ノート:姫街道 (東海道)

最新のコメント:7 年前 | トピック:再提案の提出。 | 投稿者:Koshiyou

記事名への疑問 編集

記事名が姫街道(東海道)とあるが、なぜそのように名づけたのか疑問です。

  1. 正式名称は、本坂道であり、道中奉行管下でその記録があり、学術書でも本坂道(通称、姫街道)とあります。
  2. 姫街道(東海道)の記事名にも疑問があります。「姫街道」の呼称に関する出典に基づく説明が全くありません。姫街道の呼称について説明するのであれば、昭和4~13年の「姫街道論争」を取り上げるべきであるし、その後の本坂道(姫街道)の論説は確認できます。
  3. 記事内にて、本来あるべき本坂道の説明もなく、本坂道に関わる歴史などが記事になっていず、また、姫街道に関わる記事の記載が見られません。

本坂道は、東海道の脇往還ではあるが東海道ではないため、記事名として、姫街道(東海道)は、適当ではないと考えます。現状では、記事名を「姫街道(東海道)」から「本坂道」に改名するべきと思われます。いかがでしょうか。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月3日 (木) 09:13 (UTC)返信

  こんにちは。プロジェクト日本史のほうから参りました。生憎専門外でしたので僭越ながら少しだけコメントいたします。

  1. については本坂道または姫街道に関する二次史料があり、正式名称が実に正式名称であることが確認できるのでしたら、仰るように記事名の修正を検討すべきかと思います。
    一方で、正式名称より通称が一般的な場合、一般的な方が採用される場合もあります(WP:NC)。ブリタニカ国際大百科事典では、当該街道について「姫街道」として掲載しているようです。当該記事は参照した百科事典のものと記述も似通っており、おそらくこのあたりの三次史料を元に執筆したものではないかと思います。
    このことからいえば、“記事名を選ぶにあたっては、編集者の関心よりも読者の関心を、専門家よりも一般的な利用者の関心を”(WP:NCより抜粋引用)という観点から選択すると、今のところは現行の記事名が相応しいといえます。
  2. 3については、内容を整理して不足部分を新しく加筆していただければよろしいことではないかと思います。また出典がない記述は編集するついでに、出典が確認できるものは出典を付けて、出典不明部分は要出典タグを付けるほかないと思います。

民俗史は専門外なので、私はこれ以上携われないかもしれません。議論に進展があることを願っております。--ムカイ会話2016年11月3日 (木) 15:18 (UTC)返信

  ご意見ありがとうございます。1については、(文書・書籍にて)本坂道・本坂通りでふれてきた脇往還であったことから、今回の提案があります。ただ、ムカイ氏より指摘があった百科事典では姫街道での表記が利用されていることは重視する点であると思います。また、2、3については、同様の意見です。
ところで、記事名と姫街道の記事ですが、現在、姫街道の記事、姫街道 (東海道)の記事があります。「姫街道」の記事は「姫街道」の呼称についての説明が中心であり、本坂道の他、中山道、下仁田道における姫街道の記事があります。「姫街道 (東海道)」では、本坂道に関わる記事があります。
そこで、「姫街道」の記事を統合あるいは、改名が適当ではと思いますがいかがでしょうか。
  1. (統合案):(現)「姫街道」と「姫街道(東海道)」を(新)「姫街道」に統合し、(新規)「本坂道」を(新)「姫街道」へのリダイレクトにする。
  2. (改名案1):(現)「姫街道」はそのままとし、(現)「姫街道(東海道)」を「姫街道(本坂道)」に改名し、(新規)「本坂道」を「姫街道(本坂道)」へのリダイレクトにする。
  3. (改名案2):(現)「姫街道」はそのままとし、(現)「姫街道(東海道)」を「本坂道(姫街道)」に改名し、「本坂道」を「本坂道(姫街道)」へのリダイレクトにする。
  4. (改名案3):(現)「姫街道」はそのままとし、(現)「姫街道(東海道)」を「本坂道」に改名し、(新)「姫街道(東海道)」を「本坂道」へのリダイレクトにする。
  5. (改名案4):(現)「姫街道」を「姫街道(曖昧回避)」に改名、(現)「姫街道(東海道)」を(新)「姫街道」に改名し、「本坂道」を(新)「姫街道」へのリダイレクトにする。
  6. (改名案5):(現)「姫街道」を「姫街道(曖昧回避)」に改名、(現)「姫街道(東海道)」を「本坂道」に改名し、(新)「姫街道」を「本坂道」へのリダイレクトにする。
現在、ネットなどで確認できる百科事典の「姫街道」および「本坂道」は、1の(統合案)に類似した状況と言えます。「姫街道(東海道)」の記事名にある(東海道)に疑問をもつ小生は、「東海道」を変更するべきとかんがえるので、その点を重視するのであれば、(改名案1)、(改名案2)、あるいは(改名案3)。(現)「姫街道」の記事内容は、(曖昧回避)と言える内容であることから「姫街道(曖昧回避)」と改名し、「姫街道(東海道)」の改名も行うのであれば(改名案4)、(改名案5)とするのがよいのではと思います。
当初の考えでは、(改名案5)が適当と考えていましたが、他の百科事典の現状から(統合案)あるいは(改名案4)により記事の統合・改名が適当ではと思います。皆さまのご意見・ご教示をお待ちしております。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月4日 (金) 08:45 (UTC)返信
  こんにちは、ムカイです。少しだけ提案があります。
  1. 姫街道は脇街道の一種としてみるのであれば、姫街道は脇街道へ統合するのはいかがでしょうか。
    統合後姫街道脇街道へのリダイレクトとなります。
  2. まずは「本坂道」・「姫街道 (東海道)」どちらがウィキペディアの記事名として相応しいかという議論を有識者間で、行ってはいかがでしょうか。
    姫街道 (東海道)の改名が元々の目的であるものと理解しております。それから考えますと、この時点で5つの改名プラン案を提示してしまうのはいささか早いのではないでしょうか。
  3. この提案は記事名の改名が目的ですが、私は記事はそのままとして、冒頭の記述を修正するだけでも正式名称の正当性を示すことが可能だと考えます。姫街道 (東海道)定義文の後に「正式には「本坂道」(ほんさかみち)というが、本項では通称である「姫街道」で記述する。」の一文を加えて、後に歪みのできた文章を少し整えるだけです。(WP:COMMONNAMEを参考)
以下は改名提案へのコメントです。
  1. (改名案1)・(改名案2)
    WP:NCでは、“記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。”(WP:COMMONNAMEより抜粋引用)とありますので、「姫街道(本坂道)」や「本坂道(姫街道)」は案から外れることになります。
  2. (改名案3)
    選択肢の中では現実的だと思います。議論を経て実現する案ではないかと思います。
  3. (改名案4)・(改名案5)
    姫街道を曖昧さ回避ページにするためには、記事自体の大幅な改訂が必要になります。それよりも「姫街道(曖昧回避)」を新規作成したほうがよいと思いますが、それ以前に曖昧さ回避ページの構築経緯としてはよくないような気がします。このあたりは、曖昧さ回避の「曖昧さ回避の必要がないもの」が参考になると思います。
それでは、失礼いたします。--ムカイ会話2016年11月4日 (金) 14:43 (UTC)返信
  こんにちは、湖紫陽(koshi2016)です。ご提案及び案に関するコメントありがとうございます。コメントに従い、まず、記事名を「本坂道」、「姫街道 (東海道)」、あるいは「姫街道」にするべきかのどれが適当であるかについて、皆さまにご教示・ご意見を求めようと思います。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月4日 (金) 15:14 (UTC)一部訂正 --湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月4日 (金) 16:44 (UTC)返信

記事名は「本坂道」・「姫街道 (東海道)」・「姫街道(本坂道)」が相応しいか 編集

  先の記事名について、ムカイ氏より以下のコメントを頂きました。

まずは「本坂道」・「姫街道 (東海道)」どちらがウィキペディアの記事名として相応しいかという議論を有識者間で、行ってはいかがでしょうか。

姫街道 (東海道)の改名が元々の目的であるものと理解しております。それから考えますと、この時点で5つの改名プラン案を提示してしまうのはいささか早いのではないでしょうか。

したがって、(記事の整理や改名等は別として)改めて、「本坂道」・「姫街道 (東海道)」・「姫街道(本坂道)」が相応しいか 皆さまより、ご教示・ご意見を頂きたいと思います。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月10日 (木) 05:46 (UTC)返信

  上の主張では「正式名称を採用すべき」と主張されているようにお見受けしますが、まずはWikipedia:記事名の付け方#記事名を付けるにはの5つの基準に照らしたときの、各記事名候補の優劣について湖紫陽(koshi2016)さんから論じていただきたいと思います。--宇井木辺出夫会話2016年11月12日 (土) 14:09 (UTC)返信

  宇井木辺出夫氏のコメントから、記事名についての考えと、5つの基準からの優劣について示します。 「姫街道 (東海道)の記事名」についての意見は、1番目に、正式名称「本坂道」、2番目に通称「姫街道」、3番目に「姫街道(本坂道)」となるべきと考えています。

  • 「本坂道」を推す理由には、道路の正式名称であり、学術的にも本坂道が使用され、通称姫街道との説明があること。見附宿から気賀関所、本坂峠を経て御油宿に至る脇往還のみをさしていることからです。
  • 「姫街道」を2番とするには、一般的な百科事典で本坂道の項目は姫街道にリダイレクトされ、説明されているであり記事名を通称として有効であること。ただし、姫街道と呼称される道は複数あるため(中山道や下仁田通など)、本坂道のみを説明している現状にふさわしくない。
  • 「姫街道(本坂道)」は妥協案的なものです。現状の記事で「姫街道(東海道)」となっているのですが、これでは、姫街道と呼ばれる東海道であるように見える。東海道ではなく東海道脇往還である本坂道であることから、「()」をつけた記事名にするのであれば、その中は東海道ではなく本坂道の方が適切と思います。

以上の考えから5つの基準に相応して優劣を見ると 1:認知度が高い、2:見つけやすい、3:曖昧でない、4:簡潔、5:首尾一貫しているに照らして考えると、

  1. 「姫街道」>「本坂道」>「姫街道(本坂道)」>「姫街道(東海道)」
  2. 「本坂道」⇔「姫街道」>「姫街道(本坂道)」>「姫街道(東海道)」
  3. 「本坂道」>「姫街道(本坂道)」>「姫街道(東海道)」>「姫街道」
  4. 「本坂道」>「姫街道」>「姫街道(本坂道)」>「姫街道(東海道)」
  5. 「本坂道」>「姫街道」>(「姫街道(本坂道)」⇔「姫街道(東海道)」)

との考えになります。

つまり、

  1. 認知度においては「姫街道」が有効となり、
  2. 見つけやすいについては「本坂道」、「姫街道」は同等、
  3. 曖昧ではないは「本坂道」が有効で「姫街道」は適切ではない
  4. 簡潔については、短く、要点を突いているものとしては、曖昧さが著しくみられる「姫街道」より、「本坂道」の方が有効
  5. 首尾一貫しているについては、例えば「善光寺街道」は「善光寺街道」を曖昧さ回避とし、「北国街道 (信越)」、「北国西街道」とし記事名がつけられている。それにならえば、「姫街道」は曖昧さ回避とし、「本坂道」、「中山道」、「下仁田道」との記事名をにするべきと考えています。したがって、「本坂道」が有効。

以上の点から、要点・明確・簡潔である「本坂道」の記事名は、認知度について有効であるが曖昧さのみられる「姫街道」の記事名を上回るとみています。

どうぞ、皆さまのご意見・ご教示をお待ちしております。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月12日 (土) 15:18 (UTC)  一部修正 --2016年11月12日 (土) 15:57 (UTC) 一部追記 --湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月13日 (日) 06:19 (UTC)返信

<追記> ところで、先のムカイ氏の1番目のご提案である「姫街道」を「脇街道」への統合には異論があります。

脇街道脇往還となる、川越街道佐屋路日光御成道美濃路北国西街道北国街道日光例幣使街道などをはじめ数多くの記事がすでにあり、本坂道あるいは姫街道はスタブ記事ですが、脇街道に統合する必要性は感じません。したがってお考えにはあまり、賛成できません。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月12日 (土) 15:18 (UTC) 一部修正 --2016年11月12日 (土) 15:57 (UTC)返信

  ご提示ありがとうございます。「つまり」以下はWP:CRITERIAに沿って議論されているので、わかりやすく感じました。以下私見ですが、

  • まず、記事名の候補としては、記事中に挙げられている「姫街道」「本坂道」「本坂街道」「本坂通り」を挙げた方がいいと思いました。カッコを使う記事名は、それ自体「曖昧さ」に問題があることを示しているので、当初の記事名候補としては考えなくいいのではないでしょうか。
  • 認知度の高さについて、学術系の検索サイトによる検索結果では、
「姫街道」56件「本坂道」9件「本坂街道」1件「本坂通り」20件「本坂通」20件
「姫街道」12件「本坂道」2件「本坂街道」0件「本坂通り」0件「本坂通」4件
  • CiNii全文検索によるヒット件数
「姫街道」49件「本坂道」15件「本坂街道」0件「本坂通り」8件「本坂通」24件
でした。抽出された論文などを少し眺めてみたところ、
  • 「姫街道」には、「東海道の姫街道」以外にも、中山道や「中山道の姫街道」=「上州姫街道」も含まれており、やはり「曖昧さ」の問題がありそうでした。また「姫街道ネットワーク」という組織が関係している、本件の「姫街道」と関係のない論文も含まれていました。このため、本件に関係する件数は上記の抽出件数よりも少ないようでした。
  • 「本坂通り」の抽出結果は、ほとんどの場合、表記が「本坂通」となっていました。そこで「本坂通」でも検索してみました。結果、湖紫陽さんが候補に挙げておられる「本坂道」よりも、「本坂通」の方が認知度が高そうでした。
結論として「認知度が高い」についての私の評価は、「姫街道」◎「本坂道」△「本坂街道」×「本坂通り」×「本坂通」○です。「本坂街道」と「本坂通り」は候補から除外してよさそうでした。
湖紫陽さんは上で「正式名称は、本坂道であり、道中奉行管下でその記録があり、学術書でも本坂道(通称、姫街道)とあります。」と記されましたが、学術書では「本坂道」より「本坂通」の方が用例が多いかもしれないと思いました。また「本坂道」と「本坂通」を合わせると、本件に関連性のある「姫街道」と同程度の「認知度の高さ」がありそうに思いました。
  • 「見つけやすい」については「本坂通」も「本坂道」「姫街道」と同等だと思います。
  • 「曖昧ではない」は「本坂道」「本坂通」は問題なく、「姫街道」は問題あると思いました。
  • 「簡潔」については、「姫街道」は「曖昧さ」で問題があり、カッコ書き付きの名称にならざるを得ないので、カッコ付きの姫街道より、カッコの付かない「本坂通」「本坂道」の方が簡潔でしょう。
  • 「首尾一貫している」は横断面的にみたときについては湖紫陽さんのご意見に賛同します。あとは時系列で(歴史的に)みて「首尾一貫している」かどうかが気になるので、そこは補足願えませんでしょうか。

ということで、「姫街道」より「本坂通」の方がいいと思いましたが、「本坂通」ではなく「本坂道」がいいかといわれると、上の経緯から「本坂通」の方がいいように思いました。あとは一貫性の歴史的な用例と、上で湖紫陽さんが記載された「道中奉行管下でその記録があり」だから「正式名称は、本坂道」という記述についての出典を具体的に明記していただいて(「道中奉行管下」という本?は私が探した限りで見つかりませんでした)、どちらにするかご意見をまとめられてはいかがでしょうか。

補題に関しては、「本坂道」ないし「本坂通」の方が「姫街道」よりも固有名詞に近く、「姫街道」の方が「脇往還」よりも固有名詞に近いので、3つの記事が併存しても問題ない、という理解です。--宇井木辺出夫会話2016年11月13日 (日) 13:59 (UTC)返信

  宇井木辺出夫さん、コメントありがとうございます。本坂道、本坂街道、本坂通を名称候補の提示指摘ありがとうございます。 小生の意見として、

  • カッコを使う記事名の扱いについては、賛成です。先のムカイ氏の

「WP:NCでは、“記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。”(WP:COMMONNAMEより抜粋引用)とありますので、「姫街道(本坂道)」や「本坂道(姫街道)」は案から外れることになります。」

とのコメントからも、問題ないと思います。

  • 「認知度の高さ」については、具体的な結果の提示と分析ありがとうございます。小生も宇井木辺出夫さんのコメントに賛成です。(「本坂道」と「本坂通」については後述します。)
  • 「見つけやすい」、「曖昧ではない」、「簡潔」については、同意見で賛成です。
  • 「首尾一貫している」については賛成が得られているが、補足を求められています。


