太陽を盗んだ男

1979年公開の日本映画

太陽を盗んだ男』(たいようをぬすんだおとこ)は、1979年10月6日に公開された日本映画長谷川和彦監督[1]によるアクション映画。脚本は長谷川とレナード・シュレイダー[2]。製作はキティ・フィルム、配給は東宝。音楽担当は作曲が井上堯之、編曲は星勝

太陽を盗んだ男
The man who stole the sun
監督 長谷川和彦
脚本 長谷川和彦
レナード・シュレイダー
原作 レナード・シュレイダー
製作 山本又一朗
製作総指揮 伊地智啓
出演者 沢田研二
菅原文太
池上季実子
北村和夫
神山繁
佐藤慶
伊藤雄之助
風間杜夫
水谷豊
音楽 作曲・井上尭之、編曲・星勝
撮影 鈴木達夫
編集 鈴木晄
製作会社 キティ・フィルム
配給 東宝
公開 日本の旗 1979年10月6日
上映時間 147分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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概要編集

原爆を作って政府を脅迫する」という内容の日本映画。大がかりなカーアクション[3][4]国会議事堂皇居前をはじめとしたゲリラ的なロケーション、シリアスで重い内容と、エネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品である[5][6][7]。原子爆弾製造や皇居前バスジャックなど、当時としてもかなりきわどい内容となっている[8]

公開時、数々の映画賞に輝いたが、本作は長らくカルト映画の位置付けで[9][10]、『狂い咲きサンダーロード』との邦画2本立ては、1980年代名画座の定番プログラムであった[11]。しかし、年々一般的な評価を高め[6][12]、『キネマ旬報』1999年「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇では13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位に選ばれた[7][12][13][14]1970年代以降の作品としては、『仁義なき戦い』の第5位に次ぐものである。『キネマ旬報』2018年8月上旬号「1970年代日本映画ベスト・テン」では『仁義なき戦い』を逆転し、第1位に選ばれた[15][16]

2001年9月21日にはアミューズソフト販売(発売元:アミューズピクチャーズ/現:ショウゲート)からDVDがリリース[17][18]。「ULTIMATE PREMIUM EDITION」と銘打って、『11PM』(読売テレビ制作)による本作の特集番組や、長谷川の友人でもある上田正樹が本作のロケ地を案内する特別番組、本作のファンを自認する永瀬正敏樋口真嗣と長谷川との対談動画などが収録された[18]。2006年に特典映像なしのDVDが再リリースされている[19]。なお、音響はDVD化にあたって、ドルビーデジタル5.1chにリミックスしている[20](公開当時はドルビーモノラル)。

ブルーレイ版は未発売だが、2020年からはNetflixでの配信が開始された[21]。このほか、iTunesでも販売されている[22]

あらすじ編集

中学校の理科教師である城戸誠(沢田研二)は、茨城県東海村原子力発電所[注 1]から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室で悪戦苦闘しつつも[注 2]ハンドメイドの原爆を完成させた。そして、金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置き去り、日本政府を脅迫する。

誠が交渉相手に名指ししたのは、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)。かつて誠がクラスごとバスジャック事件に巻き込まれた時、体を張って誠や生徒たちを救出したのが山下だった。誠は山下にシンパシーを感じていた。誠の第1の要求は「プロ野球ナイターを試合の最後まで中継させろ」。電話を介しての山下との対決の結果、その夜の巨人大洋戦は急遽完全中継される。快哉を叫ぶ誠は山下に「俺は『9番』」と名乗る[注 3]

第2の要求はどうするか思いつかずに迷う誠は、愛聴するラジオのDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)を巻き込む。多数のリスナーも交えた公開リクエストの結果、誠の決めた第2の要求は「ローリング・ストーンズ日本公演」。これにも従わざるを得ない山下だったが、転機が訪れた。原爆製造設備のため借金したサラ金業者に返済を迫られた誠が、嫌々出した第3の要求「現金5億円」に山下は奮い立つ。現金の受け渡しなら犯人は必ず現れるからだった。電電公社に電話の逆探知時間を強引に短縮させ[注 4]、罠を仕掛ける山下。逆探知により誠が東急デパートの屋上から電話をしていることが判明し、東急デパートの出入口を警察が封鎖する。誠は山下に原爆のありかを教え、持ってきていた5億円を屋上からばら撒くことを指示する。一万円札が空から降ってきて大騒ぎになっている街の中を、誠は逃げ切ることに成功する。

