下関ゴルフ倶楽部(しものせきゴルフくらぶ)は、 山口県下関市豊浦町に広がるゴルフ場である。

下関ゴルフ倶楽部
Shimonoseki Golf Club
下関ゴルフ倶楽部
下関ゴルフ倶楽部の空中写真。
2010年4月25日撮影の2枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。 地図
所在地 日本の旗 日本
山口県下関市豊浦町黒井850番地
座標: 北緯34度8分14.62秒 東経130度54分4.07秒 / 北緯34.1373944度 東経130.9011306度 / 34.1373944; 130.9011306
概要
開業 1956年(昭和31年)7月22日
運営 メンバーシップコース
設計 上田 治
運営者 一般社団法人下関ゴルフ倶楽部
トーナメント1991年 第56回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
2002年 第67回 日本オープンゴルフ選手権競技大会
コース

OUTコース INコース
HOLE PAR YARD HOLE PAR YARD
1 5 522 1 5 575
2 4 383 2 4 427
3 3 178 3 5 512
4 4 472 4 4 308
5 4 399 5 3 152
6 5 531 6 4 437
7 4 441 7 4 421
8 3 179 8 3 224
9 4 414 9 4 369
36 3519 36 3425

その他
公式サイト 下関ゴルフ倶楽部
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概要 編集

昭和20年代前半、下関にはゴルフ場は無かったが、1952年昭和27年)4月、新たなゴルフ場の建設に向けて、「川棚温泉ゴルフ倶楽部」が設立され、同年12月、石堂山の麓に3ホールのゴルフ場の造成工事が着手され、1953年(昭和28年)3月、工事が完成された[1]。さらに、18ホールのコース建設計画が作成され、コース設計家の上田治に判断を仰ぎ、石堂山の麓日本海を望む丘の八ヶ浜海岸は適地であると決まった[1]

しかし、八ヶ浜の用地買収は難航した、歴史ある地にゴルフ場を造ることは、歴史を汚すことになると反対された[1]。八ヶ浜は「森の白浜」といわれる「弘安の役」の遺跡が残る地である[1]。そのため、用地買収に1年以上かかった。18ホールでは松がなくなると反対され、上田は9ホールずつ造ることを提案した[1]

1954年(昭和29年)6月9日、八ケ浜に9ホールの工事に着手したが、同年8月、資金難に陥り大洋漁業株式会社中部利三郎が乗り出した[1]。同年10月、川棚温泉ゴルフ倶楽部の名称の「温泉」を外し「川棚ゴルフ倶楽部」と名称変更した[1]1955年(昭和30年)3月、「下関ゴルフ倶楽部」と改称した[1]

1954年(昭和29年)9月、初代理事長に中部利三郎が就任した[1]1956年(昭和31年)7月22日、改造工事した9ホールが完成し開場した[1]1957年(昭和32年)8月、「社団法人下関ゴルフ倶楽部」を設立、1959年(昭和34年)4月、18ホールへの拡張工事に着手、同年11月、コースとクラブハウスが完成した[1]

日本のプロゴルフメジャー大会の1つ、日本ゴルフ協会主催競技でもあり、日本選手権大会に相当する、日本オープンゴルフ選手権競技大会を2回の開催実績がある[2]

上田治設計の代表的な8コースで「上田治クラシック会」を結成している、地域を越えてお互いにゴルフを楽しみ、会員間の親睦交流をはかり、倶楽部運営の活性化の一助としている[3]。「門司ゴルフ倶楽部」(福岡県、1934年(昭和9年)開場)、「大阪ゴルフクラブ」(大阪府、1937年(昭和12年)開場)、「古賀ゴルフ・クラブ」(福岡県、1953年(昭和28年)開場)、「下関ゴルフ倶楽部」(山口県、1956年(昭和31年)開場)、「奈良国際ゴルフ倶楽部」(奈良県、1957年(昭和32年)開場)、「小野ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1961年(昭和36年)開場)、「茨城ゴルフ倶楽部」(茨城県、1962年(昭和37年)開場)、「広島カンツリー倶楽部」(広島県、1963年(昭和38年)開場)[3]