さて、ここからは返答です。 まず、「本坂道」と「本坂通」についてですが、今回、「本坂道」を提示したのは、管見で、

  • 『本坂道分間延絵図』
  • 渡辺和敏「近世関所の諸形態」、『法政史学』第23巻、法政大学史学会、1971年、 17-26頁。

などで、「本坂道」の使用が見られたことから提示したものです。しかし、「本坂通」の指摘を受け、改めて確認したところ、

  • 豊田武・児玉幸多編 「交通史」『体系 日本史叢書』24,山川出版社 107頁
  • 『本坂通宿村大概帳』(児玉幸多 校訂『近世交通史料集 5 (中山道宿村大概帳)』、吉川弘文館、2013年に収録)
  • 渡辺和敏「江戸時代後期における三河・遠江間の内陸交通」、『地域政策学ジャーナル』第1巻第1号、愛知大学地域政策学部 地域政策学センター、2012年、 19-31頁。

などから、「本坂通」が確認できました。 したがって、google scholar及びCiNiiによる認知度の高さと照らし合わせて考えると、「本坂道」より「本坂通」が適当と思われました。
ところで、「首尾一貫している」についての補足ですが、管見では時系列で(歴史的に)みて「首尾一貫している」ことを説明できる具体例を用意できていないため、現状では補足することは難しいです。 ただ、状況が少々違う例となるかもしれませんが、同一名称の地名の扱い、Wikipedia:記事名の付け方#地名などにある、記事名のつけ方を参考としていることは付け加えておきます。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月14日 (月) 07:00 (UTC)返信

  •   情報 宝永地震に関する古記録、『糀屋記録』(浜松)(『新収 日本地震史料 第三巻 別巻 宝永四年十月四日』p193)には
  • 「宝永四亥年十月四日昼八ツ時大地震ニ付、新井川舟渡り悪ク罷成、御旅人様方本坂御往来之故、浜松・舞阪・荒井・白須賀・二川・吉田・六ヶ宿御普請願ニ江戸表へ罷下候宿々」、
  • 『遠江国山住家文書』(『新収・・』p178)には
  • 「荒井御番所町共ニ浪入損シ候、白砂二川町皆潰吉田ハ城内町共ニ半潰依之道中通無之故本坂を大名衆も御通り被成候」とあります。江戸時代は「本坂」と記述されていたことになりますが、「本坂道」、「本坂通」何れでも問題は無いと考えます。--As6022014会話2016年11月15日 (火) 07:19 (UTC)返信
  • 追加『糀屋記録』にはまた「御大名様方其外御往来御上下共ニ本坂通御通被遊ニ付、浜松・舞阪・新居・白須賀・二川・吉田・六ヶ宿御通無御座迷惑至極仕候」
  • 『乍恐差上申口上書』(『新収 日本地震史料 続補遺別巻』p45『新居町史』)には「三年以前地震以来往還御衆中様本坂越被遊、困窮之役人共弥以無力仕、御役難勤渡世経営不罷成迷惑仕、今度六宿罷下り本坂通御止メ被為下候様ニ奉願上候」ともあります。「本坂通」は江戸時代から呼ばれていたことになり、これで良いのではないでしょうか。--As6022014会話2016年11月15日 (火) 07:38 (UTC)返信

  提案 、現在、本記事の記事名について意見が(少数ですが)集まり、議論が進んでいることから、改名提案のテンプレートの貼付、改名提案の告知を行ってもよい状況と思われます。異論がなければ、後日手続きを行う予定です。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月14日 (月) 09:46 (UTC)返信

  •   コメント 歴史的にみたときの「一貫性」について、少し調べたところ、3点ほど気が付いたことがありましたので、ご報告します。結論としては、「改名しない方がいいかもしれない」ということです。
  • まず、検索していたら気賀関所, 浜松市 (2016年). “TOP > 姫街道と気賀関所”. 浜松市気賀関所. 2016年11月15日閲覧。という浜松市のサイトがあり、そこには「1601年(慶長6年)、幕府が東海道宿駅の制を定めた際に東海道本坂越と命名された。」と書いてありました。
  • 「東海道」の名前が冠されていることと、「ごえ」というのが気になりました。「本坂越」についてCiNii全文検索とgoogle scholar検索をやり直したところ、多少件数があり、更に論文の版年に傾向がありそうでした。以下、記事名候補名とヒット件数、最古・最新の論文版年です。
  • CiNii全文検索
「本坂通」24件 1982-2012
「本坂道」15件 1983-2013
「本坂越」8件 1899-1983
「姫街道」49件 1957-2015
  • google scholar検索
「本坂通」20件 1947-2014
「本坂道」9件 1971-2010
「本坂越」4件 1942-1979
「姫街道」56件 1958-2014
特にCiNiiの方だと明白ですが、「本坂道」と「本坂通」は1980年代以降から使われるようになっていますが、それ以前にはあまり用例がなく、「本坂越」は大昔から使われていますが、1980年代以降使われていないのです。なお「姫街道」はCiNii、google scholarとも一貫して戦後から使われており、「本坂通」もgoogle scholarだと戦後からいくつか用例があります。
それで理由は何かなと思ったのですが、ヒットした論文のうち2編、
  • 児玉, 幸多「『歴史の道』の調査」『交通史研究』第12号、交通史学会、1984年、63-69頁、ISSN 09137300 
  • 会誌編集担当者「『歴史の道』調査報告書刊行状況」『交通史研究』第7号、交通史学会、1982年、75-77頁、ISSN 09137300 
に書いてあったのが、「文化庁が各県の教育委員会による『歴史の道』の調査を補助する事業を実施し、その報告書が1980年に出版された。」ということでした。そのタイトルが、
  • 静岡県教育委員会, 文化課『静岡県歴史の道調査報告書 身延道・本坂通(姫街道)』 第21・22集、静岡県教育委員会〈静岡県文化財調査報告書〉、1980年3月。全国書誌番号:81013884 
でした。「本坂通」か「姫街道」です。ここで官方のお墨付きを得られなかったことで、「本坂越」が衰退し、「本坂通」が栄えることになったのではあるまいか、と思いました。そして「本坂道」ですが、上に挙げた2編の論文の中に、調査報告書の表題をなぜか「本坂道」と記している人がいるのです。児玉 (1984, p. 65)です。当初、「本坂通」の方が書き間違えているのかと思いましたが、国立国会図書館の検索や他の外部サイトでも表題は「本坂通」でした。「本坂道」は、昔の用例もあるかもしれませんが、1980年の報告書に関しては、児玉 (1984, p. 65)が書いただけで、お墨付きはなかったことになると思います。
  • 2点目に、「東海道」が冠されていることと、なぜ普通に「本坂道」ではなく、「本坂通」という名前なのだろうか、という点に疑問を感じたのですが、『歴史の道』の報告書一覧を見ていて気がついたのは、「通り」と付く名前は、福島県の「中通り」「浜通り」のように、「出発地と目的地が一緒で、経由地(ルート)が違うだけ」というニュアンスがあるのかなということでした。気賀関所 (2016)によれば、幕府は地震が起こる前から「本坂通」の街道を「東海道」として整備していたということなので、「東海道の一部にルートが2つあって、浜通り(仮称)と本坂通りだよ」というニュアンスだったのではないでしょうか。
  • 3点目に、「今現在どうなっているか」という点が気になりました。google mapでみると、「姫街道」は浜松市の県道261号線県道314号線および国道257号線や、豊川市の県道5号線の別名として2016年現在でも使われているようで、ストリートビューで見ると、「姫街道」と記した道路標識が確認できます。例えば、Google Maps – 元追分交差点 (Map). Cartography by Google, Inc. Google, Inc. 2016年11月15日閲覧の道路の西側にあるのが見えます。あと国道362号線も姫街道のルートにあたりますが、ここはWikipediaの記事によると通称「本坂街道」とされているそうです(出典は未確認)。
外部の私設サイトによると、本坂峠は1915年に旧本坂トンネルが出来て峠越えしなくてよくなり、更に1978年に新本坂トンネルが出来て、旧本坂トンネルもさびれており、「姫街道」にちなんで「女性の幽霊が出没する」心霊スポットになっているらしいです。「本坂越」の名称がすたれて、特に本坂峠から離れた場所では「姫街道」の名前が定着しているのも無理からぬことなのかもしれない、と思いましたし、また国や県の道路行政としては「姫街道」が正しいということでもあると思います。
  • まとめですが、歴史的な経緯に鑑みると、昔の時期に限って記事を書くのであれば、「本坂越」ないし「本坂通」という記事名がよく、「本坂道」はあまりよくないと思いますが、現存する「姫街道」のことを記事の対象と考えるとすれば、今までどおりの「姫街道 」がよく、また「東海道」が付されていても支障ないのではないかと思いました。改名提案に間に合いませんでしたが、上記の静岡県教育委員会 (1980)をはじめ、いくつか文献をあたられてから改名した方がいいか、再考されてもいいのではないかと思います。以上長文失礼しました。--宇井木辺出夫会話2016年11月15日 (火) 13:44 (UTC)返信

改名の提案 編集

 

提案 編集

  提案 上の議論にて、ムカイ氏、宇井木辺出夫氏、As6022014氏、及び小生による、意見が提示されたことから、「姫街道 (東海道)」の改名提案を行います。改名案の候補はひとまず「本坂通」、「本坂道」そして「姫街道」の3案を提示することとします。 結論に急ぐ必要はないと考えていますので議論は短期間でなく、ある程度の時間を経てからその是非と候補を求めたいと考えています。

改名案(「本坂通」、「本坂道」そして「姫街道」)についての議論は、上の

 ノート:姫街道 (東海道)#記事名は「本坂道」・「姫街道 (東海道)」・「姫街道(本坂道)」が相応しいか 

にて、続けていただきたいと思います。皆さまのご意見・ご教示をお待ちしております。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月15日 (火) 08:59 (UTC)返信

意見 編集

  • 改名に  賛成 『名倉 巽家所蔵文書』(『日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上』p99『細江町史 資料編』)には「今切之渡海広罷成リ候故、浪荒渡船不自由有之候ニ付、本坂越御通り繁御座候」とあって、宝永地震に関する公儀への差出文書では「本坂」「本坂通」「本坂越」が確認できます。一方で後世に編纂された地誌『ふるさと豊田』『ふるさと百話 姫街道の今昔』では「姫街道」が現れます。口語として一般に「姫街道」と呼ばれていたのでしょう。『日本歴史地名大系 愛知県の地名』p36には「本坂道」の項目があり、「姫街道」は俗称であり文書には現れず、近世の正式文書に現われるのは「本坂越」「本坂通」「本坂道」「本坂海道」であるとしています。遠江と三河の国境(現・静岡県と愛知県の県境)の峠を経由する街道であるから「本坂越」となったのでしょう。現在でも本坂トンネルなど、「本坂」が使用されており、正式と認められる名称を記事名にするのが妥当と考えます。江戸時代の名称が「本坂」で、現代が「姫街道」という訳でなく、江戸時代も現代も双方の名称が使用されているのは事実です。改名の候補は「本坂越」「本坂通」「本坂道」「本坂海道」何れでも構わないと思いますが、ここまでの議論では「本坂通」が優勢のように思います。--As6022014会話2016年11月16日 (水) 01:02 (UTC)返信

  賛成 提案者として改名意見に賛成します。

  1. まず、As6022014さんの報告による古文書資料や市史資料により、歴史的資料に「本坂」、「本坂通」の記述が確認できることが挙げられます。
  2. 次に、「姫街道」の呼称の利用状況ですが、宇井木辺出夫さんより、地元のホームページによる使用例があげられていますが、「本坂」、「本坂通」を排して「姫街道」としているわけではなく、「姫街道」はあくまで通称として扱っているものと思います(浜松市ホーム―ページの松並木の説明など)。
  3. また、改名の理由には「姫街道」の用語の曖昧性が挙げられます。「姫街道」と呼称されるものが、他に「中山道」や「下仁田通」があげられます。「下仁田通」については、群馬県下仁田町のホームページにて「姫街道もみじライン」の説明にてその用語の使用が確認できます。この点は本坂通の行程を説明している記事のみを『姫街道』とするべきではなく、『姫街道』を曖昧回避のページとするべきと考えます。
  4. 最後に、歴史的資料としてはAs6022014さんの提示した資料の他、郵政博物館所蔵『本坂道分間延絵図』、天保元年前後の『本坂通宿村大概帳』の存在があげられ、また、明和元年(1769)9月に幕府が『本坂通』を道中奉行の管轄としたとする歴史的経緯から、「本坂道」、「本坂通」の用語の有効性が認められます。

現記事名である「姫街道(東海道)」の名称についてですが、管見による資料で本道を「姫街道(東海道)」と呼称する用語は全く確認できていず、本行程を示す道路を指す用語は、「本坂越」、「本坂道」、「本坂通」、「本坂海道」、「本坂街道」、「姫街道」ぐらいになります。したがって、これまでの挙げられた資料と議論の経緯から、記事名を改変することに賛成します。また、改変候補は、「本坂越」、「本坂道」、「本坂通」、「本坂海道」、「本坂街道」があげられますが、「本坂通」の使用が妥当と思われます。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月17日 (木) 16:08 (UTC)..一部修正--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月17日 (木) 16:16 (UTC)返信

  追記 3についてですが、本坂(通)、中山道、下仁田通の他、追分街道を姫街道と呼ばれていたとの記述を確認しました。

  コメント 「結論を急がない」とされていたので、調べ終わってからなのかな、と思っていましたが…、例えば以下のような点が気になっています。
  1. 気賀関所(2016)に書いてあった、「1601年に『東海道本坂越』と命名された」という記述の典拠。本当に「東海道」を冠しているのか。もし「東海道の一部」として整備されたのであれば、冒頭湖紫陽(koshi2016)さんの「本坂道は、東海道の脇往還ではあるが東海道ではないため、記事名として、姫街道(東海道)は、適当ではないと考えます。」というお話がありましたが、「姫街道 (東海道)」のままでもいいのでは、とも思っています。
  2. 外部サイトで見かけた、「静岡側の3つのルートはそれぞれ『本坂通』『浜松道』『池田道』と呼ばれていて、3つとも『姫街道』と呼ばれていた(池田道は江戸中期に廃された)」というお話。今現在、土木行政における「愛称」はそうなっているらしく、地図上の表記にもなっています。
  3. 本坂通の読み方は「ほんざかどおり」なのか「ほんざかどおし」なのか。
  4. 投票はしませんが、本坂のほうは本坂○の「○」のところが一貫性に欠けている印象があるし、地味な印象を受けます。1914年にトンネルが出来て道がさびれてしまい、1980年代に史跡として見直されてから地元自治体が「姫街道」で派手に売り出して名前がよく知られるようになった(その際、「本坂」も「越」から「道」や「通り」にシフトした)のかな、という印象もあるので(例えばこの記事の下の方)、歴史的な(昔の)ことだけ書く記事にするのか、今の「姫街道」についてはどうするのか(同じ記事にするのか、別記事にするのか)といったところも、気にしていただけたらいいかな、と思います。また「正式名称」は、経緯を調べると何をもって「正式名称」とするのか、非常にあやふやだと思いますので、WP:NC#記事名を付けるには5要件でご判断いただきたいです。以上です。どうも長々とお邪魔いたしました。--宇井木辺出夫会話2016年11月19日 (土) 13:42 (UTC)返信

議論1 編集

  まず初めに、「結論を急がない」とは、期間を決めて改名の是非の結論には急がないということです。大半が改名を妥当とすれば改名を進める予定ですが、小生の意見とは異なる意見が大半を占める場合は、その結論に至るでしょう。
  • さて、2についてです。提示された問題は、「姫街道」の曖昧性を示しているといえます。行程の違い、道路の違い(中山道、下仁田通、追分街道など)の存在があげられる事は、記事名としての妥当性を疑うものです。
「姫街道」の記事名は、先述した「善光寺街道」や「大山道」に類した状況であり、また「姫街道」と「本坂通」の関係は、「大山道」と「矢倉沢往還」との関係のようなものと言えます。
  • 1については、1601年の命名を重視しているようですが、その場合は、「姫街道(東海道)」の存続とするのではなく、「東海道本坂越」にするべしと提案するのが自然です。
ところで、正徳6年(1716年)4月の幕府による街道呼称整備以降による名称、明和元年(1769年)道中奉行による管轄となった「本坂通」、天保年代の『本坂通宿村大概帳』の存在から、「本坂通」の妥当性は求められます。
  • 4については、道路表記の一貫性についてですが、例えば、中山道には、中仙道、仲仙道、木曽路、木曽街道。甲州街道には甲州道中。日光街道には日光道中。奥州街道には奥州道中があり、また水戸街道には水戸海道、水戸道中、陸前浜街道などがあります。街道・脇往還には、海道・街道・道中・通・路・道などの呼び方があることは自然です。したがって、「本坂〇」を一貫性なしとして、その名称は不適正とされることには反対です。
逆に、宇井木辺出夫さんが提示した1601年の「東海道本坂越」の命名、そして幕府による「本坂道分間延絵図」、天保年代の『本坂通宿村大概帳』および、As6022014さんにより提出された古文書資料にて、「本坂」にて一貫性がみられます。
  • したがって、1は反対、2(の前半)を改名提案反対の根拠とするのであれば反対、4の一貫性についてのお話には反対します。
これらの問題を解決するためには、2の問題に関わる記事を現在の「姫街道」にて展開し、「本坂通」に相当する記事は現姫街道 (東海道)(改名後「本坂通」など)にて記事を展開する。改名候補は、これまでにの議論で提示された資料から「本坂通」に妥当性が求められると考えます。
  • 4の後半にて、コメントがあった件について、私案は、「本坂通」(現「姫街道 (東海道)」)では歴史的な項目を中心とし、現「姫街道」にて、現在の姫街道の社会的・経済的・環境的な記事の展開を考えています。記事の関係としては、時系列にとらえれば、例えば「千住宿」→「千住町」→「足立区」のように、「本坂通」→「姫街道」との関係も想定しているところですが、その点は、適切な記事中に加筆すればよいと考えています。
  追記 五街道時代の街道記事内容について追記します。
  • 多くの五街道・脇街道の記事は、五街道時代から明治維新前後までを中心に記事を展開し、現在の平行する道路を提示しています。明治以降から現在の政治・経済・社会・環境に関わる道路記事を中心としたものは、プロジェクト:道路の一般道路記事にてその説明が行われています。
  • 「姫街道」の呼称を示す文書は、現在江戸幕府の公文書からはなく、幕末に民間の記録から見つかっているとの歴史的背景から、五街道時代の脇街道の記事の記事名として「姫街道」の採用ではなく、「本坂○○」の使用が適切です。
  • 宇井木辺出夫(会話)さんの、 2016年11月19日 (土) 13:42 (UTC)によるコメントの一部にある

