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雲鷹(うんよう)は、日本海軍航空母艦[5][22]

八幡丸 / 雲鷹
トラックから横須賀へ向かう雲鷹。 (1943年5月)
トラックから横須賀へ向かう雲鷹。
(1943年5月)
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所(客船建造)[1]
呉海軍工廠(空母改造)[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 (貨客船 →)特設航空母艦[2]航空母艦[3]
級名 大鷹型
母港[2]
艦歴
起工 1938年12月14日[1]
進水 1939年10月31日[1]
竣工 1940年7月31日「八幡丸」として竣工[1]
1942年5月31日空母に改装完了
最期 1944年9月17日戦没
除籍 1944年11月10日[4]
改名 八幡丸 → 雲鷹[5]
要目(航空母艦時)
基準排水量 17,830英トン[6]
公試排水量 20,000トン[6]
満載排水量 21,262.80トン[7]
全長 180.24m[6]
水線長 約173.70m[6]
垂線間長 168.00m[6]
最大幅 23.70m[6]
水線幅 22.50m[6]
深さ 23.50m(飛行甲板まで)[6]
飛行甲板 長さ:162.0m x 幅:23.5m[8][注 1]
1944年長さ172.0mに延長[9][10][注 2]
エレベーター(13x12m)2基[11]
吃水 公試平均 8.00m[6]
満載平均 8.26m[6]
ボイラー 三菱式水管缶4基[12]
補助缶2基[12]
主機 三菱ツェリー式(高低圧[13])タービン2基[14]
推進 2軸 x 140rpm[12]、直径5.000m[15]
出力 25,200hp[6]
速力 計画 21.0ノット[6][注 3]
1944年5月調査 21.48ノット[16]
燃料 計画 2,250トン[6]
1944年5月調査 2,360トン[16]
航続距離 8,500カイリ / 18ノット[6][16][注 4]
乗員 計画乗員 747名[17]
搭載能力 九一式魚雷 36本[18]
爆弾 800kg72個、250kg72個、60kg240個、30kg演習用90個[19]
飛行機用軽質油 190トン[7]
兵装 改造完成時(八幡丸)[20]
12cm単装高角砲4基
25mm連装機銃4基
最終時[21]
12cm単装高角砲6基
25mm3連装機銃8基
25mm連装機銃2基
25mm単装機銃36挺
13mm単装機銃10挺
爆雷投下台または爆雷投射機
爆雷10個
搭載艇 計画 12m内火艇1隻、12m内火ランチ1隻、9mカッター2隻、13m特型運貨船1隻[11]
最終時 内火艇1隻、ランチ1隻、大発2隻[21]
搭載機 計画(常用+補用)[8]
零式艦上戦闘機 9+2機
九七式艦上攻撃機 14+2機
合計23+4機
レーダー 最終時[21]
21号電探1基
22号電探(推定1基)
13号電探2基
逆探
ソナー 最終時[21]零式水中聴音機1基
特記の無い場合は計画要目
客船時の要目は新田丸級貨客船を参照
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概要編集

軍艦雲鷹(うんよう)は日本海軍の航空母艦(空母)[23][24]1940年(昭和15年)7月末に竣工した日本郵船所有の新田丸級貨客船2番船八幡丸(やはたまる/やわたまる)を[25]太平洋戦争直前に日本海軍が徴用および買収、空母に改造した艦艇である[26]大鷹型航空母艦としても2番艦である[27]。八幡丸の建造費用は政府の優秀船舶建造助成施設の適用を受けており、有事には徴用・改装されることがあらかじめ決められていた[28][29]。なお大鷹型航空母艦は小型で速力も20-22ノット程しか発揮できず、機動部隊としての運用は不可能だったため、太平洋戦争中盤までは航空機輸送任務に従事した[30][31]

八幡丸は1940年(昭和15年)7月31日に貨客船として竣工後、約一年間、商船として運用された[32]1941年(昭和16年)11月25日附で特設航空母艦に類別[2]呉海軍工廠で空母改造に着手し[32]1942年(昭和17年)5月末に竣工[23][33]。八幡丸の最初の任務は、第二航空隊零式艦上戦闘機九九式艦上爆撃機ラバウル輸送であった[34]

八幡丸は8月31日附で軍艦籍に編入され[5][35]、特設空母八幡丸から軍艦(航空母艦)雲鷹となった[32][36]。大鷹型空母は航空機輸送艦として奔走、雲鷹はトラック島に17回、ラバウル方面2回、東南アジア方面2回の輸送を実施した[37]

1943年(昭和18年)11月15日に海上護衛総司令部が設立されると[38]、本艦以下大鷹型空母は同部隊に編入される[24][39]1944年(昭和19年)1月19日、雲鷹はアメリカ海軍潜水艦ハダックの魚雷攻撃を受けて大破[23][40]。辛うじて横須賀へ帰投後、8月まで修理を実施した[41]。同年8月24日のヒ73船団護衛が、護衛空母としての初任務になった[33][42]。日本からシンガポールへの往路は無事だったが、折り返して日本へ向かうヒ74船団を護衛中の9月17日[42]、南シナ海でアメリカの潜水艦バーブの雷撃で[32][33]沈没した[43][44]

歴史編集

建造前編集

雲鷹の前身である八幡丸(やはたまる)は[5]、昭和初期に好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で、またドイツの新型貨客船3隻(シャルンホルストグナイゼナウポツダム)に対抗しつつ1940年(昭和15年)開催予定の東京オリンピックを見込んで、日本郵船が建造した豪華客船新田丸級三姉妹船の第3船であった[45][46]。新田丸級三姉妹船(新田丸、八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャル“NYK”に因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている[46]。建造費用は優秀船舶建造助成施設による補助を受けていた[46]。また3隻とも三菱長崎造船所で建造され、新田丸、八幡丸、春日丸の順番で建造された[46]。新田丸と八幡丸は短期間ながら客船として活動した[46]。春日丸は客船として就役することなく最初から空母として竣工したため[46]、本型は最初に完成した春日丸をネームシップとして春日丸級特設航空母艦と呼称されている[47]

第二船の八幡丸は、三菱長崎造船所で1938年(昭和13年)12月14日に起工[48]1939年(昭和14年)10月31日、進水[48]。1940年(昭和15年)7月31日、竣工[48][49]。シアトル航路で一航海ののち、サンフランシスコ航路に就航した。予想される日米の艦隊決戦に際して、大鷹型航空母艦(春日丸級航空母艦)は艦隊用補助空母としての役割を期待されていた[50][51]。しかし本型は小型で速度も遅く[52]、さらに日本海軍が終戦まで空母用カタパルトを実用化できなかった事は、運用に大きな制約をあたえた[53][51]。空母用カタパルトを装備した連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、本型の航空機運用能力は非常に見劣りするものとなり、本格的な海戦に投入される事は一度もなかった[53][51]

1941年(昭和16年)11月22日、海軍は八幡丸を徴用[54]。11月25日、特設航空母艦として呉鎮守府所管となった[2]。 同日附で、駒澤克己大佐(当時、水上機母艦〈甲標的母艦〉日進艤装員長)は、日進艤装員長と八幡丸艤装員長の兼務を命じられた[55]。12月10日、駒澤大佐(日進艤装員長、八幡丸艤装員長)は兼務を解かれる(日進艤装員長のみ)[56]。八幡丸艤装員長は湊慶譲大佐となった[56]。空母改造着手の時期について、1941年(昭和16年)11月下旬とする資料[46][57]、1942年(昭和17年)1月とする資料がある[52][58]

1942年編集

1942年(昭和17年)5月10日、井上良雄中佐(5月5日まで駆逐艦萩風艦長)[59]は、八幡丸副長に任命される[60]。5月31日、改造完成[49][61]。連合艦隊附属となる[57]

空母に改造され春日丸級特設航空母艦となった八幡丸の最初の任務は、1942年(昭和17年)7月末~8月上旬のラバウル向け第二航空隊の航空機輸送任務だった[62][注 5]。7月下旬、八幡丸と駆逐艦峯雲(第9駆逐隊)[注 6]は内海西部から横須賀へ移動する[65]。7月29日、八幡丸は零式艦上戦闘機 16機と九九式艦上爆撃機 16機を搭載、第7駆逐隊([66]に護衛されて横須賀を出発する[57]8月6日ニューブリテン島ラバウル近海で、八幡丸は敵双発爆撃機(機種不明)から攻撃される[注 7]。同日、二空の零戦15(二号零戦)と艦爆16機はラバウル進出を完了した[34]。ラバウルから来た駆逐艦秋風(第34駆逐隊)は、二空の整備員を収容した[67][68]。翌7日、連合軍はフロリダ諸島ガダルカナル島に来襲し、ガダルカナル島の戦いが始まった[69]。八幡丸が輸送した零戦と艦爆は、第五空襲部隊指揮官(第二十五航空戦隊司令官山田定義少将)の下令により、ただちにガ島戦に投入された[70][71]。ラバウルへの航空機輸送任務を終えた八幡丸は、8月9日ウルシー環礁へ到着、8月13日-14日、呉へ戻った[72][注 8]。水雷艇の協力を得て[75]、8月末まで九州佐伯沖合で八幡丸は着艦訓練をおこなう[76][77]

