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小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手投手)、実業家。株式会社l'unique代表取締役。

小杉 陽太
20120401 Yota Kosugi pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokosuka Stadium.JPG
2012年4月1日 横須賀スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区
生年月日 (1985-12-08) 1985年12月8日(33歳)
身長
体重
187 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト5位
初出場 2009年10月5日
最終出場 2016年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

秋田県で生まれ、その後は東京都江東区で育った。小学生時代は東陽フェニックス、深川第四中学校[1]在籍は江東ライオンズに所属[2]二松學舍大学附属高等学校に進学後は1年からベンチ入りし、2002年春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板は無かった。

高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが3年生の進学直前に大学を退学した。野球を離れてフレッシュネスバーガー原宿店で半年間アルバイトをしていたが、高校の恩師から誘われて母校で練習を再開したところ、JR東日本監督の堀井哲也が小杉を探し出してチームに勧誘、2007年JR東日本へ入社した。入社1年目から第78回都市対抗野球大会の準々決勝で先発投手を務めるなどの活躍を見せた。

2008年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5巡目で指名され、同年11月28日に契約金5000万円(推定)、年俸1000万円で契約した。センバツの公式パンフレットにおける小杉の欄には、好きな球団として「横浜ベイスターズ」と書かれてあり、まさに意中の球団からの指名となった。

横浜ベイスターズ入団会見の際には婚約者を同伴していた。その婚約者とは2009年の元日に入籍。

プロ入り後編集

2009年

肩痛もあって出遅れたが、二軍では11試合に登板して2勝2敗1セーブ、48回2/3を投げて防御率4.62と成績を残した[3]。一軍昇格後、同年10月5日の広島戦(横浜スタジアム)でプロ初登板・初先発を果たした。

2010年

3月28日西武戦(イースタン・リーグ)で9回1死まで無安打投球を続けていたが、平尾博嗣に本塁打を打たれノーヒットノーランを逃した。その後に一軍昇格を果たすと、同年8月11日の中日戦(横浜スタジアム)で、5回4失点だったものの直後に味方が逆転し、プロ初勝利を挙げた[4]

2011年

二軍では29試合に登板し、4勝5敗3セーブ、防御率3.03の成績を収めたが、一軍ではあまり登板は無かった。

2012年

4月21日の阪神戦(横浜スタジアム)に先発。途中に投手コーチである友利結から胸を小突かれるシーンも見られるほどの不安定な投球だったものの、5回2失点で2年ぶりの勝利となるシーズン初勝利を挙げた[5]

2013年

改造したフォームで臨み、先発ローテーションの一角に組み込まれるが、5月17日の日本ハム戦(横浜スタジアム)で肩を痛め降板、登録を抹消され、以降一軍に上がることなくシーズンを終えた。シーズン終盤の9月に右肩部分のクリーニング手術を行い、以降リハビリに努めた。

2014年

二軍では21試合に登板し、防御率4.30を記録した。一軍では2試合の登板に留まった。

2015年

ロングリリーフとして起用され、一時は勝利の方程式入りも期待されていた。しかし、4度の一軍昇格・降格を繰り返すなど安定した成績は残せなかった。結果的には、プロ入り後最多の27試合登板を果たした。

2016年

初の開幕一軍入りを果たし、主にビハインド、大量リードの場面を担当した。前年よりも試合数は減ったが、制球が安定したことにより、防御率・WHIP等を改善させた。

2017年

プロ入り後初めて一軍登板がなく、10月5日に球団から戦力外通告を受け、現役引退を表明した[6]

現役引退後編集

戦力外通告時にDeNAから球団職員の打診もあったが、2017年11月、東京都新宿区袋町に「株式会社l’unique」(リュニック)を設立し、イベント会社社長に転身した[7]。当初はイベント事業を行っていたが、2018年10月の時点ではその会社は広告業を経て動画の事業にシフトしている[8]。同年12月には中学生時代に所属した江東ライオンズのピッチングアドバイザーに就任し、少年野球の指導にもあたっている[9]

