伊地智 啓(いじち けい、1936年2月8日 - 2020年4月2日[1])は、日本映画プロデューサー[2]。これまでに100本以上の作品を手がけた[3]

いじち けい
伊地智 啓
生年月日 (1936-02-08) 1936年2月8日
没年月日 (2020-04-02) 2020年4月2日(84歳没)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県
死没地 日本の旗 日本 鹿児島県鹿児島市
職業 映画プロデューサー
ジャンル 映画オリジナルビデオテレビドラマ
主な作品
太陽を盗んだ男
セーラー服と機関銃
あぶない刑事』シリーズ
居酒屋ゆうれい
受賞
日本アカデミー賞
優秀作品賞
1994年居酒屋ゆうれい
その他の賞
高崎映画祭
最優秀作品賞

1993年お引越し
藤本賞 奨励賞
1994年居酒屋ゆうれい
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経歴

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1936年2月8日、兵庫県に生まれる[4]早稲田大学文学部を卒業[4]。1960年、日活撮影所助監督部に入社する[5]。1971年にプロデューサーへ転身したのち、1977年に同社を退社する[5]。多摩市議会議員(2015年~)の伊地智恭子は娘。

セントラル・アーツを経て[6]、1978年、長谷川和彦監督のために設立されたキティ・フィルム[7]、「映画のプロがいないから」と長谷川に引っ張り込まれて参加[8]。長谷川監督の『太陽を盗んだ男』や相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』を手がけ、以降も『あぶない刑事』など数多くヒット作を連発する。1992年に創業者の多賀英典が賭けポーカーをした事で逮捕された事を受け同社の代表取締役社長に就任。 1995年にキティエンタープライズがポリグラムに買収され同社がキティグループから切り離された事を受け、独立退職し新会社ケイファクトリーを設立[5]。代表取締役社長、会長を経て、2002年に同社を退社する[5]。その後鹿児島県に移住し活動拠点としていた。

2004年、李相日監督の『69 sixty nine』を手がける[9]。2005年、第28回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞する[10]。2015年、著書『映画の荒野を走れ プロデューサー始末半世紀』が刊行される[11]

2020年4月2日、膵臓癌のため鹿児島市内の病院で死去[1]。84歳没。

著書

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  • 『映画の荒野を走れ プロデューサー始末半世紀』上野昂志・木村建哉編、インスクリプト、2015年。ISBN 9784900997561

フィルモグラフィー

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映画

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テレビ

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受賞

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脚注

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  1. ^ a b 伊地智啓氏死去 映画プロデューサー”. 産経ニュース. 産経デジタル (2020年4月8日). 2020年4月8日閲覧。
  2. ^ 映画プロデューサー 伊地智 啓さん”. NHK福岡放送局. NHK (2015年4月11日). 2015年5月26日閲覧。
  3. ^ 「相米慎二を育てた男」伊地智啓のプロデュース作品が一堂に集結、トークショーも”. ナタリー. ナターシャ (2015年5月7日). 2015年5月26日閲覧。
  4. ^ a b 佐藤忠男 編『日本の映画人 日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、40頁。ISBN 978-4-8169-2035-6 
  5. ^ a b c d パネルディスカッション 映画で街を元気にする”. 鹿児島コミュニティシネマ (2008年6月15日). 2015年5月26日閲覧。
  6. ^ 高崎俊夫「伊地智啓に聞く 相米慎二と共に"映画の荒野を走った"時代」『キネマ旬報』2015年5月上旬号、103頁
  7. ^ 木村建哉、中村秀之、藤井仁子『甦る相米慎二』インスクリプト、2011年9月30日、183-186頁。ISBN 978-4-900997-32-5 
  8. ^ 「対談 長谷川和彦×相米慎二」『月刊シナリオ』日本シナリオ作家協会、1980年8月、10-11頁。 
  9. ^ 妻夫木いわく、「69」は楽しんだ者勝ち”. 映画.com (2004年6月15日). 2015年5月26日閲覧。
  10. ^ a b 第28回日本アカデミー賞優秀作品”. 日本アカデミー賞. 日本アカデミー賞協会 (2005年2月18日). 2015年5月26日閲覧。
  11. ^ 映画プロデューサー伊地智啓の特集上映、『太陽を盗んだ男』『お引越し』など18作品”. CINRA.NET. CINRA (2015年5月12日). 2015年5月26日閲覧。
  12. ^ 藤本賞(第20回~第11回)”. 映画演劇文化協会. 2015年5月26日閲覧。
  13. ^ エランドール賞歴代受賞者一覧”. 日本映画テレビプロデューサー協会. 2015年5月26日閲覧。

外部リンク

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