各務原市立川島小学校

岐阜県各務原市にある小学校

各務原市立川島小学校(かかみがはらしりつ かわしましょうがっこう)は、岐阜県各務原市川島河田町にある公立小学校

各務原市立川島小学校
地図北緯35度21分49.96秒 東経136度49分46.96秒 / 北緯35.3638778度 東経136.8297111度 / 35.3638778; 136.8297111座標: 北緯35度21分49.96秒 東経136度49分46.96秒 / 北緯35.3638778度 東経136.8297111度 / 35.3638778; 136.8297111
過去の名称 博文義校
川島学校
松原島尋常小学校
博文尋常小学校
川島村立川島尋常高等小学校
川島村立川島国民学校
川島村立川島小学校
川島町立川島小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 各務原市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
分校 渡分校(1950年廃止)
笠田分校(1962年廃止)
学期 2学期制
学校コード B121221300072 ウィキデータを編集
所在地 501-6025
岐阜県各務原市川島河田町1041-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

各務原市川島地区唯一の小学校である。

通学区域(自治会名による)は、小網第1、小網第2、小網第3、小網第4、小網第5、小網第6、小網第7、松倉町東1、松倉町東2、松倉町東3、松倉町東4、松倉町中1、松倉町中2、松倉町西1、松倉町西2、東雁場、西光坊、南雁場、山ノ瀬、三ツ矢、西雁場、松原県道、松原三ツ屋、松原三斗山、松原南屋敷、松原三軒屋、渡町東、渡町西、北山町、笠田町東、笠田町西、緑町第1、緑町第2、緑町第3、緑町第4であり[1]、公立中学校の場合の進学先は各務原市立川島中学校である[2]

1942年までの川島国民学校(旧・松倉尋常小学校)及び小網島簡易科小学校の跡は民有地、川島国民学校博文分教場(旧・博文尋常小学校)の跡は三ツ屋会公民館となっている。また、これらの旧学校(渡分校、笠田分校を含む)跡地には記念碑が設置されている。

沿革 編集

 
川島小学校の遠景

川島小学校のHPの概要では、「1908年(明治41年)に各地の学校が合併し、川島尋常小学校となって114年」となっている。ここでは「川島町史 通史編」などに基づき、博文義校の開校を開校年として記述する。また、2023年(令和5年)7月には開校150周年記念の航空写真が撮影が行われた[3]

江戸時代、各務原市川島地区の寺小屋は、安政2年(1855年)に笠田島村に開校されたのが最初である。その後、松倉村、河田島村、小網島村にも開校したが、1873年(明治6年)までに廃止された。

  • 1873年(明治6年)
  • 1874年(明治7年)
    • 5月 - 松倉村が離脱し、松倉義校設置。
    • 7月 - 博文義校が松原島村字三ツ屋3に校舎を新築し、移転。
    •  (時期不明)小網島義校が廃校。児童は敬恪義校[注釈 8]への通学となる[注釈 9]
  • 1877年(明治10年)4月 - 博文義校は川島学校と改称。
  • 1883年(明治16年)7月 - 小網島村に小網島義校を再開[注釈 10]
  • 1886年(明治19年)9月 - 川島学校は松原島尋常小学校、小網島義校は小網島簡易科小学校、松倉義校は松倉簡易科小学校に改称。
  • 1887年(明治20年) - 松倉簡易科小学校は松倉尋常小学校に改称。
  • 1889年(明治22年)7月 - 羽島郡小網島村、松倉村、河田島村、松原島村、笠田島村が合併し、川島村が発足。それぞれの学校は川島村立となる。
  • 1893年(明治26年)5月 - 松原島尋常小学校が松原島と河田島の境界に校舎を新築し、移転。[注釈 11]
  • 1894年(明治27年) - 松原島尋常小学校が博文尋常小学校と改称。松倉尋常小学校に補習学校を併設。
  • 1897年(明治30年) - 小網島簡易科小学校が小網島尋常小学校に改称する。
  • 1898年(明治31年)
    • 5月 - 小網島尋常小学校と松倉尋常小学校が合併し、松倉尋常小学校となる。
    • 8月 - 博文尋常小学校に補習学校を付設。
  • 1901年(明治34年) - 松倉尋常小学校に高等科を設置。
  • 1903年(明治36年) -
    • 松倉尋常小学校に工業補習学校を付設。
    • 博文尋常小学校に農業補習学校を付設。
  • 1904年(明治37年) - 川島村の高等科の学校として、松倉に川島高等学校を新設。松倉尋常小学校の高等科廃止。川島高等学校の建物は松倉の民間の工場の建物を借りて使用。松倉尋常小学校と博文尋常小学校に分教場を設置していた。
  • 1908年(明治41年)
    • 4月 - 松倉尋常小学校の工業補習学校、博文尋常小学校の農業補習学校を廃止。
    • 9月 - 川島高等学校、博文尋常小学校、松倉尋常小学校、笠田島尋常小学校渡島尋常小学校が合併し、川島村立川島尋常高等小学校となる。本校は旧松倉尋常小学校[注釈 12]におかれ、旧博文尋常小学校は博文分教場(松原島)に、旧渡島尋常小学校は渡島分教場に、旧笠田島尋常小学校は笠田島分教場になる。各分教場は尋常1~4年の児童が通学。笠田、渡、北山の5年は博文分教場に通学。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 川島国民学校と改称。
  • 1942年(昭和17年)1月 - 羽島郡川島村大字河田島1041-1に統一校舎完成[4][5][6]。博文分教場は統一校舎に近い為廃止。渡、北山の1・2年生は渡分教場、笠田の1~4年生は笠田分教場へ通学。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 川島村立川島小学校と改称。
  • 1950年(昭和25年)4月 - 渡分校を廃止。
  • 1956年(昭和31年)10月1日 - 町制施行により川島町立川島小学校と改称。
  • 1962年(昭和37年)9月 - 笠田分校廃止。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 新校舎(第一期工事・普通教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 校舎(第二期工事・普通教室・特別教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
  • 1978年(昭和53年) -
    • 校舎(第三期工事・特別教室・鉄筋コンクリート造4階建)が完成する。
    • ビデオやコンピューター等、当時の最新の機器を導入し、ミニコンピュータを用いたCMIシステム[7]の開発に着手する[8]。この事が注目され、国内教育関係者の視察が増加(最盛期は2日に1回のペース)。全国的な研究会も行なわれ、国外からアメリカの教育視察団が訪問。
  • 1979年(昭和54年)- シンガポールマレーシアバングラデシュイランなどのアジア諸国の共同教育視察団が訪問。
  • 1985年(昭和60年) - パソコン93台を設置。CAIシステムを導入。
  • 1986年(昭和61年)3月 - 体育館が完成。それまでは川島中学校の体育館を使用していた。
  • 1988年(昭和63年)5月 - コンピューター利用に関するモデル校に指定される。以後、1992年まで毎年、研究発表会が開催される。
  • 2004年(平成16年)11月 - 羽島郡川島町が各務原市に編入。伴って、各務原市立川島小学校と改称。
  • 2019年(平成31年)4月 - 放課後児童クラブ(学童保育)の建物が完成[注釈 13]
  • 2021年(令和3年)5月31日 - 5月28日から川島大橋が橋脚傾きにより通行止めとなったため、笠田地区の児童のために通学バスの運行を開始。
  • 2022年(令和4年)9月12日 - この日の下校時より、笠田地区の児童は川島大橋の歩行者自転車用仮橋(8月26日供用開始)を用いての登下校を開始。

