中島郡 (岐阜県)
日本の岐阜県(美濃国)にあった郡
郡域
編集歴史
編集1589年以前の中島郡については「中島郡」を参照
中島郡は中世までは尾張国の郡であった。
1586年(天正14年)の木曽川の大洪水により、尾張国・美濃国の境に流れていた木曽川の流路が東に移動した。このため、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、中島郡は2国にまたがる郡となった。
近世以降の沿革
編集知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 尾張藩 | 13村 | 東加賀野井村、飯柄村、舟橋村、狐穴村、駒塚村、石田村、大須村、八神村、拾町野村、三拾町村[1]、馬飼村、川東村、城屋敷村 |
尾張犬山藩[2] | 3村 | 市之枝村、東方村、西加賀野井村 | |
幕府領 | 美濃郡代 | 8村 | 小薮村、一色村、三ツ柳村、曲利村、中村、蜂尻村、須賀村、千束新田 |
幕府領 藩領 | 美濃郡代 尾張藩 | 2村 | 長間村、大浦村 |
美濃郡代 尾張藩(給人毛利源内預地) | 2村 | 午北新田、午南新田 | |
幕府領 旗本領 | 美濃郡代 土岐鎗吉 林庫之丞 | 1村 | 江吉良村 |
美濃郡代 別所孫四郎 | 1村 | 新井村 | |
美濃郡代 土岐左京太夫 名取桃五郎 | 1村 | 沖村 | |
旗本領 | 平岡隼人 | 1村 | 堀津村 |
- 慶応4年
- 明治初年
- 毛利源内預地が名古屋藩の管轄となる。
- 領地替えにより名古屋藩領の一部(駒塚村・石田村・大須村・八神村・城屋敷村・大浦村)が笠松県の管轄となる。
- 明治4年
- 明治7年(1874年)9月[3](32村)
- 馬飼村が分割して羽栗郡島村・南之川村にそれぞれ合併。
- 川東村が石津郡馬飼村と合併して中島郡馬飼村となる。
- 明治12年(1879年)2月18日 - 郡区町村編制法の岐阜県での施行により、行政区画としての中島郡が発足。「羽栗中島郡役所」が羽栗郡笠松村に設置され、同郡とともに管轄。
- 明治20年(1887年) - 三拾町村・馬飼村・拾町野村・東加賀野井村の所属郡が愛知県中島郡に変更。(28村)
- 明治22年(1889年)7月1日 - 町村制の施行により、大浦村、曲利村、新井村、須賀村、三ツ柳村、駒塚村、狐穴村、飯柄村、蜂尻村、舟橋村、江吉良村、堀津村、沖村、中村、一色村、長間村、午北新田、市之枝村、石田村、城屋敷村、西加賀野井村、八神村、小薮村、大須村、午南新田が発足。それにともない以下の変更が行われる。(25村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制の施行のため、「羽栗中島郡役所」の管轄区域をもって羽島郡が発足。同日中島郡廃止。
行政
編集- 羽栗・中島郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)2月18日 | |||
明治30年(1897年)3月31日 | 羽栗郡との合併により中島郡廃止 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 21 岐阜県、角川書店、1980年9月1日。ISBN 4040012100。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室
関連項目
編集先代 中島郡(分割前) |
行政区の変遷 1589年 - 1896年 |
次代 羽島郡 |