選手としての特徴・人物編集

入団当初は最速148km/h[10]速球を武器とする投手だったが、2012年からは友利結の助言もあって打たせて取る技巧派に転向した。これに併せて、変化球も従来のスライダースローカーブフォークに加え、シュートを取得した。2013年からはテークバックを小さくしたフォームに改造していた[11]

現役引退後にイベント会社を起業したが、現役中からセカンドキャリアへの備えとしてビジネス書を読むなどしていた[7]。会社の初仕事として、小杉と同年に現役を引退した元選手会長下園辰哉のトークショーイベントを企画した[7]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
2009 横浜
DeNA
1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 26 6.0 5 2 3 0 0 6 0 0 2 2 3.00 1.33
2010 8 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 107 21.0 36 8 9 1 1 11 2 0 23 23 9.86 2.14
2011 5 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 9.0 7 1 2 0 0 7 0 0 4 4 4.00 1.00
2012 17 3 0 0 0 1 0 0 0 1.000 139 32.1 34 1 9 1 4 26 3 0 19 18 5.01 1.33
2013 6 6 0 0 0 1 2 0 0 .333 126 28.1 30 3 17 0 1 20 4 0 15 15 4.76 1.66
2014 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 8 2.0 1 0 2 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.50
2015 27 0 0 0 0 3 3 0 2 .500 164 35.1 37 3 20 0 1 27 3 0 21 17 4.33 1.61
2016 20 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 112 26.2 26 3 10 2 1 19 2 0 12 11 3.71 1.35
NPB:8年 86 14 0 0 0 6 9 0 2 .400 716 160.2 176 21 72 4 8 117 14 0 96 90 5.04 1.54
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録編集

背番号編集

  • 54 (2009年 - 2017年)

登場曲編集

  • ゆず 「with You」
  • グリーンボーイズ 「声」

脚注編集

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  1. ^ 東陽フェニックスOBの横浜DeNAベイスターズ小杉陽太投手が巨人戦で登板!”. ○頑張れ!東陽フェニックス!江東フェニックス! (2015年4月17日). 2018年1月18日閲覧。
  2. ^ 東陽フェニックス、恒例の初詣、DeNAベイスターズ小杉陽太投手が熱血指導!”. ○頑張れ!東陽フェニックス!江東フェニックス! (2016年1月21日). 2018年1月18日閲覧。
  3. ^ 2009年度 湘南シーレックス 個人投手成績(イースタン・リーグ) - 日本野球機構オフィシャルサイト
  4. ^ “2年目小杉 “時給750円”経由でプロ初勝利!”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/12/kiji/K20100812Z00002280.html 2013年4月26日閲覧。 
  5. ^ DeNA 逆転で本拠地初の連勝!小杉2年ぶり勝った - スポーツニッポン(2012年4月21日)
  6. ^ 小杉に戦力外通告 今季限りで引退も球団は職員としてオファー「ありがたいこと」
  7. ^ a b c 戦力外からイベント会社社長へ 元DeNA小杉の転身”. 朝日新聞デジタル (2017年12月12日). 2018年1月18日閲覧。
  8. ^ 戦力外「恥ずかしくない」 引退後起業、元プロ野球・小杉陽太の1年 withnews 2018年10月02日 文・井上翔太(朝日新聞スポーツ部記者)(朝日新聞社、2018年10月6日閲覧)
  9. ^ 江東ライオンズ - 中学硬式野球チーム「江東ライオンズ」オフィシャルサイト”. 江東ライオンズ. 2018年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月18日閲覧。
  10. ^ プロ野球ドラフト会議2008 横浜ベイスターズのドラフト : nikkansports.com
  11. ^ 小杉、先発入りへ好投「打者が振り遅れている感じあった」”. スポニチ Sponichi Annex (2013年3月17日). 2013年4月10日閲覧。
  12. ^ a b 神奈川新聞、2009年10月6日。
  13. ^ 神奈川新聞、2010年8月12日。

関連項目編集

外部リンク編集