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日本アカデミー賞

日本アカデミー賞協会が授与する映画賞

日本アカデミー賞(にっぽんアカデミーしょう、Japan Academy Film Prize)は、日本映画賞。主催は日本アカデミー賞協会で、米国の映画芸術科学アカデミーより正式な許諾を得て発足[1]1978年昭和53年)4月6日から毎年催されている。

日本アカデミー賞
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2012年トロフィー(監督賞『八日目の蝉成島出
受賞対象 映画作品・監督・脚本・俳優・技術部門
日本の旗 日本
授与者 日本アカデミー賞協会
初回 1978年
最新回 2018年
公式サイト https://www.japan-academy-prize.jp/
テレビ/ラジオ放送
放送局 日本テレビ
放送時間 金曜日21:00 - 22:54(『金曜ロードSHOW!』枠)

目次

概要編集

1977年(昭和52年)までは毎年11月に京都市民映画祭が開催されており、同映画祭は大映東宝松竹日活東映らの京都で製作された映画の中で、部門毎に優秀賞を贈呈し、全国的な賞として取り上げられていた[2][注 1]。 

水曜ロードショー』の解説を務めていた映画評論家水野晴郎は「映画の素晴らしさをさらに盛り上げる祭典」と同賞を発案[3]。水野は松竹・東宝・東映のトップや日本テレビプロデューサーへ持ち掛けて準備を進めていた[3]。途中から電通が仕切ることになり[3][注 2]、「歌謡界にはテレビとジョイントした大きなイベントが幾つもあるが、映画界にはフェスティバル的な大きな催しがない。そういうものが欲しい」と考えていた岡田茂[4][5][6]、電通の入江雄三が話を持ち掛け[4][6][7][8][9][注 3]、映画各界の幅広い賛同・参加を得て創設が決まった[12]。第一回は日本テレビでの中継が決まったが[4]、創設は電通と映連を中心に進められたもので[13]、日本テレビはイニシアティブを執ってはいなかった[4]。岡田は「第9回のとき、日本テレビ以外のテレビ局からウチで放送させてくれと申し出があった」と述べている[5]アメリカ合衆国アカデミー賞を模し、暖簾分けとして設立され[要出典]、3か月間で第1回開催にこぎつけた。

運営費の主要財源は、各映画会社の分担金や授賞式の放映権料である。同趣旨の映画賞に、英国アカデミー賞がある。フランスセザール賞もアカデミー賞を参考に創設されたものだが、暖簾分けの形式は採っていない。

創設の頃編集

1978年2月8日帝国ホテルで設立発表会見が行われ[14]、岡田は「何が何でもフェスティバルが欲しい。歌謡界には大きな賞があるが、映画界にはない。そういえば東京映画記者会の何とかという賞はあるが」などと東映が配給した『人間の証明』が主たる映画賞で無視されたことに腹を立て[6]、東京映画記者会の投票で決まるブルーリボン賞をコケにした発言をし[6]、詰めかけた記者たちを唖然とさせた[6]。また「既存の映画賞が記者や評論家などの外部の人による決定だったのに対し、『日本アカデミー賞』は『映画人による映画人のための賞』で、1200人の映画人の投票で受賞者を決め、その模様はテレビで全国生中継される」と映画人が主催者であると力説した[6]。授賞式にはカーク・ダグラスがアカデミー賞協会のメッセージを持って出席し[6][14]ロック・ハドソンに変更)[15]、映画界に携わる人々の親睦の機会を作ると1978年4月6日に帝国劇場で行われる授賞式の後、帝国ホテルで記念晩餐会を開き、入場券を一般にも発売すると合わせて発表があった[6][14]。この入場券が3500円から最高4万円があったため[6][14]、興行臭がぷんぷんするなどと批判された[6]

電通と映連を中心に創設したが[13]、電通と日本テレビがイニシアティブを執っているなどと批判され[5][16][17][18]、また短期間での開催で一億円近い運営費の出所が不透明などと[4]、マスメディアに叩かれ評判が悪かった[5][17][18]。こうした事情で、なかなか賞を受け取ってもらえないケースもあり、運営に苦労した[19]

創設に当たり国内最大の映画賞を作るという意図で[20]、アカデミー賞協会準備委員会が発足され[20][21]、東映、松竹、東宝など各映画会社を始め、日本を代表する映画人に参加を呼び掛けた[20]。しかし参加を打診された黒澤明[20]週刊誌上などでそのネーミングに散々ケチを付け[13][20][22]、「アメリカには映画芸術科学アカデミーという組織があって、そこが与える賞だから、アカデミー賞なんだ。そんな実体も無いくせに、何が日本アカデミー賞だ。電通か日本テレビ賞とでもすべきだろう」[20]「アカデミー賞の真似事でくだらない。あんな賞には、なんの権威もない」[13]大手映画会社抜きで、映画芸術科学会議をぼくたちで作って出直しをやるべき。まず実行委員会を組織して映画研究所の設立から始めるべきでしょう」[22]などと批判した[13][19][23]。この黒澤発言に腹を立てた映連会長で東映社長の岡田茂が「黒澤などウチ(東映)では映画は撮らさん」と批判[20]。「黒澤は権威主義だ」などと黒澤バッシングも起こり大きな騒動になった[20]。また黒澤以外からも運営方式、投票方式などで批判が相次ぎ、勝新太郎石原裕次郎など独立プロを率いる実力者も批判ないし無視した[24]。しかし同じ独立プロを率いる三船敏郎は「年一度のお祭りなんだから出席しなきゃいかん」と何故か協力的だった[25]

各賞は日本アカデミー賞協会会員の投票により、担当部門の選考をするものだが[24]、当初問題となったのは俳優部門の会員の意識が低いことで[24]、ノミネート投票の有効率は全体で60%ぐらいで、俳優会員が25%[24]。アメリカのように俳優のユニオンが確立していないためか[24]、忙しくて映画を観ないのか、自分たちで映画を育てていこうという意識がなさすぎた[24]。一本でも多くの映画を観てもらおうという配慮で[24]、会員は年会費(当初は1万5千円)を払えば[24]、主要映画館で映画を無料で観ることができる会員証が与えられていたが[24]、中にはポルノ映画ばかり見続けた剛の者もいた[24]。 

第1回は本場アカデミー賞を意識し[26]、テレビ生中継もアカデミー賞のVTRが流れた翌日の放送にした[26]。第1回授賞式ではアカデミー賞を代表してロック・ハドソンが「私たちのアカデミー賞は創設後半世紀を経た。その間技術のみならず文化、教育大きく寄与してきたが、日本にも同じ目的の協会が出来て大変うれしい」などと祝辞を述べた[15][26]。この年は各映画賞とも『幸福の黄色いハンカチ』が主要部門を独占したため、主たる映画賞が終わった最後の開催でまた『幸福の黄色いハンカチ』の各賞独占で盛り上がらず[26]、映画賞と関係のない和田アキ子クレイジーキャッツ木の実ナナなどの派手なショープログラムが途中に挟み込まれ[26]、そうした場に慣れてない映画人は面食らった[26]

第一回は授賞式の進行も拙く準備不足を露呈し[18][27][28]、「来年もやれの?」という声がマスコミから上がり[18][27]、長くは持たないという見方もあった[5][24]。このため第1回の大谷隆三から協会会長が岡田茂に代わり[13][27]、岡田は「電通色が強すぎたという反省をこめ、本賞の主旨に沿う組織作りからやり直した。映画界にとっての最大のイベントを作る」と抱負を述べた[27][29]。第1回の赤字1200~1300万円は、電通と各映画会社で被ると発表した[27][29]。また第2回から副会長に森繁久彌を指名した[27]

