メインメニューを開く
年末の仙台朝市の「朝市通り」の様子。通り両脇のビル1階の市場内部まで正月準備の買物客でごった返す。
両脇のビルの2階より上は、オフィスなどに使用されている(2011年12月30日)

仙台朝市(せんだいあさいち)は、宮城県仙台市青葉区中央にある、平日昼間に営業している常設市場。「仙台の台所」とも呼ばれる[1][2]

目次

概要編集

 
仙台駅側から見た「朝市通り」東端周辺の様子。写真中央の東四青果食品市場ビル(2階建て、屋上駐車場あり)と、写真右の仙台アメ横ビル(10階建て、一部に屋上駐車場あり)に挟まれた道が「朝市通り」。隣接する民間駐車場(現・仙台パルコ2)ではトラックからの荷卸しが行われていた(2011年12月当時)

JR東日本仙台駅仙台市地下鉄・仙台駅、仙台駅西口バスプールなど、仙台の公共交通機関ターミナルに隣接し、仙台市都心部ビルの谷間にあるが、旧来からの市場の風情が残っているため、仙台市発行[3]および民間の観光ガイドで紹介される観光地としての面もある。集客力は1日1万人と言われ、特に年末には正月準備の買物客でごった返す地区である。

100mほどの「朝市通り」(google マップ)に面する路面店、および、通りに面する中低層ビルの1階に入居するテナントで構成され、鮮魚青果精肉などの生鮮食品店、豆類穀物の専門店、漬物乾物かまぼこ豆腐などの加工食品専門店、韓国料理食材店・惣菜屋・団子屋・飲食店ラーメン屋・生花店など約70店が集まっている。

「朝市通り」に面する中低層ビルの2階より上や地下階は、事務所・会議室・音楽スタジオ[4][5]カルチャーセンター美容院・飲食店・マンションなどに使われているほか、「仙台アメ横」と呼ばれる趣味性の高い店舗が集積している一角もある[6][7][8][9]

特徴編集

 
仙台七夕期間中の「朝市通り」西端の様子。平日昼間に営業している。また、「朝市通り」に面した建物の1階は通り側にが無く、からオーニングを出している(2009年8月)

常設・平日昼間営業編集

一般的な朝市は、仮設で休日の早朝から昼前まで営業をするが、「仙台朝市」は常設で平日の朝から夕方まで営業をしている(各店により違いあり)。

現状では一般客は午後から夕方に多く、「夕市」の方が実態に合っているとも言える。2008年(平成20年)3月14日には、初めて「朝市の夕市」を開催した[10]

市道両脇の複数ビル1階編集

東西道路の南町通の1本南を並走する市道中央三丁目1号線[注釈 1]のうち、東三番丁を西端(地図)、東四番丁を東端(地図)とする幅員の狭い道路が「朝市通り」と呼ばれている。

この通りの両側には中低層ビルが並んでおり、それらの1階は通り側にが無く、からオーニングを出した路面店が並び、さらに路面店の後ろ側にも通路が延び、ビル1階に他店舗がテナントで入居しているビルもある。すなわち、個人商店とテナントビルが混在し、公道を含むそれら1階全体で「仙台朝市」という市場となっている状態である。

仙台朝市にある店舗は「仙台朝市商店街振興組合」 に加盟している。

卸売と小売編集

飲食店・ホテル、あるいは八百屋魚屋などに卸売している店舗が見られる。卸売をしている店舗では、自社の配送センターを仙台朝市に設置している例と、別の離れた場所に設置している例が見られる。

また、仙台朝市内に小売店舗を複数設けている店や、仙台朝市の小売店舗のほかに仙台市内などにチェーンストアを展開している店も見られる。

卸売や小売チェーンの店舗が多いためか、朝市通りのビルには業務用の屋上駐車場やタワーパーキング、周辺には業務用や一般の民間平面駐車場が集積している。平面駐車場では、荷卸ししているトラックが諸所で見られる。

