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三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 2016年7月25日)は、秋田県出身の元プロ野球選手投手)。

三平 晴樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県
生年月日 1938年7月26日
没年月日 (2016-07-25) 2016年7月25日(77歳没)
身長
体重
173 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1958年
初出場 1958年
最終出場 1965年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

秋田商では、エース三浦清(慶大日本石油大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。

高校卒業後は、社会人野球日本鉱業日立に入団。1957年産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。

1958年大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。大洋ホエールズとの日本シリーズでは第3戦に先発するが打ち込まれ2回途中3失点で降板、第4戦では中継ぎとして起用された。1960年朝日新聞には当時売り出し中の張本勲がその速さを絶賛する記事が記載されている。

1961年も自己最多となる14勝を記録、小野正一とともに左腕の二本柱として活躍した。しかし翌1962年は故障もあって登板機会が減少、1963年大洋ホエールズへ移籍する。翌1964年阪急ブレーブスに移籍、9月1日には西鉄を相手に先発し7回を2失点と好投し勝利投手となる。同年は3勝を挙げ復活の兆しを見せるが、その後は活躍の場がなく1966年限りで現役を引退した。

引退後は実業家に転身した。

2016年、誤嚥性肺炎のため死去[1]

プレースタイル編集

変化球は高校時代はほとんど投げられなかったが、社会人時代に砂押邦信の指導でカーブ、シュート、スクリュー、フォークを投げた[要出典]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1958 大毎 42 12 3 2 1 5 7 -- -- .417 443 116.2 78 4 21 0 3 78 1 0 35 31 2.38 0.85
1959 32 11 1 1 0 7 2 -- -- .778 410 106.1 75 0 22 2 4 57 1 0 24 23 1.93 0.91
1960 45 23 4 1 1 12 10 -- -- .545 766 188.2 168 20 46 1 5 109 0 1 69 59 2.81 1.13
1961 39 27 5 2 0 14 12 -- -- .538 749 180.2 156 17 52 6 3 98 0 1 71 63 3.13 1.15
1962 13 2 0 0 0 0 1 -- -- .000 116 25.0 27 3 11 0 1 14 0 0 18 14 5.04 1.52
1963 大洋 6 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 30 5.0 10 4 5 0 0 2 0 0 6 6 10.80 3.00
1964 阪急 17 4 0 0 0 3 1 -- -- .750 140 31.2 27 3 15 0 1 22 0 1 20 11 3.09 1.33
1965 13 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 106 22.0 34 8 11 0 0 24 1 0 24 22 9.00 2.05
通算:8年 207 80 13 6 2 41 34 -- -- .547 2760 676.0 575 59 183 9 17 404 3 3 267 229 3.05 1.12
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

背番号編集

  • 41 (1958年 - 1959年)
  • 16 (1960年 - 1962年)
  • 21 (1963年)
  • 72 (1964年 - 1966年)

脚注編集

  1. ^ 三平 晴樹氏(みひら・はるき=元プロ野球大毎、大洋、阪急投手)”. 秋田魁新報. 2016年7月27日閲覧。
  2. ^ 宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑〈昭和11年‐平成4年〉 』講談社、1993年、688ページ

関連項目編集