第2回では最優秀音楽賞を受賞した武満徹が受賞会見で黒澤同様「アメリカのマネをした名が嫌い」と批判し[30]、さらに「撮影、録音、照明、効果、美術などの重要なパートを技術賞一つに押し込んでいる。実際の映画作りにおいて、いかに現場の人たちをないがしろにしているかの象徴」などと製作側からの無茶な仕事の発注を批判し「来年は出ない」と話した[30]。武満の批判を受け、翌年からは技術賞を撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞に独立させ裏方的存在だった技術部門にスポットを当てた[31]

第3回の冒頭挨拶で、岡田茂協会会長は「我が協会は、ようやく3歳の幼児であり、まだまだ本当の意味で自立できるところまで成長できていません。日本映画にはお祭りがなさすぎるのでこの祭典を大切にしていきたい」と述べた[31]。また森繁協会副会長は「この催しはお祭りだと思う。固くならないで楽しい会であって欲しい。役者というものは女優は35歳ぐらいまで、男優は40歳ぐらいまでセックスの勉強をして芸の本番が発揮できるのはそれからだし」と笑いを求めたが拍手はお義理で空虚なものだった[32]。第1回の岡田真澄、第2回の宝田明のような真面目な司会ではなく[31]、ショー的要素を高めるという意向で[31]、第3回からは山城新伍が司会を担当[31]。スペシャルゲストにラクエル・ウェルチを招いた[31][32]。「ハリウッドで最も衣装代が少なくてすむ女優」と評されるウェルチは[32]、日本人にはとても出来ない胸元のVが深々とカットされたグラマラスな姿態を否応なしに見せつけ[31]、受賞者のようにテレることのない威風堂々とした態度と晴れやかなこの表情こそ、ショーアップ最大のポイントであるとアピールをしているようだった[31]。しかしウェルチの登場だけは熱気を帯びたが、全体には熱気に乏しく祭りの感はなかった[32]。閉会の挨拶は三船敏郎が務めた[31]

この第3回では最優秀主演女優賞として桃井かおりが有力候補に挙がったが、桃井が受賞を拒否するという噂が早くから流れたため[33]、全国中継で受賞を拒否すれば一大ニュースになると、それを期待し授賞式当日にマスメディアが大勢会場に押しかけた[33]。この予想に反して桃井は授賞式に出席し最優秀賞を受け[31]、「嬉しいです。以上」の一言で檀上を降りた[31]。記者会見では「私が貰わないという噂が流れてたのよね。貰えると思っていなかったけど、来なかったら騒がれるし、それがイヤで来たわけよ」などと、賞に対するリスペクト0の発言をし、また反発を買った[33]第6回では同じ最優秀主演女優賞の候補だった夏目雅子田中裕子から桃井は「同席はご免よ」と同じテーブルに着くことを拒否され[34][35]松坂慶子いしだあゆみにも「桃井さんの隣はイヤ。怖いもの」などと候補者全員から同席を拒否された[34][35]。この煽りで桃井は授賞式を欠席し後味が悪いものになった[35]

大きな騒動になったのは第4回[13][17][36][37][38]。この年の最有力は『影武者』であったが[13][36]、創設時より本賞の批判を繰り返していた黒澤明がノミネートの発表前に『影武者』を選考対象にしないよう日本アカデミー協会に申し入れてきた[13][17][36]。次いで『影武者』に関係し賞にノミネートされていた山崎努大滝秀治が同調し[36][38]、スタッフもそれに続いた[36]仲代達矢は『二百三高地』まで辞退する形をとった[36]。黒澤は『週刊プレイボーイ』のインタビューで[36]、「いま日本映画にとって重要なのは監督、撮影、シナリオ等の各種団体が一丸となる組織が必要だ。そんなものがないからアカデミー協会なんてバカなものが出来る。あれは金もうけでやっているのだろう」などと改めて批判した[36]。これを受けアカデミー協会は岡田茂会長名で黒澤に質問状を発送し[13][17][38]、質問状に「巷間、伝えられるところによると、あなたは他の出演者、スタッフに対しても自分と同じようにボイコットをするように働きかけた」と書かれた箇所があり[13][17][38]、これに黒澤がカチンときて1981年1月12日に東宝撮影所で記者会見を開き[13]、公開質問状を報道陣に見せ、「事を穏便に済まそうと思うから、事前にノミネートを辞退するという細かい配慮をしているのにこういうことをされちゃ怒らざるを得ない。強制したなんて全くの事実無根だ」などと烈火の如く怒った[13][17][38]。これを受け同じ日に岡田茂も懇談会を開き、その場で痛烈な黒澤批判をブチ上げ「黒澤監督程の巨匠になれば、自分はひいても他の人に賞をやるべきだ。かつての巨匠、例えば田坂具隆にしても内田吐夢にしてもみんなそういう精神でスタッフ、役者を育ててきた。確かに日本アカデミー賞というのは、業界にとっては何のメリットもなく、ただお祭りをやるだけなのだが、日頃、スポットの当たらない人たちにスポットを当てて上げるのが狙いでもある。黒澤監督はカンヌ国際映画祭グランプリも取り、世界的な名誉も与えられているんだから、日本でも同じように受けてもいいと思う。黒澤監督が辞退すれば、関係者が辞退するのは目に見えていることで、もう少し考えて欲しい」と話した[17]キネマ旬報は岡田を擁護し「日本アカデミー賞は次第に失われつつある映画への関心度を少しでも回復するのが狙い。黒澤監督も映画人の一人なのだから、他の人たちと一緒に、どうしたら盛り上がるかを考える立場にいるべき人」[17]「岡田さんと黒澤さんは絶対に合わないと思う。一方は『お祭りでいい』、一方は『お祭り騒ぎだけで終始し権威がない』と言うのだから考え方が根本的に違うんで、だから黒澤監督が辞退してもお祭りは出来るんだぐらいの気持ちを持って行動した方がいい」などと評した[17]田中友幸協会副会長が[13]、岡田・黒澤会談を画策したが[13]、前日になって黒澤側から「質問状の内容に対しての会見は出来ない、やるならその前にキチッと話し合ってから」と回答があり取り止めになり[36]、そのまま黒澤騒動は打ち切られた[13][36][38]。 

第4回授賞式で司会を務めた山城新伍がテレビ生中継で『影武者』を全員ノミネート辞退させた黒澤を批判した[38][39][40]。山城は実は黒澤映画のファンで[39]、山城が親しい勝新太郎と黒澤コンビによる『影武者』への期待が膨れ上がっていたため、勝を降板させた黒澤批判に至ってしまったこと[39]、また「黒澤批判をテレビで言うらしいぜということで僅かに視聴率が増えるということがTVを利用した日本アカデミー賞と称するものが存続していく方法。視聴率が3%、5%だったらすぐに打ち切りです。だから黒澤さんをターゲットにやった」などと発言の意図を述べた[41]田山力哉は「日本(世界)映画史上に限りない貢献をした先輩に対して、たかが白馬童子の白塗りチンピラ二枚目上りが、檀上からテレビ中継を通して、感情的に黒澤を悪しざまに言うなど許されるのか」と激怒した[40]

