 10 6 0 NYG 10 6 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2009 DAL(3d) 11 5 0 PHI(6w) 11 5 0 NYG 8 8 0 WAS 4 12 0
2008 NYG(1d) 12 4 0 PHI(6c) 9 6 1 DAL 9 7 0 WAS 8 8 0
2007 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5v) 10 6 0 WAS(6w) 9 7 0 PHI 8 8 0
2006 PHI(3d) 10 6 0 DAL(5w) 9 7 0 NYG(6w) 8 8 0 WAS 5 11 0
2005 NYG(4w) 11 5 0 WAS(6d) 10 6 0 DAL 9 7 0 PHI 6 10 0
2004 PHI(1s) 13 3 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2003 PHI(1c) 12 4 0 DAL(6w) 10 6 0 WAS 5 11 0 NYG 4 12 0
2002 PHI(1c) 12 4 0 NYG(5w) 10 6 0 WAS 7 9 0 DAL 5 11 0

NFC東地区(3地区制、1970年-2001年)編集

年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PHI(3c) 11 5 0 WAS 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 7 9 0 DAL 5 11 0
2000 NYG(1s) 12 4 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 8 8 0 DAL 5 11 0 ARI 3 13 0
1999 WAS(3d) 10 6 0 DAL(5w) 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 6 10 0 PHI 5 11 0
1998 DAL(3w) 10 6 0 ARI(6d) 9 7 0 NYG 8 8 0 WAS 6 10 0 PHI 3 13 0
1997 NYG(3w) 10 5 1 WAS 8 7 1 PHI 6 9 1 DAL 6 10 0 ARI 4 12 0
1996 DAL(3d) 10 6 0 PHI(5w) 10 6 0 WAS 9 7 0 ARI 7 9 0 NYG 6 10 0
1995 DAL(1v) 12 4 0 PHI(4d) 10 6 0 WAS 6 10 0 NYG 5 11 0 ARI 4 12 0
1994 DAL(2c) 12 4 0 NYG 9 7 0 ARI 8 8 0 PHI 7 9 0 WAS 3 13 0
1993 DAL(1v) 12 4 0 NYG(4d) 11 5 0 PHI 8 8 0 PHO 7 9 0 WAS 4 12 0
1992 DAL(2v) 13 3 0 PHI(5d) 11 5 0 WAS(6d) 9 7 0 NYG 6 10 0 PHO 4 12 0
1991 WAS(1v) 14 2 0 DAL(5d) 11 5 0 PHI 10 6 0 NYG 8 8 0 PHO 4 12 0
1990 NYG(2v) 13 3 0 PHI(4w) 10 6 0 WAS(5d) 10 6 0 DAL 7 9 0 PHO 5 11 0
1989 NYG(2d) 12 4 0 PHI(4w) 11 5 0 WAS 10 6 0 PHO 5 11 0 DAL 1 15 0
1988 PHI(3d) 10 6 0 NYG 10 6 0 WAS 7 9 0 PHO 7 9 0 DAL 3 13 0
1987 WAS(3v) 11 4 0 DAL 7 8 0 StL 7 8 0 PHI 7 8 0 NYG 6 9 0
1986 NYG(1v) 14 2 0 WAS(4c) 12 4 0 DAL 7 9 0 PHI 5 10 1 StL 4 11 1
1985 DAL(3d) 10 6 0 NYG(4d) 10 6 0 WAS 10 6 0 PHI 7 9 0 StL 5 11 0
1984 WAS(2d) 11 5 0 NYG(5d) 9 7 0 StL 9 7 0 DAL 9 7 0 PHI 6 9 1
1983 WAS(1s) 14 2 0 DAL(4w) 12 4 0 StL 8 7 1 PHI 5 11 0 NYG 3 12 1
1982 WAS(1v) 8 1 0 DAL(2c) 6 3 0 StL(6w) 5 3 1 NYG 4 5 0 PHI 3 6 0
1981 DAL(2c) 12 4 0 PHI(4w) 10 6 0 NYG(5d) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 7 9 0
1980 PHI(2s) 12 4 0 DAL(4c) 12 4 0 WAS 6 10 0 StL 5 11 0 NYG 4 12 0
1979 DAL(1d) 11 5 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 10 6 0 NYG 6 10 0 StL 5 11 0
1978 DAL(2s) 12 4 0 PHI(5w) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 6 10 0 NYG 6 10 0
1977 DAL(1v) 12 2 0 WAS 9 5 0 StL 7 7 0 PHI 5 9 0 NYG 5 9 0
1976 DAL(2d) 11 3 0 WAS(4d) 10 4 0 StL 10 4 0 PHI 4 10 0 NYG 3 11 0
1975 StL(3d) 11 3 0 DAL(4s) 10 4 0 WAS 8 6 0 NYG 5 9 0 PHI 4 10 0
1974 StL(d) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 DAL 8 6 0 PHI 7 7 0 NYG 2 12 0
1973 DAL(c) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 PHI 5 8 1 StL 4 9 1 NYG 2 11 1
1972 WAS(s) 11 3 0 DAL(c) 10 4 0 NYG 8 6 0 PHI 4 9 1 StL 2 11 1
1971 DAL(v) 11 3 0 WAS(d) 9 4 1 PHI 6 7 1 StL 4 9 1 NYG 4 10 0
1970 DAL(s) 10 4 0 NYG 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 6 8 0 PHI 3 10 1