1914年にトンネルが出来て道がさびれてしまい、1980年代に史跡として見直されてから地元自治体が「姫街道」で派手に売り出して名前がよく知られるようになった…(中略)…歴史的な(昔の)ことだけ書く記事にするのか、今の「姫街道」についてはどうするのか(同じ記事にするのか、別記事にするのか)といったところも、気にしていただけたらいいかな、と思います。

この件については、「本坂○○(現「姫街道 (東海道)」)」では五街道時代の記事を中心とし、「姫街道」では複数の「姫街道」の呼称についての説明すればよいと思います。また、明治以降現在までの姫街道に関わる記事は、「姫街道」のなかに入れるか、プロジェクト:道路の一般道路記事にて説明することで問題は解決します。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月20日 (日) 10:48 (UTC)返信
  追記② 宇井木辺出夫さんにより、提示された「土木行政では「愛称」となっているらしく」との点について追記します。
「今現在、土木行政における「愛称」・・・」との一文にリンク付けされていたHPによると、浜松市では「姫街道」を愛称としていることはわかりますが、括弧付けにて(本坂通り)の名前がついています。この点から「姫街道」のみに注目し、「本坂通」についての指摘がないコメントに疑問を覚えるところです。
また、「土木行政に・・・」とのお話があったことから、国土交通省のホームページを調べてたところ、平成17年度の事業の一つである「地域プライド創発による地域づくりのあり方に関する調査」を確認すると、地域プライド一覧の調査結果の中の293頁にて、「本坂通が正式な名称だが、東海道新居関を避けて女性たちが多く利用したことから姫街道の名があるという。」との一文が確認できることを指摘しておきます。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月20日 (日) 21:43 (UTC) 誤字訂正--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月20日 (日) 22:30 (UTC)返信
土木行政では現在でも「姫街道」は「愛称」であることが明らかになったわけです。つまり、「西瀬戸自動車道」と「しまなみ街道」との関係に類似しているのであって、それは江戸時代も現代も同じであるということの証左となります。--As6022014会話) 2016年11月21日 (月) 06:06 (UTC)また、本記事の特筆性は江戸時代において迂回路として使用された経緯に重点があるのではないでしょうか。現在の道路記事としては特筆性を担保するのは今の所難しいように思います。たとえ、「本坂通」の名称は時代色が強いという印象があったとしても、やはり「本坂通」の方に軍配が揚るように感じます。--As6022014会話2016年11月21日 (月) 06:11 (UTC)返信
  追記③および  報告 『姫街道』の曖昧性の問題について、新たな情報を確認できた事を報告します。
  • 姫街道と呼称されている道路には、「本坂通」の他、「中山道」、「下仁田通」の他に、「追分街道」、「佐屋路」、「平針街道・岡崎街道」で別称として「姫街道」と呼称されていることがわかりました(情報は、姫街道のページに追加しています)。
  • 現在、中山道では、岐阜県(美濃加茂市)にて「平成姫街道プログラム事業」がすすめられており、下仁田通では群馬県(下仁田町)にて「姫街道もみじライン」があり、愛知県(名古屋市)の平針街道では、姫街道(旧平針街道)との道路標識がありました。
  • この結果より、現在浜名湖周辺の本坂通で「姫街道」の語に愛着を持って使用しているといえますが、その他の地域でも中山道、下仁田通、平針・岡崎街道にても「愛称」として使用されている事は明らかです。現状では「姫街道」は曖昧性の問題を持つ記事名であることが濃厚となったといえます。
  • したがって、小生はAs6022014さんのコメントに賛成し、現記事名の改名を改めて支持します。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月21日 (月) 13:42 (UTC)返信
  コメント 湖紫陽(koshi2016)さんのコメント拝見して「なるほど」と思いましたが、国道1号東海道などを見ますと、明治以降の歴史は、新しい方の記事に書くことになっているのですね。それはいい割り切りだなと思いました。それであれば私からのご提案は下記のとおりです。
  1. 本坂通(いまはリダイレクトページ)に「五街道時代から明治維新前後まで」のことを書く(いまの姫街道 (東海道)の記事にある内容をほぼそのまま転記する)
  2. 姫街道 (東海道)には、明治以降の歴史を書く。
  3. 姫街道は他県の「姫街道」との曖昧さ回避に使用する。
湖紫陽さんは、『明治以降現在までの姫街道に関わる記事は、「姫街道」のなかに入れるか、プロジェクト:道路の一般道路記事にて説明することで問題は解決します。』としておられますが、「プロジェクト:道路の一般道路記事」では、姫街道に相当する道路は5-6本に分かれていますから、各記事にそれぞれの歴史を書くと細切れになりますし、「姫街道」は他県の姫街道の記述とあわさることになるので、むしろあまり書かずに曖昧さ回避を主眼として、呼称が一般化した年代とも対応している「姫街道 (東海道)」に明治以降の歴史を書く、ということで、これで万事スッキリして、ムカイさんのご懸念も晴れるかなと思いましたが、いかがでしょうか。
なお湖紫陽さんとAs6022014さんのコメントを拝見していて、現行土木行政の「正式名称」等について少し語弊があるように思いましたが、対応する経路:現在の正式名称:愛称は、私の認識している限りでは下記のとおりです
以上です。ご検討よろしくお願いいたします。--宇井木辺出夫会話2016年11月22日 (火) 16:04 (UTC)返信

   インデントを戻します。 宇井木辺出夫さんのご提案ありがとうございます。ご提案に対し小生の意見を示します。

  • 3の「姫街道は他県の「姫街道」との曖昧さ回避に使用する。」とのコメントは賛成するものです。具体的な内容については既に上述しているため、ここでは控えます。
  • 1の「本坂通(いまはリダイレクトページ)に「五街道時代から明治維新前後まで」のことを書く」については、先のAs6022014さんのコメントと、「本坂通」の歴史的背景とwikipediaでの五街道時代の街道記事の扱いから賛成します。
  • 2については、一部反論、一部賛成になります。それは、記事内容については賛成ですが、記事名については異論があります。その理由に2つのポイントがあります。
  • まず、1点目に、記事名の一般性です。「姫街道(東海道)」という用語が、管見による資料からでは全く確認できないためです。「東海道本坂越」の語はありますが、「姫街道(東海道)」との名称はありません(おそらく記事作成時の造語ではと推測しています)。したがって、「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」が多数です。また、先日宇井木辺出夫さんにより、提示された浜松市の資料を基にしたリストによると「姫街道(本坂通り)」になります。
  • そして、2点目に、記事名の曖昧性の問題です。「姫街道(東海道)」を改名しなければ、本坂通につながりのないが、姫街道との呼称を持つ東海道の脇往還である岡崎街道・平針街道(愛知県)、佐屋路(愛知県-三重県)が含まれることになり、曖昧性の問題は解決しません。
  • したがって、明治以降の浜名湖周辺の「姫街道」を目的とし記事を作成するのであれば、「本坂通(姫街道)」は候補名からはずされるべきと思います。適切な記事名といえるのは、「姫街道(本坂通)」あるいは「姫街道(本坂通り)」ではないでしょうか。ご提案には全体的に賛成ですが、一部「姫街道(東海道)」の改名の必要があると言え、改名候補が求められます。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月22日 (火) 17:16 (UTC)返信

  追記 記事改名と記事内容についての意見を整理します。

  1. 全国に見られる姫街道の記事内容は「姫街道」で行う。
  2. 本坂通に関わる記事(明治維新前後まで)は「本坂通」に転載する。
  3. 「姫街道(東海道)」⇒「姫街道(本坂通)」と改名し、記事内容を明治以降現在の「本坂通」に相当する「姫街道」とする(記事改名の理由は、上述の(利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)(利用者‐会話:Koshi2016|会話) 2016年11月22日 (火) 17:16 (UTC)による)。
したがって、記事改名を提案し、改名候補は「姫街道(本坂通)」を提案します。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月23日 (水) 05:34 (UTC)返信

  質問 しかし、現状で明治以降現在の特筆性のもつ記事はあるのでしょうか。既にどこかに記事がある、あるいは宇井木辺出夫さんが執筆予定あるというのであれば問題ないでしょうが、確認する限り現状のままであるのなら、記事内容を明治以降現在の「本坂通」とする「姫街道(東海道)は、サブスタブ記事となり削除候補となりかねないと思います(小生は明治以降現在については関心がないので執筆予定はありません。)。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月23日 (水) 05:54 (UTC)一部追加--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月23日 (水) 06:26 (UTC)返信

議論2 編集

  こんにちは、私のアラームが点灯していましたので参りました。思いのほか議論が進んでおられるようで、なによりです。
さて、“適切な記事名といえるのは、「姫街道(本坂通)」あるいは「姫街道(本坂通り)」ではないでしょうか。”(湖紫陽さん2016年11月22日 (火) 17:16 (UTC)より)とのことついてですが、以前“WP:NCでは、“記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。”(WP:COMMONNAMEより抜粋引用)とありますので、「姫街道(本坂道)」や「本坂道(姫街道)」は案から外れることになります。”と、私からご指摘させていただきましたように、別名、通称、言わずもがな正式名称などを併記してはならないことがガイドラインによって推奨されています。これを踏まえてのご提案でいらっしゃるという前提で質問させていただきますが、「姫街道(本坂通)」・「姫街道(本坂通り)」は、明治以降の公道を記述する記事にする、ということでしょうか?--ムカイ会話2016年11月23日 (水) 09:34 (UTC)返信
  ムカイさん、お久しぶりです。
個人的な意見としては、ムカイさんが指摘されたWP:NC基本に考えています。したがって、湖紫陽(koshi2016)(会話) 2016年11月20日 (日) 10:48 (UTC)にあげた、「また、明治以降現在までの姫街道に関わる記事は、「姫街道」のなかに入れるか、プロジェクト:道路の一般道路記事にて説明することで問題は解決します。」になります。
しかし、「姫街道 (東海道)には、明治以降の歴史を書く。」とする、宇井木辺出夫さんの提案の有効性も見られことから、および地名よる名づけ方、実例としては、宿名には太田宿 - 太田宿 (中山道),太田宿 (日光例幣使街道)、街道名には北国街道 - 北国街道 (信越),北国街道 (近江)にならい上記のコメントをあげているところです。
個人的な意見としては、現在明治以降現在に至る記事が見られない状況である限り、「姫街道 (東海道)」⇒「本坂通」とし、曖昧さの問題のある記事内容は「姫街道にて加筆することを想定しています。そして明治以降の「姫街道」に関わる政治・経済・社会・環境的な事業や様相は、概要的な内容(例えば東海道のような内容。)であれば「本坂通」の記事や、各自治体の記事、プロジェクト:道路で扱っている一般道路にて扱えばよいと考えています。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月23日 (水) 11:05 (UTC)edit --湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月23日 (水) 11:16 (UTC)返信
  追加、改めて(元々の)個人的な意見では、
  • (現)「姫街道(東海道)」 → (新)転送頁とし、「本坂通」への転送。(「姫街道(東海道)」へリンクづけられた記事とのリンク切れの問題が起らない。)
  • (現)「本坂通」(現転送頁) → (新)「姫街道(東海道)」の内容を「本坂通」へ転載とする。
  • (現)「姫街道」→(新)、Template:Otheruses の貼り付けたうえで、全国の姫街道についての紹介記事とする。
とすればよいのでは考えているところです。
この意見で問題なければ、改名の必要はなくなると考えています。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月23日 (水) 12:18 (UTC)返信
  どうも、ご無沙汰しておりました。私が思っている以上に本件は難しいようですね。
皆さんのやり取りから私が考えているもっとも簡単な解決策は、「姫街道_(東海道)」の記事の定義に続けて「正式には「本坂道」(ほんさかみち)というが、本項では通称である「姫街道」で記述する。」など一文を加えるだけ、というものです。奥の手として気に止めておいていただけますと幸いです。
さて、先ほど湖紫陽さんへコメントさせていただきましたが、いささか私の質問の仕方が拙かったようです。
2つ伺いことがあり
  1. ―記事名候補「姫街道(本坂通)」は括弧内が「本坂通」という別名(正式名称ですが)では?もしそうであれば、どのような理由(具体的にはどのガイドラインをご参考なのか、とかです)で適切と判断されているのか―
  2. ―「姫街道(本坂通)」という記事は本坂通りという大きな一般道があって、そこの「姫街道」という限定された区間についての記事になるのか―
という内容の質問をしたかったのですが、読み返してみたら質問内容がおかしなことになっており、申しわけありません。
1つ目の質問については、もう少しご検討いただきたいところです。2のように質問したかったことについては、私の事実誤認のようですね。
2016年11月23日 (水) 12:18 (UTC)でご提案の件ですが、つまり
  1. 姫街道 (東海道)」を「本坂通」(リダイレクト)に統合
  2. 「姫街道 (東海道)」をリダイレクトにする。
ということでしょうか?「本坂通」が記事名として特に問題ないようでしたら、ページの統合という方向でも私はよいと思います。
宇井木辺出夫さんへ。こんにちは、よろしくお願いいたします。
当方はまったく専門外なのでよくわかりませんが、明治以降の歴史に関して姫街道 (東海道)に記述するということについては、宇井木辺出夫さんの方でスタブではない相応の記事を執筆していただけるということであれば、それもよいかと思います。--ムカイ会話2016年11月23日 (水) 14:56 (UTC)返信
  1番目の質問について、理解しかねる点が少々あったのですが、本坂通が正式名称である根拠を求めているのか、それとも候補名を「姫街道(本坂通)」とするガイドラインにおける根拠かと思います。
  • 前者であれば、既にコメントをしていますが追加情報も用意できているので、ムカイさんの返答後に投稿は用意できています。
  • 明治以降の歴史に関しての記述を重視するであれば(ただし、現状では姫街道 (東海道)に明治以降の記事はほとんどない)、本坂通だけでなく、他の街道でも記事作成の可能性はあります。その理由は(湖紫陽(koshi2016)(会話) 2016年11月21日 (月) 13:42 (UTC))にてコメントしています。
  • その場合は、本坂通以外でも作成される記事がありえるわけであるのだから、姫街道から、本坂通については「姫街道(本坂通)」、中山道は「姫街道(中山道)」、下仁田通は「姫街道(下仁田通)」、追分街道は「姫街道(追分街道)」、佐屋路は「姫街道(佐屋路)」、岡崎街道は「姫街道(岡崎街道)」とすることができます。
  • こんにちは。ムカイさんに置かれましては、お呼び立てしてしまい、申し訳ございません。湖紫陽さんが何度か言及されていますが、「姫街道 (本坂通)」のカッコ内はあくまで曖昧さ回避を主眼としたものですが、「(東海道)」とすると、同じ東海道の他に「姫街道」という別名のある道(佐屋街道岡崎街道[1]平針街道[2])との曖昧さ回避の面で問題があるのではないか、というお話です。「姫街道 (浜松市)」みたいな書き方もあると思いますが、本記事は県境を跨ぐし、なかなか難しいですね。街道名で曖昧さ回避するのであれば、「姫街道 (旧東海道本坂越)」ないし「姫街道 (旧東海道本坂通)」のように、(1)「(本坂通)」だけだと「東海道」の姫街道を特定していることがわかりづらいので、「東海道」まで記す(2)「旧」を付けて最近の話題を扱っている(昔のことは別記事になる)ということを示唆する…ようにした方がいいかなと思っています。
  • 「トピックがないのではないか」という点は、「旧本坂トンネル・本坂トンネル」「姫街道を守る会」「『歴史の道』事業」「姫様道中」「気賀関所(観光施設)」「その他の史跡」などに言及することを考えています(そんなに深く書くつもりはないです。私はただの通りすがりなので)。
  • 「姫街道」の曖昧さ回避の記事に色々書くのは、あまり方向性としてよくないと思っています。「姫街道」の語はもともと一般名詞的な側面があり、各地に別名「姫街道」が存在するのに、浜松の姫街道について固有名詞的に近い形で使われているために話がややこしくなっているものと考えています。曖昧さ回避のページで、浜松の固有名詞的な使われ方に付随する内容を記せば、山手線方式に近くなってしまうのではないでしょうか。むしろ、今よりもっと素っ気ない記事にした方がいいのではないかと考えています。
  • As6022014さんのご意見はいかがですか。--宇井木辺出夫会話2016年11月24日 (木) 04:35 (UTC)返信
現在の土木行政における正式名称は「国道○○号」「県道○○号」となるでしょうけど、元江戸時代の「本坂通」に相当するものは宇井木辺出夫が挙げられた通り、現在の一本の連続した「国道○○号」などに相当するわけでは無く、当時の「本坂通」に相当するものについて現在の道路記事として記述するのは難しいと感じております。もちろん誰か執筆していただけるならそれを妨げることはありませんが。現状の本記事の内容は歴史的な「本坂通」(口語では姫街道)に関する内容として特筆性を担保しているという考えに変わりはありませんので、記事名を「本坂通」に改名または現リダイレクトに転記?が相当と考えます。現状の「姫街道」に何某かを記述するのであれば「曖昧さ回避」を解除して一般記事形式にしてしまう選択肢も有り得ます。前例慶長大地震。そこに各地の別名「姫街道」、浜松の固有名詞的に使用されている「姫街道」を記述し、「話がややこしくなっている点」を閲覧者に分かりやすく解説するのも一つの手ではないでしょうか。「姫街道を守る会」「『歴史の道』事業」などに関しての記述も有り得るでしょう。「姫街道(本坂通)」の記事名は賛成できません。曖昧さ回避のカッコ内はあくまで同一文字列の記事を複数作成することが出来ないシステム上の措置であって、カッコ内は解説では無いので。また対立する2つの名称の折衷案として使われるべきでもないので。--As6022014会話2016年11月24日 (木) 05:59 (UTC)返信
   宇井木辺出夫さんの「姫街道 (旧東海道本坂越)」ないし「姫街道 (旧東海道本坂通)」と、「東海道」を含ませることに拘るご意見には反対です。それでは、東海道を含ませた名称を示す出典はどれだけあるのでしょうか。宇井木辺出夫さんの根拠は「東海道本坂越」をあげられたのみです。
一方で、すでにあげた資料と重なるものもありますが、
  • 国土交通省による資料
国土交通省の、平成17年度事業『地域プライド創発による地域づくりのあり方に関する調査』の「地域プライド一覧の調査結果」293頁にて、「本坂通が正式な名称だが、東海道新居関を避けて女性たちが多く利用したことから姫街道の名があるという。」。
  • 浜松市による資料
「江戸時代までは公的には「本坂通」と呼ばれていました。」(浜松市文化財情報103、2016、8、15)
「江戸時代には、正式には「本坂通」と呼ばれていました。当時は安間新田村(東区安新町)あるいは浜松宿(中区連尺交差点)で東海道と分岐し、浜名湖北岸を通って本坂峠を越え、御油宿あるいは吉田宿(豊橋)で東海道と合流していました。」(浜松市文化財情報13、2009、5、15)
とあり、「東海道本坂通」の語を用いられておらず、「本坂通」の語で説明されています。
  • 宇井木辺出夫さんの理屈でいえば、出典による根拠が薄い現状でありながらも数多くある脇往還及び脇街道の頭には本線の道路名を付さなければならないとなり、五街道の東海道だけでも中原街道、金沢道、本坂通、美濃路、佐屋路などがありこれらの記事名も同様に頭に東海道を付ける必要があるというつもりなのか・・・との疑問が浮かびます。出典から、東海道本坂通はみあたらず、本坂通の使用が一般的であるのにかかわらずもです。そこに拘るのはあまりにも不自然です。
  • 姫街道記事をご覧になっていただければわかると思うのですが、曖昧さ回避のページとはなっていません。「姫街道」の語がもたらす曖昧性を解決する一般記事形式です。As6022014さんのコメントにあるように、『そこに各地の別名「姫街道」、浜松の固有名詞的に使用されている「姫街道」を記述し、「話がややこしくなっている点」を閲覧者に分かりやすく解説する』頁にすることに賛成です。
  • 現在の道路記事について、さらっと書く程度であれば、「本坂通(現「姫街道(東海道)」)」かTemplate:Otheruses を貼り付けた「姫街道」にて説明すればよいと思います。
  • 宇井木辺出夫さん他の方々が現在の道路記述を行うことを妨げるものはないと思いますが、記事名の「東海道」への拘り、「姫街道」の頁の扱いに関する意見には反対であり、逆に基本的に、As6022014さんの意見に賛成です。「姫街道(○○)」の記事は必要がなく、「本坂通」、「姫街道」の2つの記事にて整理すれば、問題は解決すると思います。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月24日 (木) 08:50 (UTC)返信