交通機関 編集

川島線「川島小学校前」バス停下車
笠松川島線(2022年4月1日新設[9])「川島小学校前」バス停下車
松波総合病院笠松駅~川島松倉で運行。
一宮川島線「川島口」バス停下車 徒歩10分
一宮駅バスターミナル尾張一宮駅名鉄一宮駅)3番のりばより【36系統】「川島」行き。 ※名鉄バス木曽川線で、江南駅から「川島」行きもあるが、一日1本のみ。

学校周辺 編集

著名な出身者 編集

校歌 編集

  • 校歌は1番から3番まであるが、基本的には1番と3番しか歌わないことが多い[要出典]

脚注 編集

  1. ^ 小学校就学区域(各務原市)
  2. ^ 中学校就学区域(各務原市)
  3. ^ 【速報】児童数十人が体調不良訴え複数人搬送、熱中症か 岐阜・各務原市(岐阜新聞)2023年7月11日
  4. ^ 1941年まで使用されていた川島国民学校(旧・松倉尋常小学校))の建物は、1942年-1944年の間、即真実業学校(岐阜県立稲葉高等学校の前身。後の岐阜県立稲葉女子商業高等学校→岐阜県立岐阜女子商業高等学校岐阜県立岐阜各務野高等学校)として使用され、建物の一部は昭和50年代前半まで松倉公民館として使用された。この後、建物の一部は解体移築し、一般の民家に転用されたという[要出典]
  5. ^ 岐阜各務野の歴史(岐阜県立岐阜各務野高等学校)
  6. ^ 1942年に完成した統一校舎は、上空から見ると「正」の文字をかたどっていた。1961年の航空写真
  7. ^ ソフトウエアによって成績などを管理する教育システム。
  8. ^ 小学校におけるコンピュータの活用:教科別・学年別指導実践(岐阜県川島町立川島小学校著 日本教育新聞社 1987年)P.1 - 11。川島町は1972年頃からCMIシステムを開発していた岐阜大学と交流があった。CMI(コトバンク)
  9. ^ 岐阜川島線の廃止および笠松川島線の新設について”. 岐阜バス(岐阜乗合自動車). 2022年3月5日閲覧。

注釈 編集

  1. ^ 現在の各務原市川島松原町234にある寺。
  2. ^ 現・各務原市川島渡町。
  3. ^ 現・各務原市川島北山町。
  4. ^ 現・各務原市川島笠田町。
  5. ^ 1875年に円城寺村に編入。現・各務原市川島笠田町の西部。
  6. ^ 校名は跡地看板による説明文による。川島町誌では校名不明となっている(1883年に再開された同名校も同様)。
  7. ^ 現・笠松町立下羽栗小学校
  8. ^ 現・各務原市立稲羽西小学校
  9. ^ 1874年(明治7年)9月に小網島村が上中屋村に編入されたことによる。
  10. ^ 1880年(明治13年)8月、上中屋村から旧・小網島村が分離、小網島村が成立している。
  11. ^ 跡地の記念碑は、岐阜県各務原市川島河田町122に設置されている。
  12. ^ 羽島郡川島村大字松倉字柳原1386(現・各務原市川島松倉町1386)に存在。
  13. ^ 完成後も川島地区の学童保育の施設は不足しており、民間の川島保育園、かわしま東こども園も使用している。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集