シンボリクリスエス
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。 |
シンボリクリスエス(欧字名:Symboli Kris S、1999年1月21日 - 2020年12月8日)は、日本の競走馬・種牡馬[1]。アメリカで生産された外国産馬である[1]。
シンボリクリスエス | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2003年宝塚記念 | |||||||||||||||
欧字表記 | Symboli Kris S[1] | ||||||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||||||||
毛色 |
黒鹿毛[1] (珠目正、頸中)[2] | ||||||||||||||
生誕 | 1999年1月21日[1] | ||||||||||||||
死没 | 2020年12月8日(21歳没)[3] | ||||||||||||||
抹消日 | 2003年12月28日[4] | ||||||||||||||
父 | Kris S.[1] | ||||||||||||||
母 | Tee Kay[1] | ||||||||||||||
母の父 | Gold Meridian[1] | ||||||||||||||
生国 | アメリカ合衆国[1] | ||||||||||||||
生産者 | Takahiro Wada[1] | ||||||||||||||
馬主 | シンボリ牧場[1] | ||||||||||||||
調教師 | 藤沢和雄(美浦)[1] | ||||||||||||||
調教助手 |
松田幸吉[5] 葛西成人[6] | ||||||||||||||
厩務員 | 浴中孝[5][7] | ||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||
タイトル |
JRA賞年度代表馬(2002年・2003年)[1] 最優秀3歳牡馬(2002年)[1] 最優秀4歳以上牡馬(2003年)[1] | ||||||||||||||
生涯成績 | 15戦8勝[1] | ||||||||||||||
獲得賞金 | 9億8472万4000円[1] | ||||||||||||||
IC |
I119 - L119 / 2002年[8] L124 / 2003年[9] | ||||||||||||||
|
2002年から2003年にかけて、史上初めて天皇賞(秋)(GI)連覇、史上4頭目となる有馬記念(GI)連覇を達成。ラストランとなった2003年の有馬記念では、GI競走最大着差タイとなる9馬身差をつけて優勝している。
2002年、2003年のJRA賞年度代表馬。2002年の最優秀3歳牡馬、2003年の最優秀4歳以上牡馬。その他の主な勝ち鞍に、2002年の青葉賞(GII)、神戸新聞杯(GII)がある。
競走馬引退後は種牡馬として、GI優勝馬のルヴァンスレーヴやサクセスブロッケン、エピファネイアの父となり、2017年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬のレイデオロや、障害競走において多くの新記録を樹立したオジュウチョウサンなどの母父となった。
デビューまで
編集誕生までの経緯
編集ティーケイは、1991年にアメリカで生産された父ゴールドメリディアン[注釈 1]の牝馬である[11]。競走馬として、1994年のマーサワシントンステークス(G3)を勝利するなど、31戦4勝[11]。引退後は、アメリカで繁殖牝馬となった。初年度は、ゴーンウェストと交配して初仔の牡馬を生産[12]。2年目は、不受胎に終わり、3年目は、クリスエスと交配[12]。受胎した後、1998年11月のキーンランドの繁殖牝馬セールに上場され、シンボリ牧場に30万ドルで購入された[13]。
シンボリ牧場は、千葉県成田市や北海道日高町などを拠点とするオーナーブリーダーである[13]。1921年に和田孝一郎が開き、イギリス留学から帰ってきた孝一郎の長男、共弘は2代目としてヨーロッパ流の配合や育成を実践[13]。メジロアサマやサクラショウリ、スピードシンボリ、さらにシンボリルドルフやシリウスシンボリを生産した[13]。やがて共弘は、日本の競馬に対する興味を失い、外国で100頭以上の競走馬を所有し、特にヨーロッパに傾倒[13]。共弘の長男、孝弘によれば「(シンボリ)ルドルフで得た金を全部ヨーロッパに投資してしまった[14]」という。共弘は日本の牧場を廃業して霊園に転向することなどを検討していたが、孝弘がコンピューター会社を退職して跡を継ぎ[注釈 2]、3代目となった[13][15]。共弘の亡くなった1994年以降、孝弘はヨーロッパに偏る状況から、共弘の嫌ったアメリカ流の配合や血統を積極的に牧場へ導入するようになる[15]。1995年にアメリカケンタッキー州、レキシントンで繁殖牝馬を購入[15]。アメリカで生産した仔は、日本に渡り、シンボリインディ[注釈 3]が活躍した。シンボリインディは、美浦トレーニングセンターの藤沢和雄厩舎に入厩している[15][16]。
シンボリ牧場は、購入したティーケイをアメリカ、ケンタッキー州のミルリッジファームに預託[17]。1999年1月21日、ミルリッジファームにてティーケイの2番仔(後のシンボリクリスエス)が誕生する[17]。孝弘は2番仔の父、種牡馬のクリスエスについて「跳ね返ってくるような強烈な雰囲気があったんだ[13]」、また「中・長距離向きで、精神的にも落ち着いており、日本の競馬に合うだろう[18]」と見立てていた。
幼駒時代
編集生後3カ月の2番仔を見た孝弘は「脚の長い、ひょろっとした馬だな[17]」、アメリカの牧場に検分に訪れた藤沢は「黒くてでっかくて見栄えがする。この馬なら高く売れるでしょう[18]」とそれぞれ評していた。
シンボリ牧場はこの年、アメリカに3頭の牡の仔を所有していたが、この2番仔は最も期待された馬ではなかった[14]。日本のとある調教師から管理の申し出があったが、孝弘はそれを断り、2番仔を整理の対象と考える[14][注釈 5]。1歳に達した2番仔を、幼駒セリに上場させ、希望価格40万ドルで売却を図っていた。しかし入札額は37万5000ドルに留まり、売却に失敗する。主取り[注釈 6]となり、シンボリ牧場の所有が継続していた[13]。
3頭の牡の仔の中で、最も期待されていたのは、重賞2着経験のあるシンボリスウォード[注釈 7]と重賞優勝馬スイートオーキッド[注釈 8]の弟だった[14]。「シンボリスウォードとスイートオーキッドの弟」は、シンボリインディと同様に日本に渡り、藤沢厩舎からデビューする予定であったが、移動させる前に死んでしまう。そこでその代わりとして選ばれ、日本に渡ることになったのが2番仔だった[19]。アメリカで育成が施されたのち、2歳時に日本へ移動する[17][22]。
2番仔は「父にそっくりだった[18]」ことから、シンボリ牧場の冠名「シンボリ」に、父の名をそのまま用いた「クリスエス」を組み合わせて「シンボリクリスエス」と命名された[18]。シンボリクリスエスは、死んでしまった「シンボリスウォードとスイートオーキッドの弟」の代わりとして藤沢厩舎に入厩する[19]。入厩からデビューに至るまで、岡部幸雄は、「体が大きいだけで実は中身が弱くて強い追い切りができない馬だった、ちょっと強くやったら、次の日は反動で動けなくなってしまうほどだった[23]。」、藤沢は「若駒の頃はすぐに腰に疲れの出る体質でした。強い調教を課す段階になっていなくても疲れが出た。だからデビュー前の調教は遅々として進みませんでした[24]。」と述懐している。このように、調教が進んでいなかったが、調教を続けることによる精神的デメリットを考慮し、完全には仕上げることなく、デビューが決定[25]。岡部幸雄は、これ以上するとダメになると考え、調教を加減したうえで新馬戦に挑むこととなった[23][25]。
なお生産者の名義は、シンボリクリスエスの生誕したミルリッジファームではなく、繁殖牝馬の所有者である和田孝弘のアメリカでの呼称"Takahiro Wada"である[17]。日本の生産者ではあるが、外国産馬に分類される[17]。
競走馬時代
編集2 - 3歳(2001 - 02年)
編集新馬 - 東京優駿
編集2歳の2001年10月13日、東京競馬場の新馬戦(芝1600メートル)に、岡部幸雄が騎乗しデビュー。クビ差先着して初勝利[26]。出走前に無理をさせないつもりであったが、直線を向いたら脚を使ったことから騎手の判断で脚を使い勝利に至った[23]。その後、藤沢は成長を促すために3か月半の休養を与え、年が明けて3歳となった2002年、1月に復帰し、クビ差の2着[27]。2月は、ハナと1馬身4分の1差の3着[28]。3月は、クビと3馬身半差の3着となり、3連敗[29]。すべて、後方から差し届かずという内容であった[18]。500万円以下4戦目、4月6日の山吹賞では、これまでとは異なってスタートから先行、好位を保った[18]。直線で抜け出し、後方に1馬身4分の3差をつけて先頭で入線、2勝目を挙げた[30]。
ここまでについて、岡部は「(新馬戦の)反動があって、その後はあれだけの素質を持っていながら、競馬がチグハグになったりして2勝目を挙げるまでに4戦も要してしまい、歯がゆかった[23]。(カッコ内補足加筆者)」、また藤沢は「(新馬戦の後)疲労との戦いが待っていました。2戦目を使えたのは3か月半後、2勝目は半年後(中略)でも、こういった体質の弱さというのは若駒にはありがちなこと。(シンボリ)クリスエスも成長とともに自然と体質の弱さは解消してくれました[31]。(カッコ内補足加筆者)」と振り返っている。
