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メガスターダム日本の元競走馬種牡馬。おもな勝ち鞍は2001年ラジオたんぱ杯2歳ステークス2005年中京記念。ほかにプリンシパルステークス1着、菊花賞3着という成績を残している。

メガスターダム
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1999年4月2日
死没 不明(2010年12月廃用)
登録日 2001年5月31日
抹消日 2005年4月9日
ニホンピロウイナー
フミノスキー
母の父 マルゼンスキー
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産 高橋修
馬主 ノースヒルズマネジメント
調教師 山本正司栗東
競走成績
生涯成績 21戦5勝
獲得賞金 2億1045万9000円
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比較的、古馬になってから本格化する短距離馬を多く輩出したニホンピロウイナーの産駒でありながら、牡馬三冠路線や中長距離のレースで活躍した異色の競走馬[1]であった。主戦騎手は松永幹夫。ちなみに調教師の山本は現役時のニホンピロウイナーと好勝負を繰り広げたハッピープログレスを管理している。

目次

競走馬時代編集

2・3歳時編集

2001年のデビューから6戦目で勝ち上がると、次走の500万下で評判馬モノポライザーの2着に入る。そしてラジオたんぱ杯2歳ステークスに挑戦。 格上挑戦であったこともあり、単勝50.3倍の6番人気と評価は低かったが、マチカネアカツキとの叩き合いをハナ差制して見事に勝利。2歳にして早くも重賞を制覇した。

年が明け、3歳初戦のきさらぎ賞は1番人気だったものの、スタートで大きく躓き8着に終わる。次走のスプリングステークスも7着だったが、皐月賞は5着、プリンシパルステークスで1着、東京優駿(日本ダービー)では4着と人気以上の活躍を見せた。

秋初戦の神戸新聞杯では最後の直線で進路妨害され繰り上がりの4着、三冠最後の菊花賞では3番人気に支持された。スタート直後に1番人気ノーリーズン鞍上の武豊落馬するという波乱の展開の中、直線早めに抜け出したものの、叩き合いになったヒシミラクルと外を急襲したファストタテヤマに差し切られ3着であった[2]

その後、有馬記念に向けて調整されていたが、屈腱炎を発症、長期休養することになった。

5・6歳時編集

2年以上の休み明けを挟んだ初戦は1600万下のオリオンステークス。降級戦とはいえ、2年以上のブランクもあり5番人気に過ぎなかったが、ここで2着に入り健在をアピール。すると復帰3戦目の松籟ステークスを勝利[3]してオープンに返り咲くと、続く京都記念こそ9着に敗れたが、次走の中京記念は4番人気ながら優勝。ラジオたんぱ杯2歳ステークス以来、およそ3年3ヶ月ぶりの重賞制覇となった。 続く大阪杯で5着に入り、その後は天皇賞へ向けて調整されていたが屈腱炎を再発。このまま引退することになった。

種牡馬時代編集

引退後は種牡馬入りし、熊本県の本田牧場で供用されていた[4]。 2008年に初年度産駒がデビューを果たし、同年7月19日に、小倉競馬場九州産限定新馬戦でフォーシーズンゴーが勝利し、中央競馬での産駒初勝利を挙げた。しかし以後の産駒成績は振るわず、2010年廃用。以後の消息は牧場関係者の同馬への処遇についての意識が薄かったこともあり不明である。