所在地 編集

〒759-6312 山口県下関市豊浦町黒井 850番地

コース情報 編集

  • 開場日 - 1956年7月22日
  • 設計者 - 上田 治
  • 面積 - 820,000m2(約24.8万坪)
  • コースタイプ - リンクスコース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,944ヤード、コースレート75.0
  • グリーン - 2グリーン、ニューベント
  • プレースタイル - 5人乗りカート、全組キャディ付き
  • 練習場 - 9打席 250ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日(月曜日が祝日の場合、翌日が休場日)、12月31日、1月1日[4][5]

クラブ情報 編集

  • 理事長 - 清原 生郎
  • ハウス面積 - 2,640m2(798.6坪)
  • ハウス設計 - 株式会社大林組
  • ハウス施工 - 株式会社大林組[4][5]

ギャラリー 編集

交通アクセス 編集

鉄道(JR西日本

道路

メジャー選手権 編集

エピソード 編集

  • 八ヶ浜は1242年建治元年)、国史一行45名が上陸、杜世忠ら5名が鎌倉に送られるが、龍ノ口斬首された。残った40名も八ヶ浜で処刑された。その遺跡は、1番、2番ホールの左側の林に、元使首掛けの松、元使四十塚として残っている[8]
  • コース設計家の上田治は、石堂山麓はゴルフ場の建設地として適地であると推薦したが、その理由について「砂浜ですよ」「砂浜だからいいのだ」といった[8]
  • 18ホールが完成するのに4年の歳月を要したが、現在もローツカー棟の屋根を松の幹が伸びているのは、当時、伐らずに残した苦心の名残の松である[8]
  • 下関ゴルフ倶楽部の名を挙げたのは、中部一次郎が日本アマ優勝1回、中部銀次郎が日本アマ優勝4回の存在で、このことから、中部利三郎が、一次郎、幸二郎、銀次郎の3兄弟のために造ったゴルフ場といわれた[8]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「下関ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年8月日閲覧
  2. ^ 「下関ゴルフ倶楽部」、倶楽部の歴史、2020年8月日閲覧
  3. ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、上田治クラシック会、2021年3月23日閲覧
  4. ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、ゴルフダイジェスト、ゴルフ場詳細、2020年8月日閲覧
  5. ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、ゴルフホトライン、2020年8月日閲覧
  6. ^ 「下関ゴルフ倶楽部」、アクセス、2020年8月日閲覧
  7. ^ a b 「日本オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2020年8月日閲覧
  8. ^ a b c d 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「下関ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年8月日閲覧

関連文献 編集

  • 『月刊ゴルフマネジメント』、21 (通号 186)、「ゴルフ倶楽部を考える-166-下関ゴルフ倶楽部の創設と発展」、井上勝純著、東京 一季出版、2000年2月、2020年8月日閲覧
  • 『月刊ゴルフマネジメント』、3月21(187)、「下関ゴルフ倶楽部」、東京 一季出版、2000年3月、2020年8月日閲覧
  • 『週刊ダイヤモンド』、ダイヤモンド社 編、「Good Shot!--週刊ダイヤモンドが選んだ日本のベスト・コース150(23)第18位 下関ゴルフ倶楽部」、西澤忠著、東京 ダイヤモンド社、2002年10月19日、2020年8月日閲覧
  • 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「下関ゴルフ倶楽部(山口県)」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2020年8月日閲覧
  • 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「下関ゴルフ倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年8月日閲覧
  • 『ゴルフ場セミナー』、「クラブハウス探訪 下関ゴルフ倶楽部(山口県・18H) シンプルなデザインの中で木の温もりと空間を有効活用」、東京 ゴルフダイジェスト社、2017年4月、2020年8月日閲覧

関連項目 編集

外部リンク 編集