  ここで、記事名疑問者および改名提案者として議論の経緯から以下のように考えます。

1:正式名称について。

歴史的背景
  • 道中奉行所正徳6年(1716年)4月の幕府による街道呼称整備
  • 明和元年(1769年)道中奉行による管轄
  • 「本坂通宿村大概帳」、「本坂道分間延絵図控」
現在の扱い
  • 国土交通省の資料
  • 浜松市の資料
「本坂通」が正式名称であることは、歴史的にも公的にも認められる。
(小生は提案当初「本坂道」と誤認、集められた資料より「本坂通」)

2:「姫街道」の用語の曖昧性

*本坂通、中山道、平針街道、岡崎街道、佐屋路、下仁田通、追分街道、千国街道の存在(全て出典あり)
したがって、曖昧性は明らかである。

3:一貫性

「本坂」の語はこれまで提示した資料から一貫性がある。

4:記事名に「東海道」を含ませること

「東海道本坂越」のみしか根拠が提示されておらず、一般的に使用されているのは「本坂通」、「本坂道」である。「東海道」を付ける具体的な根拠となる出典の提示が十分ではない。

5:Wikipedia:記事名の付け方の5つの基準からの検証。

-1:「本坂通」
  • 認知度が高い - 歴史的・学術的・公的にも正式名称と認められていることから問題なし。
  • 見つけやすい - 正式名称として一般的に認識されている。
  • 曖昧でない - 具体的で明確。
  • 簡潔 - 短く、簡潔。
  • 首尾一貫している - 「姫街道」の別称を持つ街道の扱い、「東海道の脇街道」における扱いにおいて「本坂通」の記事名は同じ扱いで問題なし。
-2:「姫街道」
  • 曖昧性、簡潔、首尾一貫に問題がある。
-3:「東海道」を含む記事名
  • 認知度が高い、見つけやすい、簡潔、首尾一貫に問題がある。

これらの議論の経緯から、新たな具体的な根拠となる出典が示されない限り、記事名は「本坂通」がふさわしいと考えます。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月25日 (金) 07:47 (UTC)-細部編集--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月25日 (金) 13:03 (UTC)返信

  皆さん、こんにちは。またまた、わかりづらい質問をしてしまったようで申しわけありません。
私からは不要必要の言及は避けますが、ただひとつ、「姫街道 (本坂通)」という改名案について引っかかったところがあり「[[項目名 (別名)]]」ではありませんか?という質問をいたしました。これにつきましては、湖紫陽さん 2016年11月23日 (水) 16:58 (UTC)、宇井木辺出夫さん 2016年11月24日 (木) 04:35 (UTC)から、明解な回答をいただいて、そうではなく「[[姫街道 (姫街道のある道の名前)]]」という意味での「姫街道 (本坂通)」への改名案であることがはっきりとわかりました。どうもお手を煩わせました。
ここからは一般の利用者の視点としてコメントいたしますが、まず「[[姫街道 (姫街道のある道の名前)]]」であることはわかったのですが、私はノートの始めの方で提案者の湖紫陽さんが本坂通(当初は本坂道)を姫街道の正式名称として改名提案を発案しておられたことを認識しておりますので、私は暫く「[[項目名 (別名)]]」という意味での「[[姫街道 (本坂通)]]」とみえておりました。なので、「[[姫街道 (本坂通)]]」に改名したときに、姫街道に限ってはほかの利用者の傍目からはガイドライン(記事名の付け方)で好ましくないとされる「[[項目名 (別名)]]」に見えるのではないかと思いました。「[[姫街道 (本坂通)]]」などそれに類似する案の問題に思う点については以上です。
一方、宇井木辺出夫さんが「姫街道」という名詞が固有名詞ではなく一般名詞だとおっしゃるように、「姫街道」に対して当初、私は一般名詞つまり「脇街道」の一種や別名だと認識しました。
そのため、ある程度でも知られた正式名称があるのであれば、一般名詞などの曖昧さ回避を必要とする(半角括弧をつけなければならないような)項目名をあえてつける必要はないのでは?と思います。--ムカイ会話2016年11月25日 (金) 14:48 (UTC)返信
  質問 ムカイさん、質問というより確認なのですが、[[姫街道 (本坂通)]]を当初の一案として「通称(正式名称)」をあげていたことを理解していただけたということでしょうか。(ただ、現意見は、「姫街道 (東海道)」と「本坂通」を 統合提案(項目一部転記)し、記事名は「本坂通」とし、姫街道の別称をもつ街道は「姫街道」で説明とする意見になります)。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月25日 (金) 16:03 (UTC)返信
  コメント私は多少調べた結果むしろ、「浜松などでは現在、固有名詞的に「姫街道」という呼称が使われているので、江戸時代の呼称である「本坂通」「本坂越」ないし「本坂道」に改名すべきでない、許容できる割り切りは、江戸時代のことを「本坂通」に記し、明治以降のことは「姫街道 (東海道)」に書く、という並存までで、どちらか1つにするのであれば、改名せず「姫街道 (東海道)」を存置した方がいい、と考えるに至りました。
  • 歴史的にみると、「本坂○」の名称は、江戸時代には幕府により使用され、姫街道は俗称とされていましたが、『明治期以降は「姫街道」の名称が一般的に用いられるようになった』とされています。例えば、中部日本新聞社編『日本の街道』人物往来社、1963年では、街道名を「姫街道」とし、江戸時代からの旧道は「旧姫街道」明治以降の新道は「新姫街道」と呼ばれているが、地元の人は旧道だけを姫街道と呼んでいる、としています。また静岡新聞社編・出版『ふるさと百話 第7巻』1972年では、「姫街道の今昔」の中で、「近年では、本坂道という名前よりも、姫街道の名の方が有名だ」とされています。
  • google scholar検索、CiNii検索の結果については既述のとおりで、「最も認知度が高い」のは「姫街道」ですし、国会図書館の蔵書検索[http://www.ndl.go.jp/]もしてみましたが、「姫街道」213件「本坂越」4件「本坂通」39件「本坂道」14件「本坂街道」2件と「姫街道」の用例が圧倒的に多くなっています。Wikipediaの他の記事から、本記事への内部リンクの件数でも、本日現在で、姫街道 70件 本坂越 0件 本坂通 2件 本坂道 3件 本坂街道0件と、「姫街道」へのリンクが圧倒的に多くなっており、「本坂○」は他記事ではKoshi2016さんの編集以外ではほとんど用例がありませんから、改名すれば、「見付けにくく」なることは確実だと思います。
  • 明治以降、「姫街道」の呼称は、1889年に大日本帝国地理測量部(現国土地理院)が発行の2万分の1地形図や、1980年に静岡県教育委員会が作成した『歴史の道』調査報告書、国道・県道の愛称などにも採用されているので、官方が使用していることを「正式名称」というのであれば、現在では「固有名詞としての姫街道」は充分「正式名称」になっているように思います。
  • Koshi2016さんの改名理由は、「認知度が高い」と判断した理由を「歴史的・学術的・公的にも正式名称と認められていることから問題なし。」「見つけやすい」と判断した理由を「正式名称として一般的に認識されている。」としていることから、5要件について充分な根拠付けを行い、適切に判断したとは解釈し難いと思います。或いは、改名に都合が悪い結果は切り捨てられたのかもしれませんが、本件の場合、「認知度の低さ」や「見つけ難さ」に問題があるので、改名した方がいい、とは言い難いと思います。
    • また「正式名称だ」という言い切りは、そこで思考停止してしまっているように感じます。私は、「正式名称であること」を理由とした改名には反対ですし、特に「江戸時代に正式名称だったから」という理由で明治期以降の記事名を決めるのはおかしく、現在最も一般的な名称を優先させるべきだと思っています。
  • 名称が「本坂○」から「姫街道」に変化したのは幕末・明治の頃、とされていますし、プロジェクト:道路の割り切りとしても江戸時代までと明治期とで歴史を区分しているそうですので、「本坂通」と「姫街道 (東海道)」を並存させるのが妥当な選択ではないでしょうか。「本坂通」に片寄せすべきではないと思いますし、一般名詞的な「姫街道」の記事に、固有名詞的な「姫街道 (東海道)」の明治以降の歴史を書く、というのもおかしいと思います。
  • 名称の「(東海道)」については検討の余地があると思いますが、本記事と、カッコの付かない「姫街道」の記事の他に、「姫街道 (???)」という記事名の記事が存在しない現状では、「東海道」でも支障ないのではないか、という気もします。気賀関所(2016)の「東海道本坂越」の呼称のほかにも、渡辺和敏『東海道の宿場と交通』静岡新聞社、2000年、p.30などでも「本坂通は東海道に付属した道だった」とされていますから、「姫街道は東海道とは別の道」という捉え方はむしろ定説から外れているのではないでしょうか。--宇井木辺出夫会話2016年11月25日 (金) 16:24 (UTC)返信


  まず、宇井木辺出夫さんの意見には、問題があります。

  • 姫街道の持つ用語の問題点の解決ができていず、曖昧性、首尾一貫の解決できていない点です。まず、多数の「姫街道」が存在することについての曖昧性の解決ができていません。また、「東海道」の語は、他の東海道脇街道である佐屋路、岡崎街道・平針街道の姫街道との問題の曖昧性の解決できておらず、また、一貫性の問題も解決していません。
  • 正式名称だとする出典は国土交通省、浜松市以外の資料以外の提示していない資料の他にも確認はできています。
  • 渡辺氏の出典は、「本坂通は東海道に付属した道だった」とはありますが、東海道本坂通とはありません。ご存知だとは思いますが、東海道に付属する脇往還・脇街道は本坂通の他、中原街道、金沢道、美濃路、佐屋路などがありますが、記事名のつけ方はいかがでしょうか。宇井木辺出夫さんの意見は一貫性のある記事名のつけ方と言えません。 これらの曖昧性、一貫性の問題を覆すだけの出典が示されたとは言えません。
  • google scholar検索、CiNii検索から、「姫街道」の優位性をあげていますが、記事名として「姫街道」が削除されるわけではありません。「現姫街道」が残るのだから、「姫街道」→「本坂通」の流れはあり、その上曖昧性、一貫性の問題も解決される事から、確実にみつけにくくなるのではなく、どの街道を探しているのかがわかりやすくなると言えます。
  • したがって、宇井木辺出夫さんの発言には無理がありすぎるといえます。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年11月25日 (金) 17:38 (UTC)-細部編集。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月25日 (金) 18:37 (UTC)返信
  湖紫陽さんの2016年11月25日 (金) 16:03 (UTC)の質問へ返信
2016年11月25日の時点では姫街道 (本坂通)は「[[項目名 (項目名の事柄が所在する地名や分類などの名前)]]」という意味での名付けだという理解をいたしました。しかし、“[[姫街道 (本坂通)]]を当初の一案として「通称(正式名称)」をあげていたことを理解していただけたということでしょうか。”というご質問でまたわからなくなってしまいました。発案者の湖紫陽さんが[[姫街道 (本坂通)]]について「通称(正式名称)」という語句同士の関係で名付けていることが真意であるとすると、私の2016年11月25日時点の最新認識は誤りということになります。
2016年11月4日 (金) 14:43 (UTC)に一度指摘させていただきましたが「記事名の付け方」の“なお、記事名の括弧内に別名、原語、読み仮名(通称のほうを記事名としている場合には正式名称)を併記してはなりません。記事名の付け方#正式名称より抜粋引用)に従えば、姫街道 (本坂通)は案としては自動的に外れることになるので、その方向でいいのですか?という質問をしておりました。「記事名の付け方」はガイドラインであくまでも推奨ですから、十分な理由があれば[[姫街道 (本坂通)]]や[[姫街道 (旧東海道本坂通)]]という改名も可能であるため、誤りがおきないように、よくよくお考えいただきたいと思います。--ムカイ会話2016年11月26日 (土) 07:16 (UTC)返信
   --ムカイさんへ、コメントの通りです。候補名の一案としてあげてはいましたが姫街道 (本坂通)は、記事名の付け方#正式名称に従い、候補から外されるとの意見になります。現状では、「姫街道(東海道)」→「本坂通」への統合を最適と考えています。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月26日 (土) 12:02 (UTC)返信
  おつかれさまです。漸く認識共有ができたようで安心いたしました。ご返答ありがとうございました。--ムカイ会話2016年11月26日 (土) 14:24 (UTC)返信
  質問宇井木辺出夫さんへ
ところで、[[姫街道 (本坂通)]]、[[姫街道 (旧東海道本坂通)]]について、どのような語句同士の関係で名付けているものだと認識しておられますか?改名案の候補として挙げておられるので、確認のためお伺いいたします。--ムカイ会話2016年11月26日 (土) 07:16 (UTC)返信
この記事の姫街道の他に東海道筋で「平針街道(その後調べたら駿河街道で立項されていた)」と「佐屋街道」も「姫街道」の別称で呼ばれているというお話だったので、それらとの曖昧さ回避のために現行の「(東海道)」のかわりに「(本坂通)」や「(東海道本坂通)」を付す、という関係で考えていました。また「本坂通」と並存することになった場合には、「本坂通」との曖昧さ回避のために「旧本坂通」と「旧」を冠した方がいい、と考えました。
しかし、よく考えてみると、「駿河街道」や「佐屋街道」について別途「姫街道 (???)」という名前の記事を立項する予定があるわけでもないので、そもそのような曖昧さ回避はあまり必要性がなく、現行の記事名「姫街道 (東海道)」でも別に支障ないと考えるに至っております。本記事に{{otheruses}}を追加しておきましたが、このくらいで充分ではないでしょうか。--宇井木辺出夫会話2016年11月28日 (月) 08:22 (UTC)返信
    まず、宇井木辺出夫さんの発言は、問題を解決させているものではなく、問題を無視した結論にすぎません。その問題点が全く解決できていないことは、また、東海道の脇往還の名づけ方の一貫性にも問題がありますまた、「姫街道(東海道)」という用語の使用例がある出典はあるのでしょうか。あくまで、宇井木辺出夫さんの推測で「東海道が入っても大丈夫ではないか?」と繰り返してはいますが、その意見を強く納得させる出典は示されていません。「姫街道(東海道)」の記事名はWikipedia:記事名の付け方の5つの基準の認知度が高い、見つけやすい、簡潔の基準において問題があります。出典の提示が行われない現状、Wikipedia:記事名の付け方の5つの基準に問題について検討が必要であることは、ご存知のはずです。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月28日 (月) 08:57 (UTC)返信
  追加、未だ議論途中であるため、{{otheruses}}については取り外しさせていただきます。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月28日 (月) 08:57 (UTC)返信