競走成績編集

年月日 競馬場 競走名 頭数 オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離(馬場) タイム
(上り3F)
タイム
勝ち馬/(2着馬)
2001.08.04 札幌 新馬 14 001.5 0(1人) 6着 松永幹夫 53 芝1000m(稍) 0:59.4 (35.4) -1.1 ナショナルバクシン
0000.08.19 札幌 新馬 12 005.5 0(3人) 4着 松永幹夫 53 芝1800m(良) 1:52.8 (37.1) -1.0 シーディザーブス
0000.09.22 札幌 未勝利 13 010.5 0(3人) 4着 松永幹夫 53 芝1800m(稍) 1:52.8 (36.9) -0.4 オペラカスタム
0000.10.14 京都 未勝利 16 005.3 0(3人) 2着 松永幹夫 53 芝1600m(良) 1:35.4 (36.5) -0.2 パルフェ
0000.10.28 京都 未勝利 8 001.8 0(1人) 2着 松永幹夫 53 芝1400m(良) 1:22.5 (35.3) -0.0 ワンダークリスタル
0000.11.18 京都 未勝利 10 001.9 0(1人) 1着 松永幹夫 54 芝1400m(良) 1:21.4 (34.6) -1.2 (ファイトブライアン)
0000.12.08 阪神 500万下 10 003.6 0(2人) 2着 松永幹夫 54 芝1600m(良) 1:36.1 (34.6) -0.0 モノポライザー
0000.12.22 阪神 ラジオたんぱ杯2歳S GIII 16 050.3 0(6人) 1着 渡辺薫彦 55 芝2000m(良) 2:03.4 (35.1) -0.0 (マチカネアカツキ)
2002.02.10 京都 きさらぎ賞 GIII 11 003.0 0(1人) 8着 松永幹夫 56 芝1800m(良) 1:48.4 (35.9) -0.8 メジロマイヤー
0000.03.17 中山 スプリングS GII 16 016.9 0(5人) 7着 松永幹夫 56 芝1800m(良) 1:47.8 (36.3) -0.9 タニノギムレット
0000.04.14 中山 皐月賞 GI 18 119.5 (16人) 5着 松永幹夫 57 芝2000m(良) 1:59.0 (35.8) -0.5 ノーリーズン
0000.05.03 東京 プリンシパルS OP 16 007.0 0(3人) 1着 松永幹夫 56 芝2200m(良) 2:14.6 (33.7) -0.2 (マチカネアカツキ)
0000.05.26 東京 東京優駿 GI 18 027.5 0(9人) 4着 松永幹夫 57 芝2400m(良) 2:26.4 (35.2) -0.2 タニノギムレット
0000.09.22 阪神 神戸新聞杯 GII 16 010.0 0(4人) 4着 松永幹夫 56 芝2000m(良) 2:00.1 (35.8) -1.0 シンボリクリスエス
0000.10.20 京都 菊花賞 GI 18 009.1 0(3人) 3着 松永幹夫 57 芝3000m(良) 3:06.0 (35.4) -0.1 ヒシミラクル
2004.12.19 阪神 オリオンS 8 007.6 0(5人) 2着 松永幹夫 57 芝2000m(良) 2:00.4 (34.6) -0.0 スズノマーチ
2005.01.05 京都 寿S 11 002.3 0(1人) 9着 松永幹夫 57 芝1800m(良) 1:49.5 (35.2) -1.1 エアセレソン
0000.01.30 京都 松籟S 13 006.8 0(2人) 1着 松永幹夫 58 芝2400m(良) 2:25.6 (35.0) -0.0 (ブライアンズレター)
0000.02.19 京都 京都記念 GII 12 011.1 0(4人) 9着 池添謙一 57 芝2200m(重) 2:17.4 (37.6) -1.7 ナリタセンチュリー
0000.03.06 中京 中京記念 GIII 15 004.3 0(2人) 1着 松永幹夫 55 芝2000m(良) 1:59.5 (35.7) -0.1 サンライズペガサス
0000.04.03 阪神 大阪杯 GII 9 005.0 0(3人) 5着 松永幹夫 57 芝2000m(良) 1:59.4 (35.2) -0.4 サンライズペガサス

血統表編集

メガスターダム血統ハビタット系 /チャイナロック 18.75% 3 x 4 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ハビタット系
[§ 2]

ニホンピロウイナー 1980
黒鹿毛 日本
父の父
*スティールハート
Steel Heart 1972
鹿毛
Habitat Sir Gaylord
Little Hut
A.1. Abernant
Asti Spumante
父の母
ニホンピロエバート 1974
鹿毛
*チャイナロック
China rock
Rockefella
May Wong
ライトフレーム *ライジングフレーム
グリンライト

フミノスキー 1986
黒鹿毛 日本
マルゼンスキー 1974
鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
*シル Buckpasser
Quill
母の母
ベンドユウホウ 1978
栃栗毛
*ダイハード Never Say Die
Mixed Blessing
タイイサミ *チャイナロック
ハマイサミ F-No.4-d
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 チヤイナロツク3×4 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ メガスターダム 5代血統表2017年8月29日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com メガスターダム 5代血統表2017年8月29日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ メガスターダム 5代血統表2017年8月29日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ メガスターダム 5代血統表2017年8月29日閲覧。

脚注編集

  1. ^ 2010年現在、ニホンピロウイナーの産駒で2歳重賞(ラジオたんぱ杯2歳ステークス)と平地の2100mを超えるレース(プリンシパルステークス2200mと松籟ステークス2400m)を勝利したのは本馬のみである。
  2. ^ 2002年の牡馬三冠全てで掲示板に載ったのはメガスターダムのみであった。
  3. ^ ブライアンズレターと同着だった。
  4. ^ 当初は種牡馬入りせず北海道で乗馬となる予定であったが、松永幹夫が種牡馬入りに奔走し、本田牧場での種牡馬入りが決まった。

外部リンク編集