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五井戦争(ごいせんそう)は1868年(慶応4)閏4月6日~閏4月7日市川・船橋戦争で敗走してきた幕府軍の一隊と新政府軍が戦った房総最後の戦闘である。

五井戦争
戦争戊辰戦争
年月日慶応4年閏4月6日~閏4月7日
場所上総国五井・姉ケ崎周辺
結果:新政府軍の勝利
交戦勢力
Flag of the Japanese Emperor.svg 新政府軍 Tokugawa Aoi (No background and Black color drawing).svg 旧幕府軍
指導者・指揮官
Japanese Crest maru ni jyuji.svg 薩摩藩兵 Tokugawa Aoi (No background and Black color drawing).svg 榎本武揚
Tokugawa Aoi (No background and Black color drawing).svg 大鳥圭介
戦力
損害
死者? 死者60~100
戊辰戦争

戦闘の経過編集

1868年(慶応4年)閏4月3日市川・船橋戦争に敗れた幕府軍の一隊は上総方面に南下、これを追って官軍も4日に検見川、6日に千葉蘇我)へ追撃してきた。

同日夜に上総国八幡市原市)辺りで薩摩藩兵二人が幕府軍によって殺害され、これを機に翌7日、幕府軍と新政府軍は養老川で対峙し五井戦争が勃発した。幕府軍は養老川の渡り船場の保持を村方に命じた。

昼、官軍は養老川を渡河し姉ヶ崎へ進出、ここには、撤兵頭福田八郎右衛門を擁した第3大隊が布陣していたが、官軍の猛攻に撤退せざるを得なかった。

この五井周辺の戦いで幕府軍もよく敢闘したが兵60名が戦死し敗れ、これ以後房総半島における組織的抵抗ができなくなった。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集