NFL東カンファレンス・首都地区(1967年-1969年)編集

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 DAL(c) 11 2 1 WAS 7 5 2 NO 5 9 0 PHI 4 9 1
1968 DAL(c) 12 2 0 NY 7 7 0 WAS 5 9 0 PHI 2 12 0
1967 DAL(n) 9 5 0 PHI 6 7 1 WAS 5 6 3 NO 3 11 0

NFL東カンファレンス(1953年-1966年)編集

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
スーパーボウル開始
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1
1960 PHI(v) 10 2 0 CLE 8 3 1 NY 6 4 2 StL 6 5 1 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2
1959 NY(n) 10 2 0 CLE 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 6 1 WAS 1 9 2 CHC 2 10 0
1958 NY(n) 9 3 0 CLE 9 3 0 PIT 7 4 1 WAS 4 7 1 CHC 2 9 1 PHI 2 9 1
1957 CLE(n) 9 2 1 NY 7 5 0 PIT 6 6 0 WAS 5 6 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1956 NY(v) 8 3 1 CHC 7 5 0 WAS 6 6 0 CLE 5 7 0 PIT 5 7 0 PHI 3 8 1
1955 CLE(v) 9 2 1 WAS 8 4 0 NY 6 5 1 CHC 4 7 1 PHI 4 7 1 PIT 4 8 0
1954 CLE(v) 9 3 0 PHI 7 4 1 NY 7 5 0 PIT 5 7 0 WAS 3 9 0 CHC 2 10 0
1953 CLE(n) 11 1 0 PHI 7 4 1 WAS 6 5 1 PIT 6 6 0 NY 3 9 0 CHC 1 10 1

NFLアメリカン・カンファレンス(1950年-1952年)編集

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 CLE(n) 8 4 0 NY 7 5 0 PHI 7 5 0 PIT 5 7 0 CHC 4 8 0 WAS 4 8 0
1951 CLE(n) 11 1 0 NYG 9 2 1 WAS 5 7 0 PIT 4 7 1 PHI 4 8 0 CHC 3 9 0
1950 CLE(v) 10 2 x NYG 10 2 x PHI 6 6 x PIT 6 6 x CHC 5 7 x WAS 3 9 x