仙台アメ横編集

仙台朝市の一角を占める新仙台駅前ビル(地図[注釈 2]の2階より上は、通称「仙台朝市アメ横ビル」、「仙台アメ横ビル」、あるいは、単に「仙台アメ横」と呼ばれており、テナントは「仙台朝市アメ横商店会」に加盟している。1978年(昭和53年)12月竣工の当ビルには、職人気質の店がある[11]一方、飲食店、趣味性の高い衣料品雑貨の店、アキバ系店舗などが入居している。

周辺編集

周辺には、ヤマト運輸仙台中央4丁目センター・専門学校ビジネスホテル・オフィスビルなどが集積し、大通り沿いには大型店がいくつもある。仙台朝市の西側には、戦後の公定価格商店街「仙台銀座・総合マーケット」として始まり、現在は横丁型の飲食店街となっている「仙台銀座」(地図)がある。

「仙台アメ横」周辺にはアキバ系店舗がいくつかあり、東北地方萌えビジネスの中心地となっている[12]

客層編集

東北学院大学が2015年10月および2016年2月に、仙台朝市の買い物客(計219人)に聞き取り調査をした結果、主婦と並んで飲食店経営者の客が多く、そのほかにサラリーマンや若者も少なからず買い物をしており、外国人客も見られた[13]。また、乗用車のほか、地下鉄やバスでアクセスしている者も多いことが分かった[13]。地下鉄仙台駅やバスプールに隣接している立地が影響していると見られるが、JR線利用者の買い物客は少なかった。

沿革編集

前史編集

1937年昭和12年)に日中戦争が始まり、1938年(昭和13年)に国家総動員法が施行されると、軍需品優先の統制経済が実施され、民需品の供給が縮小して物不足が起きた。そのため、食糧日用品等の価格統制や配給制・切符制が導入されていった。1940年(昭和15年)に仙台市会が「公会設置規定」(「公会」はいわゆる「隣組」のこと)を可決し、配給の告知や切符を市民にくまなく配る仕組みとして利用した。1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦で卸売を担う魚市場や青果物市場も統制下におかれ、配給の末端にある公会もさらに強化されていった。戦争末期には深刻な物不足から配給品の横領や不正受給などが見られ、インフレの中でそれらが闇取引されていたようであるが、仙台市での詳細は不明である。

 
仙台空襲被災区域(赤色)。1984年度国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
 
空襲で焼け野原となった仙台市街(1945年9月18日)

1945年(昭和20年)7月10日仙台空襲で焼け野原となった仙台市街地では、配給品の流通も破壊されて深刻な物不足に陥った。そのため、8月15日終戦で体制弛緩が起きると、一気に闇市が生まれた。当初は路上にむしろを敷き、テントを張って品物を売っていたが、9月には仙台駅前から宮城野橋(X橋)にかけて大規模な闇市が形成された。東日本を統括する進駐軍の司令部が置かれ、駐屯している多くのGIが豊かな消費をする仙台市には、引揚げ復員に加えて周辺からの転入により人口が激増し、闇市は活況を呈した。闇市は、仙台市民への小売に加え、仙台駅から東北地方各地に物資を送り込む卸売の役割も担った。

戦中に発行された国債軍票の一斉償還により生じたハイパーインフレを抑制するため、1946年(昭和21年)2月16日新円切替預金封鎖が実施され、3月3日には物価統制令を施行してインフレを助長する闇市の取り締まりが始まった。また、3月9日には都会地転入抑制緊急措置令を施行して仙台市も指定され、人口抑制によって市内の物不足解消が試みられた。

同年8月、闇市のように公道や公有地の不法占有ではなく、土地を得て、公定価格での商売を謳った施設が市中心部に設置され始め、「公設市場」や「マーケット」と称した。しかし、ベビーブームも始まり、人口増加が続く仙台市では結局、物不足が解消されず、これらの施設でも闇市のように公定価格より高い商品が売られていた。

かげろう市場(仙台朝市)編集

画像外部リンク
初期の仙台朝市の様子[14][15]
  昭和20年代半ば … 青空市場時代
  昭和28年頃 … 青空市場時代
  昭和32年頃 … 店舗営業に変化
  昭和32年頃 … 店舗営業に変化