原爆を回収した山下たちは、起爆装置を解除することに成功したが、誠は原爆が保管されているビルの4階を襲い、原爆を奪取すると再び起爆装置をセットする。

ローリングストーンズ公演の日、山下は観衆の中に誠がいると踏み、ついに山下と誠は対峙する。誠は山下に銃を突きつけ「原爆は30分後に爆発する」と脅迫する。山下をビルの屋上まで連れて行って銃で撃つが、銃弾を何発も身に受けながらも、山下は誠ごと屋上から転落する。山下は死亡したものの、誠はどうにか生き長らえる。

誠は放射線に蝕まれた瀕死の身体で、原爆を持ちながら街を歩き、やがて30分が過ぎる。

キャスト編集

スタッフ編集

制作の経緯編集

企画編集

当初はキティ・フィルム多賀英典社長が出資し、プロデューサーが山本又一朗、脚本が村上龍、監督が長谷川和彦という座組みで映画を創ろうと話し合っていた[24]。山本によれば、萩原健一を主役に想定していた[25]。しかし畑違いの人間の集まりで上手くいかず、山本はグループを抜けて『ベルサイユのばら』の企画に移った。村上龍は長谷川のために5本の脚本を執筆した(その中には、後の小説『コインロッカー・ベイビーズ』の原型となったものもある)が、いずれも長谷川は却下した[26]。村上と多賀もプロジェクトを離れて、村上の監督による『限りなく透明に近いブルー』の製作に入った。一人になった長谷川は、フランスに滞在していた山本に「帰国したら一緒に映画を作りたい」という手紙と『笑う原爆』と題した脚本を送った[24]。脚本は電話帳くらい分厚く、製作費にも現実味がないと山本は断ったが、長谷川と助監督の相米慎二は帰国した山本の説得にあたり、ついに「破産するかもしれないが、賭けてみたい」と製作を決めた[24]。山本としては「『太陽を盗んだ男』を日本で初めて外国に出せる現代劇にしたい」[27]「1本目の『ベルサイユのばら』で果てせなかった夢を、2本目の本作でクオリティーの高い作品を作り、5年以内にハリウッドで映画を作りたい」という思いがあった[27]。長谷川は「山本は最初は何者か知らなかった。彼は自分で作った会社を出てキティに身柄を預けていた。多賀社長をアシストする形だったんだけど、俺の方の企画がうまくいかない間に『ベルサイユのばら』を始めた。最初あいつに相談を受けたとき、また大ボラが始まったとしか思わなかったからね。パリにいるころから次は一緒にやろうと言ってきていたけど、どの程度の熱意があるのか分からなかったね」と、山本の話とはややニュアンスの違う話をしている[28]。「企業内のプロデューサーは“それは無理だよ”ということから始まるけど、山本は“無理な方が面白いと”いうことから始まるから。俺もそのタイプだし、ああいうタイプのプロデューサーが出て欲しいと思う」などと話していた[28]。製作費は3億7000万円で始まったが[27]、スタート時から1億7000万円足りなかった[27]。東宝が配給に決まったのは1978年暮れである[28]。 

脚本編集

脚本のレナード・シュレイダーは、ロスを訪れた長谷川と親しくなり、長谷川が広島県の生まれで体内被曝児であることなどを知った[17]。また雑誌『アサシン』で個人でも原爆を作れるという記事を読み、それらからインスピレーションを受けた[17]。1977年6月にシュレイダーが「何でもない普通の青年が原爆を作って9番を名乗り、時の政府を脅迫する。その第一の要求は“テレビのナイター中継を最後まで放送しろ”で、最後に金をさらって女とブラジルあたりに逃げる」というプロットを長谷川に提示した[28]。長谷川は「そのラストではせっかくの原爆のプロットが生きないので、原爆を作る過程で被爆させること」と、シュレイダーは9番と敵対する刑事を三波伸介伴淳三郎のようなコミカルな人物像をイメージしていたが、「むしろ『野良犬』の三船敏郎が30年後に生き返ったような刑事にしてくれ。そういう男と男の対決のドラマにしてホモセクシュアルな関係になってもいいから、ある種の父殺しの話にしようじゃないか」と注文を出した[28]。シュレイダーはドストエフスキーを彷彿とさせる脚本を書き上げたが、長谷川は主人公の少年と家族の関係を全てカットし、都会で孤独に生きる人物像として中学校の教師とした。脚本は完成するまでにさらに2年を要した[28]。後に助監督として参加する相米慎二と制作進行の黒沢清も執筆に協力した。