続いて4月27日、東京優駿のトライアル競走である青葉賞(GII)で重賞初出走となる。ここまで5戦は岡部と横山典弘が騎乗していたが、どちらも事情[注釈 9]があり、騎乗できなかった[32]。そこで、本番の東京優駿で騎乗する馬が既に決まっていた武豊が「代打」を務めた[32]。単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持される[33]。2枠3番からスタートし、好位の内側に位置[33]。残り200メートル地点にて、馬場の最も内側から抜け出し、差を広げた[33]。大外から追い込んだ8番人気バンブーユベントスに2馬身半差をつけ、先頭で入線、重賞初勝利となった[注釈 10][33]。レース後、武は、藤沢に「いいですね。この馬!秋には絶対よくなりますよ![32]」と述べていた。
5月26日、東京優駿(日本ダービー)(GI)に出走。前年に外国産馬参戦が解禁されており、この年が2年目であった。青葉賞勝利に導いた武は、先約である皐月賞およびNHKマイルカップ3着のタニノギムレットを選択、シンボリクリスエスには岡部が舞い戻った。タニノギムレットが単勝オッズ2.6倍の1番人気、皐月賞優勝馬のノーリーズンが5.0倍、そしてシンボリクリスエスは6.2倍の3番人気であった[35]。
スタートから中団に位置[36]。第3コーナーは中団の内側を追走していたが、最終コーナーでは外に持ち出した[36]。直線では、馬場の中央から追い上げを開始。先頭を6番人気マチカネアカツキ、13番人気ゴールドアリュールが争っていたが、それらをすべて差し切った[37]。しかし、シンボリクリスエスの後方で待機し、大外から追い込んだタニノギムレットの末脚に屈し、1馬身差をつけられて2着に敗れた[37]。
藤沢はトライアルで権利を取った馬が王道を戦ってきた馬に勝つことは難しいとしながらも、青葉賞からダービーへと挑んだことについて「クリスエスやロブロイは、『ここを勝ってダービーに出たい』ではなくて、『ここを勝ったらダービーでも面白いぞ』という馬だった。しかし、それでもその2頭はダービーで2着。クリスエスほどの馬でも、やっぱりトライアルで権利を取った馬が勝つのは難しい[38]」と振り返っている。
神戸新聞杯
編集東京優駿の後は、北海道沙流郡門別町のファンタストクラブで夏休みを過ごす[注釈 11][39]。秋は9月22日、菊花賞のトライアル競走である神戸新聞杯(GII)で復帰、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された。以降人気は、ノーリーズン、宝塚記念3着のローエングリンと続いた[40]。スタートから中団を追走、最終コーナーでは、先行馬群に阻まれ、進路を確保できず追い上げることができなかった[41]。直線で前が開いて進路を得ると、他すべて差し切り、大外からノーリーズンの追い上げに2馬身半差をつけて入線[41]。重賞2勝目を挙げた[注釈 12]。鞍上だった岡部はこのレースについて後年、「(今までは)背中が弱くてゲートをフワッとしか出ていかなかったのに、神戸新聞杯のときは自分から出て、自分からハミをかんでいった。(今まで)そんなことはできなかった馬が前向きになって走り、こちらから見えていたマイナス面をまったく見せなかった(カッコ内補足加筆者)」という[23]。
その後については、神戸新聞杯参戦前の時点で選択肢は二つ存在していた[14]。3歳馬のみが出走を許されるクラシック最終戦で、芝3000メートルで行われる菊花賞。そして、秋の古馬王道GI路線の初戦であり、出走馬のほとんどを古馬が占め、芝2000メートルで行われる天皇賞(秋)である[14]。藤沢は神戸新聞杯決着直後、検量室でシンボリクリスエスの鞍を外していた際、和田孝弘に「この馬は相当強いから、天皇賞に持って行きましょう[14]」と提案[17]。孝弘はすぐに承諾し、次走が天皇賞(秋)に決定する[17]。
藤沢は後年、「彼(シンボリクリスエス)は、距離が延びても押し切れるだけのパワーも持っていたが、明らかに2000メートルがいい馬で、古馬相手でも天皇賞のほうが勝てる可能性は高い(カッコ内補足加筆者)」と考えていた[43]。
天皇賞(秋)
編集10月27日の天皇賞(秋)(GI)は、東京競馬場が改修工事のため、1967年以来35年ぶり2度目となる中山競馬場での開催となった[44]。出走メンバーは、シンボリクリスエスを除いてすべて古馬であった[注釈 14][44]。牝馬二冠を含むGI3勝、札幌記念(GII)優勝から臨む4歳牝馬、テイエムオーシャンが単勝オッズ4.9倍。菊花賞優勝馬でこの年GII3戦3勝、6歳牡馬のナリタトップロードが5.1倍。シンボリクリスエスは6.5倍の3番人気であった[47]。
映像外部リンク | |
---|---|
2002年 天皇賞(秋)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
「好スタート[46]」(阿部珠樹)から、18頭中6番手という中団、馬場の最も内側に位置[46]。第3コーナーから、後方勢が位置を上げて馬群は密集した[46]。シンボリクリスエスは変わらず中団で、前方をブレイクタイムとイブキガバメントに阻まれるなど、馬群に囲まれながら最終コーナーを通過した[46]。直線では、テイエムオーシャンが抜け出し、それにブレイクタイムが並びかけ、ブレイクタイムとイブキガバメントの間に隙が生まれた[44]。進路を得たシンボリクリスエスは、そこから追い上げを開始、末脚を見せて抜け出した[44]。シンボリクリスエスの後方で待機し、直線外から追い込んだナリタトップロードに4分の3馬身差をつけ、先頭で入線。GI初勝利となった[44]。
3歳馬による優勝は、1937年ハツピーマイト、1996年バブルガムフェローに続いて史上3頭目[46]。外国産馬による優勝は、前年のアグネスデジタルに続いて史上4頭目[注釈 15][46]。デビュー9戦目での優勝は、バブルガムフェローの7戦に次ぐ史上2位の記録であった[44]。また走破タイム1分58秒5は、コースレコードタイであった[44]。藤沢はバブルガムフェロー以来2勝目、加えて岡部は、1990年ヤエノムテキ以来となる天皇賞(秋)2勝目であった[46][44]。また岡部はこの時53歳11か月であり、史上最年長GI勝利記録を樹立した[注釈 16][17]。さらにシンボリ牧場系列にとっては、1967年春スピードシンボリ、1985年春のシンボリルドルフ以来3度目の天皇賞優勝であった[44]。
それから11月24日、同じく中山競馬場で行われたジャパンカップ(GI)に、オリビエ・ペリエへ乗り替わって出走。外国調教馬7頭を迎えたこの競走は、4番人気まで日本調教馬が占め、シンボリクリスエスが単勝オッズ3.4倍の1番人気。以降人気は、ナリタトップロード、前年の優勝馬で天皇賞(春)2着から臨むジャングルポケット、ノーリーズンと続いた[49][50]。シンボリクリスエスは、発馬機内で暴れて出遅れ、後方に位置[49]。最終コーナーにて外から追い上げたが、内から伸びる外国調教馬2頭、9番人気ファルブラヴ、11番人気サラファンの争いにクビ差届かず3着となった[49]。オリビエ・ペリエは「ジャパンカップではゲートで隣の馬がうるさくて出遅れてしまった」ことを敗因としている[51]。
有馬記念
編集天皇賞(秋)優勝直後、孝弘は「年内はジャパンカップだけの予定[46]」と述べていたが、12月22日の有馬記念(GI)に出走する。ファン投票では、8万3623票を集め、ナリタトップロードに次ぐ2位で選出された[52]。ファン投票3位、6戦6勝で秋華賞とエリザベス女王杯を勝利した3歳牝馬のファインモーションが、単勝オッズ2.6倍。シンボリクリスエスは、それに次ぐ3.7倍の2番人気であり、3歳馬が1、2番人気を占めた。以降、ジャングルポケットが4倍、ナリタトップロードが10倍と続いた[53]。
映像外部リンク | |
---|---|
2002年 有馬記念(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
スタートからファインモーションとタップダンスシチーがハナを争う中、シンボリクリスエスは5、6番手の好位に位置[54]。しばらく先頭はファインモーションであったが、2周目の向こう正面ではタップダンスシチーに代わった[55]。最終コーナーでは、タップダンスシチーが逃げ、その他は8馬身差を追う形となり、後続のほとんどが早めに動いてその差を縮めようとしていた[55][56]。一方、中団の内側にいたシンボリクリスエスは、すぐには追わず、直線に入ってから、外に持ち出してから、追い上げを開始した。早めに動いた後続は伸びあぐねており、タップダンスシチーは独走中[55]。そこに、シンボリクリスエスが末脚を発揮すると「他馬が止まって見えるほど強烈な速度[55]」(『優駿』編集部)でタップダンスシチーとの差を縮め、ゴール板手前で差し切った[55][56]。タップダンスシチーに半馬身差先着して入線。GI2勝目を挙げた[56]。
ペリエは「有馬記念では直線に向いた時にはモノ見をしていたんだ。それでも前が開くと鋭い脚を使って見事に差し切ってくれた。すでに世界のトップクラスにある馬[57]」、それに対し藤沢は「最後の直線で内へヨレる素振りを見せた(中略)決して褒められる競馬ではありません」としていた[31]。
