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二松學舍大学附属高等学校(にしょうがくしゃだいがくふぞくこうとうがっこう)は、東京都千代田区九段南二丁目にある私立高等学校二松學舍大学附属学校である。

二松學舍大学附属高等学校
Nishogakusha highschool.jpg
過去の名称 二松學舍高等学校
二松學舍大学附属東京高等学校[要出典]
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人二松學舍
校訓 仁愛・正義・弘毅・誠実
設立年月日 1948年
創立者 三島中洲
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 13515B
所在地 102-0074
東京都千代田区九段南二丁目1番32号
外部リンク 公式サイト
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二松學舍大学附属高等学校の位置(東京都区部および多摩地域内)
二松學舍大学附属高等学校

目次

概観編集

二松學舍大学は、備中松山藩藩士三島中洲東京府麹町区一番町43番地(現在の東京都千代田区三番町)の私邸内に1877年(明治10年)に創設した漢学塾を起源とする大学である。淵源は、1861年に三島中洲が開いた漢学塾虎口渓舍まで遡る。虎口渓舍では明治政府の出仕の命による東京上京まで十一年間にわたって子弟の教育にあたり、学徒は十二藩に及びつねに六〇人から七〇人に及んだという。その後三島中洲は明治維新後の西洋思想一辺倒に傾きはじめた世の中を危惧し、師である山田方谷の死去に伴い生前の助言に従って、日本固有の儒教道徳の確立をめざし、明治10年10月に漢学塾二松學舍を創立した。不変の節操・堅貞を象徴する松樹が、庭上に二本あったこと、韓愈の藍田縣丞廳壁記に「對樹二松、曰哦其間」とあり、学舎として後の世まで続くことを願い二松學舍と命名された。

建学の精神(舎訓)編集

二松學舍にある『育英』の精神は、西洋文化の摂取を汲々としている時節を憂えた三島が、東洋文化を学ぶことこそわが国本来の姿を知りえるとして『己ヲ修メ人ヲ治メ一世ニ有用ナル人物ヲ養成スル』ことで東洋学の確立と新時代を担う国家有為の人材の育成を目指したことにある。

教育理念編集

沿革編集

略歴編集

  • 明治10年10月10日、三島中洲、東京麹町に漢学塾二松學舍を創立。

年表編集

  • 1948年4月 - 二松學舍高等学校として開校。
  • 1950年 - 2月6日、二松學舍大学附属東京高等学校に改称[要出典]
  • 1953年4月 - 二松學舍大学附属高等学校に改称。
  • 2008年4月 - 開校60周年。

基礎データ編集

アクセス編集

象徴編集

校章編集

「松かさ」の組み合わせは、生徒・教職員・父母が三位一体となり、協に育っていく(教育は協育なり)という教育方針の象徴である。 また論語の「歳寒くして然る後に松柏の凋むに後るるを知るなり」の章句の、「困難に遭遇した時自己の真価を発揮できる人間」の完成を目指すという意義がこめられている。

校歌編集

作詞 校歌制定委員会 作曲 東京音楽学校

一、平和の御国 栄えん花と 靖国の 桜は匂ふ 窓染めて あゝ緑こき 大皇居 仰ぎて清き この學舎

二、世界の光 東洋の学 継ぎ行けと 願ひて建てし 中洲師 あゝ松が枝は 年古りて 伝統清き この學舎

校旗編集

校風編集

部活動編集

硬式野球部

ダンス部

制服編集

冬服
夏服

スクールカラー編集

著名な出身者編集

芸能・文化編集

放送・ジャーナリズム編集

スポーツ編集

その他編集

関連項目編集

外部リンク編集