タイトルは当初、英語で「The Kid Who Robbed Japan」と呼ばれ、"Kid"にあたる良い日本語訳がなかったため『笑う原爆』としていたが、東宝サイドが原爆をタイトルに使用することに難色を示したため、準備稿の段階では『日本 対 俺』という仮題で製作を進め、その後『プルトニウム・ラブ』『日本を盗んだ男』とタイトルが転々と変わり、最終的に監督が原題をもじって『太陽を盗んだ男』と決定した[12][29]

従来、原爆を素材とした日本映画は必ず被害者の側に立っていたが、本作は加害者の側に立った上、スケールの大きなエンタテイメントに仕立てた不謹慎極まるものだった[30]。主人公が原爆製造中に被爆するという設定は、実際に「胎内被爆児」である長谷川監督の発案である[7][30]。撮影中に抗議に来たある活動団体に対して、自分の「特別被爆者手帳」を見せて説明し納得させたという[8]。公開前のキャンペーンのテレビ番組で「ジュリーってゲンバクのように強〜イ男」という番組サブタイトルが抗議を受けた[18]

キャスティング編集

長谷川と菅原文太は以前から新宿ゴールデン街の飲み友だちで、長谷川からの出演依頼に菅原は「面白いじゃないか、やろうよ」と快諾し、菅原から「主役にはジュリーなんかどうなの?」との提案を受け、長谷川は沢田に出演交渉を行うが、沢田のスケジュールが1年半先まで埋まっていて、その後1年待って、3か月スケジュールを空けさせて撮影した[31]。当時の沢田のマネージャーが「ぜひ、沢田にこの映画をやらせたい」と言ってくれ、その熱意に押され1978年2月に[28]渡辺プロダクション社長の渡辺晋に山本と長谷川、相米の3人で会いに行き、山本が渡辺晋に直談判して沢田の出演が決まった[24]。しかし菅原と沢田のスケジュールを合わせるまで1年以上かかった[28]

撮影進行編集

スタート時から1億7000万円足りないという現実があり、撮影日数の問題もあったが、長谷川と山本は長い脚本を一切切らず全部撮ることにした。東宝とは2時間20分前後にするという契約のため、約1時間分は未使用となった。山本は「無駄の中に映画の魅力を拡げるものがある」という自身のプロデューサー判断と述べている[27]。なお、最終的な制作費は3億9千万円、撮影期間は1979年4月25日より8月8日(撮影日数86日)、撮影使用フィルム19万フィート(約35時間分)となっている[32]