1998年、1999年連覇のグラスワンダー以来史上2頭目、3例目となる外国産馬による優勝[12]。グレード制導入の1984年以降、2000年のテイエムオペラオー以来2頭目となるその年の天皇賞(秋)と有馬記念の両方優勝[12]。さらに史上初めてその2競走両方を3歳で制している[58]。そして1988年オグリキャップ以来となる3歳馬の天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念という古馬の主要な3競走を完走[58]。それでいて1997年のマイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスを勝利したタイキシャトル以来史上2頭目となる、3歳馬による古馬GI2勝を成し遂げている[58]。
3歳馬による秋の古馬中長距離主要競走完走[58] | ||||
---|---|---|---|---|
年 | 馬 | 天皇賞秋 | ジャパンC | 有馬記念 |
1988 | オグリキャップ | 2着 | 3着 | 1着 |
2002 | シンボリクリスエス | 1着 | 3着 | 1着 |
またペリエ、藤沢は共に有馬記念初優勝であり[55]、史上初めてとなる外国人騎手の優勝[12][59]。加えてシンボリ牧場系列にとっては、1969年、1970年スピードシンボリ、1984年、1985年のシンボリルドルフ以来5勝目であった[55]。
この年のJRA賞では、全281票中277票を集めてJRA賞年度代表馬に[注釈 17][注釈 18]、280票を集めてJRA賞最優秀3歳牡馬に選出された[注釈 19][5][注釈 20]。
4歳(2003年)
編集宝塚記念
編集有馬記念優勝後は、シンボリ牧場で放牧[60]。藤沢はこの年、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の4戦を予定する。春夏の出走が宝塚記念のみなのは、距離の適性のない天皇賞(春)参戦を見送ったことと、秋に疲れを残さないようにするためであった[17]。藤沢によれば「最後に有馬記念まで行きたいと思えば、もう春のうちに、秋口の使い出しからのローテーションを考える。有馬記念の前に、天皇賞もジャパンカップも勝ちたい。本当は毎日王冠も勝ちたいけど、そこから始動すると1回余計じゃないか、と考える。とにかく、秋に天皇賞、ジャパンカップとGIを戦い、かつ、3つ目の有馬記念まである程度余力を残せるようなローテーション[61]」だった。シンボリ牧場での放牧と調整の間に馬体は成長しており、藤沢は「また一回り馬が大きく成長してきた(中略)3歳の夏から秋にかけての成長も凄かったけど、今回もまた一段と逞し[60]」い状況だった。5月10日に帰厩[60]。5月28日には東京優駿に出走するゼンノロブロイ、ゼンノジャンゴの最終追い切りに参加している[60]。この追い切りでは絶好の動きを見せたが、藤沢調教師はシンボリクリスエスのローテーションを考え直すどころか「早く仕上がりすぎそうなので、少し緩めます[62]」と話し、宝塚記念に合わせて仕上げを行った。
ファン投票は1位となる5万9817票を集めた[63]。6月29日の宝塚記念(GI)にケント・デザーモが騎乗し出走。春にクラシック二冠を果たした3歳のネオユニヴァース、GI級6勝のアグネスデジタルなどが出走し「宝塚記念史上、最高のメンバー[64]」(『優駿』編集部)とも呼ばれた中、単勝オッズ2.1倍の1番人気に推された[65]。スタートから中団の内側に位置[64]。最終コーナーで抜け出し、外から位置を上げたタップダンスシチーとの競り合ったが、外から追い込むヒシミラクルやツルマルボーイにかわされ、5着に敗れた[64]。半年間の休養明けだったが、その後は、ファンタストクラブで夏休みを過ごす[66]。
藤沢は、宝塚記念の敗因を「宝塚記念の敗因は仕上がりではなく、厳しい流れで早めに先頭に立つ競馬が裏目に出た[62]」。また、直線で内外に斜行したことが原因とも述懐している[67]。また、周囲からの『休み明けで一杯になったのでは?』との声に対し、3歳時とは比べ物にならないほど体質が強化されており、じっくり乗り込んだこと、同年の天皇賞秋を休み明けで勝ったのだから鉄砲が利かない馬ではないとこれを否定している[67]。また敗因を分析するにあたり、有馬記念・宝塚記念にてフラフラしたことから、右回りが苦手であると推察し、右回りを克服するのではなく、それを諦めて、他の調教を行っていた[68]。この調教は藤沢が考えている以上の効果を発揮し、左回りがこれまで以上にうまくなったことで右回りの悪癖を忘れさせることができるようになった[69]。
天皇賞(秋)
編集秋は11月2日、東京競馬場の天皇賞(秋)で始動、再びペリエに乗り替わった。単勝オッズ2.7倍の1番人気に推され、人気はヨーロッパ遠征帰国初戦のローエングリン、香港を含むGI級3勝のエイシンプレストン、アグネスデジタル、ツルマルボーイと続いた[70]。
映像外部リンク | |
---|---|
2003年 天皇賞(秋)(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
不利とされる大外枠から発走する[71]。ローエングリンとゴーステディがハナを争う一方、馬群の外側、中団に位置した[72]。ハナを争った2頭は、後続に20馬身差をつける大逃げとなり、1000メートルを56.9秒で通過するハイペース[注釈 21]を形成[71]。直線では、逃げる2頭が失速し、追う後続が優勢となった。シンボリクリスエスは、進路を外から内に切り替えて末脚を発揮、他の後続勢を上回る脚で抜け出した[71]。以後、先頭を守って入線。最後方で待機し大外から追い込んだツルマルボーイに、1馬身半差をつけて勝利した[71]。
GI3勝目、史上初めて天皇賞(秋)連覇となった[73]。また走破タイム1分58秒0は、コースレコードを樹立[73]。改修前の旧コースで1999年スペシャルウィークが記録したレースレコードに並ぶものであった[73]。加えてペリエは天皇賞(秋)初勝利となり、外国人騎手が天皇賞を制したのは史上初めてのことであった[73]。ペリエは前年に騎乗した際に感じた悪癖が見られなかったことから「馬に乗っているというよりも空を飛んでいるような感じでした[73]。」と述べている。
続いて11月30日、東京競馬場のジャパンカップに出走。外国調教馬9頭を含む18頭が参戦する中、単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された[74]。スタートから中団につけ、第3コーナーからは常にペリエにより促され続けた[74]。直線では大外から追い込んだが、抜け出すことはできなかった[74]。単騎逃げのタップダンスシチーに逃げ切りを許し、9馬身以上後れを取る3着[74]。タップダンスシチーは2位に9馬身差をつけて入線、グレード制導入された1984年以降、GI競走の史上最大着差での優勝を果たしている[75]。
有馬記念
編集ファン投票では1位となる12万5116票を集め[76]、12月28日の有馬記念に出走。これが引退レースと予告されていた[76]。12頭が参戦する中、単勝オッズ2.6倍の1番人気に推された。ジャパンカップを制したタップダンスシチーが3.9倍、東京優駿2着と菊花賞4着のゼンノロブロイが5.9倍、ザッツザプレンティと菊花賞2着のリンカーンが8倍台で続いていた[77]。
映像外部リンク | |
---|---|
2003年 有馬記念(GI) レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画 |
ザッツザプレンティとアクティブバイオが2頭で逃げ、ハイペースを刻む一方、シンボリクリスエスは、ゼンノロブロイやウインブレイズ、リンカーンとともに中団に位置した[78]。2周目の第3コーナーからは、中団勢が逃げる2頭に接近。中団勢はリンカーン、離れてシンボリクリスエスとゼンノロブロイ、そしてウインブレイズの順であった[78]。やがてリンカーンが逃げ馬に代わって先頭に立ち、シンボリクリスエスはそれを追走。最終コーナーをリンカーンの直後で通過した[75]。シンボリクリスエスは、促されながら直線に向くと、残り300メートルでリンカーンをかわした[79]。リンカーンを突き放して以後、独走状態。後続はリンカーンすらかわせず、シンボリクリスエスは差を広げる一方、後方に9馬身差をつけて先頭で入線した[75]。
GI4勝目、スピードシンボリ、シンボリルドルフ、グラスワンダーに続く史上4頭目の有馬記念連覇となった[80]。そのうえ史上初めてとなる天皇賞(秋)、有馬記念のダブル連覇を果たした[56]。また走破タイム2分30秒5は、1991年有馬記念でダイユウサクが記録したレースレコードおよびコースレコードを0.1秒更新[78]。加えて、2着リンカーンに9馬身差の優勝は、1967年の優勝カブトシロー、2着リュウフアーロスの6馬身を上回る有馬記念史上最大着差であり[78]、タップダンスシチーが勝利した前出のジャパンカップと並び立つGI競走史上最大着差記録となった[75]。
藤沢は「彼(シンボリクリスエス)は3歳時の有馬記念で2着に半馬身つけた差を、4歳時では9馬身に広げました。『引退の決まっている最後の一戦なので藤澤が完膚なきまでに仕上げた』などと言われたりしましたが、それは大きな間違いです。種牡馬入りの決まっているお馬さんに対し下手に負荷をかけて壊してしまっては、馬主さんだけでなく競馬界全体に向ける顔がなくなります。つまり、最後の一戦で無理をさせないことはあっても、その逆はありえないわけです[81]。(カッコ内補足加筆者)」と述べていた。また「オリビエ・ペリエ騎手は(シンボリ)クリスエスに対し、フランスの名馬パントレセレブルと比べ、『肩を並べる最強馬』と言ってくれましたが、私はその言葉が決してお世辞ではないと信じています。」と認識している[82]。