8月31日[54]、特設航空母艦八幡丸と春日丸は、それぞれ軍艦雲鷹(ウンヨウ)および大鷹(タイヨウ)と改名される[5][61]。2隻は同日附で正規の航空母艦となった[32][3]。雲鷹は呉鎮守府籍となる[35][78]。湊大佐の役職も、八幡丸艦長から雲鷹艦長になった[79]。ひきつづき連合艦隊附属[80]。艦容に変化はなく、内地と前線を往復して航空機輸送任務に従事した[33]

9月初旬[81]、雲鷹と駆逐艦磯波(第19駆逐隊)は呉から横須賀に移動する[82][83]。9月4日、雲鷹は物資輸送を兼ねて横須賀を出港する[84][注 9]。駆逐艦雪風(第16駆逐隊)に護衛され、トラック泊地へ向かった[61][86]。トラック泊地で、搭載中の陸軍兵や弾薬を第7駆逐隊に移載する予定であった[注 10]9月9日朝、駆逐艦秋風(第34駆逐隊)はトラック泊地北方に潜望鏡を発見し対潜警戒警報を発令、連合艦隊は戦艦大和陸奥、巡洋艦香取(第六艦隊旗艦)以下トラック在泊艦艇に転錨を命じた[注 11][89][90]。哨戒機と駆逐艦は爆雷を投下する[89]。戦艦・機動部隊・重巡部隊の各隊各艦はただちに停泊地を変更し、宇垣纏連合艦隊参謀長が『最も難物』と心配していた工作艦明石も横抱きした損傷艦3隻を自力航行させたのち移動した[89]。午後3時、トラック泊地に到着した雲鷹も警戒機を発進させたが敵潜を発見できず、結局秋風がトラック泊地へ接近中の雲鷹のマストを潜望鏡と誤認したものであったという[91]。9月18日[61]、雲鷹隊(雲鷹、)は呉に帰投した[92][93]

南東方面での戦闘が激しくなるにつれて航空機の消耗は甚大となり、大鷹型空母は航空機輸送任務に奔走する[94][95][96]。だが、航空機輸送任務中の航空母艦は、暗号解読により待ち伏せている米潜水艦に幾度も襲撃された。11月10日、ラバウルに派遣予定の一式戦闘機輸送任務[注 12]に従事していた雲鷹は、暗号解読により待ち伏せていたアメリカ潜水艦シーウルフ(USS Seawolf, SS-197)に狙われた[100]。雲鷹を翔鶴型航空母艦と誤認したシーウルフは追跡をおこなうが、同艦は12日に機関故障をおこして襲撃を断念、各方面に情報を発信して真珠湾へ帰投した[100]。同海域にはシーウルフの他に潜水艦シール (USS Seal, SS-183)も行動していたが、雲鷹を襲うことはなかった[100]

1943年編集

1943年(昭和18年)1月28日、雲鷹艦長は湊大佐から相徳一郎大佐に交代[101]。4月14日、相徳大佐は重巡洋艦最上艦長へ転任、後任の雲鷹艦長は関郁乎大佐となる[102]

5月8日、大和型戦艦大和、第五戦隊(妙高羽黒)、空母2隻(雲鷹、冲鷹)、駆逐艦複数隻[注 13]はトラックを出発する[106]。5月13日、横須賀着(大和は呉)[107][108]。5月下旬、大鷹型空母2隻(雲鷹、冲鷹)は横須賀~トラック間を往復する[109]

6月10日、横須賀を出港した空母飛鷹と駆逐艦2隻(有明夕暮)はアメリカ潜水艦トリガー (USS Trigger, SS-237) から襲撃され[110][111]、被雷して航行不能となった飛鷹は軽巡五十鈴[112](第十四戦隊)[113]に曳航されて横須賀へ帰投した[114][115]。6月16日、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下[116]、戦艦2隻(金剛榛名)、第七戦隊(熊野鈴谷[117]、軽巡五十鈴[112](第十四戦隊)[113]、空母3隻(龍鳳、雲鷹、冲鷹)、駆逐艦複数隻[注 14]は横須賀を出発する。6月20日、暗号解読により待ち伏せていたアメリカ潜水艦スピアーフィッシュ (USS Spearfish, SS-190)が日本軍空母(個艦不明)に対し魚雷4本を発射するが、速力を見誤っていたので命中しなかった[注 15]。6月21日、日本艦隊はトラックに到着した[120]。空母2隻(雲鷹、冲鷹)等は、一旦横須賀に戻った。

7月上旬、雲鷹はマーシャル諸島への航空機輸送任務に従事する[121]。第二〇一海軍航空隊の零式艦上戦闘機 45機と、第五五二海軍航空隊の九九式艦上爆撃機 27機、計82機を搭載する[121]。7月6日[57]、特設巡洋艦愛国丸と共に横須賀を出発した[121][122]。7月10日、アメリカ潜水艦ハリバット(USS Halibut, SS-232)が愛国丸に魚雷6本を発射する[123]。魚雷1本が命中し、愛国丸が小破した[124]。翌日、雲鷹隊はトラック泊地に到着した[123]。19日、雲鷹は龍鳳と共にトラック泊地を出発、24日横須賀に到着した[57][121]

7月31日、雲鷹は第二水雷戦隊司令官高間完少将(旗艦長良)の指揮下に入り、3隻(長良、雲鷹、)で横須賀を出発する[125][126]。8月1日、呉からトラックへむかう大和型戦艦武蔵(連合艦隊司令長官古賀峯一司令長官座乗)[127]と護衛部隊に合流する[注 16]。8月4日、暗号解読により待ち伏せていたアメリカ潜水艦スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280)に発見された[130]。翌日未明、スティールヘッドが雲鷹に対し魚雷6本、戦艦に対し魚雷4本を発射したものの早爆に終わった[130]。トラック泊地の九七式艦上攻撃機(対潜哨戒機、レーダー未搭載)は夜間のため基地で休息しており、敵潜の雷撃を防ぐことができなかった[130]。8月5日、艦隊はトラックに到着した[131][132]。雲鷹と曙は連合艦隊附属となる[131]。雲鷹は重巡鳥海および野分と白露と行動を共にし[133]、一旦内地へ戻った[57]。8月18日附で井上良雄大佐(雲鷹副長)は第9駆逐隊司令へ転任する[134][注 17]。後任の雲鷹副長は志柿謙吉中佐[134]。引き続き航空機輸送任務に従事する。

10月上旬、マーシャル諸島ギルバート諸島へ配備される日本陸軍の輸送作戦が実施されることになり[136]、雲鷹は輸送部隊指揮官木村進第十一水雷戦隊司令官の指揮下に入った[137]。同月13-14日[138]、空母2隻(隼鷹、雲鷹)と駆逐艦2隻(玉波)は内海西部を出発する[139]。19日[57]、隼鷹隊はトラック泊地に到着した[140][141]。雲鷹は帰路も第十一水雷戦隊に同行することになった。10月21日、志柿謙吉中佐(雲鷹副長)は、空母飛鷹副長を命じられる[142]

10月31日、第十一水雷戦隊司令官指揮下、戦艦山城、航空戦艦伊勢、空母2隻(隼鷹、雲鷹)[注 18]、重巡洋艦利根[注 19]、軽巡洋艦龍田、駆逐艦4隻(第24駆逐隊〈海風涼風〉、第17駆逐隊〈谷風〉、第7駆逐隊〈〉)はトラック泊地を出発した[145]11月5日午前5時、暗号解読により豊後水道近海で待ち伏せていたアメリカ潜水艦ハリバットは、日本輸送艦隊を襲撃した[137]。午前5時35分、ハリバットが発射した魚雷1本が隼鷹の艦尾に命中する[146]。隼鷹は利根に曳航されて日本本土に向かった[143][147]

1943年(昭和18年)11月上旬のろ号作戦ブーゲンビル島沖航空戦)で、第一航空戦隊の母艦航空隊は大幅に消耗した[148]。航空機補充のため、瑞鳳がトラック泊地より横須賀に帰投した[149]。11月16日、空母3隻(瑞鳳、冲鷹、雲鷹)は駆逐艦(秋雲、曙、潮、漣)に護衛されて横須賀を出発、21日にトラック泊地に到着した[注 20]。11月30日、瑞鳳艦長が指揮する内地回航部隊 空母3隻(瑞鳳、雲鷹、冲鷹)、重巡洋艦摩耶[注 21]、第7駆逐隊、浦風(第17駆逐隊)はトラック泊地を出発した[151]。暗号を解読したアメリカ軍は、複数の潜水艦(スケートガンネル、セイルフィッシュ)に輸送船団の襲撃を命じた[149]12月4日、冲鷹がアメリカ潜水艦セイルフィッシュ[152](USS Sailfish, SS-192)の雷撃で沈没した[153][154][注 22]等に護衛された空母2隻(瑞鳳、雲鷹)は、横須賀に帰投した[156]

12月15日海上護衛総司令部麾下に第九〇一海軍航空隊が編制された[157]。同日附で空母3隻(雲鷹、海鷹、大鷹)は海上護衛総司令部部隊に編入[158]、12月20日には空母神鷹(ドイツ客船シャルンホルスト改造空母)も編入された[159][160]。だが雲鷹は連合艦隊の麾下にあって輸送任務に従事しており、この時点で海上護衛部隊として行動する機会はなかった[161]

