花椿ショウ・光子の窓』(はなつばきショウ・みつこのまど) は、日本テレビほかで放送されていた音楽バラエティ番組草笛光子冠番組で、資生堂一社提供

花椿ショウ・光子の窓
ジャンル 音楽バラエティ番組
脚本 三木鮎郎
キノトール
永六輔
伊藤裕弘
演出 井原高忠
出演者 草笛光子
オープニング 「光子の窓、開始テーマ」
製作
プロデューサー 井原高忠
制作 日本テレビ
東宝テレビ部
放送
映像形式1960年10月30日[1]。及び同年12月25日[2]のみ、カラー放送。他は全てモノクロ放送。
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1958年5月11日 - 1960年12月25日
放送時間日曜 18:30 - 19:00
放送分30分
回数138
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日本テレビと東宝テレビ部の共同製作で、製作局の日本テレビでは1958年5月11日から1960年12月25日まで、毎週日曜18:30 - 19:00(日本標準時)に放送。

概要 編集

1958年当時24歳の草笛光子をメインに据えた、歌ありコントありの本格的バラエティショー[3][4]。全138回。タイトルにある「花椿」は、スポンサーである資生堂の社章を意味する。

番組が終了する1960年には、10月30日放送分と最終回の12月25日放送分が、カラーで放送された(カラーでの放送は、この2回のみである)。
先ず、10月30日は、昭和35年度(第15回)芸術祭参加の特別番組「イグアノドンの卵」(第130回)で、時間も通常よりも15分延長して、45分枠(18:15 - 19:00)で放送された。内容は、テレビは人々にとって恐ろしい存在にもなりうると警鐘を鳴らしたもの。カラーVTRを使用したこの回は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、昭和35年度(第15回)芸術祭奨励賞を受賞した[1]
そして最終回の12月25日は、「光子の大パーティー」という題で、特別にカラーで制作・放送された。[2]

当番組の保存状況 編集

1958年の番組開始当初は、日本テレビにはVTRも存在せず、生放送で行われていた。その後1958年12月には、日本テレビに初の放送用モノクロ2インチVTRが導入され[5]、翌年10月には、カラーVTRも導入され[6]、当番組も、これらのVTRを使って番組が収録される様になった。しかし、1970年代までのVTR録画番組は、この『光子の窓』に限らず、当時VTRが2インチで機器・テープともに高価で操作が煩雑なうえ、著作権法などで番組の保存が安易に行えなかったこともあり、収録があるたびに前回の映像は原則消去されていた。特に当番組が放送されていた時期は、ビデオテープ自体、米3M社製(Schotchブランド)の商品しかなく、それも当時の値段で60分で1本100万円もしたため、放送局も、余程のことがない限りビデオテープでの保存はしなかった。そのため、現存する映像は上記の「イグアノドンの卵」だけであり、その映像もキネコにてダビングされたモノクロフィルム版で保存されたものである。

主な出演者 編集

主なスタッフ 編集

テーマソング 編集

「光子の窓、オープニングテーマ」
作詞:岡田教和/作曲:広瀬健次郎/唄:草笛光子

テーマソングのタイトルおよび作詞・作曲者クレジットは、バップコンピレーションCD『日テレ開局50周年記念 TV GENERATION 日テレGOLDEN BEST』のブックレットに記載されている。

ネット局 編集

備考 編集

  • 唯一現存する「イグアノドンの卵」の回は、現在神奈川県横浜市にある放送ライブラリーで閲覧可能である。「イグアノドンの卵」とは原子力テレビの謂であり、番組では「卵だからといってほうっておいたら命取り。怖い“獣”になりかねない」と述べている[7]。なお、番組放送当時の日本テレビの社長は、日本に原子力発電を導入した正力松太郎である。
  • 小林信彦著『テレビの黄金時代』(文藝春秋、2002年10月)は、著者が目撃・体験したテレビ黄金期の光景を描いたノンフィクションであるが、「イグアノドンの卵」の試写を観た話から始めている。その序章の章題は「イグアノドンの卵」である。また、本文でこの『光子の窓』にも触れている。
  • 番組中、草笛が資生堂の女性社員に同社製品についてインタビューするインフォマーシャルが流れていたが、これは後に同じく日本テレビ製作・資生堂提供の『オシャレ30・30』(聞き手は阿川泰子)でリメイクされた。
  • 1983年8月28日に日本テレビで放送された開局30周年記念特番『テレビから生まれた歌・30年!』で、当時49歳の草笛によるオープニングの再現が行われた。窓を開けるシーンでは、かつてのオープニング(「イグアノドンの卵」の時のもの)が併用放送されていた。
  • その後も、1993年8月14日(8月13日深夜)に日本テレビで放送の『2×3が六輔』が、ホームドラマ「光子の窓」の最終回という設定で本番組の再現を行った。ただし、オープニングの「花椿ショウ」のタイトルは「六輔ショウ」に変えられていた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時は日本テレビ系列だった。

出典 編集

  1. ^ a b 昭和31年度(第11回)〜昭和40年度(第20回)” (PDF). 文化庁. p. 5. 2017年11月12日閲覧。
  2. ^ a b 読売新聞 1960年11月15日朝刊及び同年12月25日朝刊 共にテレビ欄
  3. ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 写真集』日本テレビ放送網、1978年8月28日、68 - 69頁。NDLJP:11953800/44 
  4. ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、53 - 55頁。NDLJP:12275392/30 
  5. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 24ページ (渋沢社史データベース)(2024年1月29日閲覧)
  6. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 28ページ (渋沢社史データベース)(2024年1月29日閲覧)
  7. ^ きょうの潮流 2012年12月26日(水)”. しんぶん赤旗. 2013年4月28日閲覧。
日本テレビ 日曜18:30枠
【本番組から資生堂一社提供】
前番組 番組名 次番組
花椿ショウ・光子の窓
(1958年5月11日 - 1960年12月25日)
スタジオNo.1
(1961年1月1日 - 4月30日)