ヘルベルト・プロハスカ
ヘルベルト・プロハスカ(Herbert Prohaska, 1955年8月8日 - )は、オーストリア・ウィーン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
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名前 | ||||||
愛称 | Schneckerl | |||||
ラテン文字 | Herbert Prohaska | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストリア | |||||
生年月日 | 1955年8月8日(69歳) | |||||
出身地 | ウィーン | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
代表歴 | ||||||
1974-1989 | オーストリア | 83 | (10) | |||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
1980年代を通じてオーストリア・ブンデスリーガとイタリア・セリエAで活躍した。愛称の「Schneckerl」は縮れた髪の毛を意味するウィーンの方言で、若い頃の彼の髪型に由来している。
経歴
編集長年に渡りFKアウストリア・ウィーンの中心選手として活躍、4度のリーグ優勝と3度のカップ優勝を果たす。
1980年にセリエAの名門インテルへ移籍。2シーズン目にはコッパ・イタリアで優勝。1982年には同リーグのASローマに移籍。初年度でリーグ優勝を果たし、スクデットを獲得した。当時外国人に対して比較的閉鎖的であったセリエAでプロハスカが各クラブの主力選手として活躍したことは、以降イタリアへの移籍を希望する多くのオーストリア出身選手に影響を与えた。
オーストリア代表選手としては1978年FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会と1982年FIFAワールドカップ・スペイン大会に出場、1978年大会、2次リーグ最終戦において前回優勝国の西ドイツを3-2で破り、コルドバの奇跡と賞賛された一員でもある。また1982年大会、1次リーグ第3戦の西ドイツ戦(ヒホンの無気力試合。一部で八百長が噂され、ワールドカップ史上最も恥ずべき試合とも呼ばれている)でもピッチに立っている。1989年に現役引退。
指導者としては1990年からFKアウストリア・ウィーンの監督に就任。1993年からオーストリア代表監督に就任し、FIFAワールドカップ・フランス大会予選を突破し本大会出場に導き、翌1998年の本大会でも指揮を執った。
大会後も続投したが1999年3月27日に行われたEURO2000地区予選第4戦のスペイン戦で0-9の大敗を喫し辞任した。
2003年11月のUEFAジュビリーアウォーズの際には、オーストリアサッカー協会から同国の20世紀最優秀選手に選出され、2005年にはオーストリアの国家勲章を与えられたプロハスカは、代表監督を辞任してから早々に監督業を引退、現在はオーストリア国営放送(ORF)のコメンテーターとして活躍している。
選手経歴
編集- 1972年-1980年 FKアウストリア・ウィーン
- 1980年-1982年 インテル・ミラノ
- 1982年-1983年 ASローマ
- 1983年-1989年 FKアウストリア・ウィーン
指導者経歴
編集- 1990年-1992年 FKアウストリア・ウィーン 監督
- 1993年-1999年 オーストリアA代表 監督
- 1999年-2000年 FKアウストリア・ウィーン 監督
獲得タイトル
編集クラブ
編集- オーストリア・ブンデスリーガ 優勝7回 (1976, 1978, 1979, 1980, 1984, 1985, 1986)
- オーストリア・カップ 優勝4回 (1974, 1977, 1980, 1986)
- オーストリア・スーパーカップ 優勝1回 (1997)
- イタリア・セリエA 優勝1回 (1983)
- コッパ・イタリア 優勝1回 (1982)
個人タイトル
編集- オーストリア年間最優秀選手賞 3回(1984, 1985, 1987)