1944年編集

航空機輸送編集

1944年(昭和19年)1月4日、瑞鳳と雲鷹は第6駆逐隊()に護衛されて横須賀を出発、9日トラック泊地に到着した[注 23]。空母2隻は零式水上偵察機4機、零式観測機8機、二式水上戦闘機6機、天山艦上攻撃機7機、合計25機を輸送した[163]。この後、雲鷹は第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将の指揮下に入る[40]。軽巡洋艦(二水戦旗艦)能代、空母2隻(瑞鳳、雲鷹)、駆逐艦3隻(早波若葉初霜)という編成で1月18日にトラック泊地を出発、先行隊(五十鈴、初春)を追って横須賀へ向かう[164]。日本空母出撃の情報を得たアメリカ海軍は、サイパン島東方で行動中の潜水艦3隻(ハリバット、タリビー、ハダック)に迎撃を命じた[165]1月19日10時37分[166]、雲鷹は米潜ハダック(USS Haddock, SS-231)の魚雷攻撃を受けた。魚雷6本を発射し、ハダックの艦長は翔鶴型航空母艦を撃破したと報告した[165]。被雷位置北緯12度52分 東経146度26分 / 北緯12.867度 東経146.433度 / 12.867; 146.433[167]。雲鷹には魚雷3本が命中[41]、特に艦首・艦前部の損傷により速力は4ノットに低下(機関部には異常なし)[40]、瑞鳳隊(瑞鳳、若葉)は先行して横須賀へ帰投する[168]。本艦は3隻(能代、早波、初霜)に護衛されてサイパンへ避退する[41](1月20日到着)[169]。同地で、雲鷹は能代に繋留された[168][170]。同日、工作艦明石の工員と排水ポンプを乗せた駆逐艦海風(第24駆逐隊)がサイパンに到着する[171]。また損傷状況調査のため連合艦隊司令部附の塩山策一技術大佐もサイパンへ派遣され、対応を協議している[172]。1月21日、二水戦(能代、早波)は海風と哨戒護衛任務を交代し、横須賀へ向かった[173]。22日朝、駆逐艦皐月(第22駆逐隊)がサイパンに到着した[174]

1月24日、連合艦隊は、駆逐艦海風、皐月を雲鷹の警戒に任じ、駆逐艦初霜のトラック帰投を発令する[175]。だが24駆司令の要請により海風と初霜を入れ替えることになった[176]。25日、潜水艦ハリバットが泊地に侵入して雲鷹を雷撃しようとしたが、警戒が厳しく皐月にも攻撃されたため諦めて去った[177][163]。26日、第7駆逐隊(潮、曙)がサイパンに到着、雲鷹に合同した[178]。27日、雲鷹隊はサイパンを出発した[179]

一方、瑞鳳隊は横須賀へ帰投したのち、空母2隻(瑞鳳千代田)、重巡洋艦高雄、駆逐艦3隻(初春若葉玉波)という戦力で、1月29日に横須賀を出港した[180]。すると連合艦隊より重巡高雄に対し雲鷹救援命令が発せられ、高雄と玉波は瑞鳳隊から分離する[181]2月1日午前11時、高雄と玉波は、サイパンより内地へむかう雲鷹隊(雲鷹、潮、曙、初霜、皐月)と合同した[182]。玉波は瑞鳳隊の護衛に戻った[183]。雲鷹隊はアメリカの潜水艦2隻(ガジョンソーリー)に狙われて幾度も雷撃された[41]。2月2日、初霜は雲鷹の警戒中、潜水艦と会敵し、爆雷攻撃を実施する[184]。これに悪天候も加わって、高雄による雲鷹曳航の試みは全て失敗した[185]。幾度も襲撃を行うアメリカ潜水艦に対し、高雄は戦闘詳報の中で「敵潜ハ盲目蛇ニ怖ジザル呆氣者カ或ハ人ヲ舐メテ懸ッタ勇敢ナル者カ」と前置きし、「おそらく後者であろう」と推測している[186]。雲鷹は前進することさえできず、ほとんど漂流状態であった[187]。このような状況下、敷設艇猿島や駆逐艦白雲等の支援艦艇が漸次雲鷹隊に合流するが[188]、当初の護衛部隊は燃料不足に陥り、また爆雷や食料品・燃料補給のため、次々に横須賀へ回航される[189][190]。5日、白雲は北方部隊(第五艦隊)の命令により大湊へ回航された[191]。6日、高雄も燃料不足になり、先行していた初霜と合流して横須賀へ戻った[192]夕雲型駆逐艦沖波岸波が雲鷹護衛を引き継ぎ[193]、横須賀からも第7駆逐隊(潮、曙)が再出撃する[194]。横須賀で補給を終えた高雄と初霜は、横須賀工廠の救難部隊をのせて7日早朝に雲鷹隊と合同する[195]。同日夜、雲鷹と高雄以下の護衛部隊は東京湾に到着した[196]。高雄は雲鷹護衛時の経験から、大型囮艦(損傷艦に偽装)・精鋭護衛艦・利根型重巡洋艦の連繋により「潜水艦狩り」を行ってはどうかと提言している[197][注 24]

船団護衛編集

1944年(昭和19年)2月1日、日本海軍は護衛空母の飛行機隊の訓練・整備を担当する部隊として、第九三一海軍航空隊(司令大塚秀治中佐)を編成する[200][201]。その後、雲鷹は横須賀で修理を受けるが、その際に新型機用に着艦装置が更新されている。3月1日、平塚四郎大佐は、雲鷹艦長に任命される[202]。7月1日、大鷹艦長は平塚大佐から木村行蔵大佐に交代した[203]

8月中旬、雲鷹は横須賀を出港し、呉に移動することになった[57][204]。横須賀方面海軍諸学校練習艦任務をとかれた扶桑型戦艦山城も雲鷹に同行し、第21駆逐隊(若葉初春[注 25]が護衛する[207]。8月12日、篠田勝清山城艦長指揮下の4隻(山城、雲鷹、若葉、初春)は横須賀を出発[206]、13日桂島泊地に到着した[208]。14日、第21駆逐隊と第18駆逐隊は呉に移動した[209]

8月15日、雲鷹は第一海上護衛部隊に編入される[210][211]。搭載機は第九三一海軍航空隊九七式艦上攻撃機10機を主力とする[212]。ほかに九三式中間練習機(通称赤トンボ)6機を搭載[213]。雲鷹搭載機のうち、一部は三式一号磁気探知機を装備していたとみられる[213]。同時期の8月18日ヒ71船団護衛任務に従事していた姉妹艦大鷹[214]、アメリカ潜水艦の雷撃で撃沈された[215][216]

8月24日-25日[217]、雲鷹は練習巡洋艦香椎(旗艦)[218]、海防艦千振など護衛艦艇5隻、補給艦伊良湖以下加入船舶14隻[注 26]ヒ73船団(指揮官吉富説三少将/第五護衛船団司令官)に同行し[219]船団護衛任務に従事する[220]。ヒ73船団護衛が、雲鷹の護衛空母としての初任務となった[221][222]。8月31日[223](もしくは9月1日)、雲鷹搭載機と海防艦がアメリカ潜水艦タニー(USS Tunny, SS/SSG/APSS/LPSS-282)を攻撃して損害を与えた可能性がある[213]。9月5日、ヒ73船団部隊はシンガポールに到着した[224]

9月11日、雲鷹はヒ74船団を護衛してシンガポールを出発し、台湾にむかった[225]。ヒ74船団部隊は、第一護衛隊(巡洋艦香椎、海防艦〈13号、19号、21号、27号〉)、第二護衛隊(雲鷹、千振)、船団部隊(播磨丸、御室山丸、八紘丸、吾羽山丸、あづさ丸)という編成である[226][213]。9月16日、ルソン島方面にはアメリカの潜水艦2隻(バーブクイーンフィッシュ)が行動しており[43]、アメリカ軍機動部隊艦載機の不時着救助任務に従事していた[227]。雲鷹側では台湾高雄市への入港を目前に控え、その準備に追われていたという[228]。夜、旗艦香椎より敵潜発見の信号があり警戒するが、その時点での襲撃はなかった[229]。ところが9月17日日付変更直後、ヒ74船団部隊をアメリカ潜水艦バーブ(USS Barb, SS-220)が襲撃した[230]。まず雲鷹の右舷やや後方を航行していた あづさ丸が被雷して炎上し沈没した[227][231]。雲鷹は あづさ丸の炎上を確認して取り舵をとった[232]。そこへバーブが艦尾発射管より発射した魚雷が右舷後方からせまり、魚雷2本(艦中央部、艦後部)が雲鷹に命中した[233]。機関科当直員の大部分は戦死、電源も断たれたが火災は起きなかった[234]。艦橋傍の作戦室にガソリン式発電機をもちこんで通信機能は一部回復したが、艦橋要員達は発電機の悪臭に苦労したという[235]。4時30分には防水作業が一段落し、艦長は警戒員を残し作業を中止させた[236]。だが被雷した艦後部や格納庫に打ち付ける波により浸水が増加、艦尾の沈下が止まらなくなる[237][238]。7時30分に沈没は確定的となり、7時45分御真影カッターボートへ移動し、7時52分軍艦旗降下[239]。3分後の7時55分、雲鷹は沈没した[240]。生存者は千振か[241]、第27号海防艦に救助された[242]。記録では、生存者約760名[240]。雲鷹の乗組員約750名、便乗者約1000名のうち、推定合計約900名が戦死した[213]。雲鷹艦長や副長は沈没時に脱出したが、雲鷹艦長は行方不明となった[243]。雲鷹戦闘詳報による沈没位置北緯19度8分 東経116度33分 / 北緯19.133度 東経116.550度 / 19.133; 116.550[242]。海上護衛隊による沈没地点記録北緯19度04分 東経116度36分 / 北緯19.067度 東経116.600度 / 19.067; 116.600[244][注 27]もしくは北緯19度15分 東経116度33分 / 北緯19.250度 東経116.550度 / 19.250; 116.550[245]。アメリカ軍記録北緯19度18分 東経116度26分 / 北緯19.300度 東経116.433度 / 19.300; 116.433[246]