黒澤はそれから10年後の第14回で『』で優秀作品賞優秀監督賞にノミネートされ今度は受諾し[38]、日本アカデミー賞もやっと黒澤から認知された格好になった[38]。岡田茂は第10回開催の際にキネマ旬報のインタビューで「第9回のとき、日本テレビ以外のテレビ局からウチで放送させてくれと申し出があった。ここまで来るのに色々なことがあったけど、今の日本のメジャー会社ががっちりスクラムを組む大きな役割を果たしているんだ。だから今では各俳優さんに来てくれって言って断る人はいない。僕は途中、あんまり酷い時に『来たくない人は呼ぶな』『賞をもらいたくない人にはやるな』と言ったことがあるんだ。でもこれは何と言っても黒澤監督の"日本アカデミー賞ボイコット事件"が大きかった。あれは日本アカデミー賞を象徴的に押し上げた部分はあったし、各マスコミが取り上げてくれて、黒澤さんにも一理ある面もあったし、色んな面で良かったんじゃないかと思う」などと述べた[5]。第4回のときに黒澤は「お祭り騒ぎのようなことをしても映画の地位は上がらない。政府を動かして国際映画祭を開くべき。映画先進国で国際映画祭がないのは日本だけ」という批判をしたが[13]、結局この国際映画祭は間もなく岡田茂ら映連らの尽力で創設されている。

第5回では『連合艦隊』で優秀美術賞優秀録音賞に選ばれた阿久根厳矢野口文雄が「お祭り騒ぎの賞」と批判し[37]、それぞれ朝倉摂中山茂二が繰り上げ受賞した[37]

仲代達矢は1982年の『鬼龍院花子の生涯』で第6回優秀主演男優賞を受賞して同賞を受け取り[19]、仲代は「僕は東映に恩義がありますから」と話し、黒澤は非常に落胆していたといわれる[19]

第1回から第6回まで、東映作品の授賞がほとんどなく、1984年の第7回で東映の製作配給映画がごっそり最優秀賞を独占したため[42]、東映会員の投票用紙は東映作品が印刷されてあったなどの噂が立った[42]。また第7回では話題賞で大島渚(『南極物語』)と並ばせたと批判された[42]

第14回の発表授賞式で松岡功組織実行委員長が「日本アカデミー賞は14年目を迎え映画人がどうしても欲しいと思う権威ある賞に育った」と話した[43]

賞の選考編集

賞の選出は、日本アカデミー賞協会会員の投票によって行われる。日本アカデミー賞協会は、日本国内の映画関係者によって構成される。会員は年会費2万円を払い、主要な映画館で映画を無料で観ることができる会員証(フリーパス)が与えられている。会員は1980年(昭和55年)12月末時点で約1200人だったが、2015年(平成27年)時点では約3900人となっている[44]

選考の対象となる作品は、授賞式の前々年12月中旬から前年12月中旬までの1年間に東京都内で公開された映画。かつては、授賞式の前年の1月初から12月末までの1年間に公開された映画を対象とした。しかし、アメリカ合衆国のアカデミー賞授賞式の開催日が、3月・4月頃から2月・3月頃に繰り上げられたため、日本アカデミー賞授賞式も開催時期を3月・4月頃から2月・3月頃に早め、それに伴い対象となる作品の公開期間も1か月前倒しし、前々年12月初から前年11月末までの1年間となった。2013年発表の第36回より、対象期間が12月中旬頃と少々後ろにずらされた。授与される賞は正賞が15部門あり、その他に新人俳優賞などがある。正賞の優秀賞と新人俳優賞は、投票(協会員全員)により選ばれ、そのうち正賞については優秀賞受賞の中より最優秀賞が投票(協会員全員)により選ばれる。日本アカデミー賞は日本国内の他の多くの映画賞とは異なり、作品賞・監督賞・脚本賞・俳優賞のみならず技術部門賞も設けている[44]

2007年からは本家のアカデミー賞がアニメ部門を創設したことに倣い、独立部門としてアニメーション作品賞が新設された[44]

 
会長特別賞(西河克己、2011年)

各賞は以下の通り(2015年現在)。正賞には彫刻家流政之デザインによるブロンズ像トロフィー)が贈られる。最優秀賞ブロンズと優秀賞ブロンズがあり流政之制作の「映画神像」が元になったデザインである。この像は有楽町マリオン9Fロビーに恒久展示され授賞式時にステージに設置される。このほか正賞およびその他の賞に対し賞状賞金が贈られる(正賞個人賞12部門に最優秀賞30万円・優秀賞20万円、新人俳優賞・協会特別賞・岡田茂賞10万円)[44]

正賞 その他の賞
  • 作品賞
  • アニメーション作品賞[注 4]
  • 監督賞
  • 脚本賞
  • 主演男優賞
  • 主演女優賞
  • 助演男優賞
  • 助演女優賞
  • 音楽賞
  • 撮影賞
  • 照明賞
  • 美術賞
  • 録音賞
  • 編集賞
  • 外国作品賞

傾向編集

日本アカデミー賞は、映画業界自身が選出する映画賞としての特別の意義を持つと同時に、スタッフ部門賞を設けている映画賞としての希少性も有している。日本国内の映画賞の中では新しく立ち上げられた映画賞だが、授賞式の場で初めて最優秀賞を公表するイベント性を持ち、それを支える主催者の日本アカデミー賞協会の影響力もあって、近年映画業界においてその地位を向上させつつある。

しかし選出する日本アカデミー賞協会は、映画監督や俳優といった人々も含むものの、その3割が日本映画製作者連盟(映連)加盟会社、すなわち松竹・東宝・東映・大映(大映の解散後は角川映画)の大手4社とその系列企業社員により構成されている。そのため優秀賞を選ぶ時点で上記4社の製作あるいは配給した作品が有利になり、他の映画会社の配給作品が選ばれるチャンスが低いとされている。立ち上げ時に創立メンバーとして呼ばれたという山本晋也[45]、「まず大賞を五社持ち回りでと言われガッカリした」と証言している[45]。この件について岡田裕介会長は「フリーの会員も多い。大手が占めているのは、このうち数%。だから大手でも大きな影響力は持っていない」と述べている[46][47]

約3900人のアカデミー会員が、主要な作品の全てを観賞するのは困難である。それゆえ少数の選考委員による審査方式の映画賞と違い、一定以上の興行収入を残していないことにはそもそも会員による評価の対象にすらならないと考えられる。よって単館系公開など、小規模上映の作品は不遇を強いられることになる。これらの結果、実績が大きく認知度の高い監督やその作品、俳優らに受賞が偏重し、大衆的な支持を集めると同時に内容上も高評価を残した作品が主要部門賞を獲得する傾向が強い。

授賞式編集

会場は1998年以降、東京都港区高輪のグランドプリンスホテル新高輪国際館パミールが恒例となっている。この授賞式の入場チケットは一般客にも販売され、2015年現在、授賞式後の映画にちなんだメニューのフランス料理コースディナーを含め4万円の料金である[48]。観客にはセミフォーマルでの来場が求められ、小学生以下は入場不可となっている[48]

歴代授賞式司会者編集

男性司会者は関口宏1998年(平成10年)から2009年(平成21年)まで長く務めていた。女性司会者は1999年(平成11年)以降、前年の最優秀主演女優賞受賞者が務めている。

