大庭 哲夫(おおば てつお、1903年12月2日 - 1979年3月17日)は、日本逓信官僚実業家航空庁長官。バスケットボールの選手、指導者としても活躍した。

おおば てつお
大庭 哲夫
生誕1903年12月2日
香川県木田郡古高松村
死没 (1979-03-17) 1979年3月17日(75歳没)
京都市東山区知恩院
国籍日本の旗 日本
民族日本
出身校早稲田大学理工学部
職業バスケットボール選手・指導者、官僚、会社経営者
活動期間1929年 - 1970年
団体全日本空輸
肩書き社長
任期1969年 - 1970年
前任者森村勇
後任者若狭得治
受賞黄綬褒章勲二等旭日重光章

来歴・人物編集

1903年、香川県木田郡古高松村(現高松市)に生まれる。早稲田大学理工学部1929年に卒業[1]

1933年逓信省航空局に入り、1947年5月12日に逓信省航空保安部業務課長[2]、同年12月6日に航空保安部管理課長[3]1949年6月30日航空保安庁次長[4]1950年3月18日電気通信省人事課長事務取扱[5]1950年5月15日航空保安庁人事課長事務取扱[6]を歴任後、1951年10月13日航空庁長官に就任[7]

1952年7月31日、同庁を退官して[8]日本航空天下りし常務取締役に就任。

1967年、前年に連続墜落事故を起こし倒産の危機にあった全日本空輸の経営再建のため同社に移り、副社長に就任。

1968年11月16日黄綬褒章を受章[9]

1969年5月30日、全日空社長に就任。1970年5月31日に怪文書がもとで社長を退任。

1974年4月29日勲二等旭日重光章を受章[10][11]

1979年3月17日、知恩院にて発作に見舞われ死去。同年4月3日青山斎場にて葬儀が行われる。

ロッキード事件との関わり編集

全日空の大型機導入をめぐり、すでに完成していたマクドネル・ダグラスDC 10をロッキード・トライスターへと機種決定を変更させようとする若狭得治副社長の動きに反対した。この為、M資金融資をめぐる怪文書で社長の座を追われた。

1976年3月22日東京地方検察庁捜査本部はロッキード事件の参考人として大庭の出頭を求め、DC-10の契約に関すること、また、社長退陣の切っ掛けとなった架空融資事件のいきさつについて聴取した[12]。なお、若狭はこの事件で逮捕され、有罪判決が下された。

スポーツとの関わり編集

大庭 哲夫
Tetsuo Oba
選手情報
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基本情報
ラテン文字 Tetsuo Oba
誕生日 1903年12月2日
没年月日 (1979-03-17) 1979年3月17日(75歳没)
  日本
出身地 香川県
選手経歴
-1929
1930
早稲田大学
極東選手権競技大会日本代表
指導者経歴
1954
1956
アジア競技大会日本代表
メルボルンオリンピック日本代表
獲得メダル
  日本
アジア競技大会
1954 マニラ バスケットボール

学生時代はバスケットボールをしており、早稲田大学バスケットボール部在籍中にはバスケットボール男子日本代表に選ばれるなど活躍していた[1]

大学卒業後に官僚となってからもスポーツとの関わりは深く、1954年から1956年にかけてはバスケットボール全日本チームの監督を務め、1954年にアジア大会銅メダルを獲得、1956年メルボルンオリンピックに出場した。

その後も1968年メキシコシティオリンピック日本選手団団長、日本体育協会の専務理事なども務めている。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 早稲田大学バスケットボール部
  2. ^ 官報』第6102号「叙任及辞令」1947年5月21日。
  3. ^ 『官報』第6338号「辞令」1948年3月4日。
  4. ^ 『官報』第6747号「叙任及び辞令」1949年7月12日。
  5. ^ 『官報』第6962号「叙任及び辞令」1950年3月29日。
  6. ^ 『官報』第7018号「叙任及び辞令」1950年6月6日。
  7. ^ 『官報』第7435号「叙任及び辞令」1951年10月19日。
  8. ^ 『官報』第7678号「叙任及び辞令」1952年8月11日。
  9. ^ 『官報』第12581号「褒賞」1968年11月19日。
  10. ^ 『官報』第14202号「叙位・叙勲」1974年5月4日。
  11. ^ 猪瀬直樹『死者たちのロッキード事件』1987年、文藝春秋ISBN 978-4167431020
  12. ^ 東京地検 大庭氏から聴取『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月28日朝刊、13版、23面

参考文献編集

関連項目編集

先代:
松尾靜磨
航空庁長官
第2代:1951年 - 1952年
次代:
廃止
先代:
森村勇
全日本空輸社長
第4代:1969年 - 1970年
次代:
若狭得治