撮影詳細編集

  • 撮影の鈴木達夫の提案で、カメラにフィルターを付けて撮影した。沢田研二と原爆のシーンではパープル、池上季実子の登場シーンではピンクと、イメージに合わせた着色を行っている。
  • 冒頭のバスジャックのクライマックスについて長谷川は「皇居前広場に無許可で忍び込んで一発撮りした、いわばゲリラ撮影だった」「思ったよりバスの速度が出なかったため、突撃とならず、皇居係員ものんびり誘導に出てきた程」「仕方がないのでコマを抜いて速く見せた」と話している[8][31][33]。逮捕される可能性が高いだろうとこの撮影を最後にまわし、撮影後は留置所かもしれないと、みんな歯ブラシ、手ぬぐいを持参して撮影に挑んだ[28]。バス内部のシーンや皇居の堀に向かって手榴弾を投げるシーンなどは、よみうりランドに作ったセット撮影である[33]
  • 首都高でのカーチェイスも許可が下りる見通しが立たなかったため、当日スタッフがわざと4台の自動車を入り口付近で停車し、一般の自動車が入れないようにして撮影した。製作担当は延べ2、30名検挙されているという[31]
  • 日本橋(劇中は渋谷の設定)のビルからの一万円札撒きや、国会議事堂前、国会議事堂裏口のゲリラ撮影は、相米慎二のB班が「逮捕され要員」として待機させられた[8][注 9]
  • 山下がヘリコプターから地上に落ちるシーンでは、スタントマンは安全面から2メートルを希望したが、長谷川は迫力を出すため5メートルを主張、さらに撮影時にはヘリコプターは7~10メートルまで上昇している。東京湾ヘドロに落下したスタントマンは、完成フィルムを見て自分の飛び降りたあまりの高さに驚き「嘘だろ! 冗談でしょ!」と顔面を引きつらせたという[34]。結局、スタントマンは骨折したといわれる[35]
  • 東京湾にはさらに2人飛び込んでいる。当時の東京湾は非常に汚かった。池上季実子は現場に到着するなり、長谷川から「池上さんが東京湾に放り込まれるシーンから撮影する」と言われ仰天した。池上のマネージャーと監督、スタッフとの緊急討論が持たれた。その結果、「(1)リハーサルで助監督が飛び込んで安全を確認する (2)すぐ近くに風呂を用意する」という妥協案でまとまり、池上もヘドロいっぱいの東京湾に飛び込んだという。後年、「スタントなしで当時の東京湾に飛び込んだのは、今では20歳の貴重な思い出になっている」と池上は話している[36]
  • 猫がプルトニウムを食べて死ぬシーンは、業者から「(殺しても代わりは)何匹もいますから」と言われたが、長谷川は猫を殺すのがどうしても嫌で、第2班監督の相米に「絶対に殺さずに死んだように見せろ」と命令し、相米はフィルムを何百フィートも回し、最終的にはマタタビを使って撮ったという[31][37]
  • 製作費用がどんどん膨れ上がり、プロデューサーの山本は途中で「これは破産するな」と思った。そこで山本は確実にヒットが見込める映画を並行して作り、その金を本作に充てようと考えた。そこで目を付けたのが、いしいひさいちの漫画『がんばれ!!タブチくん!!』だった[24]。結局アニメ映画『がんばれ!!タブチくん!!』は大ヒットを記録し、2本の続編が作られた。後に山本は「『がんばれ!!タブチくん!!』がなかったら、『太陽を盗んだ男』の製作で僕は億を超える負債を背負い込み、立ち上がれなかったかも知れない」と述べている[24]

エピソード編集

  • 政府を脅迫する主人公の要求が政治性のないものばかりな点について、長谷川は「1979年ですから、ジュリーに言わせてる台詞でも『わたしは過激派なんかじゃないわよ』という感じで、過激派は地に落ちているころだから、そんな要求を出せる元気があるやつはいないんだ。逆に、過激派のように徒党を組まないでもこの兄ちゃんは一人でタイマン張ってるぜ、みたいなということが自慢だったわけでね。」と説明している[38]。他方で「天皇に直訴する」という老バスジャック犯の姿を描くことで当時の「しらけ世代」と旧世代のギャップを強調した[39]
  • 第一の要求であるナイター中継の延長放送は、当時としては珍しく、中継時間の延長[注 10]が行われるようになったのは1980年代以降である。1990年代にはBS・CS放送の普及で、野球を試合開始から終了まで中継する例が増えていった。
  • 第二の要求である「ローリング・ストーンズ日本公演」は、劇中でも触れられているように、1973年に一度中止されており[8][40]、ようやく1990年になってから実現した。
  • 主人公が原爆完成の嬉しさのあまり、ガイガーカウンターをマイク代わりにしてはしゃぐシーンは、沢田のアドリブだという[41]ボブ・マーリーの曲[注 11]にあわせて踊り回るが、撮影時まだ楽曲提供に関する問題をクリアしていなかった。長谷川はいいシーンが撮れたのでカットしたくはなかったが、予算は限られている。そんな時、たまたま撮影を見学に来た内田裕也に事情を相談したところ、二つ返事でレコード会社との交渉を買って出た[42]。レコード会社は曲の宣伝として楽曲の使用を認めた。

興行成績編集

本作は全国100館以上にて鳴り物入りで封切られたが、都市部で大入りしたものの、地方では惨敗で、全国で見ると興行的には成功をみなかった[12][42]

受賞・選出編集

  • 1979年度キネマ旬報 日本映画ベスト・テン第2位。同読者選出日本映画ベスト・テン第1位
  • 1979年度毎日映画コンクール監督賞
  • 1979年度報知映画賞 最優秀作品賞、最優秀主演男優賞(沢田研二)
  • 映画芸術誌ベストテン第3位
  • 第1回ヨコハマ映画祭作品賞、監督賞
  • 第3回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞(菅原文太)
  • 2009年度キネマ旬報 オールタイムベスト映画遺産200(日本映画篇)<日本映画史上ベストテン>第7位[13][14]