回数 授賞式開催日 会場 司会者
男性 女性
1 1978年(昭和53年)4月6日 帝国劇場帝国ホテル 岡田真澄
土居まさる
2 1979年(昭和54年)4月7日 京王プラザホテル 宝田明
平田昭彦
3 1980年(昭和55年)3月29日 山城新伍
4 1981年(昭和56年)2月12日 東京プリンスホテル
5 1982年(昭和57年)2月18日
6 1983年(昭和58年)2月17日 石田えり
7 1984年(昭和59年)2月16日 フランキー堺 沢田亜矢子
8 1985年(昭和60年)2月21日 武田鉄矢 高倉美貴
9 1986年(昭和61年)2月20日 檀ふみ
10 1987年(昭和62年)2月19日 名取裕子
11 1988年(昭和63年)2月18日 斉藤由貴
12 1989年(平成元年)3月17日 かたせ梨乃
13 1990年(平成2年)2月23日 西田敏行 島田陽子
14 1991年(平成3年)3月22日 高島忠夫 古手川祐子
15 1992年(平成4年)3月20日 国立京都国際会館 田中好子
16 1993年(平成5年)3月19日 新高輪プリンスホテル 松坂慶子
17 1994年(平成6年)3月17日 南野陽子
18 1995年(平成7年)3月18日 国立京都国際会館 三田佳子
19 1996年(平成8年)3月23日 国立横浜国際会議場 西田敏行 かたせ梨乃
20 1997年(平成9年)3月29日 東京国際フォーラム いしだあゆみ
21 1998年(平成10年)3月6日 新高輪プリンスホテル
グランドプリンスホテル新高輪[49]
関口宏 浅野ゆう子
22 1999年(平成11年)3月12日 黒木瞳
23 2000年(平成12年)3月10日 原田美枝子
24 2001年(平成13年)3月9日 大竹しのぶ
25 2002年(平成14年)3月8日 吉永小百合
26 2003年(平成15年)3月7日 岸惠子
27 2004年(平成16年)2月20日 宮沢りえ
28 2005年(平成17年)2月18日 寺島しのぶ
29 2006年(平成18年)3月3日 鈴木京香
30 2007年(平成19年)2月16日 吉永小百合
31 2008年(平成20年)2月15日 中谷美紀
32 2009年(平成21年)2月20日 樹木希林
33 2010年(平成22年)3月5日 関根勤 木村多江
34 2011年(平成23年)2月18日 松たか子
35 2012年(平成24年)3月2日 深津絵里
36 2013年(平成25年)3月8日 井上真央
37 2014年(平成26年)3月7日 西田敏行 樹木希林
38 2015年(平成27年)2月27日 真木よう子
39 2016年(平成28年)3月4日 宮沢りえ
40 2017年(平成29年)3月3日 安藤サクラ
41 2018年(平成30年)3月2日 宮沢りえ
42 2019年(平成31年)3月1日 蒼井優

放送編集

日本アカデミー賞は、放映権を有する日本テレビが第1回(1978年(昭和53年))から一貫してその模様を中継している。当初は地上波で生中継していたが、その後、録画と生放送の組み合わせによる放送となっている。第3回(1980年(昭和55年))の「オールナイトニッポン話題賞」の設立後は、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)が特別番組を組んで授賞式の模様を深夜に録音で中継している(第34回以降は『オールナイトニッポンGOLD』枠で放送)。

番組スタッフ編集

第42回
  • 主催:日本アカデミー賞協会
  • 舞台演出:後藤範之
  • イベントプロデューサー:雨宮有三郎、前田章利、竹田文子、鈴木聡、内藤智子、光岡裕子、根本浩史
  • 協力:電通
  • 番組構成:町山広美、安部裕之
  • 技術統括:村上正

<会場中継>

  • 演出:渡辺春佳、渡邉友一郎
  • 技術協力:NiTRo、東京音研、SIS、ジャパンテレビ
  • FM:貝瀬芳和
  • FD:元木秀和、海老澤友美子

<汐留リモートサブ・SVサブ>

  • ディレクター:三井利行、松尾郁弥、難波江祐平

<メディア変換>

  • ディレクター:藤戸星妃、満冨洋隆、寺山順二、後藤一輝、田中良和
  • 演出補:松本尚也、田村優典、柴田あかね、吉田大器、石原美咲、田部由梨子、勝見桃子、澤谷莉菜
  • 美術:大川明子
  • デザイン:波多野真理、本田恵子
  • 美術協力:日テレアート
  • 編集・MA:イカロス、NiTRO
  • 制作デスク:高桑繭子
  • 制作協力:日企えすとAXON
  • アシスタントプロデューサー:林貴恵、嶋嵜太郎、竹内美妃、田辺渉
  • 制作進行:小松正樹
  • ディレクター:蒲龍太郎、永井ひとみ、藤山志歩、東海林大介、齋藤郁恵、長沼秀幸、川岸昌嗣、松本匡貴
  • 演出:井上尚也/宮森宏樹、高木悟
  • プロデューサー:江成真二、廣瀬由紀子、佐藤友美、須藤大介、阿河朋子、日下潤、深谷圭二、伊藤実枝子
  • チーフプロデューサー:伊東修
  • 製作著作:日本テレビ

歴代受賞作品編集

部門 受賞作・受賞者 特記事項
1 1977年
(昭和52年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞

最優秀脚本賞

最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
幸福の黄色いハンカチ』(山田洋次
山田洋次 - 『幸福の黄色いハンカチ』、
男はつらいよ』シリーズ
山田洋次朝間義隆 - 『男はつらいよ』シリーズ、
『幸福の黄色いハンカチ』
高倉健 - 『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山
岩下志麻 - 『はなれ瞽女おりん
武田鉄矢 - 『幸福の黄色いハンカチ』
桃井かおり - 『幸福の黄色いハンカチ』
2 1978年
(昭和53年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
事件』(野村芳太郎
野村芳太郎 - 『事件』、『鬼畜
新藤兼人 - 『事件』
緒形拳 - 『鬼畜』
大竹しのぶ - 『事件』
渡瀬恒彦 - 『事件』
大竹しのぶ - 『事件』、『聖職の碑
第1回で高額だと一部で批判も出た4万円のパーティー入場券を8000円に大幅値下げした。しかし以降は再び4万円に戻した。
3 1979年
(昭和54年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞

最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞

復讐するは我にあり』(今村昌平
今村昌平 - 『復讐するは我にあり』
馬場当 - 『復讐するは我にあり』
若山富三郎 - 『衝動殺人 息子よ
桃井かおり - 『神様のくれた赤ん坊』、
もう頬づえはつかない
菅原文太 - 『太陽を盗んだ男
小川眞由美 - 『配達されない三通の手紙』、
『復讐するは我にあり』
4 1980年
(昭和55年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞

最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞

最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順
鈴木清順 - 『ツィゴイネルワイゼン』
朝間義隆山田洋次 - 『遙かなる山の呼び声』、
男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花
高倉健 - 『動乱』、『遙かなる山の呼び声』
倍賞千恵子 - 『遙かなる山の呼び声』、
『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』
丹波哲郎 - 『二百三高地
大楠道代 - 『ツィゴイネルワイゼン』
黒澤明が『影武者』での優秀賞受賞を辞退下記参照。最優秀作品賞は製作・配給が独立系の『ツィゴイネルワイゼン』が受賞した。
5 1981年
(昭和56年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞

最優秀助演男優賞

最優秀助演女優賞
駅 STATION』(降旗康男
小栗康平 - 『泥の河
倉本聰 - 『駅 STATION』
高倉健 - 『駅 STATION』
松坂慶子 - 『青春の門』、
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎
中村嘉葎雄 - 『陽炎座』、『ラブレター』、
仕掛人梅安』、『ブリキの勲章
田中裕子 - 『北斎漫画』、『ええじゃないか
6 1982年
(昭和57年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
蒲田行進曲』(深作欣二
深作欣二 - 『蒲田行進曲』、『道頓堀川
つかこうへい - 『蒲田行進曲』
平田満 - 『蒲田行進曲』
松坂慶子 - 『蒲田行進曲』、『道頓堀川』
風間杜夫 - 『蒲田行進曲』
小柳ルミ子 - 『誘拐報道
7 1983年
(昭和58年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
楢山節考』(今村昌平
五社英雄 - 『陽暉楼
高田宏治 - 『陽暉楼』
緒形拳 - 『楢山節考』、『陽暉楼』、『魚影の群れ
小柳ルミ子 - 『白蛇抄
風間杜夫 - 『陽暉楼』、『人生劇場
浅野温子 - 『陽暉楼』、『汚れた英雄
個人賞6部門のうち5部門(監督、脚本、主演男優、助演男優、助演女優)で最優秀賞を独占した『陽暉楼』が、なぜか作品部門では優秀賞にもノミネートされないという現象が発生。選考経過が公表されていないため、原因は不明である。
8 1984年
(昭和59年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
お葬式』(伊丹十三
伊丹十三 - 『お葬式』
伊丹十三 - 『お葬式』
山崎努 - 『お葬式』、『さらば箱舟
吉永小百合 - 『おはん』、『天国の駅
高品格 - 『麻雀放浪記
菅井きん - 『お葬式』、『必殺! THE HISSATSU
独立系製作の『お葬式』(配給:ATG 日本アート・シアター・ギルド)が最優秀作品賞受賞。
9 1985年
(昭和60年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞


最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
花いちもんめ』(伊藤俊也
澤井信一郎 - 『早春物語』、『Wの悲劇
松田寛夫 - 『花いちもんめ』
千秋実 - 『花いちもんめ』
倍賞美津子 - 『生きているうちが花なのよ
死んだらそれまでよ党宣言』、『恋文』、
友よ、静かに瞑れ
小林薫 - 『恋文』、『それから
三田佳子 - 『Wの悲劇』、『春の鐘
10 1986年
(昭和61年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞

火宅の人』(深作欣二
深作欣二 - 『火宅の人』
神波史男深作欣二 - 『火宅の人』
緒形拳 - 『火宅の人』
いしだあゆみ - 『火宅の人』、『時計 Adieu l'Hiver
植木等 - 『祝辞』、『新・喜びも悲しみも幾歳月』
原田美枝子 - 『火宅の人』、『国士無双』、
プルシアンブルーの肖像
国内外で数多くの賞を獲った『海と毒薬』が賞を独占するものと思われたが、一切ノミネートすらされず、「特別賞」という取って付けたような賞を“特別に”用意しお茶を濁した結果となり、この不透明な結果はマスコミでも多く取り上げられた。毒舌で知られる映画評論家大黒東洋士は特に激しく批判し、映画月刊誌『ロードショー』の連載『いじわる批評家エンマ帳』の丸々1ページを使って日本アカデミー賞の存在自体を激しく糾弾した。

また、壇上に立った植木等が、ステージ上部に飾られた看板に「10回目」を表す「10th」の文字を見て「てっきり、放送が10チャンネル(当時のテレビ朝日)に変わったのかと思いましたよ!」と言い放ち、場内では大笑いする者、苦笑いする者が入り混じり微妙な空気になった。

11 1987年
(昭和62年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
マルサの女』(伊丹十三
伊丹十三 - 『マルサの女』
伊丹十三 - 『マルサの女』
山崎努 - 『マルサの女』
宮本信子 - 『マルサの女』
津川雅彦 - 『マルサの女』、『夜汽車』
かたせ梨乃 - 『極道の妻たちII』、『吉原炎上
12 1988年
(昭和63年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞

敦煌』(佐藤純彌
佐藤純彌 - 『敦煌』
市川森一 - 『異人たちとの夏
西田敏行 - 『敦煌』
吉永小百合 - 『つる-鶴-』、『華の乱
片岡鶴太郎 - 『異人たちとの夏』、『妖女の時代』
石田えり - 『嵐が丘』、『ダウンタウン・ヒーローズ』、
『華の乱』
13 1989年
(昭和64年
/平成元年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
黒い雨』(今村昌平
今村昌平 - 『黒い雨』
石堂淑朗今村昌平 - 『黒い雨』
三國連太郎 - 『釣りバカ日誌』、『利休
田中好子 - 『黒い雨』
板東英二 - 『あ・うん
市原悦子 - 『黒い雨』
その男、凶暴につき』で優秀主演男優賞にノミネートされたビートたけし鞍馬天狗の出で立ちで登場し、話題となった。
14 1990年
(平成2年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞

最優秀助演女優賞

少年時代』(篠田正浩
篠田正浩 - 『少年時代』
山田太一 - 『少年時代』
岸部一徳 - 『死の棘
松坂慶子 - 『死の棘』
石橋蓮司 - 『公園通りの猫たち』、『浪人街』、
『われに撃つ用意あり』
石田えり - 『釣りバカ日誌2』、『釣りバカ日誌3』、
飛ぶ夢をしばらく見ない
第4回で『影武者』でのノミネートを辞退した黒澤明が、『』での作品賞・監督賞ノミネートを受諾したものの無冠に終わる。
15 1991年
(平成3年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
息子』(山田洋次
岡本喜八 - 『大誘拐
岡本喜八 - 『大誘拐』
三國連太郎 - 『釣りバカ日誌4』、『息子』
北林谷栄 - 『大誘拐』
永瀬正敏 - 『息子』、『喪の仕事
和久井映見 - 『就職戦線異状なし』、『息子』
小津安二郎監督や黒澤明監督作品で女優のヘアメークを数多く手がけた中尾さかいが協会特別賞を受賞[50]
16 1992年
(平成4年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
シコふんじゃった。』(周防正行
周防正行 - 『シコふんじゃった。』
周防正行 - 『シコふんじゃった。』
本木雅弘 - 『シコふんじゃった。』
三田佳子 - 『遠き落日
竹中直人 - 『シコふんじゃった。』、『死んでもいい
藤谷美和子 - 『女殺油地獄』、『寝盗られ宗介
17 1993年
(平成5年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞

最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞

最優秀助演女優賞
学校』(山田洋次
山田洋次 - 『男はつらいよ 寅次郎の縁談』、『学校』
山田洋次朝間義隆 -
『男はつらいよ 寅次郎の縁談』、『学校』
西田敏行 - 『学校』、『釣りバカ日誌6
和久井映見 - 『虹の橋
田中邦衛 - 『学校』、『子連れ狼 その小さき手に』、
『虹の橋』
香川京子 - 『まあだだよ
18 1994年
(平成6年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
忠臣蔵外伝 四谷怪談』(深作欣二
深作欣二 - 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』
古田求深作欣二 - 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』
佐藤浩市 - 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』
高岡早紀 - 『忠臣蔵外伝 四谷怪談』
中井貴一 - 『四十七人の刺客
室井滋 - 『居酒屋ゆうれい
19 1995年
(平成7年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
午後の遺言状』(新藤兼人
新藤兼人 - 『午後の遺言状』
新藤兼人 - 『午後の遺言状』
三國連太郎 - 『三たびの海峡
浅野ゆう子 - 『
竹中直人 - 『EAST MEETS WEST
乙羽信子 - 『午後の遺言状』
独立系製作の『午後の遺言状』(配給:日本ヘラルド映画)が最優秀作品賞受賞。
20 1996年
(平成8年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
Shall we ダンス?』(周防正行
周防正行 - 『Shall we ダンス?』
周防正行 - 『Shall we ダンス?』
役所広司 - 『Shall we ダンス?』
草刈民代 - 『Shall we ダンス?』
竹中直人 - 『Shall we ダンス?』
渡辺えり子 - 『Shall we ダンス?』
Shall we ダンス?』が史上最多の13冠を獲得。
21 1997年
(平成9年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
もののけ姫』(宮崎駿
今村昌平 - 『うなぎ
三谷幸喜 - 『ラヂオの時間
役所広司 - 『うなぎ』
黒木瞳 - 『失楽園
西村雅彦 - 『ラヂオの時間』
倍賞美津子 - 『うなぎ』
もののけ姫』がアニメとして初めて作品賞にノミネートされ、最優秀作品賞に。
22 1998年
(平成10年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
愛を乞うひと』(平山秀幸
平山秀幸 - 『愛を乞うひと』
鄭義信 - 『愛を乞うひと』
柄本明 - 『カンゾー先生
原田美枝子 - 『愛を乞うひと』
いかりや長介 - 『踊る大捜査線 THE MOVIE
麻生久美子 - 『カンゾー先生』
23 1999年
(平成11年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
鉄道員(ぽっぽや)』(降旗康男
降旗康男 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
岩間芳樹降旗康男 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
高倉健 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
大竹しのぶ - 『鉄道員(ぽっぽや)』
小林稔侍 - 『鉄道員(ぽっぽや)』
岸本加世子 - 『菊次郎の夏
24 2000年
(平成12年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
雨あがる』(小泉堯史
阪本順治 - 『
黒澤明 - 『雨あがる』
寺尾聰 - 『雨あがる』
吉永小百合 - 『長崎ぶらぶら節
佐藤浩市 - 『ホワイトアウト
原田美枝子 - 『雨あがる』
25 2001年
(平成13年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
千と千尋の神隠し』(宮崎駿
行定勲 - 『GO
宮藤官九郎 - 『GO』
窪塚洋介 - 『GO』
岸惠子 - 『かあちゃん
山崎努 - 『GO』
柴咲コウ - 『GO』
高倉健が『ホタル』での優秀主演男優賞を辞退下記参照。また、25回目を記念して特別ゲストとしてアーノルド・シュワルツェネッガーが登場した。
26 2002年
(平成14年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
たそがれ清兵衛』(山田洋次
山田洋次 - 『たそがれ清兵衛』
山田洋次朝間義隆 - 『たそがれ清兵衛』
真田広之 - 『たそがれ清兵衛』
宮沢りえ - 『たそがれ清兵衛』
田中泯 - 『たそがれ清兵衛』
北林谷栄 - 『阿弥陀堂だより
たそがれ清兵衛』が第20回での『Shall we ダンス?』に次ぐ12冠を達成[51]
27 2003年
(平成15年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
壬生義士伝』(滝田洋二郎
森田芳光 - 『阿修羅のごとく
筒井ともみ - 『阿修羅のごとく』
中井貴一 - 『壬生義士伝』
寺島しのぶ - 『赤目四十八瀧心中未遂
佐藤浩市 - 『壬生義士伝』
深津絵里 - 『阿修羅のごとく』
28 2004年
(平成16年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
半落ち』(佐々部清
崔洋一 - 『血と骨
矢口史靖 - 『スウィングガールズ
寺尾聰 - 『半落ち』
鈴木京香 - 『血と骨』
オダギリジョー - 『血と骨』
長澤まさみ - 『世界の中心で、愛をさけぶ
世界の中心で、愛をさけぶ』出演の長澤まさみが、すべての部門中で史上最年少となる17歳での最優秀助演女優賞受賞。
29 2005年
(平成17年)
最優秀作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
ALWAYS 三丁目の夕日』(山崎貴
山崎貴 - 『ALWAYS 三丁目の夕日』
山崎貴古沢良太 - 『ALWAYS 三丁目の夕日』
吉岡秀隆 - 『ALWAYS 三丁目の夕日』
吉永小百合 - 『北の零年
堤真一 - 『ALWAYS 三丁目の夕日』
薬師丸ひろ子 - 『ALWAYS 三丁目の夕日』
ALWAYS 三丁目の夕日』が第26回での『たそがれ清兵衛』に並ぶ12冠を達成[51]
30 2006年
(平成18年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
フラガール』(李相日
時をかける少女』(細田守
李相日 - 『フラガール』
李相日羽原大介 - 『フラガール』
渡辺謙 - 『明日の記憶
中谷美紀 - 『嫌われ松子の一生
笹野高史 - 『武士の一分
蒼井優 - 『フラガール』
この回からアニメーション部門が新設され、『時をかける少女』がアニメーション部門新設後としては初の受賞作となった。
武士の一分』の木村拓哉が優秀主演男優賞を辞退下記参照。また『フラガール』(製作・配給:シネカノン)が製作・配給とも独立系としては『ツィゴイネルワイゼン』(第4回)以来の最優秀作品賞を受賞した。
31 2007年
(平成19年)
最優秀作品賞

最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞

最優秀脚本賞

最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞

最優秀助演男優賞

最優秀助演女優賞
東京タワー オカンとボクと、時々、オトン
松岡錠司
鉄コン筋クリート』(マイケル・アリアス
松岡錠司 - 『東京タワー オカンとボクと、
時々、オトン』
松尾スズキ - 『東京タワー オカンとボクと、
時々、オトン』
吉岡秀隆 - 『ALWAYS 続・三丁目の夕日
樹木希林 - 『東京タワー オカンとボクと、
時々、オトン』
小林薫 - 『東京タワー オカンとボクと、
時々、オトン』
もたいまさこ - 『それでもボクはやってない
東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』が作品賞を始め、数々の賞を受賞したが、この作品で最優秀主演女優賞を受賞した樹木希林は、文芸誌「en-taxi」のインタビューで「賞を取るほどの作品ではない」、「監督とは撮影の時から合わなかったし、良い作品が出来上がる気もしなかった」と本作の好評価および各賞受賞への異議を唱えた。
32 2008年
(平成20年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
おくりびと』(滝田洋二郎
崖の上のポニョ』(宮崎駿
滝田洋二郎 - 『おくりびと』
小山薫堂 - 『おくりびと』
本木雅弘 - 『おくりびと』
木村多江 - 『ぐるりのこと。
山崎努 - 『おくりびと』
余貴美子 - 『おくりびと』
33 2009年
(平成21年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
沈まぬ太陽』(若松節朗
サマーウォーズ』(細田守
木村大作 - 『劔岳 点の記
西川美和 - 『ディア・ドクター
渡辺謙 - 『沈まぬ太陽』
松たか子 - 『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜
香川照之 - 『劒岳 点の記』
余貴美子 - 『ディア・ドクター』
鳩山由紀夫内閣総理大臣が現役総理として初めて授賞式に出席。最優秀作品賞を受賞した『沈まぬ太陽』と同作品のモデルとなった日本航空の経営再建問題を絡めたスピーチを行った[52][53][54]
34 2010年
(平成22年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
告白』(中島哲也
借りぐらしのアリエッティ』(米林宏昌
中島哲也 - 『告白』
中島哲也 - 『告白』
妻夫木聡 - 『悪人
深津絵里 - 『悪人』
柄本明 - 『悪人』
樹木希林 - 『悪人』
35 2011年
(平成23年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
八日目の蝉』(成島出
コクリコ坂から』(宮崎吾朗
成島出 - 『八日目の蝉』
奥寺佐渡子 - 『八日目の蝉』
原田芳雄 - 『大鹿村騒動記
井上真央 - 『八日目の蝉』
でんでん - 『冷たい熱帯魚
永作博美 - 『八日目の蝉』
この回より日本テレビ系列の地上デジタル放送でステレオ放送を開始した。また、『八日目の蝉』が10冠を達成したほか、授賞式時点で故人の原田芳雄が最優秀主演男優賞を受賞[55]
36 2012年
(平成24年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
桐島、部活やめるってよ』(吉田大八
おおかみこどもの雨と雪』(細田守
吉田大八 - 『桐島、部活やめるってよ』
内田けんじ - 『鍵泥棒のメソッド
阿部寛 - 『テルマエ・ロマエ
樹木希林 - 『わが母の記
大滝秀治 - 『あなたへ
余貴美子 - 『あなたへ』
37 2013年
(平成25年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
舟を編む』(石井裕也
風立ちぬ』(宮崎駿
石井裕也 - 『舟を編む』
渡辺謙作 - 『舟を編む』
松田龍平 - 『舟を編む』
真木よう子 - 『さよなら渓谷
リリー・フランキー - 『そして父になる
真木よう子 - 『そして父になる』
舟を編む』が6冠を達成[56]。また、真木よう子が『さよなら渓谷』で最優秀主演女優賞、『そして父になる』で助演女優賞を同時受賞[56]
38 2014年
(平成26年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
永遠の0』(山崎貴
STAND BY ME ドラえもん』(山崎貴)
山崎貴 - 『永遠の0』
土橋章宏 - 『超高速!参勤交代
岡田准一 - 『永遠の0』
宮沢りえ - 『紙の月
岡田准一 - 『蜩ノ記
黒木華 - 『小さいおうち
永遠の0』が8冠達成[57]