IFHA(国際競馬統括機関連盟)から発表された「THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONS」では124ポンドに評価された[83]。
開催終了後の中山競馬場にて、引退式を開催[84][85]。同日付で、JRAの競走馬登録を抹消された[4]。この年のJRA賞では、全287票中220票を集めてJRA賞年度代表馬[注釈 22]に、275票を集めてJRA賞最優秀4歳以上牡馬に選出された[注釈 23][6]。2年連続となる年度代表馬受賞であった[6]。
種牡馬時代
編集古馬となった2003年の時点で、この年限りでの引退と、種牡馬入りを見据え、社台グループに所有権の半分が譲渡されていた[86]。引退後は、北海道安平町の社台スタリオンステーションに繋養され、翌2004年から種牡馬として供用[87]。初年度から200頭を超える繁殖牝馬を集め、2015年まで年間三桁の交配数を保った[88]。2016年からは、北海道日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動した。2019年に41頭の繁殖牝馬と交配した後、高齢に伴う受胎率の低下と、体調を考慮して種牡馬を引退[87]。千葉県成田市のシンボリ牧場にて功労馬として余生を過ごした[89]。2020年9月に蹄葉炎を発症、12月7日には起立不能となり、翌日に安楽死処置が取られた[90][91]。21歳没。
2007年に初年度産駒がデビュー。8月11日、小倉競馬場の未勝利戦でギンザフローラルが産駒初勝利[92][93]。1年目は出走68頭中18頭が勝ち上がり、ファーストシーズンチャンピオンサイアーとなった[94]。2008年3月1日のアーリントンカップ(JpnIII)にて、初年度産駒で3歳となったダンツキッスイが優勝し、産駒重賞初勝利となった[95][96]。また同年7月9日のジャパンダートダービー(JpnI)にて、同じく初年度産駒のサクセスブロッケンが優勝し、産駒GI級競走初勝利[97][98]。そのうえサクセスブロッケンは、翌2009年2月22日のフェブラリーステークス(GI)も優勝し、産駒JRA-GI初勝利となった[98]。それから、アルフレードが2011年の朝日杯フューチュリティステークス(GI)を、ストロングリターンが2012年の安田記念(GI)を優勝[99][100]、それまで勝利したJRA-GIはすべて1600メートルの競走であった[101]。2013年10月20日、エピファネイアが菊花賞(GI)を優勝し、産駒クラシック初勝利を達成[101]。翌年のジャパンカップも制して種牡馬となり、産駒には2020年の牝馬三冠を達成したデアリングタクト、2021年の皐月賞、天皇賞(秋)、有馬記念を制したエフフォーリアなどのGI優勝馬がいる[102][103]。
競走成績
編集以下の内容は、netkeiba.com[104]およびJBISサーチ[105]に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離 (馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム (上り3F) |
着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) | 馬体重 [kg] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001.10.13 | 東京 | 2歳新馬 | 芝1600m(良) | 9 | 1 | 1 | 6.5 (4人) | 1着 | 1:36.5(34.9) | -0.1 | 岡部幸雄 | 53 | (アサクサキニナル) | 540 | |
2002. 1.27 | 東京 | セントポーリア賞 | 5下 | 芝1800m(不) | 14 | 8 | 14 | 3.6 (2人) | 2着 | 1:53.3(36.5) | 0.1 | 横山典弘 | 55 | タイムレスワールド | 538 |
2. 9 | 東京 | ゆりかもめ賞 | 5下 | 芝2400m(良) | 16 | 8 | 16 | 1.7 (1人) | 3着 | 2:30.8(34.7) | 0.2 | 横山典弘 | 55 | トウカイアロー | 538 |
3.10 | 中山 | 3歳500万下 | 芝1800m(良) | 16 | 5 | 9 | 1.8 (1人) | 3着 | 1:48.0(34.2) | 0.6 | 岡部幸雄 | 55 | マイネルリバティー | 530 | |
4. 6 | 中山 | 山吹賞 | 5下 | 芝2200m(良) | 16 | 8 | 15 | 2.8 (2人) | 1着 | 2:14.3(34.7) | -0.3 | 岡部幸雄 | 55 | (マイネルアムンゼン) | 526 |
4.27 | 東京 | 青葉賞 | GII | 芝2400m(良) | 18 | 2 | 3 | 2.2 (1人) | 1着 | 2:26.4(34.1) | -0.4 | 武豊 | 56 | (バンブーユベントス) | 526 |
5.26 | 東京 | 東京優駿 | GI | 芝2400m(良) | 18 | 6 | 11 | 6.2 (3人) | 2着 | 2:26.4(35.2) | 0.2 | 岡部幸雄 | 57 | タニノギムレット | 520 |
9.22 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 芝2000m(良) | 16 | 5 | 9 | 2.1 (1人) | 1着 | 1:59.1(35.1) | -0.4 | 岡部幸雄 | 56 | (ノーリーズン) | 522 |
10.27 | 中山 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 18 | 4 | 8 | 6.5 (3人) | 1着 | 1:58.5(34.4) | -0.1 | 岡部幸雄 | 56 | (ナリタトップロード) | 530 |
11.24 | 中山 | ジャパンC | GI | 芝2200m(良) | 16 | 4 | 7 | 3.4 (1人) | 3着 | 2:12.3(35.7) | 0.1 | O.ペリエ | 55 | ファルブラヴ | 536 |
12.22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(稍) | 14 | 1 | 1 | 3.7 (2人) | 1着 | 2:32.6(34.6) | -0.1 | O.ペリエ | 55 | (タップダンスシチー) | 528 |
2003. 6.29 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200m(良) | 17 | 3 | 5 | 2.1 (1人) | 5着 | 2:12.3(37.0) | 0.3 | K.デザーモ | 58 | ヒシミラクル | 524 |
11. 2 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000m(良) | 18 | 8 | 18 | 2.7 (1人) | 1着 | R1:58.0(33.6) | -0.2 | O.ペリエ | 58 | (ツルマルボーイ) | 534 |
11.30 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400m(重) | 18 | 3 | 5 | 1.9 (1人) | 3着 | 2:30.3(37.1) | 1.6 | O.ペリエ | 57 | タップダンスシチー | 540 |
12.28 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500m(良) | 12 | 8 | 12 | 2.6 (1人) | 1着 | R2:30.5(35.3) | -1.5 | O.ペリエ | 57 | (リンカーン) | 538 |
- Rはレコード勝ちを示す。
種牡馬成績
編集以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[88]。
種付年度 | 種付頭数 | 生産頭数 | 血統登録頭数 | 出走頭数 | 勝馬頭数 | 重賞勝馬頭数 | AEI | CPI | 該当GI級優勝産駒 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | 216 | 150 | 145 | 136 | 99 | 4 | 2.05 | サクセスブロッケン | |
2005 | 227 | 174 | 168 | 154 | 99 | 6 | 2.27 | ストロングリターン | |
2006 | 183 | 125 | 123 | 110 | 69 | 2 | 1.30 | ||
2007 | 169 | 117 | 117 | 113 | 83 | 3 | 1.25 | ||
2008 | 217 | 167 | 165 | 155 | 99 | 2 | 1.21 | アルフレード | |
2009 | 207 | 147 | 146 | 139 | 100 | 3 | 1.48 | エピファネイア | |
