バイエルン国王
(バイエルン王から転送)
バイエルン国王(バイエルンこくおう、独: König von Bayern)は、1806年から1918年までバイエルン王国(現在のバイエルン州およびプファルツ)を統治したヴィッテルスバッハ家の君主の世襲の称号である。約1000年以上前にカロリング朝下でのバイエルン王国が存在したので、これは2番目の王国ということになる。
バイエルン国王 König von Bayern | |
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過去の君主 | |
バイエルン国王の紋章 | |
ルートヴィヒ3世 1913年11月5日–1918年11月7日 | |
初代 | マクシミリアン1世 |
最終代 | ルートヴィヒ3世 |
称号 | 国王陛下 |
任命権者 | 男系長子存続 |
始まり | 1806年1月1日 |
終わり | 1918年11月7日 |
概要
編集1805年12月26日にフランス皇帝ナポレオン1世と神聖ローマ皇帝フランツ2世との間でプレスブルク条約が結ばれ、ナポレオンと同盟していた幾つかの公国、選帝侯国は王国への昇格を認められた。その中の一人であるバイエルン選帝侯マクシミリアン4世は1806年1月1日にバイエルン国王マクシミリアン1世と称した。マクシミリアン1世はプファルツ(ライン宮中伯)系ヴィッテルスバッハ家の支流であるプファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト家の出身であった。
マクシミリアン1世や後継者たちはドイツ・ナショナリズムに抵抗し、プロイセンやオーストリアに脅かされるドイツ連邦の諸邦の指導者として第三極的立場にあった。普墺戦争では宗教的な繋がりからオーストリア側に就いて敗れ、ルートヴィヒ2世はプロイセンと同盟(実質的にはバイエルンの主権の制限)を結んだ。
1870年11月23日の条約でバイエルンは新生ドイツ帝国に統合されたが、比較的自治が認められた。バイエルン国王は独自の称号、外交権、国軍を有していた。第一次世界大戦末期の1918年にドイツ皇帝が廃されると、最後の国王ルートヴィヒ3世は退位した。
なお、バイエルン王の称号はしばしばカロリング朝の君主も用いていた。詳しくはバイエルンの君主一覧を参照。
歴代バイエルン国王
編集名前 | 肖像 | 称号 | 即位 | 崩御 または 退位 |
公的な君主名 | 備考 |
マクシミリアン1世 | 国王 | 1806年 | 1825年 | バイエルン国王マクシミリアン・ヨーゼフ陛下 | ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルト宮中伯フリードリヒ・ミヒャエルの息子。1795年から兄カール3世アウグスト・クリスティアンを継いでプファルツ=ツヴァイブリュッケン公、1799年から遠戚かつ義理の伯父カール・テオドールを継いでバイエルン選帝侯となる。ナポレオン1世と同盟を結び、有名無実の選帝侯の称号を捨て、1806年1月1日にバイエルン国王マクシミリアン1世として即位した。 | |
ルートヴィヒ1世 | 国王 | 1825年 | 1848年 | バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 | マクシミリアン1世の息子。1848年革命で退位。 | |
マクシミリアン2世 | 国王 | 1848年 | 1864年 | バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯マクシミリアン陛下 | ルートヴィヒ1世の息子 | |
ルートヴィヒ2世 | 国王 | 1864年 | 1886年 | バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 | マクシミリアン2世の息子。“狂王”と呼ばれた。1871年にバイエルンをドイツ帝国の構成国とし、1886年に変死した。[1] | |
オットー1世 | 国王 | 1886年 | 1913年 | バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯オットー陛下 | ルートヴィヒ2世の弟。精神に異常をきたしており、治世は摂政の許で行われた: | |
摂政ルイトポルト | 摂政 | 1886年 | 1912年 | バイエルン、フランケン及びシュヴァーベン、ライン宮中伯の摂政ルイトポルト殿下 | ルートヴィヒ1世の息子で、ルートヴィヒ2世とオットー1世の摂政。 | |
ルートヴィヒ3世 | 摂政 国王 |
1913年 | 1918年 | バイエルン国王、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ルートヴィヒ陛下 | 摂政ルイトポルトの息子。1912年から1913年まで摂政を務めた。第一次世界大戦末期のドイツ革命で王位を失った。 | |
ループレヒト
(Rupprecht) |
王太子
(Kronprinz) |
1913年 | 1955年 | バイエルン王太子、バイエルン、フランケン及びシュヴァーベン公、ライン宮中伯ループレヒト・マリア・ルイトポルト・フェルディナント殿下 | ルートヴィヒ3世の息子で最後のバイエルン王太子。 |
系図
編集マクシミリアン1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マクシミリアン2世 | ルイトポルト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ2世 | オットー1世 | ルートヴィヒ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在の王位請求者
編集バイエルン王家全体の系図
編集脚注
編集- ^ King, Greg (1996.), The Mad King: The Life and Times of Ludwig II of Bavaria., ISBN 1-55972-362-9
関連項目
編集外部リンク
編集- Könige von Bayern / バイエルン国王たち - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)