また、岡田准一は『永遠の0』での最優秀主演男優賞[57]と『蜩ノ記』で最優秀助演男優賞を同時受賞[58]

39 2015年
(平成27年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
海街diary』(是枝裕和
バケモノの子』(細田守
是枝裕和 - 『海街diary』
足立紳 - 『百円の恋
二宮和也 - 『母と暮せば
安藤サクラ - 『百円の恋』
本木雅弘 - 『日本のいちばん長い日
黒木華 - 『母と暮せば』
40 2016年
(平成28年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
シン・ゴジラ』(庵野秀明樋口真嗣
この世界の片隅に』(片渕須直
庵野秀明樋口真嗣 - 『シン・ゴジラ』
新海誠 - 『君の名は。
佐藤浩市 - 『64-ロクヨン-前編
宮沢りえ - 『湯を沸かすほどの熱い愛
妻夫木聡 - 『怒り
杉咲花 - 『湯を沸かすほどの熱い愛』
『シン・ゴジラ』が7冠を達成。
40回目にして初めてアニメーション作品が最優秀脚本賞を受賞した。
41 2017年
(平成29年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
三度目の殺人』(是枝裕和
夜は短し歩けよ乙女』(湯浅政明
是枝裕和 - 『三度目の殺人』
是枝裕和 - 『三度目の殺人』
菅田将暉 - 『あゝ、荒野前編』
蒼井優 - 『彼女がその名を知らない鳥たち
役所広司 - 『三度目の殺人』
広瀬すず - 『三度目の殺人』
三度目の殺人』が6冠を達成。[59]

『三度目の殺人』の是枝裕和監督が最優秀監督賞の他に最優秀編集賞、最優秀脚本賞を同時受賞。

42 2018年
(平成30年)
最優秀作品賞
最優秀アニメーション作品賞
最優秀監督賞
最優秀脚本賞
最優秀主演男優賞
最優秀主演女優賞
最優秀助演男優賞
最優秀助演女優賞
万引き家族』(是枝裕和
未来のミライ』(細田守
是枝裕和 -『万引き家族』
是枝裕和 -『万引き家族』
役所広司 - 『孤狼の血
安藤サクラ -『万引き家族』
松坂桃李 - 『孤狼の血』
樹木希林 - 『万引き家族』

受賞辞退者編集

黒澤明
第4回(1980年(昭和55年))の『影武者』(1980年(昭和55年))での優秀賞受賞を「権威のない賞は認められない」(表向きの理由は「スケジュールの都合」)として辞退、同作品の出演俳優、スタッフもその意向を尊重して全員ノミネート辞退。授賞式司会の山城新伍がその対応を「すでに権威がある賞は受け取るくせに、これから映画人が育てていこうとしている賞は『権威が無いからいらない』なんて言う人物が受賞しなくてよかった」と批判。
高倉健
第25回(2002年(平成14年))、『ホタル』での優秀主演男優賞を、「後輩の俳優に道を譲りたい」として辞退。
木村拓哉
第30回(2006年(平成18年))、『武士の一分』にて「優秀賞のほかの皆さんと最優秀賞を競わせたくない」とのジャニーズ事務所の意向により優秀主演男優賞を辞退(明白な理由によるノミネート辞退は史上初)。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ このため、京都市民映画祭は日本アカデミー賞が発足された同年から催されていない。
  2. ^ 発案した水野は会員として投票するだけの立場となっていた[3]
  3. ^ 1993年、第38回「映画の日」で岡田茂映画産業団体連合会から特別功労大章を受賞した際、受賞の功労理由として「日本アカデミー賞や東京国際映画祭の創設」が明記された[10][11]
  4. ^ 2007年新設。
  5. ^ オールナイトニッポン話題賞」(『オールナイトニッポン』のリスナーによる投票にて決まる)。
  6. ^ 製作現場の種々の職能に従事する者に対する賞。
  7. ^ 国民的栄誉に該当する表彰を受けたものへの賞。
  8. ^ 物故者に対する賞。
  9. ^ 永年にわたり活躍する者、あるいはその年顕著な興行成績を挙げ、企画性が優れた作品のチームに対する賞。
  10. ^ その年、独自の創造性と高い技術力により娯楽性と芸術性とを併せ持つ高品質の映画を製作した「製作プロダクション」を顕彰する賞。