NFL東地区(1933年-1949年)編集

優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1949 PHI(v) 11 1 0 PIT 6 5 1 NYG 6 6 0 WAS 4 7 1 NYB 1 10 1
1948 PHI(v) 9 2 1 WAS 7 5 0 NY 4 8 0 PIT 4 8 0 BOS 3 9 0
1947 PHI(n) 8 4 0 PIT 8 4 0 BOS 4 7 1 WAS 4 8 0 NY 2 8 2
1946 NY(n) 7 3 1 PHI 6 5 0 WAS 5 5 1 PIT 5 5 1 BOS 2 8 1
1945 WAS(n) 8 2 0 PHI 7 3 0 NY 3 6 1 BOS 3 6 1 PIT 2 8 0
1944 WAS(n) 6 3 1 NY 6 3 1 PHI 7 3 0 BOS 2 8 1 BK 0 10 0
1943 WAS(n) 6 3 1 NY 6 3 1 Phil-Pitt 5 4 1 BK 2 8 0
1942 WAS(v) 10 1 0 PIT 7 4 0 NY 5 5 1 BK 3 8 0 PHI 2 9 0
1941 NY(n) 8 3 0 BK 7 4 0 WAS 6 5 0 PHI 2 8 1 PIT 1 9 1
1940 WAS(n) 9 2 0 NY 8 3 0 BK 6 4 1 PIT 2 7 2 PHI 1 10 0
1939 NY(n) 9 1 1 WAS 8 2 1 BK 4 6 1 PHI 1 9 1 PIT 1 9 1
1938 NY(v) 8 2 1 WAS 6 3 2 BK 4 4 3 PHI 5 6 0 PIT 2 9 0
1937 WAS(v) 8 3 0 NY 6 3 2 PIT 4 7 0 BK 3 7 1 PHI 2 8 1
1936 BOS(n) 7 5 0 PIT 6 6 0 NY 5 6 1 BK 3 8 1 PHI 1 11 0
1935 NY(n) 9 3 0 BK 5 6 1 PIT 4 8 0 BOS 2 8 1 PHI 2 9 0
1934 NY(v) 8 5 0 BOS 6 6 0 BK 4 7 0 PHI 4 7 0 PIT 2 10 0
1933 NY(n) 11 3 0 BK 5 4 1 BOS 5 5 2 PHI 3 5 1 PIT 3 6 2

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ シャイブ・パーク
    (1940-1953)
  2. ^ a b c d e f g h i j k Philadelphia Eagles (1933-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2019年1月14日閲覧。
  3. ^ Miracle at the Meadowlands”. プロフットボール殿堂. 2012年1月2日閲覧。
  4. ^ Steve Wulf (1981年2月2日). “He Had The Winning Hands”. スポーツ・イラストレイテッド. 2013年1月2日閲覧。
  5. ^ イーグルス、キャンプ2日前に新守備コーディネーター発表”. NFL JAPAN (2009年7月25日). 2013年1月2日閲覧。
  6. ^ イーグルスの鉄壁守備築いた名コーチ、ジョンソン氏が68歳で死去”. NFL JAPAN (2009年7月29日). 2013年1月2日閲覧。
  7. ^ オバマ大統領がイーグルス称賛、ビックに再起のチャンス”. NFL JAPAN (2010年12月28日). 2010年12月29日閲覧。
  8. ^ 2012年スケジュール”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  9. ^ イーグルス、14年に渡るリードHC時代に終止符”. NFL JAPAN (2013年1月1日). 2013年1月2日閲覧。
  10. ^ 河田剛 (2012年10月18日). ““数字は嘘をつかず”、イーグルスDC解雇の真意とは”. NFL JAPAN. 2013年1月2日閲覧。
  11. ^ イーグルス新HC、心変わりの理由明かさず”. NFL JAPAN (2013年1月17日). 2013年1月18日閲覧。
  12. ^ 【第52回スーパーボウル】イーグルスの初勝利なるか、ペイトリオッツの2連覇か!?”. NFL JAPAN (2018年2月5日). 2018年2月5日閲覧。

関連項目編集

  • メドウランズの奇跡 - ニューヨーク・ジャイアンツとの試合でリードされて残り時間わずかで相手QBがイート・ザ・ボールをすればそのまま敗れるところだったが、イーグルスのディフェンスが相手QBに激しく当たっていたためジャイアンツはフルバック(ラリー・ゾンカ)にボールを持たせるプレーを選択したがハンドオフミスによるファンブル、ハーマン・エドワーズがリカバーしてタッチダウンをあげて奇跡的な勝利をもたらした。

外部リンク編集