レナート・サルヴァトーリ

レナート・サルヴァトーリRenato Salvatori, 1934年3月20日 - 1988年3月27日)は、イタリア俳優である[1][2][3][4]。どんな役もこなす性格俳優として知られる[1][2][3]

Renato Salvatori
レナート・サルヴァトーリ
レナート・サルヴァトーリ
ハーレム』(1967年)
本名 ジュゼッペ・サルヴァトーリ Giuseppe Salvatori
生年月日 (1934-03-20) 1934年3月20日
没年月日 (1988-03-27) 1988年3月27日(54歳没)
出生地 イタリア王国の旗 イタリア トスカーナ州ルッカ県セラヴェッツァ
死没地 イタリアの旗 イタリア ラツィオ州ローマ県ローマ
職業 俳優
ジャンル イタリア式コメディ
活動期間 1952年 - 1988年
配偶者 アニー・ジラルド(1962年 - 1988年)※死別
著名な家族 1児
主な作品
若者のすべて』(1960年)
いつもの見知らぬ男たち
戒厳令
Z』(1969年)
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来歴・人物

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1934年3月20日トスカーナ州ルッカ県セラヴェッツァに生まれる[1][3]。同県フォルテ・デイ・マルミの海岸でライフガードとして働いていたところ、映画監督ルチアーノ・エンメルに発見されて映画界に入る[1]。マルミで生まれた説もある[2][4]

1952年、ルチアーノ・エンメル監督の『スペイン広場の娘たち』、マリオ・ソルダティ監督の『黒海賊の娘ヨランダ』や『三人の海賊』に出演してデビューする[1]

若者のすべて』(1960年)で共演した女優のアニー・ジラルドと1962年1月6日に結婚、のちに1児を得る[1]

1979年に公開された『ルナ』に共産党員の役で出演して以来、『遺失物』、『ある愚か者の悲劇』と立て続けにベルナルド・ベルトルッチの監督作に出演する[1]

1988年3月27日、ローマで、肝硬変によって死去した[1][2][3]。満54歳没。『ある愚か者の悲劇』が遺作となった[1]。ローマ市内のローマ・プロテスタント墓地に眠る[3]

フィルモグラフィ

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72作の出演作がある[1][4]

1950年代

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1960年代

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1970年代

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1980年代

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参考文献

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関連事項

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  1. ^ a b c d e f g h i j Renato Salvatori, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2011年1月13日閲覧。
  2. ^ a b c d Renato Salvatori, allmovie (英語), 2011年1月13日閲覧。
  3. ^ a b c d e Renato Salvatori, Find a Grave, 2011年1月13日閲覧。
  4. ^ a b c レナート・サルヴァトーリ、KINENOTE、2011年1月13日閲覧。

外部リンク

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