出典編集

  1. ^ Reiko Uehara (2019年2月26日). “日本アカデミー賞は“本家”と何が違う!? 気になるトリビアをチェック…米国アカデミーから正式許諾を得ているのは、世界で日本と英国のみ”. シネマカフェ. 株式会社イード. 2019年2月28日閲覧。
  2. ^ 「久々の映画」中村玉緒さん 「戻ろ」主人と話も”. 京の人 07年を駆けたスターたち ☆4☆ - マイタウン京都. asahi.com (2007年12月26日). 2012年7月11日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年11月17日閲覧。
  3. ^ a b c d 長野辰次 (2009年2月24日). “水野晴郎の遺作『ギララの逆襲』岡山弁で語った最後の台詞は......”. 深読みCINEMA コラム【パンドラ映画館】Vol.03. 日刊サイゾー. 2017年9月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e 「映画界東西南北談議 明るい話題の続く今年の映画界」『映画時報』1978年2月号、映画時報社、 35-36頁。
  5. ^ a b c d e f 脇田巧彦・川端晴男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル〔ワイド版〕 特別ゲスト岡田茂 映連会長、東映社長、そしてプロデューサーとして」『キネマ旬報』1987年3月上旬号、キネマ旬報社、 93-94頁。
  6. ^ a b c d e f g h i j 「This Week サル真似と嗤われながらも『日本アカデミー賞』の発足」『週刊文春』1978年2月23号、文藝春秋、 24頁。
  7. ^ “入江雄三氏が死去 元電通専務”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2015年2月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG04H9S_U5A200C1CZ8000/ 2017年9月20日閲覧。 
  8. ^ 1978年4月6日「日本アカデミー賞授賞式が挙行された日」”. きょうは何の日. DON! (2010年4月6日). 2011年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月20日閲覧。
  9. ^ “「日本映画界のドン」岡田茂氏逝く”. スポーツニッポン (毎日新聞グループホールディングス). (2011年5月10日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/10/kiji/K20110510000789400.html 2017年9月20日閲覧。 
  10. ^ “ことば抄”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 2. (1993年12月9日) 
  11. ^ 脇田巧彦・川端晴男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル」『キネマ旬報』1994年1月上旬号、キネマ旬報社、 169頁。
  12. ^ 日本アカデミー賞の誕生 1978年”. 日本アカデミー賞の歴史. 日本アカデミー賞. 2017年9月20日閲覧。
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 美浜勝久 (1981年1月14日). “日本アカデミー賞不毛のケンカ騒ぎ 黒沢監督と対立そのまま”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 5 
  14. ^ a b c d “コンクール百花繚乱の中に日本アカデミー賞が新登場”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1978年2月18日) 
  15. ^ a b 「topics 第一回日本アカデミー賞盛大に開く」『映画時報』1978年4月号、映画時報社、 16頁。
  16. ^ 木崎徹郎「興行価値 日本アカデミー賞について」『キネマ旬報』1979年5月下旬号、キネマ旬報社、 168頁。
  17. ^ a b c d e f g h i j 脇田巧彦・川端晴男・斎藤明・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 黒澤監督日本アカデミー賞辞退」『キネマ旬報』1981年3月上旬号、キネマ旬報社、 174-175頁。
  18. ^ a b c d 「映画界東西南北談議 表面は静かだった映画界」『映画時報』1978年12月号、映画時報社、 36頁。
  19. ^ a b c d 高岩淡『銀幕おもいで話』双葉社、2013年、174-177頁。ISBN 4-5757-14-01-1
  20. ^ a b c d e f g h 古田求「映画『影武者』『乱』などの脚本家― 井出雅人の遺したノート ~映画とシナリオに関する未公開手記~」『シナリオ』2012年6月号、日本シナリオ作家協会、 100-101頁。
  21. ^ 「日本アカデミー賞、3月下旬に実施 作品賞など10部門、発表会場は帝劇有力」『映画時報』1977年12月号、映画時報社、 26頁。
  22. ^ a b 白井佳夫「〔エンタテインメント〕 『駅馬車 ジョン・フォードが僕のおやじならコッポラ、ルーカスは息子だよ』 黒沢明の語るアメリカ映画最新事情」『週刊朝日』1978年9月1日号、朝日新聞社、 42–43。
  23. ^ 日本アカデミー賞、歴代最優秀作品から5本選んで振り返ってみた
  24. ^ a b c d e f g h i j k 「情報バザール賛否両論あるが、どうにか三年もった日本アカデミー賞」『週刊読売』1980年4月6号、読売新聞社、 134頁。
  25. ^ 竹入栄二郎「やぶにらみ 今年もまた日本アカデミーはTV観戦」『キネマ旬報』1983年4月上旬号、キネマ旬報社、 177頁。
  26. ^ a b c d e f 「POST 内容乏しい第一回日本アカデミー賞 本場アカデミー賞のマネに精一杯」『週刊明星』1978年4月23号、集英社、 47頁。
  27. ^ a b c d e f “第二回日本アカデミー賞要項 組織委員一部改定して発足す”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1979年2月10日) 
  28. ^ 「第二回日本アカデミー賞、実施要項決る」『映画時報』1979年2月号、映画時報社、 30–31。
  29. ^ a b “昨年不評 日本アカデミー賞 組織を作り直して再出発”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 5. (1979年2月9日) 
  30. ^ a b 「This Week 受賞者でさえ批判した日本アカデミー賞のナンセンス」『週刊文春』1979年4月19号、文藝春秋、 21頁。
  31. ^ a b c d e f g h i j k 植草信和「1980(第3回)日本アカデミー賞授賞式レポート」『キネマ旬報』1980年5月下旬号、キネマ旬報社、 134-135頁。
  32. ^ a b c d “ヘンリー坊や会見熱気あり 日本アカデミ祭り笑い少し”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1980年4月5日) 
  33. ^ a b c 「〔ワイドコラム・ルック・るっく 人と事件〕 桃井かおり 『日本アカデミー賞』授賞式に流れた噂」『週刊現代』1980年4月17日号、講談社、 57頁。
  34. ^ a b 「〔ワイドコラム・ルック・るっく 芸能〕 『彼女の隣はイヤ』桃井かおりがライバルから総スカン」『週刊現代』1983年2月26日号、講談社、 49頁。
  35. ^ a b c “週間点描表彰と批判の両面採り方もさまざま”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1983年2月26日) 
  36. ^ a b c d e f g h i j “週間点描 映画選奨について一つの出来事惹起”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1981年1月17日) 
  37. ^ a b c “〈耳〉 5周年の日本アカデミー賞 今回から賞金も”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1982年1月27日) 
  38. ^ a b c d e f g h i “芸能事件史 1980年 黒澤明日本アカデミー賞を一喝 『はらわたが煮えくり返る思い』 "天皇"の批判で賞は形無しに”. 東京スポーツ新聞 (東京スポーツ新聞社): p. 23. (2010年8月17日) 
  39. ^ a b c 山城新伍『若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ』幻冬舎、1993年、181-185頁。ISBN 4877282424
  40. ^ a b 田山力哉『辛口シネマ批判 これだけは言う』講談社、1993年、98-99頁。ISBN 406206619X
  41. ^ 野村正昭「ざ・インタビュー(30) 山城新伍」『キネマ旬報』1983年12月下旬号、キネマ旬報社、 123頁。
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  43. ^ 「1991年(第14回)日本アカデミー・優秀賞及び新人俳優賞決る」『映画時報』1991年2月号、映画時報社、 20頁。
  44. ^ a b c d 日本アカデミー賞とは?”. 日本アカデミー賞. 2015年1月18日閲覧。
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  48. ^ a b 第38回 日本アカデミー賞授賞式チケットぴあ、2015年1月16日閲覧。
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  50. ^ 中尾さかいさん(元東宝ヘアデザイナー)死去 読売新聞 1997年9月2日 朝刊31ページ
  51. ^ a b “「ALWAYS 三丁目の夕日」が12冠”. 朝日新聞社. (2006年3月4日) 
  52. ^ 『アカデミー授賞式で首相、「JALは沈んじゃったが…」』 - 産経新聞 2010年3月5日
  53. ^ 『渡辺謙栄冠!鳩山首相が祝福「あなたこそ沈まぬ太陽」…日本アカデミー賞授賞式』 - スポーツ報知 2010年3月6日
  54. ^ 『渡辺謙、涙の戴冠「一番ほしかった」』 - デイリースポーツ 2010年3月6日
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  56. ^ a b 『舟を編む』に日本アカデミー賞! 松田龍平が主演男優賞、真木よう子は女優2冠の快挙”. シネマカフェ (2014年3月7日). 2015年11月10日閲覧。
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関連項目編集

外部リンク編集