ヤマノタンポポ
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
ヤマノタンポポ(欧字名:Yamano Tampopo、1986年4月16日 - 不明)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
ヤマノタンポポ | ||||||
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欧字表記 | Yamano Tampopo[1] | |||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||
性別 | 牝[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1986年4月16日[1] | |||||
父 | トウショウボーイ[1] | |||||
母 | パーソロック[1] | |||||
母の父 | パーソロン[1] | |||||
生国 | 日本(北海道門別町)[1] | |||||
生産者 | 丸一牧場[1] | |||||
馬主 | 山住れい子[1] | |||||
調教師 | 中村好夫(栗東)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 13戦4勝[1] | |||||
獲得賞金 | 6428万8000円[1] | |||||
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主な勝ち鞍は、1990年のダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)。
経歴
編集パーソロックは、父パーソロンの牝馬である[2]。競走馬として6戦1勝の成績で繁殖牝馬となり、1975年に初仔を生産した[3]。以降、カブラヤオーやマルゼンスキーなどとは複数回交配した[3]。19歳となった1985年、トウショウボーイと初めて交配[3]。1986年4月16日、北海道沙流郡門別町の丸一牧場にて鹿毛の牝馬を生産した。仔には「ヤマノタンポポ」という競走馬名が附され、栗東トレーニングセンターの中村好夫厩舎に入厩した[1]。
1989年1月13日、京都競馬場の新馬戦(ダート1200メートル)にて、中竹和也が騎乗しデビュー勝ち[4]。次走は同世代との400万円以下に5戦出走するも、勝利には至らなかった[4]。秋となった11月、古馬との混合戦となった400万円以下初戦で2勝目を挙げる。10着敗退を挟んだ12月の900万円以下では11番人気で出走し、3勝目を挙げた[4]。
5歳となった1990年、淀短距離ステークス(OP)で始動し、勝利したナルシスノワールに約2馬身差の4着となった[5]。この走りに中村は、オープン競走でも勝つことができると考え、うずしおステークス勝利を前提にダービー卿チャレンジトロフィーへ参戦するローテーションを策定した[5]。3月3日のうずしおステークスでは、中村が楽勝できると考え、鞍上に厩舎所属の新人騎手である牧田和弥を起用し参戦した[5]。しかし、スタート直後に鐙が外れて不安定な状態となり、最後の直線、決勝線手前で落馬し競走を中止した[5]。
次走は計画通り3月18日のダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)に出走。初の重賞および関東圏での出走となり、柴田善臣に乗り替わった[4]。レースでは、最終直線でデュークプリンセスがまくるなど、各々馬場状態の良い外側に移動する中、ヤマノタンポポは内側を突いて抜け出した[5]。同じく内側を突いたメイショウコブラや、外を回ったリンドホシなどに2馬身差をつけて勝利、重賞初制覇となった。柴田は前週の中山記念をホクトヘリオスが制しており、それに続く2週連続重賞勝利を果たした[5]。
中村は、その後京王杯スプリングカップかCBC賞を経て、スプリンターズステークスに挑戦すると宣言[5]。宣言通り京王杯スプリングカップに出走したが、14着敗退。その後は出走することなく競走馬を引退し、繁殖牝馬となった。産駒からは、オープン競走2勝、重賞2着1回、3着2回、スプリンターズステークスおよび高松宮記念ともに5着となったゴールデンロドリゴ(父:ロドリゴデトリアーノ)を筆頭に、14頭の仔を生産した[6]。
競走成績
編集以下の内容は、netkeiba.com[7]およびJBISサーチ[4]の情報に基づく。
競走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 | タイム | 着差 | 騎手 | 斤量 [kg] |
1着馬 (2着馬) |
馬体重 [kg] |
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1989.1.13 | 京都 | 4歳新馬 | ダ1200m(重) | 10 | 8 | 10 | 12.3 (6人) | 1着 | 1:13.0 | -0.7 | 中竹和也 | 53 | (ミリオンスティール) | 478 | |
