第1次池田内閣
日本の内閣
第1次池田内閣(だいいちじいけだないかく)は、池田勇人が第58代内閣総理大臣に任命され、1960年(昭和35年)7月19日から同年12月8日まで続いた日本の内閣。
第1次池田内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第58代 池田勇人 |
成立年月日 | 1960年(昭和35年)7月19日 |
終了年月日 | 同年12月8日 |
与党・支持基盤 | 自由民主党 |
施行した選挙 | 第29回衆議院議員総選挙 |
衆議院解散 |
1960年(昭和35年)10月24日 安保解散 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
日韓交渉再開編集
1960年(昭和35年)10月の第5次日韓会談から交渉が再開されたが池田は当初、日韓問題については積極的ではなかった。しかしアメリカのジョン・F・ケネディ大統領からの説得で池田内閣の影の官房長官と呼ばれる伊藤昌哉は「『池田さんに頼みがある。韓国の問題は日本が中心になって纏めなければ、どうしても纏まらないという決定的なキー・カントリーだ、それをやってもらいたいと思う』と池田に頼むんだ」と池田が交渉に前向きになった理由を語っている[1]。
閣僚編集
- 内閣総理大臣 - 池田勇人
- 法務大臣 - 小島徹三
- 外務大臣 - 小坂善太郎
- 大蔵大臣 - 水田三喜男
- 文部大臣、科学技術庁長官 - 荒木萬壽夫
- 厚生大臣 - 中山マサ
- 農林大臣 - 南條德男
- 通商産業大臣 - 石井光次郎
- 運輸大臣 - 南好雄
- 郵政大臣 - 鈴木善幸
- 労働大臣 - 石田博英
- 建設大臣、首都圏整備委員会委員長 - 橋本登美三郎
- 自治大臣、国家公安委員会委員長 - 山崎巖 / 周東英雄:1960年(昭和35年)10月13日-
- 行政管理庁長官 - 高橋進太郎
- 北海道開発庁長官 - 西川甚五郎
- 防衛庁長官 - 江﨑真澄
- 経済企画庁長官 - 迫水久常(参議院議員)
- 内閣官房長官 - 大平正芳
- 総理府総務長官 - 藤枝泉介
政務次官編集
1960年(昭和35年)7月22日任命。