2010 | 183 | 126 | 123 | 116 | 79 | 2 | 1.26 | ||
2011 | 134 | 92 | 90 | 83 | 59 | 1 | 0.82 | ||
2012 | 203 | 135 | 132 | 126 | 88 | 2 | 0.78 | ||
2013 | 167 | 114 | 112 | 107 | 71 | 4 | 0.86 | ||
2014 | 133 | 88 | 86 | 81 | 51 | 1 | 0.84 | ルヴァンスレーヴ | |
2015 | 135 | 81 | 80 | 73 | 43 | 0 | 0.48 | ||
2016 | 64 | 25 | 25 | 24 | 16 | 2 | 1.25 | ||
2017 | 78 | 32 | 32 | 30 | 15 | 1 | 0.65 | ||
2018 | 64 | 14 | 14 | 11 | 4 | - | 0.32 | ||
2019 | 41 | 5 | 4 | 0 | - | - | - | ||
合計 | 1,562 | 1,458 | 975 | 33 | 1.37 | 1.72 |
- 情報は、2021年12月15日時点。
- 出走頭数、勝馬頭数、重賞勝馬頭数、アーニングインデックス、コンパラブルインデックスは、平地競走に限る。
主な産駒
編集GI級競走優勝馬
編集太字強調は、GI級競走を表す。
- 2005年産
- サクセスブロッケン(2008年ジャパンダートダービー、2009年フェブラリーステークス、東京大賞典)- 母父:サンデーサイレンス[106]
- 2006年産
- ストロングリターン(2011年京王杯スプリングカップ、2012年安田記念)- 母父:Smart Strike[107]
- 2009年産
- アルフレード(2011年朝日杯フューチュリティステークス)- 母父:サンデーサイレンス[108]
- 2010年産
- 2015年産
- ルヴァンスレーヴ(2017年全日本2歳優駿、2018年ユニコーンステークス、ジャパンダートダービー、マイルチャンピオンシップ南部杯、チャンピオンズカップ)- 母父:ネオユニヴァース[110]
グレード制重賞優勝馬
編集アスタリスクは、地方競馬各主催者が独自に定める格付けた重賞を表す(ダートグレード競走を除く)。
- 2005年産
- 2006年産
- サンカルロ(2009年ニュージーランドトロフィー、2011年阪急杯、2011年・2012年阪神カップ)- 母父:Crafty Prospector[114]
- アプレザンレーヴ(2009年青葉賞)- 母父:Highest Honor[115]
- パワーストラグル(2010年白山大賞典)- 母父:アフリート[116]
- クリーバレン(2011年新潟ジャンプステークス)- 母父:サンデーサイレンス[117]
- ランフォルセ(2011年エルムステークス、2012年ダイオライト記念、2013年浦和記念、2014年佐賀記念)- 母父:Machiavellian[118]
- ダノンカモン(2014年名古屋大賞典)- 母父:オジジアン[119]
- 2007年産
- 2008年産
- 2009年産
- サナシオン(2015年東京ハイジャンプ、2016年阪神スプリングジャンプ)- 母父:サンデーサイレンス[124]
- 2010年産
- 2011年産
- 2013年産
- 2014年産
- 2017年産
地方重賞優勝馬
編集- 2008年産
- 2009年産
- 2012年産
- 2013年産
- 2014年産
- 2015年産
- 2017年産
- 2018年産
母の父としての主な産駒
編集グレード制重賞優勝馬
編集- 2010年産
- ケイアイチョウサン(2013年ラジオNIKKEI賞)- 父:ステイゴールド[144]
- 2011年産
- オジュウチョウサン(2016年東京ジャンプステークス、2017年・2019・2020年阪神スプリングジャンプ、2016年 - 2020年・2022年中山グランドジャンプ、2016年・2017年東京ハイジャンプ、2016年・2017年・2021年中山大障害)- 父:ステイゴールド[145]
- エイシンヴァラー(2018年黒船賞)- 父サウスヴィグラス[146]
- 2012年産
- 2014年産
- 2015年産
- 2016年産
- 2017年産
- 2018年産
- 2020年産
- 2021年産
- イーグルノワール(2023年兵庫ジュニアグランプリ-) 父ブリックスアンドモルタル
- エートラックス(2024年兵庫チャンピオンシップ)- 父ニューイヤーズデイ
- ジューンテイク(2024年京都新聞杯)- 父キズナ
地方重賞優勝馬
編集- 2012年産
- ロールボヌール(2014年若駒賞、南部駒賞、2015年岩手ダービーダイヤモンドカップ)- 父フレンチデピュティ[166]
- テイケイネクサス(2018年御船山賞、サイネリア賞、鏡山賞)- 父:フォーティナイナーズサン[167]
- 2017年産
- 2018年産
- 2019年産
- 2020年産
- 2022年産
- イイデマイヒメ(2024年サッポロクラシックカップ)- 父カリフォルニアクローム
血統表
編集シンボリクリスエスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ロベルト系 |
[§ 2] | ||
父 Kris S. 1977 黒鹿毛 アメリカ |
父の父 Roberto 1969鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Bramalea | Nashua | |||
Rarelea | ||||
父の母 Sharp Queen 1965鹿毛 アメリカ |
Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Bridgework | Occupy | |||
Feale Bridge | ||||
母 Tee Kay 1991 黒鹿毛 アメリカ |
Gold Meridian 1982 黒鹿毛 アメリカ |
Seattle Slew | Bold Reasoning | |
My Charmer | ||||
Queen Louie | Crimson Satan | |||
Reagent | ||||
母の母 Tri Argo 1982黒鹿毛 アメリカ |
Tri Jet | Jester | ||
Haze | ||||
Hail Proudly | Francis S. | |||
Spanglet | ||||
母系(F-No.) | (FN:8-h) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Royal Charger5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
近親には母の全妹Tritheniaの孫にWell Armed(ドバイワールドカップなどGI2勝)などがいる。
脚注
編集注釈
編集- ^ 父シアトルスルー、母父クリムゾンサタンの競走馬で、生涯成績は11戦4勝。ロイヤルホイップステークス(G3)の2着がある[10]。
- ^ 孝弘は、帯広畜産大学を卒業した後、半年間ニュージーランドの牧場に留学。帰国後に父と不和となり家出し就職したという経緯がある[15]。孝弘は、後に受けた吉川良の取材に対し、家出の理由として「逃げたんですよ。自信をなくして[13]」と答えている。
- ^ ティーケイを購入した繁殖牝馬セールと同時期の1998年11月に競走馬デビュー。その半年後の1999年5月、NHKマイルカップ(GI)を優勝する[16]。
- ^ 『名馬を読む2』85頁(著:江面弘也)には27万ドル、『優駿』2019年6月号 80頁(著:軍土門隼夫)には26万ドルとされている。
- ^ 同じく、2番仔の母ティーケイも整理の対象となった。キングマンボとの仔を受胎した後に上場、26万ドル[注釈 4]で売却されている[19][17]。
- ^ 買い手がいない(希望価格に達しなかった)ために、売り手が自ら落札し、馬を買い戻す行為。
- ^ シンボリスウォードは、日本の競走馬。父はグリーンデザートである。1999年のバーデンバーデンカップ(OP)、キーンランドカップ(OP)優勝。1999年の函館スプリントステークス(GIII)2着、2001年のアイビスサマーダッシュ(GIII)2着となった。通算成績28戦8勝[20]。
- ^ スイートオーキッドは、日本の競走馬。父はゴーンウェストである。2000年のクリスタルカップ(GIII)優勝。通算成績14戦3勝[21]。
- ^ 岡部、横山はともに青葉賞に別の馬で参戦している。岡部は、シンボリクリスエスと同じ藤沢厩舎のボールドブライアン、横山は、松田博資厩舎のダディーズドリームに騎乗していた[32]。岡部は藤沢の采配のため、横山は先約があったため、シンボリクリスエスに騎乗することができなかった[32]。
- ^ 外国産馬のため、東京優駿の優先出走権は与えられなかった[34]。
- ^ 藤沢和雄の兄、藤沢民雄が場長を務めていた[39]。
- ^ 外国産馬のため、菊花賞の優先出走権は与えられなかった[42]。
- ^ 出馬投票を行った外国産馬が出走可能頭数を超過した場合は、「過去1年間のGI、GII、GIII競走で獲得した収得賞金の多い順」に決定していた。
- ^ 外国産馬に与えられた出走枠は2。前年の有馬記念2着のアメリカンボス、前年のマイルチャンピオンシップ優勝のゼンノエルシドを押しのけ、シンボリクリスエスの出走が実現した[注釈 13][45][46]