戦闘詳報では、「海防艦を増備し敵潜水艦を制圧する『掃蕩隊』の新設」「航空機による前路哨戒は是非とも必要であるため、各航路の航空基地を増備強化して勢力の増大を計り、護衛空母は廃止するを認む」「護衛艦の増加が無理だとしても、空母が船団と同速力にて運動するのは最も不可である」「高速力を持って船団の後方をバリカン運動を行いながら続航する必要がある」といった提言を残している[注 28]

11月10日、軍艦雲鷹は大鷹型航空母艦[247]、帝国軍艦籍より除籍された[4]

年表編集

  • 1938年(昭和13年)12月14日 - 三菱重工業長崎造船所で起工される。
  • 1939年(昭和14年)10月31日 - 進水。
  • 1940年(昭和15年)7月31日 - 客船八幡丸として竣工。
  • 1941年(昭和16年)
    • 11月5日 - 徴用決定。
    • 11月25日 - 春日丸級特設航空母艦八幡丸として呉鎮守府所管[2]
  • 1942年(昭和17年)
    • 1月21日 - 呉海軍工廠にて改装工事開始。
    • 5月31日 - 特設航空母艦八幡丸として竣工[57]。7月下旬、呉から横須賀へ移動する[65]
    • 7月29日 - 第7駆逐隊と横須賀発[57]。8月6日、第二航空隊の零戦15と艦爆16をラバウルに輸送[34]。8月9日ウルシー環礁着[248]。8月13日、内地帰投[248]。8月下旬まで、九州佐伯沖合で訓練を実施[77]
    • 8月31日 -八幡丸を雲鷹に改名、帝国軍艦籍に加入[57]。呉鎮守府籍[78]。これ以降、南方方面への航空機輸送任務に就く。
    • 9月4日 - 横須賀発[57]。7日サイパン着、9日トラック泊地経由、ビスマルク諸島へ飛行機輸送任務[57]。18日、呉到着[57]
    • 9月25日 - 呉発[249][250]。10月1日、旗風等と共にトラック着[251]。10月9日、横須賀着[57]
    • 10月11日 - 横須賀発[57]。16日トラック着[252]
    • 10月28日 - 横須賀発[57]。2日トラック着[253]
    • 11月3日 - トラック発[57]。8日パラオ着[254]。11日パラオ発、13日ダバオ着[254]
    • 11月13日 - ダバオ発、14日パラオ着[254]。15日パラオ発、21日トラック着[254]
    • 11月24日 - トラック発[57]。12月2日スラバヤ着[254]第十二飛行団隷下飛行第十一戦隊一式戦闘機輸送任務[99]
    • 12月5日 - スラバヤ発、6日バリクパパン着、7日バリクパパン発、13日トラック着[254]。一式戦 60機は、トラック泊地からラバウルまで自力で移動[255]
    • 12月17日 - トラック発、24日スラバヤ着[254]。第十二飛行団隷下の飛行第一戦隊輸送任務[255]
    • 12月26日 - スラバヤ発。28日バリクパパン着、29日バリクパパン発、翌年1月3日トラック着[254]。一式戦 33機は、1月9日ラバウル着[255]
  • 1943年(昭和18年)
    • 1月5日 -トラック発。1月10日横須賀着[254]
    • 2月1日 -大鷹と横須賀発。2月7日トラック着[254]
    • 2月11日 -大鷹とトラックを発、2月17日横須賀着[254][95]
    • 2月24日 -大鷹と横須賀発、3月2日トラック着[109]
    • 3月6日 -大鷹とトラックを発、3月12日横須賀着[109]
    • 3月20日 - 横須賀発。3月25日トラック着[109]
    • 4月5日 - トラック発。4月10日横須賀着[109]
    • 4月25日 -冲鷹・軽巡那珂・駆逐艦(時雨、有明長波)と横須賀発[256]、4月30日トラック着[114]
    • 5月8日 -雲鷹と冲鷹は戦艦大和や他部隊と共にトラック発、5月13日横須賀着[257]。大和は呉へ帰投した[257]
    • 5月24日 -冲鷹、筑紫鹿島海風と横須賀発[258]。5月29日トラック着[109][259]
    • 6月5日 -冲鷹とトラック発、6月9日横須賀着[109]
    • 6月16日 - 戦艦2隻(金剛榛名[116]、重巡2隻(熊野鈴谷[117]、空母3隻(龍鳳、冲鷹、雲鷹)、軽巡五十鈴[113]、駆逐艦複数隻という戦力で横須賀発[260]。21日トラック着[115]
    • 6月28日 - トラック発、7月2日横須賀着[109]
    • 7月6日 - 横須賀発、7月11日トラック着[109]
    • 7月19日 -トラック発、7月24日横須賀着[109]
    • 7月31日 -雲鷹・第7駆逐隊・漣は主隊に編入される[261]
    • 8月1日 - 軽巡長良・駆逐艦曙と横須賀発後、呉発の戦艦武蔵(連合艦隊旗艦、古賀峯一司令長官座乗)・第五戦隊(妙高、羽黒)、駆逐艦(野分[129]、白露、初風)等と合流[131]。8月5日トラック着[109]。同日附で雲鷹、曙は連合艦隊附属[131]
    • 8月12日 - 重巡2隻(熊野、鳥海)[注 29]、雲鷹、駆逐艦(野分、白露)はトラック発[133][265]。8月16日、横須賀着[266]
    • 8月27日 - 補給艦伊良湖、駆逐艦野分、白露と横須賀発[267]。9月2日トラック着[133][268]。(以後も輸送任務に従事)
    • 10月14日 - 丁三号輸送部隊として内地出港。
    • 10月31日 - 戦艦伊勢、山城、空母隼鷹、雲鷹、重巡利根、軽巡龍田、駆逐艦4隻(海風、涼風、谷風、曙)トラック発。11月6日、米潜水艦ハリバットの雷撃で隼鷹が航行不能となる。
    • 11月16日 - 瑞鳳、冲鷹等と横須賀発、11月21日トラック着[269]
    • 11月30日 - 瑞鳳、冲鷹・重巡摩耶・駆逐艦(曙、漣、浦風)とトラック発[270]、12月4日、冲鷹が米潜水艦セイルフィッシュの雷撃で撃沈される[155]。12月4-5日横須賀着。
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月4日 - 瑞鳳と横須賀発、9日トラック着[270]
    • 1月18日 - 瑞鳳・第二水雷戦隊とトラック発[270]
    • 1月19日 - サイパン島近海で米潜水艦ハダックの雷撃により魚雷二本が命中する。雲鷹、能代、初霜、早波は20日サイパンに到着[271]。駆逐艦(初霜、皐月、潮、曙)に護衛されサイパン発。
    • 2月8日 - 高雄に曳航され横須賀に帰投後ドック入り[270]。船体の修理及び高角機銃の増備を行う。
    • 8月12日 - 修理完了。横須賀出港、戦艦山城と第21駆逐隊と共に呉へ回航[272]、13日桂島泊地着[207]
    • 8月24日 - ヒ73船団を護衛して六連泊地発。
    • 9月17日 - ヒ74船団の護衛任務中、米潜バーブの雷撃に遭う[215]。魚雷二本が命中、被雷から約7時間20分後に沈没した[240]
    • 11月10日 - 除籍。

艦長編集

艤装員長
  1. (兼)駒沢克己 大佐:1941年11月25日[55] - 1941年12月10日[56]
  2. 湊慶譲 大佐:1941年12月10日[56] - 1942年5月31日[273]
艦長
  1. 湊慶譲 大佐:1942年5月31日 – 1943年1月28日[101]
  2. 相徳一郎 大佐:1943年1月28日[101] - 1943年4月14日[102]
  3. 関郁乎 大佐:1943年4月14日[102] – 1944年3月1日[202]
  4. 平塚四郎 大佐:1944年3月1日[202] - 1944年7月1日[203]
  5. 木村行蔵 大佐:1944年7月1日[203] - 9月17日戦死(少将に進級)[274]

