井上嘉浩

井上 嘉浩(いのうえ よしひろ、1969年12月28日 - )は、元オウム真理教幹部。確定死刑囚京都府京都市右京区出身。ホーリーネームアーナンダ。教団内でのステージは正悟師。

井上嘉浩
誕生 (1969-12-28) 1969年12月28日(47歳)
京都府京都市右京区
ホーリーネーム アーナンダ
ステージ 正悟師
教団での役職 諜報省長官
入信 1986年
関係した事件 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
地下鉄サリン事件
判決 死刑(上告棄却)

目次

来歴編集

幼少期はドキュメンタリー番組が好きで世界の貧困問題に関心があった。武道ヨーガ阿含宗を経て高校2年の頃(1986年)オウム神仙の会のセミナーに参加し麻原彰晃の姿に感銘を覚え、1988年京都の私立洛南高等学校を卒業し、3月1日に出家。合格していた日本文化大学法学部へ入学するが中退[1]。勧誘が得意で「導きの天才」と呼ばれた[2]

私立探偵目川重治から盗聴技術を教わったこともあり[3]、教団が省庁制を採用した後は諜報省長官とされ、麻原の指示で盗聴誘拐不法侵入などを主導、駐車場経営者VX襲撃事件会社員VX殺害事件被害者の会会長VX襲撃事件公証人役場事務長逮捕監禁致死事件地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教事件に関与する。新宿駅青酸ガス事件東京都庁小包爆弾事件には首謀者として関わった。地下鉄サリン事件の3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で特別指名手配されていたが、1995年5月15日秋川市(現あきる野市)で発見され、公務執行妨害の疑いで、豊田亨と共に現行犯逮捕される。乗っていた車の中から東京都庁小包爆弾事件島田裕巳宅爆弾事件で使われた爆発物の原料となる物質が発見された。

1995年12月26日付で、オウム真理教から脱会したとして、サマナや信徒宛にメッセージを出し、脱会を促す。メッセージの中では「グルの意思」の名の下になした修行の結果、生じた犯罪行為によって身体は拘束されているが、心は以前よりもずっと自由である旨が記されていた。さらに、教団で培った様々な観念は崩れ去り、覚醒を得ようとするなら「最終解脱者」や「救済者」は必要がない、「尊師」も「正大師」も「サマナ」もそんな階級などいらない、教団など何一つとして必要ないと言い切った[4][5]

裁判編集

第一審では死刑求刑されたが、目黒公証役場事務長事件では逮捕監禁罪を認めたが逮捕監禁致死罪を認めず、地下鉄サリン事件では連絡役に留まるとして2000年6月6日東京地裁無期懲役判決を受けた。オウム真理教事件において死刑求刑に対して無期懲役判決が言い渡されたのは初めてであった。検察控訴し、控訴審(東京高裁、2004年5月28日)では目黒公証役場事務長事件の逮捕監禁致死罪を認め、地下鉄サリン事件の現場指揮者ではないが総合調整役として無差別大量殺人に重要な役割を担ったことが認定され、一審判決が破棄されて死刑判決を言い渡された。2009年12月10日上告棄却2010年1月12日に上告審判決に対する訂正申し立てが棄却され[6]、死刑が確定した。オウム真理教事件で死刑が確定したのは9人目。

2017年現在、東京拘置所収監されている。

人物像編集

  • 非常に信心深く、修行に際しては同じ行を繰り返し行うことで知られていたことがワイドショーに出演した元信者の告白などで語られている。ワイドショーでは水中クンバカの行を行い、5分30秒も水中で結跏趺坐を組み続ける姿も放映された。しかし麻原からは「何を怖がってんだよ」と叱責された。
  • 手記によると、19歳のとき教団で禁じられている恋愛を行ってしまい、8月の炎天下にコンテナ内で4日間の断水断食を命じられ死にかける[1]
  • 20歳のときには突然ステージを下げられたうえに修行を命じられた。瞑想修行中に麻原の妻である松本知子から眠っているとしつこく注意されたが、「私は起きている」と反論すると、麻原から「どこまで歪んだ根性をしてやがるんだ。このバカたれが!」と言われカーボン製の竹刀で50回ほど打擲され、2週間ほど記憶が無くなった[1]
  • 21歳のときには「お前が救済の邪魔なんだ。お前は単なる駒なんだ。何で言われた通りのことができないんだ、バカ者めが。もう一度言う、邪魔なんだ。お前は駒通りやればいいんだ」と言われたという[1]
  • 地下鉄サリン事件の際にもサリン到着が遅かったため東京から上九一色村に独断で移動し叱責されている[7]