  提案  現在、姫街道に関連する記事は2つあり(転送頁を除く)、姫街道姫街道 (東海道)となります。

現状、議論で「姫街道 (東海道)」の改名から、「姫街道 (東海道)」を「本坂通」への統合(一部転記)とする、As6022014さん、ムカイさん、湖紫陽(koshi2016)の意見に認識共有しつつあります。(宇井木辺出夫さんは異なる意見と思いますが。)したがって「姫街道 (東海道)」を「本坂通」への統合とすることを提案します。

作業後は、「姫街道」と「本坂通」の2つの頁となります。

  1. 姫街道」の頁は、姫街道の別称を持つ街道についての説明が行われます。その記事の中には、As6022014さんのコメントのように『各地の別名「姫街道」、浜松の固有名詞的に使用されている「姫街道」を記述し、「話がややこしくなっている点」を閲覧者に分かりやすく解説するのも一つの手ではないでしょうか。「姫街道を守る会」「『歴史の道』事業」などに関しての記述も有り得る』とするものを想定しています。
  2. 本坂通」の頁は、As6022014さんのコメントにある『歴史的な「本坂通」(口語では姫街道)に関する内容として特筆性を担保している』内容を主とする記事になります。

異論者の方とも認識を共有させてから、次のステップに進みたいと考えていますので、しばらくご意見をお待ちします。どうぞよろしくお願いいたします。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月27日 (日) 22:49 (UTC)返信

文献を探すほどに、「姫街道」のままの方がいい、という確信が強まるばかりです。特に、Koshi2016さんは、『浜松市史』からの引用の際に、原文で「姫街道」と記されていた箇所を全部「本坂○」に書き換えたりされていて、市野宿が衰退したくだりとか文意も少し変わってしまっていると思います。この目次や、「日本の街道一覧」みたいな書籍を見て、この街道が「姫街道」の呼称で特定されているのを見るに付け、「姫街道」は一般的な名称としてドミナントだし、公的にも(浜松市にも)使用されているので、江戸時代の「正式名称」でなきゃダメだ、という主張は無茶だと感じます。Wikipediaが妙な常識を作って、それを世間に広めるようなことにならないようにする、というようなルールもあったと思うのですが。--宇井木辺出夫会話2016年11月30日 (水) 20:12 (UTC)返信
   宇井木辺出夫さんへ、繰り返すようですが、他にもある多数の「姫街道」の存在の問題が解決できていない点について、落ち着いてお考え下さい。
この「姫街道」は2つの問題、曖昧性、一貫性にて問題が解決できていない点があります。
また、宇井木辺出夫さんのご意見は「姫街道(東海道)」ですね。
この「姫街道(東海道)」という用語の使用は示されておりません。
この「姫街道(東海道)」は一般的に使用はありません。
記事名の付け方#正式名称の基準から考えれば、「姫街道(東海道)」は候補から外れ、姫街道より本坂通が適切となります。この点は、他者のご意見も同様です。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年11月30日 (水) 20:37 (UTC)返信
  宇井木辺出夫さんへ、自己中心的な要約・説明はおやめください。記事への加筆は大いに喜ばしいことですが、自分の望まれない編集に対し、差し戻しを行うことは良い編集作業とはいえず、編集合戦を誘致しようとしている行動です。(この宇井木辺出夫さんのご失敗は、徳川義親でも行われています。)編集合戦をするつもりはないため、加筆は一次休止とします。
ご自分の都合の良いようにルールを誤認したり、問題点に対する返答ができていない現状では、落ち着いた作業と言えません。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月1日 (木) 13:41 (UTC)返信
  •   コメントWikipedia:記事名の付け方では、WP:CRITERIAの5要件に合致する「一般的な名称」が「正式名称」と異なる場合、すなわち「正式名称」が「一般的な名称」といえない場合には、「一般的な名称」を記事名とするべきだと考えられています。日本語版には、一般的な名称と正式名称のどちらを優先させるか、という調整規定がありませんが、英語版ではそもそも「正式名称」は「採用すべきでないもの」とされているため、この考え方を援用しているものです。事例については、例えば、ノート:アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞#改名提案を参照してください。
  • 私は、「姫街道」は「一般的な名称」であるといえ、「正式名称」でもある、と思っています。例えば、『浜松市史』のような公的な資料においても、「姫街道」の呼称は使用されています。他方、「本坂通」は江戸時代の「正式名称」ではあっても、「一般的な名称」であるとはいえない、と考えています。いろいろと調べているうちに、WP:CRITERIAの5要件のうち、特に「認知度の高さ」と「見つけやすさ」において、「姫街道」に比べて「本坂○」は圧倒的に劣っていると考えるようになりました。google scholar、CiNii全文検索、国会図書館の蔵書検索およびWikipediaにおける本記事への内部リンクの内訳などの論拠については、既述のとおりですし、楠戸『日本の歴史街道一覧』、中部日本新聞社 『日本の街道』など、各地の歴史的な街道を並列に扱うような一般向けの書籍において、この街道は「姫街道」の見出しで扱われており、「本坂越」などの呼称については、「江戸時代の公儀ではそう呼ばれていた」と本文で言及がある程度に過ぎません。認知度のなさ、見つけ難さについて、Koshiさんからは有効な反証がなされていない、と考えており、その限りでこの改名提案はボツにするのが妥当だと考えています。
  • 「曖昧さ」があり、()書きの中身が不適切だから現行の記事名はダメ、という論展には無理があると思います。「姫街道 (東海道)」は別に「東海道姫街道」という単語が存在する、といっているわけではなく、単に曖昧さ回避のために「東海道の、姫街道」であることを示しているだけなので、()の中身が気に入らなければ、別の「属性」でも全く差し支えないと思っています。逆にお尋ねしたいのは、曖昧さ回避のための姫街道の記事の中では、それぞれの「姫街道」について、どのように言及されるおつもりなのでしょうか。愛宕山のように、黒字で構いませんので、「姫街道」の記事において、それぞれの「姫街道」にどのような()書きを付すつもりなのか、例示してみていただけませんか。
  • それに、Koshiさんが他の「姫街道 (東海道)」候補として挙げておられる「佐屋街道」は上述の楠戸『日本の歴史街道一覧』、中部日本新聞社 『日本の街道』などでは「佐屋街道」や「佐屋路」の見出しで扱われており、Wikipediaでも同じ扱いですから、「姫街道」の別名があったとしても、「姫街道 (???)」の記事名で立項される見込みがあるとは思えません。「平針街道」ないし「駿河街道」は、名古屋が起点なので、東海道のルートから外れています。「姫街道 (東海道)」が複数存在する、という問題自体、存在しているとは思えません。
  • また『浜松市史』の中にある『安政年間の文献に浜松宿から三方ヶ原追分に至る経路は「姫街道」と呼ばれ、市野宿からの経路は「市野道」と呼ばれていた』との記述を、「時代が下るにつれ、浜松宿大手門前で東海道と分かれ(…)、市野宿と気賀宿の間にある三方原追分に至る道筋が利用されるようになった」と書き換え、「姫街道」という呼称が使用されていた記録を消し去るようなやり方は、許容できないと思います(WP:BP#虚偽情報の記載)。
  • 議論が長引いていること自体、改名提案そのものが問題含みであることを示唆していると思います。WP:CRITERIAの5要件に照らして妥当な提案といえるかどうか、自己評価してから改名提案するようにしていただけないでしょうか。また記事の編集についても、1日に5回も6回も更新しない、要約欄に変更点を記入する、他の編集者が付したテンプレを問題が解決していないのに剥がさない、他の編集者のコメントをむやみに除去しないなど、編集マナーについてもご再考いただければ幸いです。また、改名や、章節立ての変更、概要の書き換えなどよりも、出典が明記されていない箇所に出典を付す、脚注の集約し損ないを修正する、ウェブ上のリソースを参照したときはURLなどの参考文献情報を周到に記す、などより優先的に改善すべき点は数多くあると思いますので、そうした地道な作業を優先していただけないでしょうか。
  • 「編集合戦を誘致しようとしている」というのは、あたらないと思います。善意にとってください。私は編集合戦をしたいとは全く思っていません。ただ、上に記したような編集のマナーを守り、地道な編集を大切にし、早合点で一般的でない名称を記事名にするような事態は避けたい、と思っているだけです。--宇井木辺出夫会話2016年12月1日 (木) 16:44 (UTC)返信

  返信 インデントを戻します。宇井木辺出夫さんへ。

  • 1点目「正式名称」であるとの説明は既に、歴史的にも、公的な情報でも明示されています。その情報は上述してあります。
宇井木辺出夫さんが提示されるご案内や情報はご自分にとって都合の良い所しか見ておらず、今回のような1例のみしか提示できていないことは、中立的観点からの判断と言えません。
  • 2点目「姫街道」は通称として使用されているにすぎません。また、静岡県-愛知県を結ぶ本坂通別称である姫街道にのみしか注目されていないようですが、宇井木辺出夫さんは他地域にある姫街道について認識が薄いとしか言いようがありません。一地域の状況しか見ず、他地域における姫街道について無視される発言は、1点目同様に中立的観点からの判断とは言えません。「おらが国」を主張する人々の考えであり、百科事典的ではありません。
  • 「姫街道」の見つけやすさ・認知度についての意見は、既に上述しております。しかし、「姫街道」の曖昧性、一貫性の問題を無視してよいとのお話は「宇井木辺出夫さんお得意の御規定の中」にございますか。また、本坂通は、見つけやすさ・認知度で一般的に全く知られていないと示す出典はありますか。あくまで、宇井木辺出夫さんの自己研究・希望的推測にすぎません。曖昧性・一貫性にて問題のある「姫街道」を使用するのではなく、具体的である「本坂通」、見つけやすい、簡潔、一般的、首尾一貫は適切とされるでしょう。
  • この点は、第3者的立場と言える方から同様の意見を頂いています。
  • 3点目:「姫街道 (東海道)」は繰り返しますが、「姫街道(東海道)」という用語の使用はありますか。その点の反証はいつになったらできるのでしょうか。根本的な問題です。 「曖昧さ回避のための姫街道の記事の中では、・・・」とは、何を質問されているのかがよくわかりませんが、各街道における「姫街道」についていかに表記するのかというかというのであれば、各街道・脇往還名にて表記は可能でしょう。
  • 4点目:「佐屋路」との問題については、3点目の宇井木辺出夫さんが提示するべき問題を答えるのが先でしょう。また、2点目にて、指摘しましたが「一地域の状況しか見ず、他地域における姫街道について無視」された発言です。
  • 5点目:この点については、編集者の判断でしょう。宇井木辺出夫さん、お得意の(いつ)に(誰が)、「姫街道」と呼称したのか(具体的な文書)の(何に)記録されていたのか示されていない状況では適切ではないと判断することもできるでしょう。
  • 6点目:議論が長引いている理由はお互い様です。こちらの立場からでは、宇井木辺出夫さんが質問・論点の反証や説明ができていないことは、問題です。まず、宇井木辺出夫さんは、「正式名称」に対する具体的な史料の提示ができていません。独自研究や希望的推測による結論に基づいています。また、WP:CRITERIAの5要件に照らした判断を示されてもいません。「姫街道(東海道)」の出典の提示がありません。
  • 7および8点ン目:更新については人それぞれでしょう。また、規定やガイドラインの名を提示する宇井木辺出夫さんですが、その点について、ご自分も既に何度もご失敗されていることは、宇井木辺出夫さんの会話ページや削除依頼を確認でき、多くの方々がご存知であることは明らかでしょう。
  • 「宇井木辺出夫」ルールあるいは「宇井木辺出夫」規定が正しいのだとし、ご自分のやり方を無理やり他者に押し付けて、自分の考えを無理やり推し進めようとするやり方に賛同する方はどれだけいらっしゃるでしょうか。落ち着いてお考え下さい。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月1日 (木) 18:53 (UTC)返信

  追加 気になった点があったので2点追加します。

  • 宇井木辺出夫さんによる「英語版ではそもそも「正式名称」は「採用すべきでないもの」とされているため」こちらにせよとのコメントは、現在、日本語版で活躍されている方々のガイドラインとなるWikipedia:記事名の付け方を否定することになり、日本語版で活躍されている方々の執筆の参考としているガイドラインは誤りだと、否定するコメントです。これは、現在日本語版でのガイドラインを根底から覆す発言です。私個人へのコメントとされてるのではなく、記事名のつけ方についてコメント依頼を提示して頂く方が適当です。しかし、これまでの日本語版で活躍された多くの方々の成果の根底を覆すものであることはご自覚された方が良いと思います。
  • 冒頭文と概要について、いくつかの方々に対し案内を張り付けていたようですが、「姫街道」はプロジェクト:道路の範疇に含まれるものです。その中のガイドラインの冒頭文と概要の書き方もご確認ください。問題ありとするのであれば、プロジェクト:道路にてコメント依頼をし、議論を交わし、大半の方々から賛同を得たうえで、ガイドラインの書き換えを行うことが筋です。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月2日 (金) 05:12 (UTC)返信
 
