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ミリオンパラ日本競走馬。実況アナウンサーの杉本清に「これは愛嬌」と言わしめた出遅れ癖が特徴。

ミリオンパラ
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1968年6月27日
バウンドレス
コンゴーセキ
母の父 ヴィーノーピュロー
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 鎌田牧場
馬主 松山徳蔵
大橋正三
調教師 戌亥信義栗東
競走成績
生涯成績 61戦8勝
獲得賞金 9605万1600円
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目次

略歴編集

中央競馬で競走生活を送る。デビューは1971年2月27日阪神競馬場の1600メートル戦で、最後方から追い込んでの2着であった。2戦目を差し切り初勝利を挙げたものの2勝目にもたつき、ヒカルイマイが席巻した春のクラシックには参加できずに終わった。その後も出遅れ癖に泣かされ続け、何とか出走なった菊花賞では単勝最低人気(19番人気)で16着に終わった。

1972年は17戦2勝。古馬になっても出遅れ癖は相変わらずで、3月26日に出走した播磨特別で好スタートから2着に凌ぎ切ったのが唯一の例外であった。

1973年、菊花賞以来1年半ぶりの八大競走参戦となった第67回天皇賞で、15頭立ての最低人気ながらハマノパレード(8着)・ランドプリンス(13着)に先んじる6着となる[1]。この年の秋にはじめて関東に遠征。11月25日東京競馬場で開催された第68回天皇賞は、ジョセツ出走取消により8頭立てとなったうえ、単勝1番人気のハクホオショウがスタート直後に骨折を発症して競走を中止するハプニングが起きた。ここで単勝7番人気のミリオンパラは、タニノチカラから2馬身差の2着となった[2]

1974年は年末に2戦を消化。8歳(旧表記)となった1975年も現役を続け、第71回天皇賞では4着馬から9馬身差の5着、第72回天皇賞では13着に終わる。重賞を勝てないまま、この年を最後に引退し、種牡馬となった。

第68回天皇賞について編集

ミリオンパラが2着となった第68回天皇賞で大儲けをした安部譲二のエピソードは、その筋では有名とされている。このとき安部が使った馬券術は、「出走馬に連れ添っている馬丁の様子から馬の調子を読む」というものであった。この方法を使い、安部はハクホオショウの不調とミリオンパラの好調を読み切り、ミリオンパラを軸としハクホオショウをのぞいた馬への枠連総流しで勝負し的中。払戻金は100円に対して4770円となり[2]、見事に大金をせしめる結果となった。こうして合法的に大金を手に入れた安部であるが、元ヤクザという裏事情からか八百長疑惑を掛けられたそうである。

当レースを含む全レースでミリオンパラの騎手を担当した戌亥信昭は「あの天皇賞の坂上では、一瞬勝てるかと思った。でもゴール寸前ではタニノチカラの脚いろの方がよかったからなぁ。あのあたりが条件馬とオープン馬との違いだったのでしょう」と語っている。

血統表編集

ミリオンパラ血統トウルビヨン系 / Tourbillon4×5=9.38%〈父内〉、Pharos(Fairway)5×4=9.38%〈父内〉、Blandford5×4=9.38%) (血統表の出典)

*バウンドレス
Boundless
1960 栗毛
父の父
Targui
1946 黒鹿毛
Djebel Tourbillon
Loika
Palencia Pharis
Hestia
父の母
Infinity
1946 栗毛
Airway Fairway
Udaipur
Pay Roll Croupier
Zarisee

コンゴーセキ
1953 栗毛
*ヴィノーピュロー
Vino Puro
1934 栗毛
Polemarch The Tetrarch
Pomace
Vainilla San Jorge
Verona
母の母
シラオキ
1946 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
第弐スターカツプ *ダイオライト
スターカツプ F-No.3-l

父バウンドレスはニュージーランド産の競走馬で、日本に種牡馬として輸出された。産駒に活躍馬は多くないものの、本馬の他には第10回東京盃に勝ったオリオンタイガー[3]がいる。2代母は名牝シラオキで、母コンゴーセキはシラオキの初仔である。

脚注編集

  1. ^ 競走成績 第67回天皇賞” (日本語). データファイル. 日本中央競馬会. 2011年8月13日閲覧。
  2. ^ a b 競走成績 第68回天皇賞” (日本語). データファイル. 日本中央競馬会. 2011年8月13日閲覧。
  3. ^ オリオンタイガー、JBISサーチ

外部リンク編集