死刑確定後開かれた共犯者の裁判員裁判での主な証言編集

死刑確定後の2011年に井上は公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の被害者(事務長)の長男に関係者を介して手紙を出した。その内容は、これまで事務長の死因麻酔薬の副作用と述べていたが、それは事実ではなく、中川智正(当時医師)が故意に殺害した可能性がある、というものだった。しかし、この時点での捜査機関の対応はなかった。

その後2012年1月平田信が、6月には高橋克也が逮捕され、両名は公証人役場事務長事件に関与していたため、同事件の捜査が再開された。井上の新主張(後述するように井上は「新主張」ではないとも主張しているが、その裏付けは示されていないので「新主張」と表記する)を裏付ける証拠共犯者の供述はなく、井上が事件発生から16年以上経って自分の過去の証言や供述を覆したこともあり、検察庁の認定は麻酔薬の副作用による死亡ということで変わらなかった。

平田の一審裁判員裁判では、平田が逮捕監禁罪(「致死」はついていない)で起訴されていたこともあり、事務長の死因は争点にならなかった。判決は事務長の死因を麻酔薬の副作用と認定し、井上の証言について「死因について突然新たな供述をするなど、証言は誇張や記憶の混同があるのではないかとの疑問が残る」と指摘している[8]。井上の新主張は採用されないまま、2016年1月13日に最高裁は平田の上告を棄却、確定した[9]

高橋克也の一審裁判員裁判では高橋が逮捕監禁致死罪で起訴されていた上、弁護側が事務長の死因について争ったため、これについて詳しい審理が行われた。「中川が故意に事務長を殺害した可能性がある」との井上の証言に対し、中川は否定したほか、共犯者で元医師の林郁夫は、井上の証言に対して「あり得ない」と証言し、他の共犯者も井上の証言を否定した。2015年4月30日の高橋に対する一審判決は、「井上の証言はその内容が突飛である上に、これに沿う関係者の証言もない」「井上の証言はそのまま信用できないというほかにない」、他方、中川の証言は他の共犯者の「証言などにより支えられている」として事務長の死因を麻酔薬の過量投与による事故と認定し、井上の新主張を採用しなかった[10]。2016年9月7日の高橋に対する控訴審判決も一審判決を支持し、井上の新証言を採用しなかった[11]

井上が新主張を行った理由については、事務長の長男が「これまでの説明とあまりにも違い、すべてを信じることはできない。再審のための証言ではないかと受け止めた」と語っているとおり、中川が井上と無関係に被害者を殺害したのであれば被害者に対する井上の責任は軽くなるため、再審請求が目的だったのではないかと指摘する報道も存在する[12][13]

なお、井上は、中川が事務長を殺害した可能性があるとの話は、自身の一審の段階から弁護人に話しているが弁護人から他に話すことを止められた、とも証言している[14]

菊地直子の一審裁判員裁判で、井上は、林泰男から手伝いの信者について逮捕される覚悟があるかどうか了解を取るよう求められ、井上が女性信者2人の了解を、中川が菊地の了解をそれぞれ得ることとなった旨や、井上が菊地に爆薬を見せねぎらいの言葉をかけた際に彼女が驚かなかった旨を証言した。一方で中川は、自分が菊地に逮捕される覚悟の有無を確認するという話は記憶がなく、自分は井上らに対し、菊地は「何も分かってないからよろしく」と言ったと証言した。2014年6月30日、東京地裁は井上の証言を信用できるとし、それを菊地が事件を起こすことを認識していた根拠の一つとして、菊地に懲役5年を宣告した。

その後、二審東京高裁2015年11月27日に判決の中で、井上の証言について、「多くの人が当時の記憶があいまいになっているなか、証言は不自然に詳細かつ具体的」でその信用性は慎重に判断されるべきであると述べ、二審で事実調べした結果によれば井上らは他に重要な役割を担って本件居室に出入りしていた女性信者2名に対しても活動の目的を秘匿していたと認められる、菊地はクシティガルバ棟での土谷正実の助手であって井上の部下ではなく教団内におけるステージとしても一般信者の2つ上である師補というステージ立場にあったに過ぎず、この菊地に対し井上が殊更に爆薬を見せてねぎらったというのは不自然と言わざるを得ない、などとして、井上の証言よりも中川の証言を信用できるとし、菊地に対する一審懲役5年を破棄して改めて無罪判決を言い渡した[15][16]