1948年(昭和23年)、仙台駅前に露店が集まる青空市場(通称「朝市」)が生まれた[注釈 3]。かつぎ屋(行商)が集まって朝だけ商売をし、午後には無くなってしまうため、「かげろう市場」とも呼ばれた[16]。これが現在の「仙台朝市」の起源とされる[16][1][17]。この時期にこのような市場が生まれた理由は不明だが、前年から始まった戦災復興土地区画整理事業で移転を余儀なくされた商店や露店、あるいは、同年前半の「東一公設市場」(153戸)の大火災で焼け出された商店などがあり、商売再開の地を探していた人たちが多かった時期ではある。また、戦争に伴う失職者や引揚者のかつぎ屋が、仙台近郊や山形県から集まって商売をしていたとも言われる[16]

そもそも隣接する仙台駅は、東北本線常磐線沿いの行商の他に、仙山線仙石線乗換駅であるため、伝統的に山形から青果を仙台に運び、帰りに塩釜から鮮魚を持ち帰る行商が見られ、仙台朝市が常設店舗化された後も、周囲の道には行商の露店が多かった。現在、露店は見られなくなったが、今も山形の青果を扱う店が仙台朝市にはある。

仙台朝市の立地は、南町通が青葉通建設前における仙台駅の正面の道であり、仙台駅の貨物線(現在の仙台駅西口バスプールホテルメトロポリタン仙台がある辺り)にも近い場所で流通には至極であった。しかし、仙台駅の客貨分離に合わせて、1960年昭和35年)12月仙台市中央卸売市場が宮城野練兵場跡地(現宮城野原公園総合運動場)の南側の一部(現在の日本製紙クリネックススタジアム宮城の南側)に開場し、1961年昭和36年)6月1日には東北本線宮城野貨物線・宮城野駅(現在の仙台貨物ターミナル駅)や仙台市場駅が仙台市中央卸売市場に引き込まれたことで仙台の流通は大きく変化し、仙台朝市にも少なからず影響があった。

昭和30-40年代には、隣接地にエンドーチェーン仙台駅前店が、さらに青葉通沿いにダイエー仙台店が、各々当時としては巨大なスーパーマーケットとして開店した。品揃えとしては仙台朝市とバッティングするものの、日本通運の営業所(現在は仙台パルコ2が建つ)がエンドーチェーンの北側にあったことで流通基盤を維持し、また、スーパーの集客力で発展して、周囲のビルには映画館ボウリング場、また現在でいうディスカウントショップが入り、そこに集まる若者に向けてアニメ関連の店や、楽器中心の質屋リサイクルショップなども集まるなど繁栄した。

戦後の仙台には、仙台朝市のような生鮮食品市場が一番町中央通り長町などにもいくつかあった。しかし、卸売り店は仙台市中央卸売市場(当初は宮城野原に設置。のちに国道4号仙台バイパス沿いの東部流通団地に移転)に集約され、小売店はスーパーマーケットの出現と人口のドーナツ化現象が影響して、かつての生鮮食品市場は飲食店街に衣替えしたり、再開発されたりした[18]。市内で現在も生鮮食品市場として機能しているのは仙台朝市のみである。また、エンドーチェーンは専門店ビルのEBeanSに衣替えし、周囲はオフィスビル専門学校が集積する地区となったが、現在も仙台朝市は単なる市場ではなく、サブカルチャーを含めた雑多な人や物が集まる場として、仙台の顔の1つとなっている。

関連年表編集

画像外部リンク
東日本大震災発生後の仙台朝市の様子
  2011年3月12日8時30分撮影
  2011年3月17日撮影

アクセス編集

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ 仙台市道青葉1247号・中央三丁目1号線(西端東端。最小幅員5.84m、最大幅員11.95m、延長219.4m)
  2. ^ 地上10階、地下1階建ての店舗・マンション駐車場
  3. ^ 詳細な所在地を示す文献は見当たらず。
  4. ^ ファーゴアヴェニュー。進駐軍が命名した道路名。現在にあてはめると、北仙台駅前から県道北仙台停車場線県道仙台泉線勾当台通東一番丁通りを経て、東北大学片平キャンパスの中央を通る道にあたる。
  5. ^ 東一連鎖街商店(東一センター)→TIC