同型艦編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4によると計画では幅23.7m
  2. ^ これまでの通説では長さ180mに延長とされていた。
  3. ^ #海軍造船技術概要p.275では、速力22ノット、航続距離は18ノットで8,000カイリとしている。
  4. ^ #海軍造船技術概要p.275では、速力22ノット、航続距離は18ノットで8,000カイリとしている。
  5. ^ 木俣滋郎『撃沈戦記(2013)』16ページでは、八幡丸の最初の任務を第二航空戦隊航空隊や機材の輸送任務とする[52]
  6. ^ 第9駆逐隊所属3隻(朝雲、夏雲、峯雲)のうち、朝雲夏雲は重巡洋艦鳥海(第八艦隊旗艦)[63]を護衛し、トラック泊地経由でラバウルに向け航行中であった[64]
  7. ^ (昭和17年)八月六日(木)(略)○八幡丸(六-一二二八)敵双発爆撃機一来襲、我之ト交戦中。二空便乗者移乗終ラズ、本艦上空直衛出サレ度。《宛聯合艦隊長官モ変ダガ、「ラボール」ヘ二空飛行機ヲ移送シタモノ。「カビエン」カラ内ニ入ラヌ用「ラボール」ニ近ヨラズニ発艦セシメル様ニ申シワタシテアツタ筈》[62]
  8. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』346頁では、八幡丸は九七艦攻搭載とする。8月17日、姉妹艦春日丸は、戦艦大和(連合艦隊旗艦)[73]、第7駆逐隊(潮、漣、曙)、タンカー1隻と共に呉を出撃した[74]
  9. ^ (昭和17年)九月三日(木)(略)○聯合艦隊(二-一八一九)宛「雲鷹」大海機密〇二一四四五番電ニヨル兵器弾薬ヲ輸送スベシ《湊「雲鷹」艦長ハソンナ荷物ヲツンデソレヲ揚ゲテル間ニ爆撃ヲ受ケテハコマルトテ、軍令部ヨリノ電話デハ責任ガモテヌト云フ。「ソロモン」作戦デ苦戦シテルノニ、送ル陸軍ノ兵器デ至急ヲ要スルノダカラト云ツテモ、ソレニツイテユク陸軍ノ人ハヨイガ荷物ハ聯合艦隊ノ命令ナクテハコマルト、ワカラヌコトヲ云フノデ、ワザ〱聯合艦隊ニ電報シテ命令ヲ出サセタ》(以下略)[85]
  10. ^ (昭和17年)九月七日(月)(略)○聯合艦隊(六-一九一五)作二六八  一、「雲鷹」ハ往航ノ途次トラックニ寄港、搭載中ノ陸軍兵器弾薬ヲ第七駆逐隊(「曙」欠)ニ移載スベシ。第七駆逐隊ハ之ヲガダルカナルニ急速揚陸スベシ。/二、第七駆逐隊ヲ右任務間、外南部隊指揮下ニ入ル。(以下略)[87]
  11. ^ (昭和17年)九月十一日(金)(略)○聯合艦隊(一〇-〇九二八)当方面作戦ニ軽快艦艇用途多端。一、第一駆逐隊、「鴻」級ノ舟水〔艦載水雷艇〕及「栗」級ノ聯合艦隊編入《艦載水雷艇ノミ取計、「栗」ハ廃艦ヲ延期中ニテ回航不適》。/二、捕獲網艇数隻南洋部隊編入(九日トラック環礁内ニ敵潜水艦侵入ノ疑ノ為、総艦転錨セリ)。《聯合艦隊旗艦ノオル処必ズ潜水艦侵入スト疑フ、開戦直後桂島デ騒イダノト仝ジ、アノ時モ戦闘詳報トカデホントニシテシマツタ》(以下略)[88]
  12. ^ 雲鷹の搭載物件は、第六飛行師団(師団長板花義一陸軍中将)[97]第十二飛行団(飛行団長岡本修一陸軍中佐)に配備された一式戦闘機[98][99]
  13. ^ 第7駆逐隊([103]、第27駆逐隊(夕暮)、第31駆逐隊(長波[104]、第2駆逐隊(五月雨[105]
  14. ^ 第27駆逐隊(時雨、有明、夕暮)、第7駆逐隊(潮、漣、曙)[110]、陽炎型駆逐艦(雪風[118]浜風谷風)、第24駆逐隊(涼風)、秋月型新月)、夕雲型清波[119]
  15. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』496-497頁では「横須賀より駆逐艦江風が同行」と記述するが、同艦はスピアーフィッシュと交戦して損傷、トラック泊地で修理中。
  16. ^ 第五戦隊(妙高、羽黒)[128]、駆逐艦野分(第4駆逐隊)[129]白露(第27駆逐隊)、初風(第16駆逐隊)[130]
  17. ^ 井上大佐は第9駆逐隊の改編にともない第18駆逐隊司令となり[135]、司令駆逐艦不知火沈没時に戦死した[59]
  18. ^ 『戦史叢書62巻』429ページでは「伊勢、山城、隼鷹、利根、龍田」と記述する[143]
  19. ^ 第八戦隊所属の利根は機関故障により第八戦隊旗艦を姉妹艦筑摩に譲り、内地帰投のため十一水戦に同行した[144]
  20. ^ 『日本空母戦史』532頁では同行艦にと記述するが、朧は1942年10月17日に沈没している。
  21. ^ 摩耶は同月上旬のラバウル空襲で大破しており、内地で修理する予定である[150]
  22. ^ 駆逐艦浦風が冲鷹生存者救助にむかうも、冲鷹生存者は約160名にすぎず、約1250名が戦死した[155]。戦死者3000名に達するという資料もある[149]
  23. ^ 木俣滋郎『日本空母戦史』574ページでは同行艦に駆逐艦薄雲(第9駆逐隊)を加えているが、同艦は日本近海で行動中である[162]
  24. ^ 囮船による潜水艦誘引作戦は、同年1月中旬に横須賀鎮守府が輸送船でりい丸で実施していた[198]。だが初出撃後の1月16日、同船はアメリカ潜水艦ソードフィッシュに撃沈されている[199]
  25. ^ 第21駆逐隊所属の初霜は、既に内海西部所在のため同行せず[205][206]
  26. ^ マニラ向け貨物船(讃岐丸吉備津丸護国丸香久丸)、タンカー(御室山丸、音羽山丸、富士山丸〈2代〉、大邦丸、あまと丸、黒潮丸、八紘丸、東亜丸〈2代〉東邦丸〈2代〉[218]
  27. ^ 『戦史叢書46、海上護衛戦』382ページではN19度4分、E116度36分とする。
  28. ^ 『戦史叢書46、海上護衛戦』312ページおよび#S1904雲鷹日誌(3) pp.49-51〔 七.(一)戦訓 〕
  29. ^ 熊野は前月20日にコロンバンガラ島夜襲作戦で夜間空襲を受け中破[262]、内地修理予定[263]。トラック出港直後、故障により引返し、後日あらためて雪風に護衛され内地へ帰投した[264]