評価編集

  • 映画評論家轟夕起夫は自著で「振り返ると1979年とは、日本映画史上とても重要な年であったと思う。というのも、今後語り継がれてゆくであろう活劇ムービー、『太陽を盗んだ男』と『ルパン三世 カリオストロの城』が公開された年だからだ」「一部に熱烈に評価されたものの"79年" は決して恵まれた興行成績を得られなかったこの二作。しかし歴史は自らの誤りを認め、改めて審判を下し直し、時を経るにつれ、どちらもオールタイムベストの常連となった」などと述べている[43]
  • 映画評論家樋口尚文は1997年5月の『朝日新聞』夕刊の連載企画「わが青春のヒーロー」に本作の主人公「城戸誠」をとりあげ、作品愛を語っているが、(「しらけ世代」参照)、さらに著作『『砂の器』と『日本沈没』1970年代日本の超大作映画』(筑摩書房 2004年)で一章を割いて『太陽を盗んだ男』を詳細に分析、「メディア漬けの消費社会が生む劇場型の少年犯罪カルト教団の暴走などが現実のものとなった1990年代半ば以降、本作の先取りした人間像や世界観は、よりわれわれ自身に近いものに感じられるようになったのではないか」「本作は古びるどころか、むしろ『現在的な映画』であり続ける」などと激賞している[29]
  • 本作助監督の相米は、映画の評判がいくら良くても、子供に受けなかったのでヒットしなかったと答えている[44]
  • 映画ジャーナリストの大高宏雄は、『太陽を盗んだ男』のような映画[注 12]を興業的に成功させるには、その映画のクオリティだけでは不十分で、角川映画のような商業主義的な大量宣伝も必要だったとしている[45]

後世への影響編集

本作はその前衛的な作風から、後進のクリエイターにも大きな影響を与えている[46]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 劇中では実際の東海村にある施設ではなく、横須賀火力発電所の外観をそれに見立てて映している(発電所の内部シーンはスタジオセットで撮影)。
  2. ^ この時、不注意で多量の放射線を浴びており、中盤以後は毛髪が抜けるなど障害に苦しむ場面が散見される。
  3. ^ 本作公開の1979年当時、世界では8カ国が核兵器を保有しており、誠自身がそれに続く9番目の保有者という意味での名称。劇中の誠の台詞にもあるが、当時の核保有国はアメリカソ連(当時)中国フランスイギリスインド、それに非公式保有のイスラエル南アフリカ共和国も加えて8カ国。なお、劇中で誠は南アフリカを「南ア連邦」と呼んでいるが、当時既に同国はイギリスから完全独立して共和国に移行していた。
  4. ^ 逆探知時間を短縮できるかわりに、逆探知中は東京中の電話が不通になるという設定。
  5. ^ a b オープニングでは沢田研二→菅原文太の順、エンディングでは菅原文太→沢田研二の順でクレジットされている。
  6. ^ 精神科医の香山リカとは同名異人の子役である。
  7. ^ クレジットでは「鈴木達麿」と表記。
  8. ^ 劇中では、終盤のカーチェイスにて当時最新車であったサバンナRX-7コスモが登場する他、誠が観ていたテレビのナイター中継終了後に1979年当時のファミリアのCMが映る場面がある。
  9. ^ 出典では銀座となっているが、一万円札をばら撒くシーンの撮影が行われているのは当時の東急百貨店日本橋店(現存せず、2016年の時点では日本橋一丁目三井ビルディング)周辺である。遠景で日本橋上空の首都高速都心環状線の高架に橋名板が掲げられているのが確認できる。
  10. ^ 時間はおおむね30~60分で、延長しても試合終了まで放送されない事例もあった。
  11. ^ 使用された曲は「Get Up Stand Up」。
  12. ^ 娯楽大作映画を考える上で、1970年代の3本の重要な映画として、興行的に成功した『日本沈没』、失敗した本作と『新幹線大爆破』を挙げている。