  • 1点目‐「正式名称」であることは、争点になっていません。「江戸時代には、公儀が使用していた」ということは、私も知っています。「正式名称」よりも「一般的な名称」が優先される、という点については、ご理解いただけたのでしょうか。(というか、これまでにもムカイさんや私が何度か指摘していたポイントだと思いますが、ご理解いただけていなかったのでしょうか)。
  • 2点目「姫街道」は通称として使用されているにすぎないか?‐いいえ、公的な呼称として使用されています。明治22年発行の大日本帝国陸地測量部の2万分の1地図に「姫街道」の名前が使用されています。幕末頃から使われていて、この頃までには呼称として定着していた、と考えられています(小杉達『東海道と姫街道』p.170)。『浜松市史』で使用されていることには既に言及しました。Koshi2016さんは、それを引用するときに「姫街道」という言葉を使わないように書き換えて、文意を変えたのですよね。
官方が呼称として使用したら「正式名称」だというのであれば、「姫街道」は「一般的な名称」でもあり「正式名称」でもある、ということで、いいですよね。それ以上反論がなければ、改名提案を取り下げてください。
「他地域にある姫街道について認識が薄い」のではないか‐上記の大日本帝国陸地測量部は国の機関です。また、既に上で現在の路線と、通称(愛称)の対応についてまとめており、静岡県だけでなく、愛知県でも県道5号線の愛称として使用されています。私は、一里塚の説明のように、静岡県側のことしか書いていない、みたいな片手落ちはしていないと思いますし、江戸時代以外のことは無視するような見方もしていないと思います。
  • 3点目: 「姫街道 (東海道)」という用例は存在するのか‐この質問自体、私には意味があるように思えないのですが…。Koshi2016さんは、例えば「姫街道(本坂通)」という記事名であれば、「用例が存在するから」記事名として妥当だ、とお考えなのでしょうか?だとすると、それは利用者:ムカイさんが何度か確認されているように、「曖昧さ回避」のためにカッコ書き付す際の考え方から外れていると思うのですが。上で例に挙げた「愛宕山」にしても、例えば「東京都港区愛宕山」という用例が存在するわけでは必ずしもないと思いますが、「愛宕山 (東京都港区)」という記事名で支障はないと思うのですが。「姫街道(東海道)」という用例がなくても、「姫街道 (東海道)」という記事名で支障はないと思うのですが。ムカイさんはどう思われますか?
一応、お答えすることもできますよ。満足いただけるかどうか分かりませんが。『はい、存在します。例えば、楠戸『探訪日本の歴史街道』の目次では、「東海道」の内訳として「姫街道」に言及があります。 渡辺和敏 『東海道の宿場と交通』pp.29-30には、本坂通は東海道に付属した(東海道の一部だった)、小杉達『東海道と脇街道』p.198のあとがきには、「脇街道と一言で表現してきたが、本坂通(姫街道)は脇街道ではない。正確にいうと東海道の付属街道であって、五街道と同じように幕府の道中奉行が管理していた重要な道であった。(…)」とあり、特に1764年以降の時期については東海道の一部とみなすのが一般的なように理解しています。だから「東海道(の)本坂越」「東海道(の)本坂通」「東海道(の)姫街道」という言い方に特に違和感はありません。』
  • 4点目:3点目には上でお答えしました。佐屋街道や駿河街道が「姫街道 (???)」という記事名で立項される可能性があるとは思えないので、立項された場合に備えて「姫街道 (東海道)」という名称を更に曖昧さ回避する必要はありませんよね。現行記事名に問題がある、という指摘自体、成り立たないと思います。
  • 5点目。姫街道の用例が、いつどの文献に現れるかは、文献を探せば具体的なことが書いてあると思います。Koshi2016さんは、「姫街道」の用例があったときに、それを全部「本坂通」に書き換えたり、「姫街道」という呼称を消すようにしておられるのではありませんか?『浜松市史』のほかに、金井, 達雄「鉄砲証文-老中裏印証文及び留守居断状の存在と役割 : 房川渡中田(栗橋)関所を事例として」『駒澤史学』第56巻、駒澤大学、2000年8月、58-87頁、NAID 110007003127 の59頁についても、「姫街道」の呼称が使用されているのを、記事中では除去されていますが、それで文章が少しおかしくなってしまっているので、出典を確認してみると「姫街道」の呼称が消されている、と分かる、というような状況で、私は驚き、呆れています。「姫街道」の呼称を避けたいがために、文意まで変えるのはやり過ぎであり、モラル的に許されない編集だと感じています。ウィキペディアは独自の考えを発表する場ではありませんし、ウィキペディアを通じて「本坂通」の呼称を普及させようと考えておられるのであれば、それは間違ったやり方だと思います。
  • 6点目:「正式名称」に対する具体的な史料の提示‐上で挙げました。
また、WP:CRITERIAの5要件に照らした判断を示されてもいません。‐?示していると思いますけどね…。5要件に照らして、「姫街道」は「一般的な名称」といえるが、「本坂○」は「一般的な名称」といえない、「認知度の高さ」と「見つけやすさ」において劣っている。「曖昧さ回避」が必要でも「姫街道」にした方がいい。という判断ですよ。「首尾一貫しているか」についても、かなり丁寧に調べて、上で述べたつもりですが、ご不満でしょうか。『昔は「二見の道」と呼ばれていた。江戸時代は「東海道本坂越」「本坂越」「本坂通」「本坂道」「本坂街道」のように呼ばれていた。幕末から姫街道と呼ばれるようになった。明治以降、姫街道の呼称が定着した。学術論文などでは1980年まで「本坂越」「姫街道」が一般的だったが、1980年以降「本坂越」はパッタリ使われなくなり、「本坂通」「本坂道」「姫街道」が使われている。」だから江戸時代のみについていえば「本坂○」でいいと思うが、それ以降の時代も含めて考えるなら「姫街道」の方が一貫性がある。
  • 7-8点目:「更新については人それぞれでしょう。」‐方針・ガイドラインに沿って編集し、他の編集者に「迷惑で、貢献度のない編集だ」と思われないようにした方がいいと思います。1日に5回も6回も更新しない要約欄に変更点を記入する他の編集者が付したテンプレを問題が解決していないのに剥がさない他の編集者のコメントをむやみに除去しない…私、変な指摘してますでしょうか?削除依頼は初めてなのでいまいちでしたが、改名提案は割りと回数こなしているので、そんなに変なことは言っていないと思います。特に、私はこの記事や話題にあまり思い入れがないので、中立的に判断しているつもりです。
  • 補足の1点目:「日本語版を否定している」というのはあたらないと思います。日本語版には「一般的な名称」の規定と、「正式名称」の規定があって、「正式名称」の規定は、英語版にはない日本語版独自の規定です。日本語版には「一般的な名称」と「正式名称」の規定が並存するので、一致しない場合にどちらを優先するのか、本来ルール付けが必要ですが、どちらを優先するかは規定されておらず、仕方がないので英語版を参照して、英語版には「正式名称」は基準にするな、と書いてあるので、「一般的な名称」を優先する、という運用になっていると思います。以上の論展には、日本語版の基準を否定したりしている点は全くないと思います。上でムカイさんも、そのような論展を推奨しておられると思いますので、確認なさってみてください。
  • 補足の2点目:プロジェクト:道路の書き方は参照しています。それで「本坂峠を経由して」という文言を足したりしたのですが。「概要節」を設けること自体に関しては、日本語版のスタイルマニュアル(導入部)のガイドラインは日本独自のやり方であることに言及しているものの、概要節を設けることを明確に否定していないので、仕方ないと思っています。しかし、「概要」節の中身がガイドラインに沿って「記事全文を要約する」ように編集できておらず、冒頭部・概要・本文の対応関係が成立していない場合はよくあると思いますし、それは導入部のガイドラインに反しています。また概要節を設けて冒頭部の記述を移す際には他の編集者の同意を得ることとされています。そのため、Koshi2016さんとほかもう1方についてはご指摘させていただきました。--宇井木辺出夫会話2016年12月2日 (金) 16:03 (UTC)返信

  返信  宇井木辺出夫さんへ。

  • 1点目‐正式名称であること利用することは根本的な点です。正式名称であることはご理解いただけたわけですね。それであれば、記事名の付け方#正式名称に基づいて、記事名を決定づければ良いでしょう。
  • 2点目 - 2点目の話は、公的な呼称は正式名称ではなく通称です。また、姫街道を正式名称であるとの記述はあるのでしょうか。現在の埼玉県内の一部の国道17号は中山道と表記がありますが、これは通称です。正式名称は国道17号です。あくまで呼称であり、通称です。
  • 佐屋路に限らず、姫街道はその他にも存在します。宇井木辺出夫さんは、一部の史料や、由来、その使用について、十分検討されているものと言えず、静岡―愛知の姫街道のみに熱烈に注目しているご意見です。中立的観点による判断とは言えないでしょう。
  • 3点目 - まずは、質問にお答えいただくのが筋でしょう。それができていな状況ではまずおかしい発言です。また、「姫街道(東海道)」がおかしくないとされるのは、東海道の他の脇往還の別称「姫街道」を無視した発言です。姫街道の名を持ったとされる東海道脇往還には具体的な出典は未だ用意できていませんが美濃路もそのように呼ばれたとのお話は聞いたことがあります。
  • 提示された資料では、用語の揺れ「本坂通」、「本坂道」などの表記に言葉に一貫性がないと、用語の表記にお厳しい方がお話しされたコメントと思えません。「姫街道(東海道)」と同じ用語の使用例は示されていません。宇井木辺出夫さんの独自研究です。
  • 4点目:宇井木辺出夫さんがお答えできていないので、スルーです。
  • 5点目。この点は、逆にウィキペディアを通じて「姫街道(東海道)」の呼称を普及させようと考えておられるのであれば、それは間違ったやり方だと思います。とのお言葉をお返しします。
  • 6点目:上にて、問題点を解決できていないため、「曖昧さ」「首尾一貫しているか」については、他の姫街道の存在をお考えになれば、ご自分の判断が適当と言えないことは明らかです。このことは、第3者的立場の方々から支持を頂いています。
  • 7-8点目:「ご自分ではそう思っている。」と言っているとしか思えません。中立的観点であるとはいうものの、他の「姫街道」の存在について十分な調査や作業をしているとは言えません。また、ルールに関してはご自分が正しいのだとされているものを中立的とうたっているにすぎません。宇井木辺出夫さんのお考えにご賛同を頂ける方がどれだけいらっしゃるかどうかは疑わしいと言わざるを得ません。
  • 補足の1点目:ご自分で、コメント依頼に議案を提出してご意見を募るのが筋でしょう。私にコメントされても困ります。
  • 補足の2点目:ご自分のお考えに沿う所のみを強調されるのではなく、全体を熟読されるべきでしょう。また、「概要節を設けて冒頭部の記述を移す際には他の編集者の同意を得ることとされています。」とされるのであれば、逆の場合も同様のことが言えませんか。「概要節をとり、冒頭部に移そうとする時には他の編集者の同意を得る」べきでしょう。宇井木辺出夫さんはご自分で、ルールの説明をしておきながら、ご自分はそれに倣っていない点はいかがですか。
こんにちは。ムカイです。
「姫街道 (東海道)」という記事名には以下の問題が指摘されているものと認識しています。
  1. 「姫街道 (東海道)」という名称が一般に用例があるか。
  2. 「姫街道 (東海道)」という記事名だが、東海道内には他にも姫街道と呼ばれた脇往還がある。
1.について「姫街道 (東海道)」はあくまでもウィキペディア内の曖昧さ回避のための名称で「記事名 (事柄が属するもの)」という関係で付けられているものであると私はみており、また「姫街道 (東海道)」が実際に使用されている一体の名称ということではなくコミュニティー内での整理のためや読者が求めている記事に確実にたどり着けるようにという配慮からの名付け方であるものと認識しております。したがって、「姫街道 (東海道)」という記事名の名付け方自体には、特に問題はないという認識です。
上記、2.についてです。
ほかの東海道内に姫街道と呼ばれた別の脇往還があるという事実は曖昧さ回避としての問題なので、とりあえずご指摘の独自研究の問題とは別けて考えるべきではないかと思います--ムカイ会話) 2016年12月4日 (日) 07:05 (UTC)脱字があったため修正しました。--ムカイ会話2016年12月4日 (日) 16:10 (UTC)返信
  返信 、ムカイさんへ。
  • この点は、「脇街道と一言で表現してきたが、本坂通(姫街道)は脇街道ではない。正確にいうと東海道の付属街道であって、五街道と同じように幕府の道中奉行が管理していた重要な道であった。(…)」との点を強調されていることから、おそらく、本坂通は付属街道であるが、佐屋路・美濃路は脇街道にすぎず東海道における扱いが違うと説明したいものと思います。
  • しかし、実際は、道中奉行所轄の街道は、五街道の付属街道として扱われているとのことであり、道中奉行所轄の東海道付属している街道には美濃路、佐屋路があり、姫街道の別称が存在する佐屋路、美濃路(こちら出典の確認中)も同様の扱いとなるのです。したがって、その判断は適切ではないということです。
  • この点は改めて出典を提示するほどのものではないのですが、簡単に探せるものとすれば,「梶川, 勇作 江戸期の東海道佐屋路と佐屋宿(前編)、金沢大学文学部地理学報告, 1: 37-55」などがあげられます。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月4日 (日) 07:24 (UTC)返信
  コメント2点補足します。
  • まず、Koshi2016さんにおかれましては、「正式名称であること利用することは根本的な点です。」という考え方が、ガイドラインWikipedia:記事名の付け方には合致していない、ということをご納得いただきたいです。分かりやすい例では、「イギリス」があります。「イギリス」の正式名称は、もし外務省の呼称を「正式名称だ」というのであれば「英国」か「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」でなければなりませんが、Wikipedia日本語版の記事名は「イギリス」となっています。なぜでしょうか。私の答えは、『「イギリス」は正式名称ではないものの、「最も一般的な名称だ」、と考えられているから』です。ムカイさんにおかれましては、度々で恐縮ですが、この点についても一言ご意見いただけませんでしょうか。上で既にそのようにコメントされている、と私は解釈しておりますが、私が勝手な解釈をしている、みたいに言われてしまい、どうにも困っております。
  • 「姫街道 (東海道)」の問題点につきましては、コメントどうもありがとうございました。1.は私もムカイさんと同じ意見です。2.は、「東海道に付属する」という説明は「本坂○だけが東海道に付属して、佐屋路・美濃路は脇街道にすぎない」と考えているわけではなく、いずれにしても東海道の一部なのだから、「東海道本坂越、東海道佐屋路、東海道美濃路」のような記載例があってもおかしくはない、というお話です。「東海道内には他にも姫街道と呼ばれた脇道がある。」という指摘へのご回答は、『現在ある「姫街道 (東海道)」の記事以外に、東海道内の脇道で、「姫街道 (???)」という記事名で立項を予定している記事があるわけではない。したがって、未立項の記事との曖昧さ回避が必要かどうか、という議論をする必要がない。」ということになります。
上でも書きましたが、私が調べた限りで、日本の歴史的な街道を一覧にしたような一般向けの書籍では、「姫街道 (東海道)」は「姫街道」の呼称が一般的で、「美濃路」は「美濃路」、「佐屋路」は「佐屋街道」か「佐屋路」という呼称が「最も一般的」だと思います。
  • みわ明『県別全国古街道事典‐東日本編』平文社、2003年では、それぞれ姫街道、美濃路、佐屋街道。
  • 竹内誠(監修)『日本の街道ハンドブック』三省堂、2006年では、姫街道、美濃路、佐屋街道。
  • 中部日本新聞社編『日本の街道』人物往来社、1963年では、「東海道脇街道姫街道」「東海道脇街道美濃路」「東海道脇街道佐屋路」。
  • 楠戸義昭『探訪日本の歴史街道 改訂新装版』三修社、2006年では、姫街道、美濃路、佐屋街道。
(少し違ってるかもしれませんが、だいたいこんな感じでした。)
Wikipedia日本語版でもそのような記事名で立項されていますから、美濃路や佐屋路に「姫街道」という別名があったにせよ、この「姫街道 (東海道)」を殊更に改名する必要はない、と考えています。
分かりやすい事例はないかな、と考えてみましたが、例えば「東京」という呼称について考えてみてください。「東京」は江戸時代には「江戸」が正式名称で、どの文献を見ても「江戸」と書いてあったかもしれません。でも、明治時代以降は一般に「東京」と呼ばれるようになりました。「東京」というと、中国の開封という都市も別名「東京」と呼ばれています。ここで、以下のような改名提案があったとします。「『東京』という記事があるが、江戸時代の正式名称は『江戸』である。それに、中国の開封にも『東京』という別名があって、『東京』という呼称には曖昧さの問題がある。だから『江戸』に改名すべきだ」。この提案に対して、Koshi2016さんならどのようにお返事されるでしょうか、お考えになってみてください。答えが出たら、東京を「姫街道」、江戸を「本坂○」、開封は「佐屋路」に置き換えてみてください。--宇井木辺出夫会話2016年12月4日 (日) 08:33 (UTC)返信

分割提案(妥協案) 編集

  返信  宇井木辺出夫さんへ。

  •  今回扱っているものは、国名ではなくあくまで「街道」名になります。したがって、「イギリス」は適当例とは言えません。同様の例を挙げて抱くのであれば「善光寺街道」、「産業道路」、「江戸街道」、「塩の道」、「北国街道」などを示すべきです。類例が全くおかしいのです。
  • 「姫街道(東海道)」に扱える曖昧さ回避について、例示されているお話は、姫街道(東海道)ではなく、現在の姫街道にて説明すればよいことです。記事内容が本坂通に相当する姫街道について記述としているものであることから東海道の名称が適切ではありません。また、東海道佐屋路、東海道美濃路は姫街道にて説明されています。「江戸」と「東京」の名前をあげていますが、「江戸」、「東京」の記事をご覧になっていただければわかるように、近代以前については江戸にて記載があり、それ以降を中心とした記事は「東京」です。類例として越国越後国新潟県があげられるでしょう。