出典編集

  1. ^ a b c d e 中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.7
  2. ^ a b c d e #内令昭和16年11月(5) p.26〔 内令第千五百三十六號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラル|昭和十六年十一月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
  3. ^ a b #内令昭和17年8月(3) 画像45、内令第千六百十四號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス 昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦、航空母艦ノ項中「飛鷹」ノ下ニ「、大鷹、雲鷹」ヲ加フ。昭和17年7月〜9月 内令 3巻/昭和17年8月分(4)(C12070164700)画像5も同一内容。
  4. ^ a b #内令(秘)昭和19年11月(2) pp.21-22〔 内令第一二五四號 横須賀鎮守府在籍 軍艦 秋津洲 軍艦 迅鯨|呉鎮守府在籍 軍艦 雲鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 八重山|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 蒼鷹 右帝國軍艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 皐月 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(略)|昭和十九年十一月十日 海軍大臣 〕
  5. ^ a b c d e #達昭和17年8月 p.39〔 達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝國艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸) 〕
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.4
  7. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.57
  8. ^ a b #海軍造船技術概要p.296
  9. ^ #田村2004p.109
  10. ^ #畑中2005p.65
  11. ^ a b 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.46
  12. ^ a b c 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.35
  13. ^ #昭和造船史1pp.780-781
  14. ^ #日本航空母艦史p.64
  15. ^ #海軍造船技術概要p.1678
  16. ^ a b c 「あ号作戦前後の対空兵装強化と戦訓改正」表B あ号作戦直前に空母の最大速力、航続距離、満載重油搭載量(昭和19年5月調査)、#日本空母物語p.417
  17. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.42
  18. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.12
  19. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」 p.31
  20. ^ #田村2004p.109
  21. ^ a b c d #田村2004p.111
  22. ^ #S17-05呉鎮日誌(4) p.25〔 十三日一四五〇軍務局長|十四日〇六二八 GF参謀長(呉鎭参謀長)(春日丸艦長)(八幡丸艦長)(佐鎭参謀長)|軍務機密第一五〇番電 一、八月三十一日附 春日丸ヲ大鷹(タイヨウ) 八幡丸ヲ雲鷹(ウンヨウ)ト命名、艦艇籍ニ編入セラル(現所管ノ儘)/二、右兩艦ノ命名式ハ所属長官所定ニ依リ適宜實施ノコトニ定メラル|無電 〕
  23. ^ a b c #空母二十九隻324-325頁「雲鷹(うんよう)」
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  26. ^ #空母二十九隻278-281頁「東奔西走の運び屋空母」
  27. ^ #編制(昭和19年1月31日現在) p.4〔 艦艇類別等級別表|軍艦|航空母艦|大鷹型|大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹 〕
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  30. ^ 大井篤 2014, p. 178.
  31. ^ 撃沈戦記 2013, pp. 18-20飛行機輸送艦となる
  32. ^ a b c d e 日本特設艦船物語78-80頁「◇雲鷹(旧名:八幡丸)」
  33. ^ a b c d #護衛空母入門250-251頁「雲鷹」
  34. ^ a b c 戦史叢書49 1971, pp. 442-443第五空襲部隊及び基地航空隊
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  36. ^ 写真日本の軍艦第4巻91-94頁「◇大鷹型◇」
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  66. ^ #S17-07横鎮日誌(6) p.29〔 二九(天候略)(中略)一、潮、漣、驅潜一三、一四、一五 澤風 出港/沖風、掃十八、朝潮 入港(以下略) 〕
  67. ^ #S17.08二十五航戦日誌(2) pp.44-45(経過概要、17-8-5日)(天候略)〔 一、一七〇〇秋風「ラバウル」出港(二空整備員収用ノタメ)(以下略) 〕
  68. ^ #S17.08二十五航戦日誌(2) pp.45-46(経過概要、17-8-6日)(天候略)〔 一、零戰一五 艦爆一六(二空)「ラバウル」ニ進出ヲ了ス(略)四、二一二〇秋風「ラバウル」入港(二空先発基地員進出)(以下略) 〕
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  74. ^ #S17-05呉鎮日誌(5) p.10(経過概要、呉鎭17-8-16)(天候略)〔 一、明十七日第一戰隊(武藏缺)春日丸及第七驅逐隊ノ出撃ニ際シ呉防戰及佐伯空ヲシテ協力セシム(以下略) 〕、#S17-07呉防戦日誌(4) p.9〔 (ハ)八月十七日 1S(武藏欠)春日丸 7dg 尾上丸 豊後水道出撃 〕
  75. ^ #S17-05呉鎮日誌(4) p.53(呉鎭17-8)〔 四.参考(イ)部下艦船(特設ヲ含ム)ノ行動 〕
  76. ^ #S17-05呉鎮日誌(4) p.35〔 十八日一二〇五 呉鎭長官|呉防戰司令官(1F長官)(八幡丸艦長)(鳩艇長)|呉機密第一八一二〇番電 電令作第三六號 一、八幡丸ハ八月廿日ヨリ末日迄宇佐沖ヲ基地トシ着艦訓練ヲ實施ス/二、海上防備部隊指揮官ハ鳩ヲ警戒艦トシテ右ニ協力セシムベシ|無電 〕、#S17-07呉防戦日誌(4) p.20(呉鎮機密第一八一一〇五二三番電、電令第三六号)
  77. ^ a b #S17-05呉鎮日誌(4) pp.41-42〔 廿六日 八幡丸艦長|(宛略)|八幡丸機密第二六〇九四五一八番電 本艦今次ノ着艦訓練終了|無電 〕-〔 廿六日一五四八 呉鎭長官|呉防戰司令官(1F長官)(八幡丸艦長)(鳩艇長)|電令第三八號 電令第三六號ニ依ル任務(着艦訓練警戒艦派出ノ件)ヲ解ク|無電 〕
  78. ^ a b #内令昭和17年8月(4) pp.12-13〔 内令第千六百二十四號 汽船 八幡丸 右特設航空母艦トシ呉鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|汽船 春日丸 右特設航空母艦トシ佐世保鎮守府所管ト定メラレタル處之ヲ解カレル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕-〔 内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 〕
  79. ^ 昭和17年8月31日(月)海軍公報(部内限)第4182号 p.43』 アジア歴史資料センター Ref.C12070422300 〔 ○官房機密第一〇九四六號 本年八月三十一日現在左記上欄各艦ノ職名ヲ有スル者ハ特ニ發令セラルルモノノ外別ニ辭令ヲ用セズシテ下欄ノ相當職員ニ補命セラレタル義ト心得ベシ 昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 記|特設航空母艦 春日丸|航空母艦 大鷹|同 八幡丸|同 雲鷹 〕
  80. ^ #S17-05呉鎮日誌(4) p.49〔 卅一日〇〇〇〇 軍令部總長|卅一日〇四二九 各鎭、各警 各艦隊長官|大海機密第三一〇〇〇〇七五番電 八月三十一日戰時編制中左ノ通改定セラル(八月二十二日大海機密第二〇一一二〇三五番電及八月二十八日大海機密第二八一八一五四七番電内報)一、春日丸及八幡丸ヲ聯合艦隊附属ノ儘大鷹(空母)及雲鷹(空母)ニ改ム/二、不知火ヲ戰時編制ヨリ除ク/三、伊號第三四潜水艦、伊號第三五號潜水艦及さんとす丸ヲ以テ呉潜水戰隊ヲ編制呉鎭守府部隊ニ編入/四、金鈴丸ヲ海軍省給油ヨリ除キ第八艦隊給油ニ加フ 其ノ他略|無電 〕
  81. ^ #S17-08横鎮日誌(5) pp.20-21〔 三十一日一五五〇雲鷹艦長(宛略)雲鷹機密第三一一五五〇九八番電 本艦及磯波行動豫定左ノ通變更ス 沖ノ島三十一日一二〇〇發(距岸八浬)一七〇〇潮岬(距岸三浬)二一〇〇神子元二日〇六三〇横須賀一三〇〇 〕
  82. ^ #S17-07呉防戦日誌(3) p.7〔 (イ)九月一日 雲鷹、磯波、瑞鳳、6dg出撃 〕
  83. ^ #S17-09横鎮日誌(5) p.21〔 二(天候略)(中略)一、伊一、六潜、旗風 出港/三二、三三、三四驅潜、伊一、二、六、一八潜、磯波、高波、楡、葦、雲鷹入港(以下略) 〕
  84. ^ #S17-09横鎮日誌(5) p.24〔 四(天候略)(中略)一、三二、三三驅潜、磯波、秋雲、雲鷹、伊三、四、六潜出港/楡葦、伊三、四、六入港(以下略) 〕
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  93. ^ #S17-07呉防戦日誌(3) p.8〔 (ヘ)九月十八日 雲鷹、暁、雷、旭東丸出撃 伊良湖 さんちえご丸入泊 〕
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  96. ^ #S17-09横鎮日誌(3) p.2〔 大海一、二部長|各鎭参謀長、三艦隊、一艦隊、二艦隊、聯合艦隊、十一空艦隊八艦隊各参謀長|發 大海一、二部長/一、三艦隊ニ對スル補充左ノ通手配中 (一)機械(雲鷹ニ依リ)艦爆約一〇、艦攻約二〇外ニ航本既報ノ中ヨリ艦戰一〇以上 計四〇機以上/(二)搭乗員組(括弧外ハ翔鶴、内ハ瑞鶴)戰四(二) 爆六(三) 攻四(五)外ニ基地隊ニ殘留中ノモノヲ送致ス/二、第三艦隊ニ對スル補充 筑城、鹿屋空等ノ爲十五日附大鷹ハ艦爆4/1ノミトシ雲鷹ハ飛行機搭載ヲ削除ノコトニ手續中/三、大鷹ノ殘リ艦爆ハ二空ニ艦戰ハ適時内地ニ送致アリ度 〕
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  103. ^ #S1712五戦隊日誌(2) p.4〔 (一)第五戰隊ハ引續キ前進部隊本隊ニ属シ「トラツク」ニ在リテ警戒待機シ鋭意戰力向上充實ニ努メアリシ處北方作戰参加ノ豫定ヲ以テ急速整備修理ヲ命ゼラレ五月八日大和雲鷹冲鷹2dg(五月雨)潮夕暮ト共ニ「トラツク」發佐世保ニ向ヘリ 〕
  104. ^ #S1801二水戦日誌(6) pp.11-12〔 八(天候略)一.一三〇〇 5S 大和 冲鷹 雲鷹 長波 潮 五月雨 夕暮 内地ニ向ケ「トラツク」發/二.15dg(親潮黒潮陽炎)「コロンバンガラ」輸送ノ皈途「ブラツケツトストレイト」ニテ触雷(推定)沈没 〕
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  126. ^ #S1806二水戦日誌(1) p.81〔 三一(天候略)一.2sd(長良)雲鷹7dg(曙)〇七三〇「トラツク」ニ向ケ横須賀発(略)一.2sd司令官ハ長良雲鷹7dg(曙)ヲ指揮シGf電令作第六四八號ノ任務ニ従事横須賀発 〕
