サッカーオーストラリア代表
サッカーオーストラリア代表(サッカーオーストラリアだいひょう、Australian national football team)は、オーストラリアサッカー連盟(FFA)によって構成される、オーストラリアのサッカーのナショナルチームである。
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国または地域 |
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協会 | オーストラリアサッカー連盟 | |||
FIFAコード | AUS | |||
愛称 | Socceroos (サッカルーズ) | |||
監督 |
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最多出場選手 | マーク・シュワルツァー(109試合) | |||
最多得点選手 | ティム・ケーヒル(50得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
![]() ![]() (ダニーデン, 1922年6月17日) | ||||
最大差勝利試合 | ||||
![]() ![]() (コフスハーバー, 2001年4月11日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
![]() ![]() (アデレード, 1955年9月17日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 6回(初出場は1974) | |||
最高成績 | ベスト16(2006, 2022) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 優勝(2015) | |||
FIFAコンフェデレーションズカップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 準優勝(1997) | |||
OFCネイションズカップ | ||||
出場回数 | 6回 | |||
最高成績 | 優勝(1980, 1996, 2000, 2004) | |||
愛称は「サッカルーズ(the Socceroos)」で、サッカーとカンガルーの合成語からとったものである[1]。また、カンタス航空がスポンサーとなっている。
歴史編集
黎明期編集
オーストラリア代表は、1922年にニュージーランド代表と初めての国際試合を行い、結果は2敗1分であった。この時から25年間オーストラリアはニュージーランド、南アフリカ、中国などと親善試合を幾度となく行っていた。FIFAワールドカップには1966年大会から予選に参加し、一次予選で北朝鮮代表に敗れた。
W杯への挑戦編集
1974年大会のアジア/オセアニア地区最終予選(英語)では、韓国と再試合までもつれ込んだ戦いを制して初出場を果たす[1]。本大会は2敗1分で1次リーグで敗退した[1]。1974年にアジアサッカー連盟(AFC)から除名されたイスラエルが1980年代よりオセアニアの暫定メンバーになったことにより、1986年メキシコ大会予選よりオセアニア地区予選に加わることとなった[2]。このためFIFAは、アジアとアフリカのアラブ諸国との対戦を避けるため、オセアニア地区を従来のアジア地区とアフリカ地区と全く切り離して予選を組むように配慮した。
1986年大会予選はオセアニア地区予選1位となったが、ヨーロッパ地区予選からプレーオフに出場したスコットランドに敗退した。1994年大会予選でもオセアニア地区勝者となり、北中米カリブ海地区予選2位のカナダに勝利したが、その次のアルゼンチンに敗れ本大会出場は成らなかった。1998年大会は大陸間プレーオフで、イランに2引分でアウェーゴールルールにより敗退。2002年大会予選ではウルグアイとのプレーオフに1勝1敗ながら得失点差により敗れた。なお、2002年大会予選のアメリカ領サモア戦に31-0で勝利し、国際試合における最多得点を記録した
32年ぶりの本大会出場編集
2003年からオーストラリア政府の後押しを受けたオーストラリアサッカー連盟は、様々な改革に着手した[3]FIFAコンフェデレーションズカップ2005でグループリーグA組を勝ち点0の最下位で終えた2005年にフース・ヒディンクが監督に就任した。当時の予選は集中開催方式(集中開催方式)で行われていた。2次予選での上位2カ国が2005年9月3日および6日の最終予選を戦い、その勝者が2005年11月12日と11月16日の南米5位との大陸間プレーオフ2試合を戦うというものだった。ヒディンク監督招聘時点で、残る試合は最終予選2試合と南米5位との大陸間プレーオフ2試合だった。期間に余裕があることを逆手に取り、PSVとの契約中で難色を示したヒディンクにPSV監督と兼務で構わないと説得した。また、オーストラリア代表選手の主力の多くが欧州でプレーしていたこともプラスに働いた(PSV監督をしながら視察できるため)。ヒディンク監督はPSV監督を兼務したまま、2005年7月にオーストラリア代表監督に就任した。