2.11 | 京都 | 梅花賞 | 4下 | ダ1400m(重) | 10 | 8 | 10 | 4.7 (3人) | 10着 | 1:27.8 | 3.3 | 河内洋 | 53 | ヘラクレス | 482 |
3.11 | 阪神 | 4歳400万下 | ダ1200m(良) | 12 | 5 | 5 | 8.5 (5人) | 7着 | 1:15.2 | 1.3 | 中竹和也 | 53 | マルカドラゴン | 484 | |
4.16 | 阪神 | 4歳400万下 | 芝1200m(重) | 11 | 7 | 8 | 3.8 (1人) | 3着 | 1:13.1 | 0.3 | 中竹和也 | 53 | チャチャバンブー | 480 | |
5. 6 | 京都 | 矢車賞 | 4下 | 芝1400m(良) | 11 | 4 | 4 | 5.3 (2人) | 4着 | 1:26.2 | 0.3 | 松永幹夫 | 53 | ラブオンリーユー | 486 |
6. 3 | 阪神 | 4歳400万下 | 芝1400m(良) | 11 | 2 | 2 | 2.8 (1人) | 10着 | 1:26.8 | 3.0 | 中竹和也 | 53 | グレースアサシー | 484 | |
11.25 | 中京 | 4歳上400万下 | ダ1000m(良) | 16 | 1 | 1 | 4.1 (2人) | 1着 | 1:01.2 | 0.0 | 塩村克己 | 52 | (チャイナタウン) | 496 | |
12. 9 | 阪神 | 4歳上900万下 | ダ1200m(良) | 14 | 4 | 5 | 7.7 (3人) | 10着 | 1:14.5 | 2.1 | 松永幹夫 | 53 | サツキタロー | 500 | |
12.24 | 阪神 | 4歳上900万下 | 芝1200m(稍) | 12 | 5 | 6 | 20.9(11人) | 1着 | 1:10.7 | -0.2 | 塩村克己 | 52 | (ハードフブキ) | 498 | |
1990.2. 4 | 阪神 | 仁川短距離S | OP | 芝1200m(不) | 10 | 2 | 2 | 19.4 (8人) | 4着 | 1:10.6 | 0.3 | 塩村克己 | 50 | ナルシスノワール | 496 |
3. 3 | 阪神 | うずしおS | 15下 | 芝1200m(不) | 13 | 5 | 7 | 10.2 (3人) | 競走中止 | 牧田和弥 | 54 | ブラボーコール | 496 | ||
3.18 | 中山 | ダービー卿CT | GIII | 芝1200m(良) | 11 | 6 | 7 | 17.1 (8人) | 1着 | 1:08.9 | -0.3 | 柴田善臣 | 53 | (メイショウコブラ) | 492 |
4.22 | 東京 | 京王杯スプリングC | GII | 芝1400m(重) | 18 | 7 | 15 | 36.2(10人) | 14着 | 1:25.8 | 2.5 | 塩村克己 | 54 | シンウインド | 488 |
繁殖成績
編集生年 | 馬名 | 性 | 毛色 | 父 | 戦績 | 主な成績 | 供用 | 出典 | |
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初仔 | 1992年 | ヤマノブルーレース | 牝 | 鹿毛 | パドスール | 4戦0勝 | 抹消 | [8] | |
1993年 | 不受胎 | マグニテュード | [6] | ||||||
2番仔 | 1994年 | ヤマノシラユキ | 牝 | 黒鹿毛 | スリルショー | 9戦2勝 | 抹消 | [9] | |
1995年 | 不受胎 | コタシャーン | [6] | ||||||
3番仔 | 1996年 | ヤマノバイオレット | 牝 | 黒鹿毛 | フジキセキ | 32戦3勝 | 繁殖牝馬 | [10] | |
4番仔 | 1997年 | ゴールデンロドリゴ | 牡 | 鹿毛 | ロドリゴデトリアーノ | 54戦6勝 | 2003,04年:CBC賞(GII)3着、2着
2004年:函館スプリントステークス(GIII)2着 2002年:札幌日経スポーツ杯、UHB杯(OP)優勝 |
抹消 | [11] |
5番仔 | 1998年 | ヤマノヒマワリ | 牝 | 鹿毛 | ゴールデンフェザント | 9戦3勝 | 抹消 | [12] | |
6番仔 | 1999年 | 馬名登録されず | 牝 | 鹿毛 | ロドリゴデトリアーノ | 未出走 | [13] | ||
7番仔 | 2000年 | タケノタンポポ | 牝 | 鹿毛 | フサイチコンコルド | 未出走 | 繁殖牝馬 | [14] | |
8番仔 | 2001年 | レッツダンス | 牝 | 青鹿毛 | ダンスインザダーク | 10戦3勝 | 抹消 | [15] | |
9番仔 | 2002年 | ヤマノジェイド | 牡 | 鹿毛 | ジェイドロバリー | 6戦2勝 | 抹消 | [16] | |
10番仔 | 2003年 | ヤマノミルク | 牝 | 鹿毛 | スペシャルウィーク | 5戦3勝 | 抹消 | [17] | |