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  128. ^ #S1712五戦隊日誌(2) p.31〔 …七月三十日呉發長濱沖ニ假泊ノ上翌三十一日假泊地發「トラツク」ニ向フ「トラツク」進出中ノ軍隊區分左ノ通 〕
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  135. ^ 昭和19年5月1日 海軍公報(部内限)第4677号 pp.7-8』 アジア歴史資料センター Ref.C12070462400  〔 ○司令驅逐艦變更 第十八驅逐隊司令ハ四月二十二日司令驅逐艦ヲ不知火ニ變更セリ(第十八驅逐隊)〕-〔 ○書類移管 當隊三月三十一日附第十八驅逐隊ト改編ニ付各部ヨリ第九驅逐隊ニ配布中ノ軍機、軍極秘祖類ハ總テ第十八驅逐隊ニ移管致候條了知ノ上處理相成度(第九驅逐隊) 〕
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  139. ^ #S18.06呉防戦日誌(8) pp.30-31〔 一四(天候略)(略)一.隼鷹 雲鷹 玉波 曙 深島出撃(以下略) 〕、#S1806二水戦日誌(4) p.42〔 一四日〇六一五 隼鷹(宛略)隼鷹機密第一五〇六一五番電  隼鷹 雲鷹 曙 玉波「トラック」ニ向ケ佐伯出撃 〕
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  141. ^ #S1806二水戦日誌(4) p.8〔 (4)第三十二驅逐隊(早波涼波藤波)内海西部ニ在リテ待機整備(出撃準備)十二日宇品ニ回航丁三號輸送部隊ニ編入十三日佐伯ニ回航十五日回航十五日同發二十日「トラツク」着陸軍甲支隊ヲ移載(以下略)/玉波(略)十四日隼鷹雲鷹ヲ護衛同發十九日「トラツク」着爾後「トラツク」ニ在リテ待機 〕
  142. ^ 昭和18年10月22日(発令10月21日付)海軍辞令公報(部内限)第1245号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900 
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  168. ^ a b #S1812二水戦日誌(3) p.5〔 19日雲鷹雷撃ヲ受ケ瑞鳳若葉ハ分離横須賀ニ先行セシメ能代32dg(早波)初霜ニテ雲鷹警戒シ「テニアン」航空隊及五特根哨戒艇ノ警戒協力ヲ得翌20日「サイパン」着能代ニ繋留、初霜早波ハ湾外移動哨戒セシム翌21日海風来援ス 〕
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  171. ^ #S1806二水戦戦日誌(3) p.9〔 海風(略)19日雲鷹救難ノ為救難隊搭載ノ上「トラック」発翌20日「サイパン」着21日以後27日迄五特根司令官ノ命ヲ受ケ雲鷹警戒対潜哨戒隊指揮官トシテ「サイパン」港外ノ哨戒ニ従事セリ 〕、同部隊戦時日誌 p.58〔 二〇日(司令)24dg(宛略)一.一七〇〇「サイパン」着ノ予定/二.救難隊兵曹長以下八名、六三〇噸排水ポンプ一(重量三噸)搭載中 〕
  172. ^ #S1812二水戦日誌(3) p.56〔 19日2142サチGF|雲鷹損傷状況調査ノ為GF司令部附塩山技術大佐ヲ「サイパン」ニ派遣セラル(1月20日「トラック」発航空便) 〕
  173. ^ #S1812二水戦日誌(3) p.5〔 21日命ニ依リ警戒及処理ヲ五特根ニ引継ギ2sd(能代)32dg(早波)横須賀ニ向ケ「サイパン」発 〕、同部隊戦時日誌 pp.10-11〔 (3)32dg(早波)…十八日2sd(能代)外五隻ト共ニ横須賀ニ向ケ「トラツク」発/十九日雲鷹雷撃ヲ受ケ早波ハ初霜ト協力敵潜攻撃附近油ノ浮上セルヲ認ムルモ効果不明引続キ攻撃掃蕩ニ従事/二十日制圧ヲ止メ「サイパン」着初霜ト共ニ移動哨戒ニ従事/二十一日哨戒ヲ海風ト交代能代ト共ニ横須賀ニ向ケ発/二十四一横須賀着入渠修理整備ニ従事 〕
  174. ^ #S1812三水戦日誌(6) p.12〔 一月二十二日〇七一五皐月駆逐艦長(宛略)發皐月駆逐艦長「サイパン」着 〕
  175. ^ #S1809一水戦日誌(4) p.32〔 二十四日(長官)GF(宛略)GF機密第二四一八〇二番電 GF電令作第九一六號 一.HPB、NTB、UNB各指揮官ハ24dg(海風)7dg(潮曙)皐月ヲシテ雲鷹艦長ノ指揮ヲ受ケ内地着迄同艦ノ警戒ニ任ゼシムベシ(略)三.UNB指揮官ハ初霜ヲシテ雲鷹「サイパン」出港後適宜護衛ニ協力シ「トラツク」ニ歸投セシムベシ 〕
  176. ^ #S1812三水戦日誌(6) pp.34-36〔 一月二十六日 雲鷹艦長(宛略)機密第261345番電 發雲鷹艦長 一.二十六日應急補強工作概ネ完了二十七日早朝 潮曙初霜皐月ヲ率ヰPS発NAA回航ニ回航実速九節ヲ得ラルヽ見込但シ天候敵潜出現状況ニ依リテハ回航地ヲ変更スルコトアルベシ 二.予定航路(別電) 三.途中対潜飛行警戒依頼ス(以下略) 〕
  177. ^ #S1812三水戦日誌(6) pp.33-34〔 一月二十六日〇九三〇皐月駆逐艦長(宛略)機密第二六〇九三〇番電發皐月駆逐艦長 皐月戦斗概報二四日(中略)左記ニ依リ敵潜水艦ノ轟沈概ネ確実ト認ム(以下略) 〕
  178. ^ #S1809一水戦日誌(4) p.33〔 二十六日潮駆逐艦長(宛略)機密第二六〇八五八番電 潮 曙「サイパン」着雲鷹ニ合同セリ 〕
  179. ^ #S1812三水戦日誌(6) p.71〔 二七(天候略)一.秋風文月一七二〇「ラバウル」帰着/二.皐月「サイパン」発(雲鷹護衛) 〕
  180. ^ #S1812高雄日誌(1) p.38〔 27日瑞鳳|瑞鳳千代田高雄21駆(初春、若葉)玉波ハ本職之ヲ率ヒ1月29日横須賀発左ニ依リ「トラック」ニ回航ス 〕
  181. ^ #S1812高雄日誌(1) p.30〔 30日|0900玉波ヲ率ヒ雲鷹ノ警戒ノ為分離行動」-p.39「30日瑞鳳|一.高雄ハ今ヨリ連合艦隊電令作第930号ニ応ズル如ク行動スベシ 二.玉波ハ高雄艦長ノ指揮ヲ受ケ行動シ雲鷹ニ合同後「トラック」ニ進出スベシ 〕
  182. ^ #S1812高雄日誌(2) p.2〔 2月1日0953雲鷹(潮曙初霜皐月護衛)ニ合同ス 〕
  183. ^ #S1812二水戦日誌(4) p.9〔 玉波 瑞鳳千代田ヲ護衛三日「トラツク」着… 〕
  184. ^ #S19.02.01-02.14経過概要 pp.7-8〔 19-2|2|1541|(29-10N 137-47E ニ於テ初霜ハ雲鷹ノ警戒ニ從事中潜望鏡発見之ニ驀進舷側二米ニテ乗切ル引續キ索敵中1720更ニ発見爆雷投射直前魚雷四本攻撃ヲ受ケタルモ之ヲ躱シ確実ナル攻撃ヲ加フ|内地 内南洋方面部隊/GF附属|撃沈確認シ得ズ 〕-〔 19-2|2|1940|7000m~8000mニ別箇ト思ハル敵(潜水艦)発見砲撃命中彈ヲ確認ス|〃|効果確実ト認ム 撃沈ノ算大 〕
  185. ^ #S1812高雄日誌(2) p.2〔 爾後之ヲ警戒シツツ北上ソノ間雲鷹ノ航行危険ニ瀕スル毎ニ曳航ヲ試ミルコト三度ニ及ビタルモ敵潜ノ攻撃ニ加フルニ荒天ノ為成功スルニ至ラズ 〕
  186. ^ #S1812高雄日誌(2) p.37〔 (二)戦訓 〕
  187. ^ #S1812高雄日誌(2) p.33〔 当時雲鷹ハ艦首ニ雷撃ヲ受ケ平水ニテ最大實速七節荒天時保針不能漂白ノ已ムナキ状態ニシテ… 〕
  188. ^ #S1809一水戦日誌(4) pp.56-57〔 二日雲鷹艦長(宛略)機密第〇二〇七三〇番電 護衛艦代艦派遣依頼ノ件 〕-〔 二日(長官)HPB(宛略)機密〇二二三一六番電 北方部隊電令作第三號 貴機密第〇二一五二七番電關聯白雲ハ横須賀ニテ補給ノ上雲鷹ノ護衛ニ任ズベシ 〕
  189. ^ #S1812高雄日誌(1) p.56〔 5日0112高雄艦長|(略)針路40度速力3節、夕刻迄ニ白雲猿島第33号掃海艇及鳩来着セルモ皐月、潮、曙ハ補給ノ為横須賀ニ回航中、高雄及初霜モ明日中ニ燃料限度トナル見込 〕-p.57〔 5日1145高雄艦長|雲鷹隊ノ状況(略)5日午前白雲及初霜去リ沖波岸波駆潜44成生合同現在ノ警戒艦右ノ外高雄鳩猿島掃33(略) 〕
  190. ^ #S1809一水戦日誌(4) p.58〔 四日潮駆逐艦長(宛略)機密第〇四一六〇〇番電 一.潮曙命ニ依リ一時雲鷹ト分離急速補給ノ爲横須賀ニ向フ五日〇七三〇頃着ノ豫定燃料各艦約三五〇噸爆雷曙三〇個!?各十日分曙貯糧品(米麥醤油)十五日分(以上何レモ船側渡)急速搭載方御手配ヲ得度/二.以下畧 〕
  191. ^ #S1809一水戦日誌(4) pp.61-62〔 五日高雄艦長|六日〇三一五鳩白雲|機密第〇五〇四一二番電 白雲ハ五艦隊ヨリノ指令ニ依リ速ニ大湊ニ回航セヨ(以下省略)〕-〔 五日白雲駆逐艦長(宛略)機密第〇五〇七四三番電 雲鷹ノ護衛ヲ止メ大湊ニ向ケ發七日〇二〇〇着ノ豫定 〕
  192. ^ #S1812高雄日誌(1) p.59〔 6日1430|高雄及初霜本日1500横須賀発明7日0600頃雲鷹ト合同ノ予定 〕
  193. ^ #S1812高雄日誌(1) p.17〔 (5日)沖波、岸波合同 〕、#S士官の手記 p.4〔 19-1/29 雲鷹救援ノ爲父島海面ニ向ケ桂島發護衛部隊、高雄以下十五隻 〕
  194. ^ #S1809一水戦日誌(4) p.62〔 六日(司令)7dg(宛略)機密第〇六〇六〇〇番電 雲鷹護衛ノ爲七駆ヲ率ヰ横須賀發 〕
  195. ^ #S1812高雄日誌(1) pp.43-44〔 (高雄)1日|1052雲鷹ニ合同 〕-〔 5日|2045重油補給ノタメ雲鷹ト分離 〕-〔 6日|0910横須賀入港/2249出港 〕-〔 7日0440雲鷹ニ合同/2003横須賀入港 〕
  196. ^ #S1812高雄日誌(2) p.33〔 爾後漸次増援アリテ横須賀入港時11隻、高雄搭載機零水1他ニ内地航空隊ノ対潜哨戒機延5機ノ協力ヲ得タリ 〕、#S1806二水戦日誌(4) p.19〔 7日高雄→2420(将旗2sd司令官)能代|雲鷹ハ東京湾ニ入港任務終了 〕、#S1809一水戦日誌(4) pp.52-53〔 (二)水雷部隊ノ行動 〕
  197. ^ #S1812高雄日誌(2) pp.39-40〔 (ハ)潜水艦狩リノ一着想 空母其ノ他大型艦船(損傷艦ノ如ク偽装)ニ精鋭ナル警戒艦三乃至四隻ヲ附シ之ヲ囮船トシテ敵潜伏在海面ヲ昼間低速ニテ行動セシメ別ニ囮船ヨリ30浬附近ニ利根型(搭載機多キモノ)ヲ機動セシメ… 〕
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  233. ^ #S1904雲鷹日誌(3) pp.47-48〔 四.被害 舵取機室下部及主機械室ニ魚雷命中 七時間二十分後遂ニ沈没セリ 〕
  234. ^ 終わりなき海軍 1978, p. 101.
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  237. ^ 終わりなき海軍 1978, pp. 103-104.
  238. ^ #S1904雲鷹日誌(3) p.42〔 0455(略)風浪大トナリ中間甲板後部ヨリ激浪打込ミ浸水次第ニ増加シ艦尾漸次沈下シ始ム 〕
  239. ^ #S1904雲鷹日誌(3) p.44〔 0745(略)御写真ヲ「カッター」ニ移ス 0748「総員上レ」ヲ令ス 後部応急作業打切リ応急員退避 0752軍艦旗降下総員退去ヲ始ム 〕
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  247. ^ #内令(秘)昭和19年11月(2) pp.21-22〔 内令第一二四七號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年十一月十日 海軍大臣|軍艦、航空母艦大鷹型ノ項中「雲鷹、」ヲ、同水上機母艦ノ項中「、秋津洲」ヲ、同潜水母艦ノ項中「迅鯨、」ヲ、敷設艦ノ項中「、八重山」「、蒼鷹」ヲ削ル 驅逐艦、一等卯月型ノ項中「、皐月」ヲ削ル(略) 〕
  248. ^ a b 戦史叢書62 1973, p. 103b.
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  260. ^ #S1805四水戦日誌(2) p.9〔 16日、27dg(白露欠)ハGF電令作第593号ニ依リ3S(指揮官)ノ指揮下ノ下ニ3S 7S(最上欠)2sf(龍鳳)五十鈴 雲鷹 冲鷹 7dg 16dg(雪風)浜風 谷風 涼風 清波 新月 等ト共ニ横須賀発、21日「トラック」着 〕
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  267. ^ #S1806二水戦日誌(2) p.6〔 白露(略)27日野分ト共ニ雲鷹、伊良湖ヲ護衛横須賀発「トラック」ニ回航ス 〕
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参考文献編集