出典編集

  1. ^ a b c d ごあいさつ(仙台朝市商店街振興組合)
  2. ^ (20) 仙台朝市/「何か食料を」連日の列河北新報「震災せんだい 3.11記憶と一歩」 2011年6月29日)
  3. ^ Attractions(仙台市)
  4. ^ 練習会場仙台合唱団
  5. ^ 仙台ロシア合唱団
  6. ^ 朝市ビルゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
  7. ^ 新仙台駅前ビル仙台朝市アメ横ビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
  8. ^ マルサンビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
  9. ^ 前原ビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
  10. ^ a b 組合事務所です。(仙台朝市ブログ 2008年3月10日)
  11. ^ 仙台まちかど技めぐりNHK仙台放送局東北Z」。2007年10月26日東北地方ブロックネット放送)
  12. ^ "萌え"ショップ集中 JR仙台駅前「聖地」化(河北新報 2005年6月11日)
  13. ^ a b c d <仙台東西線>仙台朝市買い物客17%が利用(河北新報 2016年03月29日)
  14. ^ コンセプト(有限会社武田青果)
  15. ^ ギャラリー(今庄青果)
  16. ^ a b c d 仙台八十八景(仙台放送 1977年10月1日発行)
  17. ^ 都市の風景「仙台学の誕生・界隈の魅力」~地域誌『仙台学』の現場から~東北芸術工科大学 2006年7月18日)
  18. ^ 第9回 街中の路地とその郷愁経済産業省東北経済産業局「東北21 せんだい遊歩 -変わる消費と集客のからくり-」)
  19. ^ a b 「『仙台市史』 通史編8 現代1」200頁~208頁
  20. ^ a b c d e f g 「『仙台市史』 通史編8 現代1」208頁~210頁
  21. ^ a b c d e f g 「『仙台市史』 通史編8 現代1」16頁~19頁
  22. ^ World War II Operations Reports, 1940-1948国立国会図書館
  23. ^ a b 「『仙台市史』 通史編8 現代1」53頁~63頁
  24. ^ a b 「『仙台市史』 通史編8 現代1」137頁~139頁
  25. ^ いろはの歴史(ふれあい百店街・壱弐参横丁)
  26. ^ 仙台市の土地区画整理事業のあゆみ(仙台市)
  27. ^ a b c d 「『仙台市史』 通史編8 現代1」142頁~145頁
  28. ^ 青空市場から60年(仙台朝市ブログ 2008年8月30日)
  29. ^ 仙台市道路占用料条例(仙台市 1960年12月28日)
  30. ^ 道路使用許可取扱要綱の一部改正について (PDF)宮城県警察 2006年12月26日)
  31. ^ 仙台・青葉通の屋台「喜楽」 83歳店主、閉店決意(河北新報 2009年2月10日)
  32. ^ 中央(昭45) (PDF) (仙台市「仙台市の住居表示実施状況 Archived 2011年3月23日, at the Wayback Machine.」 2.実施地区名一覧《実施年降順》)
  33. ^ 歴史的町名復活検討委員会報告 資料 (PDF) (仙台市「歴史的町名復活検討委員会」)
  34. ^ 朝市センター保育園
  35. ^ 朝市センター保育園(仙台市)
  36. ^ いよいよ「60周年感謝のつどい」(仙台朝市ブログ 2008年10月15日)
  37. ^ 被災者のために開け! 仙台朝市の商売魂ミヤテレ 2012年3月10日)
  38. ^ <戦後70年 私は今> (2) 心意気 震災時も示す(河北新報 2015年4月17日)
  39. ^ 東日本大震災における仙台市の商店・事業所の支援活動事例集 (PDF) (仙台市 2014年3月24日)
  40. ^ a b <仙台朝市>市民の台所お色直し(河北新報 2017年4月26日)

参考文献編集

  • 「『仙台市史』 通史編8 現代1」

関連項目編集

外部リンク編集