ベルト・ファン・マルワイク
ベルト・ファン・マルヴァイク(ファン・マルバイク、ファン・マルウェイクなどとも、Bert van Marwijk、1952年5月19日 - )は、オランダ東部のデーフェンテル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。娘婿は元オランダ代表のマルク・ファン・ボメルである。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2018年のファン・マルワイク | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Bert van Marwijk | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ | |||||
生年月日 | 1952年5月19日(72歳) | |||||
出身地 | デーフェンテル | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1969–1975 | ゴー・アヘッド・イーグルス | 146 | (16) | |||
1975–1978 | AZアルクマール | 69 | (20) | |||
1978–1986 | MVVマーストリヒト | 225 | (35) | |||
1986–1987 | フォルトゥナ・シッタート | 11 | (1) | |||
1987–1988 | SVメールセン | 17 | (0) | |||
通算 | 468 | (72) | ||||
代表歴 | ||||||
1975 | オランダ | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1998-2000 | フォルトゥナ・シッタート | |||||
2000-2004 | フェイエノールト | |||||
2004-2006 | ボルシア・ドルトムント | |||||
2007-2008 | フェイエノールト | |||||
2008-2012 | オランダ | |||||
2013-2014 | ハンブルガーSV | |||||
2015-2017 | サウジアラビア | |||||
2018 | オーストラリア | |||||
2019 | アラブ首長国連邦 | |||||
2020-2022 | アラブ首長国連邦 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集1969年、ゴー・アヘッド・イーグルスでプロデビュー。ミッドフィルダーとして活躍し、オランダ国内のクラブを転々とした。1975年にはユーゴスラビア代表との親善試合に出場し、代表キャップ1試合を記録した。
MVVマーストリヒトに所属していた1982年、現役の選手でありながら同チームのユースチームコーチを任され、指導者としての道を歩み始める。1986年にフォルトゥナ・シッタートに移籍後、現役を続けながらアマチュアクラブSVメールセンのユースチームの監督を兼任した。監督業に専念するため1988年に引退、国内外のアマチュアクラブの監督として3チームを渡り歩いた。
1997年にはフォルトゥナ・シッタートの監督に就任。マルク・ファン・ボメル、ヴィルフレート・ボウマ、ケヴィン・ホフラントといった後のオランダ代表選手を育て上げると、1999年にKNVBカップで決勝までチームを率いた手腕が評価され、翌2000年にフェイエノールトの監督に就任。国内リーグを制することはできなかったが、2002年に小野伸二、ヨン・ダール・トマソン、ピエール・ファン・ホーイドンクらを率いてUEFAカップを制した。
2004年、ボルシア・ドルトムントの監督に就任したが2006年シーズン半ばで辞任。翌年から再びフェイエノールトの監督を務め、KNVBカップを制覇。2008年8月よりマルコ・ファン・バステンの後任として、オランダ代表の監督に就任。 2010年のFIFAワールドカップで準優勝に導く。しかし2012年のUEFA欧州選手権ではグループリーグを3戦全敗に終わり、契約期間が2016年まで残っていたが、この責任を取り6月27日に辞任した[1]。
2013年9月、ハンブルガーSVの監督に就任[2]。しかし順位が降格圏に突入するなど成績不振のために2014年2月15日に解任された[3]。
2015年8月25日、サウジアラビア代表監督に就任。2006年以来のワールドカップ本大会出場を決めたが、マルク・ファン・ボメルやアドリー・コスターといった契約が終了したテクニカル・スタッフが解任され、自身も本大会に向けての契約延長交渉の中で「月に23日間国内に留まり、国外に出る場合は許可を得なければならない」という条件を出されたことで、延長を拒否し即退任を決めた[4]。
2018年1月24日、サッカーオーストラリア代表の監督に就任した。
2018年7月14日、サッカーオーストラリア代表の監督を退任した。
2019年3月20日、サッカーアラブ首長国連邦代表の監督に就任した。
2022年6月28日、古巣のクラブMVVマーストリヒトのコーチングアドヴァイザーに就任[5]。
エピソード
編集2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の抽選会場で、同じグループEになった日本代表の岡田武史監督と会話した際、本人に向かって「ところで日本の監督ってだれなの?」と発言した[5]。また、同大会の試合前に岡田が握手を求めたのに対し、握手には応じたが憮然とした態度でオランダ語で「お前は面倒な奴だ」と言い放ちその場を去ったと報道された。この行為に対し中国で「アジア人を見下している」などの非難が相次いだ。のちにファン・マルワイクは「握手は(わずか)2、3秒で、岡田監督がそこにいたとは思わなかった。岡田監督を見下しているわけではない。私はどんな人にも敬意を持っている」と釈明した[6]。
監督歴
編集チーム | 国 | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 | ||||
FC Herderen | 1990 | 1991 | ||||||
RKVCL Limmel | 1991 | 1995 | ||||||
SV Meerssen | 1995 | 1998 | ||||||
フォルトゥナ・シッタート | 1998 | 2000 | ||||||
フェイエノールト | 2000年7月1日 | 2004年6月30日 | 182 | 110 | 32 | 40 | 60.44 | |
ボルシア・ドルトムント | 2004年7月1日 | 2006年12月16日 | 95 | 35 | 32 | 28 | 36.84 | |
フェイエノールト | 2007年7月1日 | 2008年6月30日 | 38 | 24 | 6 | 8 | 63.16 | |
オランダ代表 | 2008年8月1日 | 2012年6月27日 | 52 | 34 | 10 | 8 | 65.38 | |
ハンブルガーSV | 2013年9月26日 | 2014年2月15日 | 17 | 4 | 3 | 10 | 23.53 | |
サウジアラビア代表 | 2015年9月1日 | 2017年9月15日 | 20 | 13 | 4 | 3 | 65.00 | |
オーストラリア代表 | 2018年1月24日 | 2018年7月14日 | 7 | 2 | 2 | 3 | 28.57 | |
アラブ首長国連邦代表 | 2019年3月20日 | 2019年12月4日 | 11 | 6 | 1 | 4 | 54.55 | |
アラブ首長国連邦代表 | 2020年12月14日 | 2022年2月12日 | 11 | 6 | 4 | 1 | 54.55 |
脚注
編集- ^ ファン・マルヴァイクがオランダ代表監督を辞任 goal.com 2012年6月28日
- ^ HSV新監督はファン・マルヴァイク氏 サンケイスポーツ 2013年9月24日
- ^ HSV stellt Trainer Bert van Marwijk frei HSV公式HP 2014年2月15日
- ^ https://www.voetbalprimeur.nl/nieuws/762280/van-marwijk-ik-laat-niemand-mij-vertellen-hoe-ik-precies-mijn-werk-moet-doen-.html
- ^ a b Bert van Marwijk 'leercoach' bij MVV 2022年6月28日
- ^ 岡田監督にオランダ監督が侮辱発言…本国で報道、中国人も非難