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  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 桂理平『空母瑞鳳の生涯 われ等かく戦えり』霞出版社、1999年10月。ISBN 4-87602-213-5
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年。
  • 木俣滋郎『日本軽巡戦史』図書出版社、1989年3月。
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 木俣滋郎「1.護送空母『雲鷹』」『撃沈戦記 海原に果てた日本艦船25隻の航跡』光人社NF文庫、2013年6月。ISBN 978-4-7698-2786-3
  • 隈部五夫ほか『海防艦激闘記 護衛艦艇の切り札として登場した精鋭たちの発達変遷の全貌と苛烈なる戦場の実相』潮書房光人社、2017年1月。ISBN 978-4-7698-1635-5
    • (150-158頁)当時御蔵型「千振」艦長・海軍少佐石山泰三『護衛艦隊「千振」「淡路」南シナ海の慟哭 船団護衛で見せた海防艦の死闘と僚艦淡路と護衛空母雲鷹の最後
  • 倉橋友二郎『激闘駆逐艦隊』朝日ソノラマ、1987年12月。
  • 『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』呉市海事歴史科学館/編、ダイヤモンド社、2005年。ISBN 4-478-95056-3
  • 佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年1月。ISBN 4-7698-2408-4
  • 須藤幸助『駆逐艦「五月雨」出撃す ソロモン海の火柱』光人社〈光人社NF文庫〉、2010年1月。ISBN 978-4-7698-2630-9
  • 『日本航空母艦史』世界の艦船 2011年1月号増刊 第736集(増刊第95集)、海人社、2010年12月。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行者『高松宮日記 第四巻 昭和十七年 一月~九月』中央公論社、1996年7月。ISBN 4-12-403394-X
  • 田村俊夫「空母「雲鷹」(八幡丸)、「大鷹」(春日丸)の兵装を検証する」『帝国海軍 真実の艦艇史』〈歴史群像〉太平洋戦史シリーズ Vol.45、学習研究社、2004年5月、 107-116頁。 ISBN 4-05-603412-5
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦 栄光の生涯』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年。ISBN 978-4-7698-2027-7
  • 永井喜之・木俣滋郎「第2部 第二次大戦/日本編 14章 護送空母「雲鷹」」『新戦史シリーズ 撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8
  • 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』グランプリ出版、1997年 ISBN 4-87687-184-1
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 野元為輝ほか『航空母艦物語 体験で綴る日本空母の興亡と変遷!』潮書房光人社、2013年6月。ISBN 978-4-7698-1544-0
    • 戦史研究家大浜啓一『青い目の見た軽空母七隻の最後 海中深くひそむ米潜水艦と鷹型空母の息づまる対決
  • 畑中省吾「空母大鷹型三姉妹の作り分け」『艦船模型スペシャル』No.18、モデルアート社、2005年12月、 58-71頁。
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫福井静夫著作集-軍艦七十五年回想記第七巻 日本空母物語』光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8
  • 福井静夫「第三章 特設航空母艦」『福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本特設艦船物語』第11巻、阿部安雄・戸高一成/編集委員、光人社、2001年4月。ISBN 4-7698-0998-0
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 東部ニューギニア方面陸軍航空作戦』第7巻、朝雲新聞社、1967年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍捷号作戦<1> 臺灣沖航空戦まで』第37巻、朝雲新聞社、1970年8月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<1> ガ島奪還作戦開始まで』第49巻、朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 中部太平洋方面海軍作戦<2> 昭和十七年六月以降』第62巻、朝雲新聞社、1973年2月。
  • 『海軍造船技術概要』牧野茂福井静夫/編、今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4
  • 松浦敬紀編著「元警視総監土田國保(海軍主計大尉)“空母「雲鷹」被雷之記”」『若い世代へ伝えたい残したい 終りなき海軍』文化社、1978年6月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0454-7
  • 雑誌「丸」編集部『空母機動部隊 私は非情の海空戦をこう戦った!』光人社、2010年7月。
    • 元「冲鷹」運用長・海軍中尉阿土拓司『改造空母「沖鷹」八丈島沖合に消ゆ むかし豪華客船「新田丸」
    • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • 横井俊之ほか『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹・艦艇研究家正岡勝直『鷹型ミニ空母五隻が辿った薄幸の生涯 客船改造の大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹の船団護衛と潜水艦との戦い
    • 戦史研究家塚田享、戦史研究家丹羽年雄、元「海鷹」甲板士官・海軍中尉徳富敬太郎、元「大鷹」飛行長・海軍少佐五十嵐周正『悲運の護衛輸送空母たちの航跡』/『特設空母「大鷹」の思い出 五十嵐周正
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍航空母艦戦歴一覧 伊吹および雲龍型未成艦をふくむ空母二十九隻の太平洋戦争


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
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    • 『昭和17年1月~12月達/達昭和17年8月』。Ref.C12070115300。
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    • 『昭和16年11月~12月内令4巻止/昭和16年11月(5)』。Ref.C12070154500。
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    • 『昭和19.1.1~昭和19.3.31 太平洋戦争経過概要 その7/19年2月1日~19年2月14日』。Ref.C16120639100。
    • 『太平洋戦争に於ける護衛作戦の梗概 昭和16.12~20.8(防衛省防衛研究所)/別紙第1~第3』。Ref.C16120709200。

関連項目編集