- ^ 他に1954年オパールオーキツト、1956年ミツドフアーム。(1971年から1999年まで外国産馬は出走できなかった。)
- ^ 岡部にとって生涯最後のGI優勝となる。[48]
- ^ 他、ファインモーション3票、タニノギムレット1票[5]。
- ^ クラシック未勝利の3歳馬による年度代表馬の受賞は史上初
- ^ 他、タニノギムレット1票[5]。
- ^ クラシック未勝利の最優秀3歳牡馬はオグリキャップ・エルコンドルパサーに続いて4年ぶり3頭目、クラシック出走馬かつ未勝利の馬では史上初
- ^ 1000メートル通過は、1998年のサイレンススズカの逃げよりも0.5秒速い、天皇賞(秋)史上最速であった。『優駿』によれば「スプリント戦なみの超ハイペース[71]」だった。ハイペースの場合、一般的に後方に位置した馬が有利となる。
- ^ 他に、スティルインラブ58票、ヒシミラクル6票、ネオユニヴァース2票、該当馬なし1票[6]。
- ^ 他に、ヒシミラクル12票[6]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “シンボリクリスエス(USA)”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ 『優駿』2013年6月号 93頁
- ^ 「シンボリクリスエス死ぬ 21歳、蹄葉炎で 02、03年の年度代表馬 和田社長「残念でなりません」」『スポーツニッポン』。2021年12月14日閲覧。
- ^ a b 「シンボリクリスエス引退」『netkeiba.com』。2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『優駿』2003年2月号 44-49頁
- ^ a b c d e 『優駿』2004年2月号 21頁
- ^ 「【有馬記念】03年クリスエス連覇達成「闘争本能の塊だった」」『スポーツニッポン』。2021年12月16日閲覧。
- ^ 『優駿』2003年2月号 75頁
- ^ “THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONS” (PDF). IFHA. 2021年7月22日閲覧。
- ^ “Gold Meridian (KY)”. www.equibase.com. 2022年5月16日閲覧。
- ^ a b “Tee Kay(USA)”. JBISサーチ. 2021年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e 『優駿』2003年2月号 134-135頁
- ^ a b c d e f g h i 『優駿』2003年3月号 127-132頁
- ^ a b c d e f g 『優駿』2003年7月号 64-67頁
- ^ a b c d e 『優駿』1999年7月号 109-114頁
- ^ a b “シンボリインディ(USA)”. JBISサーチ. 2021年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 『優駿』2019年6月号 78-83頁
- ^ a b c d e f 『優駿』2002年6月号 17頁
- ^ a b c 『名馬を読む2』85頁
- ^ “シンボリスウォード(IRE)”. JBISサーチ. 2021年12月18日閲覧。
- ^ “スイートオーキッド(USA)”. JBISサーチ. 2021年12月18日閲覧。
- ^ “漆黒の大器(シンボリクリスエス) - netkeiba.com名馬列伝 | 競馬コラム”. netkeiba.com. 2021年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e Gallop臨時増刊号 岡部幸雄全史 91頁
- ^ 勝つためにすべきこと 194頁
- ^ a b 勝つためにすべきこと 194-195頁
- ^ “2R サラ系2歳 新馬|2001年10月13日(土)4回東京3日”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “9R セントポーリア賞 500万下|2002年1月27日(日)2回東京2日”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “9R ゆりかもめ賞 500万下|2002年2月9日(土)2回東京5日”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “7R サラ系3歳 500万下|2002年3月10日(日)1回中山6日”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “9R 山吹賞 500万下|2002年4月6日(土)2回中山5日”. JBISサーチ. 2021年12月18日閲覧。
- ^ a b 勝つためにすべきこと 195頁
- ^ a b c d e “天才の一言”. 競馬最強の法則WEB. 2021年12月14日閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』2002年6月号 125頁
- ^ 『優駿』2002年6月号 139頁
- ^ “東京優駿”. netkeiba.com. 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b 『優駿』2002年7月号 134-135頁
- ^ a b 『優駿』2002年7月号 10-19頁
- ^ G1の勝ち方 : サラブレッド金言108 58-59頁
- ^ a b 『名馬を読む2』86頁
- ^ “神戸新聞杯”. netkeiba.com. 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b 『優駿』2002年11月号 125頁
- ^ 『優駿』2002年11月号 138頁
- ^ G1の勝ち方 : サラブレッド金言108 117頁
- ^ a b c d e f g h i 『優駿』2002年12月号 22-25頁
- ^ 『優駿』2002年1月号 74頁
- ^ a b c d e f g h i 『優駿』2002年12月号 134-135頁
- ^ “天皇賞(秋)”. netkeiba.com. 2021年12月15日閲覧。
- ^ “岡部 幸雄:競馬の殿堂 JRA”. 日本中央競馬会. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c 『優駿』2003年1月号 40-43頁
- ^ “ジャパンカップ”. netkeiba.com. 2021年12月15日閲覧。
- ^ 『サラブレ』2003年3月号 8頁
- ^ 『優駿』2003年1月号 9頁
- ^ “有馬記念”. netkeiba.com. 2021年12月16日閲覧。
- ^ “【有馬記念】ペリエ騎手騎乗の3歳シンボリクリスエスが早くも古馬GI・2勝目/平成有馬記念列伝(2002年)”. netkeiba.com. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『優駿』2003年2月号 24-29頁
- ^ a b c d “有終シンボリクリスエス記録的連覇/有馬記念の記憶”. 日刊スポーツ 2021年12月16日閲覧。
- ^ 『サラブレ』2003年3月号 9頁
- ^ a b c d 『優駿』2003年2月号 146頁
- ^ “【有馬記念アーカイブ・03年】「シンボリ軍団」連覇の歴史 記録に刻まれるペリエ騎乗のシンボリクリスエス”. スポーツ報知. (2020年12月22日) 2021年12月17日閲覧。
- ^ a b c d 優駿』2003年7月号 8-9頁
- ^ G1の勝ち方 : サラブレッド金言108 175頁
- ^ a b 『優駿』2019年6月号 82頁
- ^ 『優駿』2003年7月号 7頁
- ^ a b c 『優駿』2003年8月号 36-41頁
- ^ “宝塚記念”. netkeiba.com. 2021年12月16日閲覧。
- ^ 『優駿』2003年9月号 23頁
- ^ a b 勝つためにすべきこと 196頁
- ^ 勝つためにすべきこと 196-197頁
- ^ 勝つためにすべきこと 197頁
- ^ “天皇賞(秋)|”. netkeiba.com. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c d e 『優駿』2003年12月号 36-39頁
- ^ 『名馬を読む2』88頁
- ^ a b c d e 『優駿』2003年12月号 132-133頁
- ^ a b c d 『優駿』2004年1月号 36-39頁
- ^ a b c d 『優駿』2004年2月号 36-39頁
- ^ a b 『優駿』2004年1月号 11-13頁
- ^ “有馬記念”. netkeiba.com. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c d 『優駿』2004年2月号 138-139頁
- ^ “【有馬記念】シンボリクリスエスが9馬身差独走 引退の花道を飾る連覇/平成有馬記念列伝(2003年)”. netkeiba.com 2021年12月17日閲覧。
- ^ 『名馬を読む2』89頁
- ^ 勝つためにすべきこと 199-200頁