9月の最終予選に勝利して、南米予選5位のウルグアイと大陸間プレーオフで対戦。11月12日第1戦アウェーでは敗れ、ホームでの第2戦に臨んだ。この際、同国のフラッグ・キャリア(その国を代表する航空会社)であるカンタス航空が協力し特別なチャーター機を手配した。35人の代表選手団に対し220人乗りのジャンボ機を用意し、帰国の準備が出来次第すぐに離陸した。負傷者の負担を減らす為、低い高度で飛び、時差に早く適応できるような工夫をした。機内には疲労を取り除く為にマッサージ台の設置、特別な食事メニュー、酸素ボンベの供給などあらゆるものが準備されていた。対してウルグアイは直行のチャーター機を用意できず、二度の乗り継ぎを余儀なくされ疲労困憊で第2戦に臨む羽目になった[4]。ホームでの第2戦を1-0で勝利し、2試合の勝敗・得点共に同じとなったためPK戦に突入して4-2で制し32年ぶりの本大会出場を決めた。本大会では、グループリーグ初戦の日本戦でW杯初勝利を挙げ、グループリーグも1勝1敗1分の2位で突破した。決勝トーナメントは1回戦でイタリアと対戦して敗れたが、32年ぶりの出場でベスト16入りと大躍進を見せた。
AFCへの参加編集
オーストラリア代表の属するオセアニア地区は、長年ワールドカップ予選において地区予選後にヨーロッパや南アメリカ、またはアジアと大陸間プレーオフを行うことで本大会への出場権が決定されていた。いずれも各地区予選で惜しくも漏れ敗者復活に懸ける強豪国と対戦することが多く、オーストラリアサッカー連盟はアジアサッカー連盟(AFC)への加入を求めていたが、この訴えは国際サッカー連盟(FIFA)により拒否されてきた。AFCへの転籍にはオセアニアサッカー連盟(OFC)とAFC双方の了解が必要だったが、オーストラリアサッカー連盟は政府の後押しを受け、念入りにロビー活動を展開した[5]。
2005年3月23日に、AFC執行委員会は全会一致でオーストラリアサッカー連盟のAFC入会を承認した。AFC会長(当時)のモハメド・ビン・ハマムは、オーストラリア参加による経済的な利益を考慮したことを説明している。OFCは4月17日にオーストラリアサッカー連盟のOFC退会を承認した。FIFAはこれを受けて、2006年1月1日の時点をもってAFCへオーストラリアサッカー連盟が入会すると発表した(ただし、オーストラリアは既に2005年にOFC代表として2006年独W杯の出場権を獲得していた為、2006年独W杯へはOFC代表として出場した)。また、オーストラリアサッカー連盟は『Football Federation Australia』に改名した。
AFC加入後の実績編集
2006年2月、AFC加盟後初の国際試合はAFCアジアカップ2007の予選のアウェーでのバーレーン戦(2月22日)であった。主力の海外組が不在、監督のヒディンクも監督を兼任していたPSVアイントホーフェンで指揮を取っていたため不在であったが、3-1で勝利を収めた。また、同予選を勝ち抜いてAFCアジアカップの初出場も決めた。なお、同大会は決勝トーナメント1回戦で日本にPK戦で敗れた。先述の通り、2006年6月9日から7月9日にかけて開催された2006年独W杯ではベスト16に入った。
AFC加盟後初のFIFAワールドカップ地域予選の試合は、2008年2月6日にホームで行われた2010 FIFAワールドカップ・アジア予選3次予選グループ1第1戦対カタール戦であり、3-0で勝利した。その後、最終予選へ進出して全8戦中2009年6月6日の第6戦で2大会連続の本大会出場を決めた(6勝2分)。2010年大会は得失点差でガーナに及ばずグループリーグ3位となり、2大会連続のグループリーグ突破はならなかった。
AFCアジアカップ2011はグループリーグを首位で通過。決勝トーナメントは決勝で日本に延長戦で敗れ、準優勝となった。2014 FIFAワールドカップはグループリーグ3戦3敗の最下位で、決勝トーナメント進出は成らなかった。自国開催のAFCアジアカップ2015では、グループリーグでオマーン、クウェートに連勝し韓国には敗れたものの、2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメントでは準々決勝で中国、準決勝でUAEを撃破すると、決勝ではグループリーグで敗れた韓国を延長戦の末に破って初優勝を果たした。FIFAコンフェデレーションズカップ2017に2005年大会以来12年ぶり、AFC代表としては初めての出場を果たすも初戦のドイツ戦に敗れ、残る2試合で引き分けたため2分1敗の3位に終わった。