この他、井上と中川の主張は地下鉄サリン事件に使われたサリンの原料を誰が持っていたのかについても対立している。中川は、井上の一審判決間際に、サリン原料が井上の使っていた東京・杉並のアジトで保管されていたことを暴露し、高橋克也の一審公判の中でも井上による保管の様相を詳細に語っている。井上はこれを否定し、中川が持っていたと主張している[17][18]。この食い違いについて、中川は2014年5月14日の菊地直子一審公判において、「(井上死刑囚は)過去の裁判で対立した私に対して意地になって、反対のことを言おうとしている」とした上で「井上君の言っていることは事実ではない」と証言した[19][20]

このような井上と他の幹部の主張の食い違いは、中川との間のみにあるのではない。重要事件における自らの立場は補佐役にすぎなかったと主張する井上は、新實智光とはVX事件でどちらが主導的だったのかについて[17]、また、林泰男とは地下鉄サリン事件の運転手役をどちらが指名したのかについて、真っ向から対立している[21]

関連事件編集

関連書籍編集

  • 『オウム法廷―グルのしもべたち〈上〉』(朝日新聞社、1998年)ISBN 9784022612236

脚注編集

  1. ^ a b c d 手記 - Compassion カルトを抜けて罪と向き合う 井上嘉浩
  2. ^ 『オウム真理教大辞典』 p.127
  3. ^ 目川重治]]『目川探偵の事件簿 - 京都の秘密調査報告書 データハウス』 1995年 p.17-18
  4. ^ オウム真理教とあの時代Facebook(井上嘉浩の手紙全文)
  5. ^ 『宝島30』1996年3月号(宝島社
  6. ^ “オウム事件、井上被告の死刑確定 9人目”. 共同通信. (2010年1月13日). http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000753.html 2010年1月14日閲覧。 
  7. ^ 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判 カナリヤの会
  8. ^ 『毎日新聞』2014年3月8日朝刊「再開・オウム裁判:平田被告懲役9年 裁判員、悩み熟慮 食い違い証言、難しい 死刑囚尋問、制度考え」
  9. ^ “オウム・平田被告の刑が確定へ 最高裁が上告棄却”. 朝日新聞デジタル. (2016年1月14日). http://www.asahi.com/articles/ASJ1G5TGCJ1GUTIL03D.html 
  10. ^ 東京地裁平二四合(わ)一三一号・同一五五号・同一七七号・同一八六号、平27・4・30刑六部判決『判例時報』2270 平成27年11月21日号、判例時報社
  11. ^ “元信者の高橋克也被告に2審も無期懲役 事実認定は終結”. 産経ニュース. (2016年9月7日). http://www.sankei.com/affairs/news/160907/afr1609070013-n1.html 
  12. ^ “「19年前の命題、今も~再開したオウム裁判に期待する」”. テレ朝ニュース. (2014年2月12日). http://news.tv-asahi.co.jp/boomerang/contents/details/0102/index.html/ 
  13. ^ 「○○さんは殺害」なぜ今 井上死刑囚 再審請求 準備中(東京読売新聞 2014年月4日朝刊第39面)記事名に被害者である事務長の実名が使われているため、この箇所を伏字とした。
  14. ^ 「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会 HP
  15. ^ 『東京読売新聞』2015年11月28日朝刊「元オウム菊地被告、無罪 テロの認識、一転否定 控訴審判決」
  16. ^ 東京高裁平二六(う)一三三一号、平27・11・27刑八部判決
  17. ^ a b 江川紹子 「私が見たオウム幹部の罪と罰(後)」『週刊文春』2015年4月2日春の特大号、文藝春秋
  18. ^ “オウム裁判で分かったこと、残る謎”. Yahoo!ニュース. (2015年4月30日). http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150430-00045208/ 
  19. ^ 日本経済新聞2014年5月15日朝刊「オウム都庁爆弾事件、菊地被告の犯意否定、中川死刑囚、元幹部で意見対立」
  20. ^ 中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」『現代化学』2016年11月号62-67頁、東京化学同人
  21. ^ 東京読売新聞1998年4月25日朝刊「松本智津夫被告第76回法廷詳細」