- ^ 勝つためにすべきこと 201頁
- ^ 国際競馬統括機関連盟. “THE 2003 INTERNATIONAL CLASSIFICATIONS” (英語). Press Release. 国際競馬統括機関連盟. 2024年7月13日閲覧。
- ^ 『優駿』2004年2月号 77頁
- ^ “Sクリスエスが引退式/有馬記念”. 四国新聞社 2021年12月16日閲覧。
- ^ 「天皇賞馬シンボリクリスエス、来年からシンボリと社台の共同所有馬に」(日刊スポーツ、2002年11月29日)
- ^ a b “シンボリクリスエスが種牡馬引退 | 馬産地ニュース”. 競走馬のふるさと案内所. 2021年12月17日閲覧。
- ^ a b “種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|シンボリクリスエス(USA)”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “シンボリクリスエスが種牡馬引退”. サンケイスポーツ. (2019年10月23日) 2021年12月17日閲覧。
- ^ “シンボリクリスエスが死ぬ”. 競馬ブック. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “02、03年の年度代表馬シンボリクリスエスが8日に蹄葉炎で死す 21歳”. スポーツ報知. (2020年12月9日) 2021年12月17日閲覧。
- ^ 淳, 勝木. “万能こそ、最大の武器〜落語でふりかえる、種牡馬・シンボリクリスエス〜”. 競馬コラム&ニュース「ウマフリ」. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “2歳未勝利”. netkeiba.com. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “検索結果|ランキング検索”. JBISサーチ. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “アーリントンC、ダンツキッスイが逃げ切り”. netkeiba.com 2021年12月17日閲覧。
- ^ “キッスイ圧逃!ポルトフィーノ伸びず”. スポーツニッポン 2021年12月17日閲覧。
- ^ “【ジャパンダートダービー】(大井)~サクセスブロッケン、貫禄の勝利”. 競馬実況web (ラジオNIKKEI) 2021年12月17日閲覧。
- ^ a b “フェブラリーSアラカルト”. netkeiba.com. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “無敗の2歳王者誕生! アルフレード来春の主役だ=朝日杯FS”. スポーツナビ. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “【安田記念】ストロングリターン G1初制覇!昨年の雪辱果たした ― スポニチ競馬Web”. スポーツニッポン 2021年12月17日閲覧。
- ^ a b “福永、父子で制覇/菊花賞あれこれ”. 日刊スポーツ 2021年12月17日閲覧。
- ^ “エピファネイア”. JBISサーチ. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “種牡馬情報:種牡馬成績 |エピファネイア”. JBISサーチ. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “シンボリクリスエスの競走成績”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年12月9日閲覧。
- ^ “シンボリクリスエス 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年12月9日閲覧。
- ^ “サクセスブロッケン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ストロングリターン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “アルフレード”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “エピファネイア”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ルヴァンスレーヴ”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “ダンツキッスイ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “モンテクリスエス”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “マチカネニホンバレ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “サンカルロ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “アプレザンレーヴ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “パワーストラグル”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “クリーバレン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ランフォルセ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ダノンカモン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “アリゼオ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “サイレントメロディ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “サトノアポロ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ミトラ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “サナシオン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ユールシンギング”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ソロル”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “マイネルフィエスタ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ショウナンラグーン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “エアアンセム”. JBISサーチ. 2018年7月17日閲覧。
- ^ “サトノティターン”. JBISサーチ. 2019年11月27日閲覧。
- ^ “サンライズソア”. JBISサーチ. 2018年5月21日閲覧。
- ^ “コルテジア”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “プリティーチャンス”. JBISサーチ. 2022年10月6日閲覧。
- ^ “サイモンロード”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ハタノアブソルート”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ブルージャスティス”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “イチダイ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ブラックロード”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ティモシーブルー”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “ウォーターマーズ”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “テーオーフォース”. JBISサーチ. 2022年4月21日閲覧。
- ^ “エメリミット”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “ツムタイザン”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “ケイアイチョウサン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “オジュウチョウサン”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “エイシンヴァラー”. JBISサーチ. 2019年6月28日閲覧。