2018 FIFAワールドカップはアジア3次予選でグループ最下位だったタイにアウェーで2-2で引き分ける(ホームでも2-1と辛勝)など苦戦を強いられ3次予選での敗戦は日本に敗れた1敗のみであったが、サウジアラビアに得失点差で及ばずグループBで3位となり、グループA3位のシリアとの4次予選に回ることになった。4次予選ではアウェーで1-1で引き分けたが、ホームでも1-1の引き分けとなったために延長戦となり、延長後半にティム・ケーヒルが決勝点を挙げて勝利した。なお、ケーヒルはこの試合同点ゴールも挙げている。その後の大陸間プレーオフでは北中米カリブ海5次予選4位のホンジュラスにアウェーで0-0だったが、ホームではミル・ジェディナクがPK2発を含むハットトリックで3-1と勝利し、合計スコアも3-1で4大会連続の本大会出場を決めた。本大会ではグループCに入り、初戦のフランス戦に1-2で敗れた後、2戦目のデンマーク戦に1-1と引き分け、最終戦まで決勝トーナメント進出の可能性は残っていたが3戦目のペルー戦に0-2で敗れ、グループ最下位に終わるとともに2大会連続の未勝利に終わった。
2022 FIFAワールドカップに向けたアジア3次予選ではグループB3位となったため、大陸間プレーオフを賭けてグループA3位のUAEと対戦。2-1で制して大陸間プレーオフに駒を進めた[6]。大陸間プレーオフでは前回大会グループリーグ最終戦で0-2と敗れたペルーと対戦し、0-0からのPK戦の末に下したことで5大会連続6度目のワールドカップ出場を果たした[7]。
本大会ではフランス、デンマーク、チュニジアと同じグループDに組み分けされ、4カ国のうち3カ国が前回大会と同じ顔ぶれになった。初戦のフランス戦では9分にクレイグ・グッドウィンのゴールで先制点こそ奪ったものの、前半のうちに逆転を許し、最終的に連覇を狙う前回大会王者相手に1-4の完敗を喫した[8]。負ければ敗退が決まる第2節のチュニジア戦では、序盤から積極的な姿勢を見せ、相手陣内に攻め込む場面を多く作り、23分にはミッチェル・デュークがヘディングシュートを決めて先制点を奪い前半を1点リードで終えるが、後半は相手にゲームを支配される時間が続き、自陣でのプレータイムが長くなる。それでもディフェンス陣が相手の攻撃を防ぎ続け1-0で勝利したことで2010年大会以来W杯3大会ぶりの白星を挙げた[9]。引き分けでも敗退の可能性がある状況で挑んだ最終節デンマーク戦でも相手にボールを保持される展開の中、互いにゴールを奪えないまま前半を終えると後半は一転して互角の展開となり、60分にはカウンターからマシュー・レッキーが先制ゴールを決め、グループリーグ突破に一歩近づく。その後は相手のクロスボールを高さのある選手たちが壁となってはじき返し2試合連続で無失点で勝利したことで日本に逆転勝利した2006年大会以来4大会ぶり2度目の決勝トーナメント進出を決めた[10]。迎えた決勝トーナメント1回戦では、グループCを首位で通過したアルゼンチンと対戦。開始から自陣でブロックを固め相手にチャンスを作らせない時間はあったものの、35分にこの試合がキャリア通算1,000試合目となったリオネル・メッシに先制点を奪われると、57分にもGKマシュー・ライアンが自陣でフリアン・アルバレスにボールを奪われそのままゴールに流し込まれて後がない状況に追い込まれてしまう。それでも追加点献上から20分後の77分に初戦のフランス戦で先制ゴールを奪ったクレイグ・グッドウィンが放ったシュートがオウンゴールを誘発し1点を返すも同点に追いつくことはできず1-2で惜敗。ベスト16でカタールの地を去った[11]。
成績編集
FIFAワールドカップ編集
FIFAワールドカップ | FIFAワールドカップ・予選 | |||||||||||||
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開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | |
1930 | 不参加 | 不参加 | ||||||||||||
1934 | ||||||||||||||
1938 | ||||||||||||||
1950 | ||||||||||||||
1954 | ||||||||||||||
1958 | ||||||||||||||
1962 | ||||||||||||||
1966 | 予選敗退 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9 | |||||||
1970 | 9 | 3 | 5 | 1 | 12 | 8 | ||||||||
