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略歴編集

佐賀県生まれ。内務省入省、警保局出身。1935年、満州国総務庁法制処長。1940年、第37代島根県知事大阪府警察局長。1944年、第28代長野県知事。長野県知事として終戦を迎え、玉音放送を受けて、県民に終戦を告諭した[2]1945年10月27日、知事を依願免本官となり退官[3]公職追放となる[4]

追放解除後の1952年の第25回衆議院議員総選挙と1953年の第25回衆議院議員総選挙佐賀選挙区から自由党で出馬するが、落選。1955年の第27回衆議院議員総選挙で初当選。1960年7月、第1次池田内閣文部政務次官。同年11月の第29回衆議院議員総選挙では落選。1963年の第30回衆議院議員総選挙で返り咲く。1964年7月、第3次池田改造内閣法務政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣法務政務次官。1969年、衆議院文教委員長在任中に、日本社会党公明党から解任決議案が提出されたが、否決された。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。

役職編集

家族編集

脚注編集

  1. ^ 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』116頁。
  2. ^ 『長野県平成年表 1989-2019』信濃毎日新聞、2019年。
  3. ^ 『官報』第5644号、昭和20年11月2日。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』234頁。

参考文献編集

  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。


議会
先代:
高見三郎
  衆議院文教委員長
1968年 - 1970年
次代:
八木徹雄
先代:
大久保武雄
  衆議院法務委員長
1967年 - 1968年
次代:
永田亮一