- ^ “ベルラップ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “シングウィズジョイ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “レイデオロ”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “アドミラブル”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ クイーンマンボ - netkeiba、2017年10月6日閲覧
- ^ “ローズプリンスダム”. JBISサーチ. 2017年11月13日閲覧。
- ^ “ミスパンテール”. JBISサーチ. 2018年4月9日閲覧。
- ^ “アルクトス”. JBISサーチ. 2020年6月4日閲覧。
- ^ “レイエンダ”. JBISサーチ. 2019年6月28日閲覧。
- ^ “レッドガラン”. JBISサーチ. 2022年2月14日閲覧。
- ^ “ランブリングアレー”. JBISサーチ. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “アカイイト”. JBISサーチ. 2021年12月14日閲覧。
- ^ “オーソリティ”. JBISサーチ. 2023年3月1日閲覧。
- ^ “マジックキャッスル”. JBISサーチ. 2021年6月4日閲覧。
- ^ “ソングライン”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月14日閲覧。
- ^ “ソーヴァリアント”. JBISサーチ. 2022年12月3日閲覧。
- ^ “ジューンベロシティ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年6月24日閲覧。
- ^ “ウィリアムバローズ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2024年1月21日閲覧。
- ^ “スキルヴィング”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “ロールボヌール”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “テイケイネクサス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年4月29日閲覧。
- ^ “フレッチャビアンカ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “トップレベル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ルナクレア”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ランリョウオー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ベニスビーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ギャレット”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “リコーヴィクター”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “プライムデューク”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ザビッグレディー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “アキュートガール”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “ベラジオソノダラブ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “スマイルミーシャ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ “マルグリッド”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年5月11日閲覧。
- ^ a b c “5代血統表|血統情報|シンボリクリスエス(USA)”. JBISサーチ. 2016年9月9日閲覧。
参考文献
編集- 藤澤和雄「G1の勝ち方 : サラブレッド金言108」小学館、2008年4月7日、ISBN 9784093797856
- 藤沢和雄「勝つためにすべきこと」宝島社新書、2008年12月24日、ISBN 9784796662109
- 江面弘也「シンボリクリスエス シンボリ牧場、父子の葛藤」『名馬を読む2』三賢社、2019年8月30日、ISBN 4908655146
- 『Gallop臨時増刊 岡部幸雄全史』(サンケイスポーツ)
- 岡部幸雄が語るGI制覇/平成編
- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 1999年7月号
- 吉川良「【競作ノンフィクション・シリーズ】ルドルフの風よ吹け ~シンボリ牧場、馬づくり70年~」
- 2002年1月号
- 「【平成14年度競馬番組発表!】4.外国産馬の出走制限緩和」
- 2002年6月号
- 石田敏徳「【ダービー・プレビュー 2002】混戦ダービーに強力な外国産馬、現る シンボリクリスエス」
- 2002年7月号
- 阿部珠樹「【Play-back the Grade-I Races 2002】日本ダービー まれに見る『いいダービー』」
- 2002年11月号
- 「【Play-back the Grade Races 2002】2002年9月7日 - 10月6日 第50回神戸新聞杯(GII)」
- 「【重賞データファイル】第50回神戸新聞杯(GII) シンボリクリスエス」
- 2002年12月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 平松さとし「【藤沢和雄調教師が語る】"シンボリクリスエス"と"3歳馬による天皇賞挑戦"」
- 「【重賞データファイル】第126回天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 2003年1月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】ジャパンカップ ファルブラヴ」
- 2003年2月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】有馬記念 シンボリクリスエス」
- 「【2002年度JRA賞決定!】年度代表馬はシンボリクリスエス」
- 「【2002年JPNクラシフィケーション発表!】日本調教馬の最高評価はシンボリクリスエスの119ポンド」
- 「【重賞データファイル】有馬記念(第47回グランプリ) シンボリクリスエス」
- 「【今月の記録室】シンボリクリスエス 秋の古馬の王道を完走して有馬制覇」
- 2003年3月号
- 吉川良「【競作ノンフィクション・シリーズ】さらなる情熱をかきたてて」
- 2003年7月号
- 平松さとし「【今年の宝塚記念は何かが違う!?】シンボリクリスエス」
- 優駿編集部「【杉本清の競馬談義 218】シンボリ牧場社長 和田孝弘さん」
- 2003年8月号
- 「【Play-back the Grade-I Races 2003】宝塚記念 ヒシミラクル」
- 2003年9月号
- 村本浩平「【有力馬の次走・近況報告】シンボリクリスエス」
- 2003年11月号
- 平松さとし「【特集 第128回天皇賞(秋)】シンボリクリスエス」
- 2003年12月号
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】天皇賞(秋) シンボリクリスエス」
- 「【重賞データファイル】第128回天皇賞(秋)シンボリクリスエス」
- 2004年1月号
- 石田敏徳「【有馬記念 有力馬の勝算・徹底分析】シンボリクリスエス」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】ジャパンカップ タップダンスシチー」
- 2004年2月号
- 後藤正俊「【優駿先取り情報局】04年初供用種牡馬への期待」
- 「【2003年度JRA賞決定!】年度代表馬は2年連続でシンボリクリスエス」
- 「【2003年JPNクラシフィケーション発表!】シンボリクリスエスが2年連続で日本調教馬の最高評価」
- 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】有馬記念 シンボリクリスエス」
- 「【今月のトピックス】シンボリクリスエスが引退式を挙行」
- 「【重賞データファイル】有馬記念(第48回グランプリ) シンボリクリスエス」
- 2013年6月号
- ミエスク団「【名馬図鑑(28】】シンボリクリスエス」
- 2019年6月号
- 1999年7月号
- 『サラブレ』(エンターブレイン)
- 2003年3月号
- [クロス・インタビュー]オリビエ・ペリエ&藤沢和雄
- 2003年3月号
外部リンク
編集- ミルリッジファーム - 生産牧場
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
- シンボリクリスエス(USA) - 競走馬のふるさと案内所