ベータBeta )は、イタリア自動車メーカーランチア1972年から1984年まで製造・販売した乗用車である。ランチア草創期の1909年に発売された「ベータ」という車種が存在したが、ここでは1972年発表のモデル以降を記述する。

初期のベルリーナ
1982年シリーズ2・クーペ
スパイダー

解説 編集

ベータは1969年10月にランチアがフィアット傘下に入って初の完全な新型車で、前身のフルヴィア以来の前輪駆動は継承しつつも、フィアット・124125と共通設計のDOHCエンジンと5速ギアボックスジアコーサ式に横置きに搭載、フィアット・128で実績のあるマクファーソンストラット式四輪独立サスペンションを持ち、従来の特異な設計思想から、以後ヨーロッパの小型乗用車の主流となる設計コンセプトへの転換が図られた。しかし、設計チームは全員旧ランチアから選抜されて編成され、フィアットとは異なる乗り味の、良くバランスの取れたスポーティな上級小型車という位置付けであった。ただし、この時期のイタリア車の宿命ともいえるとは無縁ではなく、特に英国ではクレーム対策の失敗からメディアにも大きく取り上げられ、その後のランチア販売不振、1990年代半ばの英国市場撤退。この結果、ランチアの右ハンドル仕様が生産されていないことの遠因ともなった。

ボディは当初は独特な6ライト・ファストバックスタイルのセダン(ベルリーナ)一種であったが、1973年6月には自社デザインによる美しいクーペ[1]、1974年にはカロッツェリアザガートが架装するタルガトップ式のスパイダー1975年にはスポーツワゴンのHPE(High Performance Estate)が追加された。また、ミッドシップシャシーピニンファリーナ・デザインのボディの2シータースポーツカーモンテカルロも派生車種として加わった。セダンは1980年になって、ノッチバックスタイルの「ベータ・トレヴィ」となり、1979年から復活した伝統的なのモチーフのフロントグリルと、まるでクレーターのような特異なデザインのダッシュボードに変更された。

エンジンは当初DOHC 1,600 cc と1,800 cc だったが、1976年フルヴィアの最終モデルであったクーペ1.3Sが消滅する際に廉価版の1,300 cc が追加、同年のマイナーチェンジで上級の2,000 cc が追加され、1981年にはスーパーチャージャー(ルーツブロワー)付きのVX(ヴォルメックス)モデルも追加された。

日本への輸入 編集

日本には1976年から対米仕様の1800クーペが、6年ぶりのランチア正規輸入再開の第一弾として当時の安宅産業系のロイヤル・モータースから、安宅産業破綻、ロイヤル廃業後は、元オペル総代理店であった東邦モーターズから導入されたが、対米仕様の巨大なバンパー(5マイルバンパー)と排ガス対策でわずか83馬力に落とされたエンジン出力など、本国版の魅力は大幅に減じられていた。1980年代以降は、東邦やその後を継いで代理店となったガレーヂ伊太利屋によって、少数輸入枠を用いてクーペ1300、トレヴィVX、モンテカルロ等が輸入された。クーペ1300は、直4DOHCエンジンで1366ccの排気量、8.9の圧縮比に2バレルのウェーバーキャブを1基組み合わせることで最高出力84PS/5,800rpm、最大トルク11.3kgm/3,200rpmを発生させ、5MTと組み合わされた[2]

モータースポーツでの活躍 編集

 
ベータクーペ・ラリーGr.4 RACラリー仕様 ランピネン車

WRCでの活躍としてはランチア・ストラトスを優勝に導くためのサポートカーとして、それまでメインで走らせていたランチア・フルヴィアと入れ替わる形でベータクーペを1974年よりGr.4でエントリー。1972年にマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得し、スポーツカー勢に対して劣勢となっていた1973年、同グループで2位だったフィアットに対してもマニファクチャラーズポイントで大きく水をあけられていたが[3]、1974年ラリー・サンレモよりフルヴィアやポルシェ・911を差し置いてシェカー・メッタがクラス3位総合4位につける[4]と、ラリー・チーム監督であるチェーザレ・フィオリオ自身、ストラトスにディーノエンジンを載せようと考えるまでパワーユニットの候補に挙げていた程の、16バルブ仕様であるDOHCエンジンの戦闘力の高さを見越した上での、続くリドー湖ラリーではサンドロ・ムナーリのストラトスとともにシモ・ランピネンが1位・2位を勝ち取っていく[5]。そこからランチア・ワークスは3年連続でマニファクチャラーズタイトルを総なめにして行くが、この頃のストラトスを勝利に導いたベータクーペの功績は大きいと言える。その後1977年、フィアットが131アバルトを投入するまで牙城を崩すことはなかった。しかし、ラリーシーンの変化は明らかとなっており、この後ベータクーペは役割を終え、ベルナール・ダルニッシュら地元プライベーターの駆るストラトスオンリーによる限定されたラウンドでの参戦へとスイッチ、ランチア自体のWRCでの覇権復活はラリー037の登場する1982年まで待つこととなる。

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ 『80年代輸入車のすべて- 魅惑の先鋭 輸入車の大攻勢時代』三栄書房、100頁参照
  2. ^ 80年代輸入車のすべて- 魅惑の先鋭 輸入車の大攻勢時代. 三栄書房. (2013). pp. 100. ISBN 9784779617232 
  3. ^ 1973 World Rally Championship for ManufacturersFinal classification rallybase.nl 2013年4月4日閲覧。
  4. ^ 16º Rallye Sanremo rallybase.nl 2013年4月4日閲覧。
  5. ^ 3rd Rally Rideau Lakes rallybase.nl 2013年4月4日閲覧。