  提案 しかし、あくまで水掛け論に終始している現状があると思う私は一つ妥協案となるプランを提案したいと思います。

  1. 近世までについて 「本坂通」への一部転記とする。
  2. 近代以降について 「姫街道(東海道)」はそのままとする。
と分割し、2つの頁にて記事を展開する。
  • このプランは、先に宇井木辺出夫さんがあげた江戸、東京のウィキペディア内の記事江戸東京の状況に相当するものであり、私が先にあげた類例である越国越後国新潟県とも同様の記事関係とも類似するものです。
  • 個人的には「姫街道(東海道)」の記事名に問題ありと考えますが、その点はひとまず譲ります。記事の分割によって近世以前の内容については「本坂通」に転載し記事を発展させる。近代以降の内容については「姫街道(東海道)」にて進めて頂く。また、「本坂通」と「姫街道(東海道)」の中に一部重複するものは当然みられるはずなのでその点にはこだわらないとします。
  • いかがでしょうか。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年12月4日 (日) 09:42 (UTC)一部改変--湖紫陽(koshi2016)会話2016年12月4日 (日) 10:30 (UTC)返信
  返信 湖紫陽さんへ。おつかれさまです。
  • 私のノートへ、態々メッセージを頂ましてありがとうございます。
姫街道の俗称を持つ東海道付属街道は、本坂通、佐屋路があります。したがって、曖昧さの問題があります。また、本坂通の本道「東海道」であることに注意するのならば、「東海道」も同様に正式名称です。「姫街道(本坂通)」を否定した考えでは、「姫街道(東海道)」も同様に認められないとなります。ところで、現在、一般的にこの路線の通称は「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」、「姫街道」、「本坂通」が使用されている現状があります。
あくまでもウィキペディア内の曖昧さ回避のための名称で「記事名 (事柄が属するもの)」という関係で付けられているものであるとしているのであれば、現状使用されいない用語を使用することで曖昧性の問題を生み出す「姫街道(東海道)」を選び、現状利用されている「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」は認められないとする考えは、一貫性のあるご意見とは思えません。”(利用者‐会話:ムカイ#姫街道の件。湖紫陽(koshi2016)さん2016年12月4日 (日) 09:00 (UTC)メッセージより抜粋引用 )返信
まず、冒頭につきまして
「姫街道 (東海道)」が「記事名 (事柄が属するもの)」でなく「記事名 (別名)」の場合は、「姫街道(本坂通)」と同じになるので、同様に認められません。しかし、「姫街道 (東海道)」の「(東海道)」は「姫街道」の正式名称ではありません。湖紫陽さんからのご質問は「姫街道 (東海道)」という記事名の成立過程を論じていることになりますが、仮に「記事名 (別名)」という関係で名付けられたという経緯が実際にあれば、それは問題ありといわざるを得ません。しかし、“本坂通の本道「東海道」であることに注意するのならば、「東海道」も同様に正式名称です。「姫街道(本坂通)」を否定した考えでは、「姫街道(東海道)」も同様に認められないとなります”と言うのは湖紫陽さんがその成立過程の可能性を仮定したものに過ぎないため、その裏づけをしていただかない限りは「姫街道(東海道)」が実際にどのようにして名付けられたかははっきりしないわけで、私からは現段階で捉えている自身の認識しかお答えできないのです。
次に、“あくまでもウィキペディア内の曖昧さ回避のための名称で「記事名 (事柄が属するもの)」という関係で付けられているものであるとしているのであれば、”という部分のご指摘に付きまして
2016年12月4日 (日) 07:05 (UTC)ので湖紫陽さんへのコメントままです。以下は、シュミレーションですが
  1. 「姫街道 (東海道)」がガイドラインの記事名の付け方では問題ないか議論
  2. #1の議論でガイドラインの記事名の付け方では問題ない場合、次にその名称が曖昧さ回避の記事名として適切かどうかを検討
…ということです。#1は「現状利用されている「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」は認められない」かということを考える時間で、それについてはガイドラインの記事名の付け方で認められないことは以前認識を共有した内容のとおりですので、「記事名 (別名)」という関係の「姫街道(本坂通)」、「本坂通(姫街道)」は候補から除外されるということになることは理解していただいていることだと思います。その中での候補としては正式名称の「本坂通」と「姫街道 (東海道)」とその類似するものがあったと思います。
次に#2、曖昧さ回避の記事名としての問題を議論するのです。この時間は「現状使用されいない用語を使用することで曖昧性の問題を生み出す「姫街道(東海道)」といえるかどうかというのを議論していけばよろしいと思われます。
私の意見をまとめますと、ガイドラインの記事名の付け方からでは「姫街道 (東海道)」は特に問題ないという認識ですが、曖昧さ回避としての記事名に問題がないとは思っていません。とはいっても、具体的に何が問題なのかはまだまとまっていないのでいえませんが。
ご提案については、特に異論はありません。--ムカイ会話2016年12月4日 (日) 16:10 (UTC)返信

  ムカイさんコメントありがとうございます。

  • ムカイさんのコメントに、「ガイドラインの記事名の付け方からでは「姫街道 (東海道)」は特に問題ないという認識ですが、曖昧さ回避としての記事名に問題がないとは思っていません。」とのコメントがあり、問題がないとの認識があるが、問題がないとは思っていないとの2面性を示しています。この点に、宇井木辺出夫さんと私の議論の原因があるのでしょう。
  • そこで、先の提案に挙げたように、「妥協案となるプランを提案」します。「近世までについて 「本坂通」への一部転記とする。」「近代以降について 「姫街道(東海道)」はそのままとする。」と分割すること。このように2つの頁にて記事を展開することは、ベターな作業となるでしょう。
  • このプランは、先に宇井木辺出夫さんがあげた江戸と東京の関係については、ウィキペディア内の記事では江戸東京の記事にて説明されており江戸、東京のあり方に倣うもので、宇井木辺出夫さんも否定するものはないはずです。この記事名の関係としてあげられる類例には越国越後国新潟県があり、時系列上の記事の関係として同様の扱いと言えるものです。地名について記事は先の記事関係と同様のものは数多くあります。例えば千住宿千住町千住南千住足立区荒川区などがあります。
  • 作業後は、「本坂通」、「姫街道(東海道)」、「現在の路線記事」との記事関係になります。姫街道(東海道)の問題は解決していないとは思いますが、その点は譲ることとします。しかし、この記事関係に整理することで、現状の議論は解決します。
  コメント主に近世以前の内容を「本坂道」に書き、主に近代以降の内容を「姫街道 (東海道)」(( )内の語句は検討の余地あり)で良いと思います。前例として適切かどうかわかりませんが、空知支庁空知総合振興局があります。江戸東京も記事は分割されています。少なくとも近世以前は公儀への差出など公式の文書に「姫街道」の名称が見られない。これは俗にそう呼ばれていたとしても「姫街道」の名称の由来から考えて、とても公儀へ正式に表立って使用できる内容では無かったということです。当時は公儀へ文書を指しだすなど命がけだったのですから。「乍恐(おそれながら)・・・」ですから。従って近世以前の歴史を記した記事名は「本坂・・」でなければなりません。
自治体の公式HPの記述は執筆者が明確でなく(従って責任の所在も明確でない)、また観光目的の内容もあって、必ずしもそこで使用されている名称が正式のものという訳ではありません。条例などで特に定められているという訳でもなければ。しかし、「姫街道 (東海道)」としての記事が必要と考えておられる方がいるのであれば、それを妨げることはありません。--As6022014会話2016年12月5日 (月) 06:55 (UTC)返信
(追記)史料事実として宝永の頃について確実に言えることは、公式の差出文書に見られる街道の名称は「本坂○」である。これだけです。江戸時代に「俗に姫街道と呼ばれていたであろう」は想像にすぎません。「姫街道」の名称の由来も諸説あるがこれもすべて想像です。いつ頃から「姫街道」の呼称が発生したのかも確実なことは判っていません。つまり、江戸時代は幕末を除いて「姫街道」と称した確実な証拠が残っておらず、江戸時代後半頃までは俗称としての「姫街道」の呼称すら存在していなかった可能性も否定は出来ません。
そして、幕末の頃に漸く民間の記録として「姫街道」の記述が現れる。(出来れば何年頃、どの文書にその記録があるのか判れば幸いです安政2年(1855年)の旅行記『西遊草』万延元年(1860年)の浮世絵『東海道五十三次勝景』)最古のものでも現時点で確認できるのは幕末です。一方で幕末に近い時期、つまり1854年安政東海地震後の差出文書にも宝永と類似の記録、『新居町関所資料館所蔵史料』「渡海あしく候故、御往来之大名方当年ハ木曾路又は本坂越ニ御道行被遊候」(安政2年の文書『新収 日本地震史料 五 別巻五』p1155)があり、確実に言えることは安政頃も公的な文書には「本坂○」が使用されているということです。これまでの議論では幕末から明治頃に「姫街道」と呼ばれるようになっていったということですが、恐らくそれは民間レベルの話しで、少なくとも江戸時代は、期間を通じて公的には「本坂○」であった可能性が高いです。
以前愛称「しまなみ海道」のようなものだと申しましたが、現代では愛称として「しまなみ海道」や「姫街道」を公然と使用しても誰も咎めることはありません。むしろ観光資源として歓迎されるぐらいです。しかし江戸時代(いつ頃からか判らないが)の「姫街道」は違います。公的に使用することすら憚られる名称です。
ですから、近世の事象について記述した記事の題目は江戸時代を通じて確実に使用されていた「本坂○」でなければ不都合です。例えば江戸時代の事象を扱う記事で[[江戸]]にリンクすべきところを[[東京]]にリンクするのは不適切でしょう。また、宝永地震記事から迂回路として当時使用されていた記事名へのリンクも[[本坂○]]が適切であり、当時本当に使われていたかどうかさえ判らない[[姫街道 (・・・)]]にリンクしたのでは閲覧者にも誤解を与えます。(しかし宝永地震記事の私の執筆部分にこの適正でない部分があるのは事実です)それこそ「Wikipediaが妙な常識(史実を歪曲した記述)を作って、それを世間に広めるようなことになる」可能性を秘めています。--As6022014会話) 2016年12月6日 (火) 04:13 (UTC)修正--As6022014会話2016年12月6日 (火) 04:45 (UTC)返信
  コメント 近世は「本坂○」、明治以降は今の記事に残す方針に賛成です。「二見の道」も話題が多かったので、区分してもいいかもしれないと思いました。近世の本坂越えは1498年の地震の後、今切口が出来たことが端緒らしいので(小杉,1997)、その前後で区分してもいいのかなと思っています。語源説とかは時代が遡るので、Koshi2016さんがご指摘されているように重複があるのは止むを得ないと思います。なお嵩山の蛇穴とか獄門畷とか三方原とかは、参考文献に姫街道の解説としてけっこう書かれていますので、縮減した方がいいとか、文章が練れてないとかはあるかもしれませんが、「近世」に含めておいていただければ幸いです。あとこの記事を「姫街道」に改名して、「姫街道」は「姫街道 (曖昧さ回避)」した方がいいのではないか、という気がします。この街道は姫街道(の記事)の中でも、充分「代表的」だといえると思いますし、もともと記事名は「姫街道」で、他に「姫街道 (???)」という記事名で立項されている街道があるわけでもないので、支障ないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--宇井木辺出夫会話2016年12月7日 (水) 17:07 (UTC)返信
  議論参加者である、ムカイさん、As6022014さん、宇井木辺出夫さん、湖紫陽全てが、分割案に対しほぼ同意見となったことを確認しました。このことから、改名提案の取り下げを行い、分割作業(一部転記)へと実行します。まずは、姫街道(東海道)より本坂通を全文転記とし、その後、近代以降の除去へとの編集に移ります。姫街道(東海道)の編集については、当分の間私からの編集は手を付けないことにしますので必要な部位の除去及び加筆については皆さまにお任せします。
同意形成ができたこと、および議論により記事の展開が見られたことについて皆さまに感謝申し上げます。--湖紫陽会話2016年12月7日 (水) 17:31 (UTC)返信
   本坂通への転記を行い、一部改変としました。
姫街道(東海道)については全文そのままとし、編集には手を付けていません。以上をもって、本議論の終了とします。--湖紫陽会話2016年12月7日 (水) 19:39 (UTC)返信

分割ルール 編集

上の議論で、細部の論点を詰めないまま、議論終了が宣言されました。分割を承認するにあたって、当方の提示する区分のルールは下記のとおりです。特にご異議なければ、この区分により編集を進めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

  • 中世以前(今切口ができるまで)の歴史については、「二見の道」を新規立項して、そちらに記す。
  • 近世の歴史については、「本坂通」に記す。
  • 近代以降の歴史と、史跡等の現況については(独立立項済のものを除き)「姫街道 (東海道)」に記す。
  • 他の記事等の用例を改変しないこと。例えば、「二見の道」や「姫街道」あるいは「本坂越」「本坂道」「本坂街道」で内部リンクされているものを「本坂通」に書き換えるような編集をしないこと。もし改変があった場合は、Wikipedia:投稿ブロックの方針#宣伝・広告投稿、目的外利用とみなします。
  • 出典(参考文献)の記載を改変しないこと。例えば、出典において「二見の道」や「姫街道」あるいは「本坂越」「本坂道」「本坂街道」と記されているものを、編集者の独断で「本坂通」に書き換えるような編集をしないこと。もし改変があった場合は、Wikipedia:投稿ブロックの方針#宣伝・広告投稿、目的外利用およびWikipedia:投稿ブロックの方針#虚偽情報の記載とみなします。

以上です。遵守されない場合は、分割を破棄し、本記事への統合提案を行ないます。--宇井木辺出夫会話2016年12月10日 (土) 02:21 (UTC)返信

まずは、コメント依頼にて、議案を提出してください。--湖紫陽会話2016年12月10日 (土) 03:04 (UTC)返信
上の議論で、細部の論点を詰めないまま議論終了が宣言されたので、積み残し案件について言及しています。もしルールがなかったとしたら、どのような切り分けになさるつもりなのでしょうか?もし区分をルールを決めなくていい、ということであれば、それぞれの記事について、どの内容を扱うか切り分けずに、自由に編集することにしてもかまいませんが、それで宜しいですか。それに「コメント依頼で議案を提出しなければ、ノートで議論ができない」というルールは存在しないと思います(Wikipedia:指示の肥大化を避ける)。--宇井木辺出夫会話2016年12月10日 (土) 03:39 (UTC)返信
特にコメントいただけておりませんが、「二見の道」について新規立項、史跡の現況は改名後「姫街道」に残す、という方針で編集したいと思います。支障ありそうでしたら、ご指摘ください。--宇井木辺出夫会話2016年12月21日 (水) 17:56 (UTC)返信

「姫街道 (東海道)」から「姫街道」へ改名提案 編集

本記事「姫街道 (東海道)」の記事名を、WP:CRITERIAに基づき、「姫街道」に改名し、現「姫街道」を「姫街道 (曖昧さ回避)」に改名することをご提案します。

  • (認知度の高さ)「姫街道」の別名を持つ街道は全国にいくつかありますが、日本の歴史的な街道を一覧にしたような一般向けの書籍では、三河-遠江間の姫街道(本坂○)を「姫街道」と呼んでいる例が多く、他に「姫街道」の別名を持つ街道については、「美濃路」は「美濃路」、「佐屋路」は「佐屋街道」か「佐屋路」など、別の呼称で呼ばれていて、「姫街道」とはタイトルされていません。中山道にも「姫街道」の別名がありますが、中山道が一般的で記事名にもなっています。
  • みわ明『県別全国古街道事典‐東日本編』平文社、2003年では、それぞれ姫街道、美濃路、佐屋街道。
  • 竹内誠(監修)『日本の街道ハンドブック』三省堂、2006年では、姫街道、美濃路、佐屋街道。
  • 中部日本新聞社編『日本の街道』人物往来社、1963年では、「東海道脇街道姫街道」「東海道脇街道美濃路」「東海道脇街道佐屋路」。
  • 楠戸義昭『探訪日本の歴史街道 改訂新装版』三修社、2006年では、姫街道、美濃路、佐屋街道。
(少し違ってるかもしれませんが、だいたいこんな感じでした。)
他に「姫街道」の呼称を持つ「岡崎街道」の紹介記事[3]でも、本記事の姫街道は「良く知られている」ことに言及があります(岡崎街道は「岡崎街道」として立項されています)。
歴史的な経緯を調べてみると、もともと認知度の高い東海道の脇道で、本道の浜名湖南岸が通行不能となった際に迂回路として利用されたことが何度かあったことや、明治以降、政府の地図にこの街道の呼称として「姫街道」の名が採用されたことなどが影響しているようでした。
以上より、本街道の固有名詞的な名称としての用法は、Wikipedia:信頼できる情報源において最も一般的に使われている用法であると考えます。
  • (見つけやすさ)現在の「姫街道」の記事への標準記事空間からの内部リンクは26件ありますが、内訳は
  • 一般名詞的用法 - 1
  • 固有名詞的用法 - 25
  • うち中山道 - 1
  • うち下仁田道 - 4 うち上州姫街道1 信州姫街道1
  • うち姫街道(本坂○) - 18
  • うち美濃路 - 1
  • うち中馬街道 - 1
となっており、一般名詞的な用例や、他の街道の別名としての用例はそれほど多くありません。逆に、本記事への内部リンク(の誤リンク)が多くなっている状況なので、見つけやすさの観点からも、本件提案の改名が望ましいと考えました。
  • (簡潔さ)カッコなし記事名は3文字であり、通称として広く用いられているもので、充分簡潔です。曖昧さ回避頁に用いられる「姫街道 (曖昧さ回避)」の名称も、必要最小限のものになっていると思います。
  • (曖昧さ)上記のとおり、他に「姫街道」の別名を持つ街道は全国に存在し、それらの街道との曖昧さ回避が必要になります。本記事の姫街道は「その「項目名」の起源・語源となっている」わけではなく、各地の「姫街道」と呼ばれる街道にはそれぞれの語源説があると思いますが、上記のとおり「他と比べて圧倒的に参照されることの多いトピック」となっていますので、本記事を代表的なトピックとして、曖昧さ回避をはかりたいと思います(WP:D#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避)。
  • (首尾一貫しているか)他の歴史・道路関係の記事などにおいても、本記事の街道の固有名詞的な呼称としての用法は一般的であると思います。