1974 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | 11 | 5 | 5 | 1 | 21 | 10 | |
1978 | 予選敗退 | 12 | 6 | 2 | 4 | 20 | 11 | |||||||
1982 | 8 | 4 | 2 | 2 | 22 | 9 | ||||||||
1986 | 8 | 4 | 3 | 1 | 20 | 4 | ||||||||
1990 | 6 | 2 | 2 | 2 | 11 | 7 | ||||||||
1994 | 10 | 7 | 1 | 2 | 21 | 7 | ||||||||
1998 | 8 | 6 | 2 | 0 | 34 | 5 | ||||||||
2002 | 8 | 7 | 0 | 1 | 73 | 4 | ||||||||
2006 | ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 6 | 9 | 7 | 1 | 1 | 31 | 5 | |
2010 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 6 | 14 | 9 | 3 | 2 | 19 | 4 | |
2014 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 9 | 14 | 8 | 4 | 2 | 25 | 12 | ||
2018 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 5 | 22 | 14 | 6 | 2 | 51 | 18 | ||
2022 | ベスト16 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 6 | 20 | 13 | 4 | 3 | 45 | 15 | |
合計 | 6/22 | 20 | 4 | 4 | 12 | 17 | 37 | 161 | 95 | 40 | 26 | 407 | 125 |
FIFAコンフェデレーションズカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 不参加 | ||||||
1995 | |||||||
1997 | 準優勝 | 5 | 2 | 1 | 2 | 4 | 8 |
1999 | 不参加 | ||||||
2001 | 3位 | 5 | 3 | 0 | 2 | 4 | 2 |
2003 | 不参加 | ||||||
2005 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 5 | 10 |
2009 | 不参加 | ||||||
2013 | |||||||
2017 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 |
合計 | 4/10 | 13 | 5 | 3 | 8 | 17 | 25 |
OFCネイションズカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 不参加 | ||||||
1980 | 優勝 | 4 | 4 | 0 | 0 | 24 | 4 |
1996 | 4 | 3 | 1 | 0 | 14 | 0 | |
1998 | 準優勝 | 4 | 3 | 0 | 1 | 23 | 3 |
2000 | 優勝 | 4 | 4 | 0 | 0 | 26 | 0 |
2002 | 準優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 23 | 2 |
2004 | 優勝 | 7 | 6 | 1 | 0 | 32 | 4 |
2008〜 | 不参加(OFC脱退のため) | ||||||
合計 | 6/9 | 28 | 24 | 2 | 2 | 142 | 13 |
AFCアジアカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1956- 2004 | 不参加(AFC加入前) | ||||||
2007 |
ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 7 | 5 |
2011 | 準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 13 | 2 |
2015 | 優勝 | 6 | 5 | 0 | 1 | 14 | 3 |
2019 | ベスト8 | 5 | 2 | 1 | 2 | 6 | 4 |
合計 | 4/17 | 21 | 12 | 4 | 5 | 40 | 14 |