11番仔 | 2004年 | ヤマノベガ | 牡 | 黒鹿毛 | アドマイヤベガ | 40戦6勝 | 抹消 | [18] | |
12番仔 | 2005年 | ヤマノチョウジョウ | 牡 | 黒鹿毛 | ティンバーカントリー | 2戦0勝 | 抹消 | [19] | |
2006年 | 不受胎 | トワイニング | [6] | ||||||
2007年 | 流産 | ゼンノロブロイ | [6] | ||||||
13番仔 | 2008年 | ヤマノグラス | 牝 | 鹿毛 | バブルガムフェロー | 31戦5勝 | 繁殖牝馬 | [20] | |
14番仔 | 2009年 | イクシカナイダロウ | 牡 | 青鹿毛 | バランスオブゲーム | 50戦3勝 | 抹消 | [21] | |
2010年 | 種付けせず | [6] |
血統表
編集ヤマノタンポポの血統(テスコボーイ系/Hyperion=4×5×5) | (血統表の出典) | |||
父 トウショウボーイ 1973 黒鹿毛 |
父の父 *テスコボーイ1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blue Gem | ||||
Suncourt | Hyperion | |||
Boreale | ||||
父の母 ソシアルバターフライ1957 鹿毛 |
Your Host | Alibhai | ||
Boudoir | ||||
Wisteria | Easton | |||
Blue Cyprus | ||||
母 パーソロック 1970 鹿毛 |
*パーソロン 1960 鹿毛 |
Milesian | My Babu | |
Oatflake | ||||
Paleo | Pharis | |||
Calonice | ||||
母の母 シーアイローズ1964 鹿毛 |
*チャイナロック | Rockefella | ||
May Wong | ||||
セカンドメイヂ | 月友 | |||
スピアーロビン F-No.C6 |
脚注
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p "ヤマノタンポポ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "パーソロツク". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ a b c "繁殖牝馬情報:牝系情報|パーソロツク". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e "競走成績:全競走成績|ヤマノタンポポ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『優駿』1990年5月号 142-143頁
- ^ a b c d e f "繁殖牝馬情報:牝系情報|ヤマノタンポポ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ “ヤマノタンポポの競走成績”. netkeiba.com. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノブルーレース". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノシラユキ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノバイオレット". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ゴールデンロドリゴ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノヒマワリ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノタンポポの1999". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "タケノタンポポ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "レッツダンス". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノジェイド". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノミルク". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノベガ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノチョウジョウ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "ヤマノグラス". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。
- ^ "イクシカナイダロウ". JBISサーチ. 2021年9月1日閲覧。