出典編集

  1. ^ http://ocn1.net/goji/014.html
  2. ^ http://www.imdb.com/name/nm0775055/
  3. ^ 第40回:『太陽を盗んだ男』 【映画の名車】
  4. ^ 第8回:ベーシストにお薦めの映画紹介vol.3 『太陽を盗んだ男』の巻
  5. ^ ハイパーリアルを盗んだ男 in フクシマ - キネマ旬報社■早稲田松竹■2007/10/6〜2007/10/12『太陽を盗んだ男』〜はじめてのジュリー〜 by 浅川奈美
  6. ^ a b 太陽を盗んだ男 - 映画の企画・製作 | Tristone Entertaiment Inc.
  7. ^ a b c 太陽を盗んだ男 | 広島国際映画祭 | HIFF
  8. ^ a b c d e シネマミサイル抜粋版 - 立命館大学映画研究会 郡山翔平執筆分
  9. ^ 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2007年最新版』 ぴあ、2006年、363頁
  10. ^ 第8回:ベーシストにお薦めの映画紹介vol.3 『太陽を盗んだ男』の巻
  11. ^ 大槻ケンヂ『オーケンの、私は変な映画を見た!!』 キネマ旬報社、2004年、61頁
  12. ^ a b c d e 太陽を盗んだ男 - 宮崎映画祭公式ブログ
  13. ^ a b 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開(2009年12月15日時点のアーカイブ)、『キネ旬ムック オールタイム・ベスト映画遺産200 (日本映画編)』キネマ旬報社、2009年12月、p1-20
  14. ^ a b 1位は東京物語とゴッドファーザー キネ旬がベスト10 - Asahi
  15. ^ 「70年代日本映画ベスト・テン」発表!『キネマ旬報』創刊100年
  16. ^ キネマ旬報が選ぶ1970年代日本映画ベストテン、第1位は「太陽を盗んだ男」
  17. ^ a b c 伝説的傑作カリスマ映画『太陽を盗んだ男』のDVD製作記者会見。 長谷川監督の語る当時のいきさつ。
  18. ^ a b c d e 太陽を盗んだ男
  19. ^ 沢辺有司『ワケありな映画』彩図社、2014年、138 - 141頁。ISBN 978-4-8013-0024-8
  20. ^ 伝説の映画が高画質になってDVDで登場 笑う原爆(仮題)「太陽を盗んだ男」”. 2020年10月16日閲覧。
  21. ^ 太陽を盗んだ男”. Netflix. 2020年10月16日閲覧。
  22. ^ 太陽を盗んだ男”. Apple. 2020年10月16日閲覧。
  23. ^ 西田敏行と塩見三省、満身創痍で挑んだ『アウトレイジ』。北野武監督に感謝
  24. ^ a b c d e f 「山本又一朗、自作を語る 『太陽を盗んだ男』は、『がんばれ!!タブチくん!!』がなければ成立しなかったんです」『映画秘宝』、洋泉社、2009年7月、 pp.76-77。
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  26. ^ 『村上龍VS村上春樹 ドント・ウォーク・ラン』. 講談社. (1981年) 
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  31. ^ a b c d 河瀬直美「太陽を盗んだ男」を見て長谷川和彦に聞く! - TwitLonger
  32. ^ DVD「太陽を盗んだ男」映像特典「The Legend is Lebon 映像証言:太陽を盗んだ男」. ポニーキャニオン 
  33. ^ a b DVD特典映像・監督インタビューより。
  34. ^ 「とっておきのいい話 ニッポン・ジョーク集」 文春文庫、1989年、p206
  35. ^ 第40回:『太陽を盗んだ男』 【映画の名車】:日刊カーセンサー
  36. ^ 『東京スポーツ』連載-女優デビュー40周年回顧録「池上季実子 あら?もう40年?!」連載(19)、2013年2月8日
  37. ^ 暴行・撮影死…動物タレントたちの悲惨な扱い - ライブドアニュース
  38. ^ 『表現者の成功とは? 長谷川和彦さんに聞く』 木野評論Vol.31 特集:頑張らない派宣言 94 - 102頁」(2000年3月15日) 聞き手●鈴木隆之長谷川和彦全発言
  39. ^ 「太陽を盗んだ男」は要求のない時代に生きる俺自身のメッセージだ。 [聞き手 西村雄一郎 キネマ旬報1979年10月下旬号]長谷川和彦全発言
  40. ^ 2003年 04月 04日 22時 37分 39秒 - SPINET-INSIDE SPIRITS
  41. ^ DVD特典映像・インタビューより。
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  57. ^ 吉田豪 秋元康と鈴木おさむの違いを語る『秋元康は根はサブカル』
  58. ^ 【寺島進おれの1本】第1回『太陽を盗んだ男』・第2回 ... - シネマトゥデイ』
  59. ^ 三浦大輔(銀杏BOYZ)と三浦大輔(ポツドール) - CINRA.NET -シンラ
  60. ^ トラウマ映画館|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

関連項目編集

外部リンク編集