EAFF E-1サッカー選手権編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 4位 | 3 | 0 | 1 | 2 | 5 | 7 |
合計 | 1/6 | 3 | 0 | 1 | 2 | 5 | 7 |
歴代監督編集
- エディ・トムソン 1990-1996
- テリー・ヴェナブルズ 1997-1998
- フランク・ファリーナ 1998-2005
- フース・ヒディンク 2005-2006
- グラハム・アーノルド 2006-2007
- ピム・ファーベーク 2007-2010
- ホルガー・オジェック 2010-2013
- アンジェ・ポステコグルー 2013-2017
- ベルト・ファン・マルワイク 2018
- グラハム・アーノルド 2018-
現召集メンバー編集
- GK
- マシュー・ライアン 2012-
- ダニエル・ヴコヴィッチ 2018-
- アンドリュー・レッドメイン 2019-
- DF
- ライアン・マッゴーワン 2012-
- アジズ・ベヒッチ 2012-
- トレント・セインズベリー 2014-
- ミロシュ・デゲネク 2016-
- フラン・カラチッチ 2018-
- ハリー・サウター 2019-
- MF
- ジェームス・ホランド 2008-
- トム・ロギッチ 2012-
- マシュー・レッキー 2012-
- ジャクソン・アーバイン 2014-
- マッシモ・ルオンゴ 2014-
- ライリー・マッグリー 2017-
- アイディン・フルスティッチ 2017-
- FW
- ニキータ・ルカヴィツヤ 2009-
- ロビー・クルーズ 2011-
- アダム・タガート 2012-
- ミッチェル・デューク 2013-
- アポストロス・ギアンヌ 2016-
- ジェイミー・マクラーレン 2016-
- マーティン・ボイル 2018-
歴代選手編集
W杯の大会メンバー編集
主な代表選手編集
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Jリーグ所属の代表選手編集
歴代記録編集
出場数ランキング編集
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得点数ランキング編集
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脚注編集
- ^ a b c 後藤健生『決定版 世界サッカー紀行』p.438
- ^ http://www.rsssf.com/tables/86q.html
- ^ 詳細は、オーストラリアサッカー連盟 #オーストラリアサッカー革命の項を参照。
- ^ サッカーワールドカップ2006 6/6オーストラリア編(2)「32年ぶりのW杯出場」
- ^ サッカーワールドカップ2006 6/6オーストラリア編(3)「AFCへの転籍」
- ^ “オーストラリア、UAEとのプレーオフを制す!W杯出場を懸けペルーとの大陸間プレーオフへ”. Goal.com (2022年6月8日). 2022年12月7日閲覧。
- ^ “オーストラリア、W杯出場決定!PK戦までもつれ込むペルーとの激闘を制し、5大会連続6度目の出場へ”. Goal.com (2022年6月14日). 2022年12月7日閲覧。
- ^ “前回王者フランス、4発ゴールラッシュ!オーストラリアに先制許すも、エンバペやジルー2Gなどで逆転”. Goal.com (2022年11月23日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “J2岡山FWデュークがオーストラリアを救う決勝弾!カタールW杯初勝利、決勝T進出へ望みつなぐ”. Goal.com (2022年11月26日). 2022年12月7日閲覧。
- ^ “大一番制したオーストラリアが4大会ぶり2度目の決勝T進出!フランスは敗れるも首位通過に”. Goal.com (2022年12月1日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “メッシ、待望の決勝T初ゴール!アルゼンチンがオーストラリアに競り勝ち準々決勝でオランダと激突”. Goal.com (2022年12月4日). 2022年12月7日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- オーストラリアサッカー連盟
- サッカーオーストラリア代表 (Socceroos) - Facebook
- サッカーオーストラリア代表 (@Socceroos) - Twitter
- RSSSFによるオーストラリア代表の選手の記録
- RSSSFによるオーストラリア代表の監督の記録