以上です。ご意見ございましたら、お願いいたします。--宇井木辺出夫会話2016年12月10日 (土) 03:33 (UTC)返信

  コメント  賛成  私と提案者の間で議論となったのは、曖昧さに関わる記事名が一番の論点でありました。
  • そこで、提案については、一つに、記事名を考えるにはプロジェクト:日本の市町村#記事名の付け方にあるように同一名称の地名がある場合には、それぞれの記事名について「どこの」地名であるかで曖昧さ回避を行う。とされるのが一番良いと考えていますが、これまで交わした議論から、路線が2つの県にまたがること、東海道についても本坂通と佐屋路との関係との問題があるため、一概に問題を解決へと導かれない難点があります。
  • したがって、姫街道として認識の高い「姫街道(東海道)」を「姫街道」へと改名し、現「姫街道」を「姫街道(曖昧さ回避)」とすることはベターなプランと思います。その後、「姫街道」と「姫街道(曖昧さ回避)」については「姫街道」の冒頭には{{:Template:Otheruses}}の貼り付けにて相互関係をつくっておけば問題はないのではと思います。宇井木辺出夫さんのこの提案に賛同します。--湖紫陽会話2016年12月10日 (土) 04:50 (UTC)返信
  賛成   コメント 近世の文書で「本坂○」と記録されてきた現姫街道 (東海道)は、代表的なトピックと見做してよいと思います。その他は「美濃路」、「佐屋路」などの記事は存在していても記事名は「姫街道 (○○)」と曖昧さ回避の体を成しているわけではありません。一方で、現状姫街道の記事は曖昧さ回避記事の形態とはなっていませんが、姫街道#姫街道の別名を持つ街道部分を、新たに改名した「姫街道」記事に「その他の姫街道の別名を持つ街道」として転記するのは不都合でしょうか。或は、曖昧さ回避とするよりは例えば「姫街道の別名を持つ街道一覧」、より簡潔には「姫街道の一覧」の記事とする方法も考えられますが、如何でしょうか。--As6022014会話2016年12月12日 (月) 07:25 (UTC)返信
  As6022014さんの「「姫街道」記事に「その他の姫街道の別名を持つ街道」として転記」「「姫街道の別名を持つ街道一覧」、より簡潔には「姫街道の一覧」」とのコメントに賛成します。個人的には、「新たに改名した「姫街道」記事に」転記するより、「姫街道の一覧」の新規立項の方が良いのではと思うところです。それは、例として東海道の一里塚一覧などの記事などが見られますし、「姫街道の一覧」は簡潔で、記事立項の目的が明確で理解しやすいと思います。
「姫街道(曖昧さ回避)」「新たに改名した「姫街道」記事に「その他の姫街道の別名を持つ街道」として転記」、「姫街道の別名を持つ街道一覧」、「姫街道の一覧の4案の中では、現在「姫街道の一覧」が良いのではと思うところです。--湖紫陽会話2016年12月12日 (月) 08:27 (UTC)返信
  ご意見ありがとうございます。各地の別名「姫街道」については、{{Otheruses}}で誘導をはかるほか、改名後「姫街道」に(記述を本坂通などに移し、記述量を減らした上で)他の「姫街道」について少し詳しく付記してもいいかなと思いますが、語源説などは各地の姫街道に共通する内容に限り、各地の姫街道の語源説については基本的には各地の姫街道の記事に記すべきかなと思っています。一覧記事の作成にも特に反対するものではありませんし、「姫街道」のカテゴリを作成してもいいのではないかと思っています。ただ一里塚の記事もそうですが、一覧記事は出典の明記がおろそかになりがちな印象があるので、そこはご留意いただきたいと思います。--宇井木辺出夫会話2016年12月15日 (木) 11:11 (UTC)返信
  終了 湖紫陽さんとAs6022014さんから賛成意見をいただき、ほかにご異議等ございませんでしたので、改名の処理を進めたいと思います。「姫街道」から「姫街道 (曖昧さ回避)」への改名は自力でできるかもしれませんが、この記事の移動に関しては、移動処理を依頼しますので、対処いただだけるまでにもう少し時間を要すると思います。対処いただいた後に、[[姫街道 (東海道)|姫街道]]のように記されている内部リンクについては件数が多いためbot作業を依頼したいと考えております。--宇井木辺出夫会話2016年12月27日 (火) 14:59 (UTC)返信
あの、(現)「姫街道(東海道)」から(新)「姫街道」への改名は賛成していますが、(現)「姫街道」から「姫街道(曖昧さ回避)」の改名案は賛成していません。As6022014さんからご提案のあった、姫街道の別名を持つ街道一覧」、「姫街道の一覧」のどちらかです。簡潔であることから、私は「姫街道の一覧」を支持しています。--湖紫陽会話2016年12月27日 (火) 15:09 (UTC)返信
ああ、そういうことでしたか(ノートの方に「賛成していない」とコメントいただいたので、何事かと思いました)。{{Otheruses}}で指定する先を、姫街道 (曖昧さ回避)ではなく、「姫街道の一覧」という記事にせよ、と主張しておられたのですね。しかしそれはWP:D#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避の指示するやり方と違うように思いますので、曖昧さ回避ページとは別途「一覧」記事を作成いただいた方がいいような…。いずれにしても、まだ議論の余地がありそうなので、やり直しを考えます。--宇井木辺出夫会話2016年12月27日 (火) 15:48 (UTC)返信

  (インデント戻します)移動のやり直し(差し戻し)作業完了しました。一覧記事は曖昧さ回避ページとは別に作るものだと思い込んでいて、曖昧さ回避ページを一覧記事で置き換える、という考えが念頭になかったもので、勘違いで改名作業をしてしまい、大変失礼いたしました。それで現・姫街道の記事を確認して、どう対処するか考えたのですが、

  • 現「姫街道」の記事の本文は、出典のない記述となっており、また各地の姫街道について横断的な言及のある文献は私の知る限りではかなり限られている(小杉(1997)、宮川(2012)に少し書いてあったくらいでしょうか)。
  • 現「姫街道」に記載のある、各地の街道に「姫街道」の別称があることへの言及および出典参照については、それぞれの街道の記事には必ずしも記載がない。

という現状認識から、

(1) 各地の姫街道の語源説や「姫街道」という別名がある旨を、各地の姫街道の記事に転記する。
(2)「姫街道」の記事は「姫街道 (曖昧さ回避)」に移行し、曖昧さ回避ページは、各地の姫街道の記事にある記述(「姫街道」という別称がある旨を含む)を出典として参照するようにする。
(3) 改名後の「姫街道」の記事に「その他の姫街道の別名を持つ街道」などの見出しで章節を設け、小杉(1997)や宮川(2012)を出典にして、各地の別名「姫街道」に言及する。各地の姫街道の一覧や、それぞれの姫街道別の語源説等は記さない。
(4) 別途「姫街道の一覧」の記事を作成し、現行「姫街道」の内容を転記する。改名後の「姫街道」の記事の「その他の姫街道の別名を持つ街道」の章節から、{{main}}でその記事を参照する。

という対処が妥当ではないかと考えました。現行「姫街道」を曖昧さ回避にする、という対処は、現行「姫街道」の記事には出典つきの本文がないので、各地の街道の記事を手直しすれば、曖昧さ回避ページにすることは難しくなさそうだ、という判断から考えました。このような対処でいかがでしょうか、ご意見お待ちしております。--宇井木辺出夫会話2016年12月28日 (水) 15:46 (UTC)返信

  現状、宇井木辺出夫さんの提案は、コメント依頼に提出するべきものです。まずは、コメント依頼を提出して意見を求めてください。--湖紫陽会話2016年12月28日 (水) 15:54 (UTC)返信

  •    宇井木辺出夫さんの改名・分割(一部転記)案では、わからないところがあります。上述の提案を表にすると、改名・分割案(2)に相当するものと思われます。
現状 改名案(1) 改名・分割案(2)
記事名 備考 記事名 備考
(甲) 姫街道 (東海道) (丙) 姫街道 (甲)を(丙)へ改名する。 (戊) 姫街道 「その他の姫街道の別名を持つ街道」などの見出しで、各地の(別名)「姫街道」を記載。・・(3) 改名後の(戊)の記事の「その他の姫街道の別名を持つ街道」の章節から、{{main}}でその記事を参照する。・・(4)
(乙) 姫街道 (丁) 姫街道の一覧 (乙)を(丁)へ改名する。 (己) 姫街道の一覧 (乙)の内容を(己)転記する。・・(4)
(庚) 「姫街道 (曖昧さ回避)」 (乙)の記事を(庚)へ移行。・・(2)の前半
(辛) (各地の街道記事(中山道等)) (乙)の記事の「語源説や「姫街道」という別名がある旨」を(辛)へ一部転記・・(1)
  • (1)については、特に異論はありません。
  • (2)については、各地の姫街道の記事にある記述(「姫街道」という別称がある旨を含む)を出典として参照するようにする。が、何を求めているかがよくわかりません。
  • (3)については、各地の姫街道の一覧や、それぞれの姫街道別の語源説等は記さない。は必要ありません。記事の展開を求める限り、新たな加筆者・編集者もあらわれることが考えられます。したがって、・・はしない、・・は禁止、などの規定を決める必要はありません。。方針・ガイドラインに則して記述して頂ければいいそれだけです。
  • しかし、一番難解なのは、(2)と(4)です。説明を見る限り、ほぼ同じ内容です。どのようなプランを想定しているのかわかりません。
  • 現状、As6022014さんのご意見は確認できていないのでわかりませんが、私の意見は、改名案(1)の通りです。

ところで、「姫街道 (東海道)」及び「姫街道」について、Wikipedia:ページの分割と統合(項目一部転記)の告知、およびテンプレートの貼付が行われておりません。まずはその手続きが必要です。--湖紫陽会話2016年12月30日 (金) 01:54 (UTC)返信

再提案の提出。 編集

#「姫街道 (東海道)」から「姫街道」へ改名提案の提案者が投稿ブロックとなったため、姫街道関連記事の再編案を再提出したいと思います。 主要な内容は2つあり、一つ目に「姫街道 (東海道)」の分割(一部転記)(1‐4)に相当。二つ目に「姫街道」の改名となります。


1:「姫街道 (東海道)」の分割(一部転記) 編集

これまでの経緯 編集

議論については、
分割提案(a)(--湖紫陽(koshi2016)(会話) 2016年12月4日 (日) 09:42 (UTC))までの議論により合意形成。
*近世までについて 「本坂通」への一部転記とする。
*近代以降について 「姫街道(東海道)」はそのままとする。
分割ルール(b)(宇井木辺出夫(会話) 2016年12月10日 (土) 02:21 (UTC))に提案されました。

その後の、議論がとまったので、私は、これまでの議論から記事の分割について時代により分割した新提案(c)

*「姫街道 (東海道)」を「二見の道」、「本坂通」、「姫街道」への分割

を提案します(c-1・2・3・4)。

2:「姫街道」の改名 編集

現「姫街道」については、宇井木辺出夫(会話) 2016年12月27日 (火) 14:59 (UTC)により提案が行われていましたがその内容が不明なままであることから、今回は内容の変更は行わず、単に「姫街道」の改名のみを行うことを提案します。記事名は姫街道(曖昧さ回避)の他、As6022014さんより提案された姫街道の別名を持つ街道一覧姫街道の一覧などがあげられています。個人的には簡潔であることから、姫街道の一覧を支持します。

  • 本提案をまとめたものは以下の通りになります。
「姫街道」関連記事の改名、統合・分割(一部転記)案
分割ルール(b) 新提案(c)
時代 記事名 内容 時代 記事名 備考 作業
先史時代 姫街道 (東海道) 中世以前(今切口ができるまで)の歴史については、「二見の道」を新規立項して、そちらに記す。 先史 史跡へ移す。 先史時代に「姫街道」だけでなく、「二見の道」及び「本坂通」の用語の使用が確認できない。先史時代の項目は必要がない。

しかし、道路・街道の説明でなく、近隣の史跡としては重要な状況。

なし。
古代 古代―中世 「二見の道」 「二見の道」に関わる記事によって、新規立項する。 統合・分割(一部転記)。
中世
近世 近世の歴史については、「本坂通」に記す。 中世―近世 「本坂通」 「今切口」の形成を基本とするのではなく、「本坂」の文献が確認ができれば「本坂通」の記事とするべき。
近・現代 姫街道(東海道)に記す。 近・現代 「姫街道」 幕末以降、姫街道に関連する内容を中心とした記事とする。 統合・分割(一部転記)
姫街道 「姫街道の一覧」:(d) 曖昧さ回避 改名

これまで議論が交わされたことから、まずは、新提案について、本提案提出から一週間の間、皆様からのご意見を待ち、その後作業に移りたいと思います。--湖紫陽会話2017年1月5日 (木) 04:11 (UTC)返信

  賛成 「姫街道」の改名については賛成です。特に異見はありません。
  ただ、時代区分についてですが、古代 - 中世 - 近世まではいいと思いますが、その後を幕末としてあるあたりが、どうも一貫していないように思われますので、どうにか致しようはないものでしょうか。--ムカイ会話2017年1月6日 (金) 14:34 (UTC)返信
  返信 早速のご指摘ありがとうござます。4に幕末とあるのは、時代区分における考えではなく記事は「近・現代」以降が中心です。でも、それに関わる「幕末の内容も入れたいと思ってます」との考えから敢て、「幕末」と記述していました。ただし、ご指摘に関する表の表記に誤りも確認できたことから、表の表記のみ訂正させていただきます。--湖紫陽会話2017年1月6日 (金) 18:42 (UTC)返信

  報告 表の一部修正を行ったことをお伝えします。--湖紫陽会話2017年1月9日 (月) 23:20 (UTC)返信

  「姫街道(東海道)」の分割(一部転記)案および「姫街道」の改名の提案から、一週間経ちますが、異論意見は見られないことから数日おいて、今回の提案の作業に移る予定です。その後、「姫街道(東海道)」の転記後、「二見の道」の近世以降、「本坂通」の古代部・近・現代以降、「姫街道」近世以前の記事については、要約記事へ編集する予定です。--湖紫陽会話2017年1月11日 (水) 04:42 (UTC)返信

  これまでの議論および改名、統合・分割(一部転記)案の再提出後、異論が見られないことから改名・分割を行うことを報告します。--湖紫陽会話2017年1月13日 (金) 11:15 (UTC)返信

  報告 以下の作業が終了したことを報告します。

①「姫街道」を「姫街道の一覧」へ移動。
②「姫街道(東海道)」を「二見の道」、「本坂通」、「姫街道(東海道)」に一部転記し分割。
③「姫街道(東海道)」を「姫街道」へ全文転記。残りの「姫街道(東海道)」を「姫街道」への転送ページ化。

以上です。--湖紫陽会話2017年1月13日 (金) 13:27 (UTC)返信

「姫街道(東海道)」ではなく「姫街道 (東海道)」ですよね? 二見の道姫街道本坂通についてですが、履歴ページを見ればわかりますが要約欄でリンクができておらず履歴継承がうまくいっていません。Wikipedia:ページの分割と統合Wikipedia:ウィキペディア内でのコピーを参照してください。他の利用者に加筆修正される前にWikipedia:即時削除の方針全般の8で手続きをやり直す必要があります。--Mobnoboka会話2017年1月14日 (土) 01:12 (UTC)返信

  報告現在履歴継承の不手続きを修正、一部の版削除の手続きを依頼しています。--湖紫陽会話2017年1月16日 (月) 06:50 (UTC)返信

  報告 履歴不継承の不手続きによる版削除等の手続きが済み、姫街道の改名、二見の道、本坂通への分割が終了したことをお伝えします。--湖紫陽会話2017年4月3日 (月) 03:22 (UTC)返信

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