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バスケットボール男子日本代表(―だんしにほんだいひょう、英:Japan men's national basketball team)は、日本バスケットボール協会によって編成され、国際大会に派遣される男子バスケットボールナショナルチーム

 Basketball pictogram.svgバスケットボール男子日本代表
国または地域 日本の旗 日本
協会 日本バスケットボール協会
ヘッドコーチ アルゼンチンの旗 フリオ・ラマス [1]
FIBAランキング 48位(2019年2月26日版)
オリンピック
出場回数 7回
初出場 1936 ベルリン
最高成績 10位(1956)
ワールドカップ (男子) / (女子)
出場回数 4回
初出場 1963 ワールドカップ
最高成績 11位(1967)
アジア選手権
最高成績 Med 1.png優勝(1965、1971)
ユニフォーム
Kit body Japan 2017 HOME.png
ホームのジャージ
Kit shorts Japan 2017 HOME.png
チームカラー
ホーム
Kit body Japan 2017 AWAY.png
アウェイのジャージ
Kit shorts Japan 2017 AWAY.png
チームカラー
アウェイ
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男子日本代表チーム、レバノンとの親善試合。2010年7月25日、墨田区総合体育館

目次

歴史編集

日本代表チームとしての初の国際大会出場は、1917年に東京で開催された第3回極東選手権競技大会である。この時の日本代表は、京都YMCAによる単一チームであった。

1936年、バスケットボールがオリンピック正式種目となったベルリン大会オリンピックに初出場。トーナメント方式の大会で1回戦で中国、2回戦でポーランドに勝利して3回戦まで進出した。戦後になってからも1956年メルボルン大会に出場して以降、1968年メキシコシティ大会を除き毎回出場。バスケットボール世界選手権にも1963年大会で初出場、続く1967年大会にも連続出場するなど世界大会の常連であった。アジア選手権でも1965年大会1971年大会に優勝するなどアジアの上位であったが、その後は国際大会に復帰した中国の台頭などもあり、1976年モントリオールオリンピック出場を最後に世界規模の大会への出場から遠ざかっていった。

1995年福岡ユニバーシアードで準優勝すると、長谷川誠らその時のメンバー6人を擁して1997年アジア選手権で7大会ぶりの準優勝を達成し、1998年に31年ぶりに世界選手権出場を果たす。1次リーグは3連敗を喫したが、順位決定戦でセネガルに勝利した。

2003年にヨーロッパの名将ジェリコ・パブリセヴィッチをヘッドコーチに招き、2006年世界選手権の開催国として出場。1次ラウンド初戦のドイツ戦は70-81と善戦、パナマ戦では1次ラウンドとしては1963年大会以来の勝利をあげ、前回大会4位のニュージーランドに対しては前半を18点のリードで折り返したが後半に大逆転を許して2勝目を逃し、結局通算1勝4敗で敗退した。

しかし近年の日本代表は中東勢の台頭もあり、アジア選手権でのメダル獲得も1997年大会を最後に逃し続けている。アイシンシーホースで実績を残し、ヘッドコーチに就任した鈴木貴美一氏がチームを率いた2007年アジア選手権大会は自国開催(徳島)でありながら日本バスケットボール協会内部の混乱でチーム強化もおぼつかなく8位に終わり、この大会での2008年北京オリンピック進出ばかりか同大会の世界最終予選進出も逃した。さらに2009年大会は直前のヘッドコーチ交代劇の影響もあり、世界選手権出場どころか前回よりさらに下回る歴代最低の10位に沈んだ。

2010年は史上初めてヘッドコーチを公募にかけ、リンク栃木ブレックスJBL初優勝に導いたトーマス・ウィスマンコーチが就任した。2010年FIBAアジアスタンコビッチカップにて、決勝戦で地元レバノンに敗れはしたが準優勝となり好スタートを切った。さらに同年の広州アジア大会でも4大会ぶりにベスト4入りを達成。しかし翌2011年9月に開催されたアジア選手権兼ロンドンオリンピックアジア予選ではベスト4を目標に掲げるも、準々決勝で敗れてロンドンオリンピック世界最終予選の出場権獲得を逃し7位に終わった。

それから半年も経った2012年3月になって日本協会はウィスマンHCを解任し、鈴木氏がアイシンと兼任で自身2度目となるHCに就任した。9月に東京で開催された2012年FIBAアジアカップで準優勝。翌2013年は2014年ワールドカップ出場権の獲得を目指したが、2013年アジア選手権2次ラウンドでフィリピン台湾ヨルダンを相手に3連敗を喫して決勝トーナメントに進めずに9位になり、ワールドカップ出場権を逃した。その後、10月の協会理事会で鈴木HCは成績不振の責任を取って辞任した。

長谷川健志HC期編集

2014年4月、前青山学院大学HCの長谷川健志がヘッドコーチに就任した。7月に行われた2014年FIBAアジアカップでは準々決勝で台湾に敗れて順位決定戦にまわり、6位に終わった。9月に開幕した仁川アジア大会では準々決勝リーグで中国に競り勝ち、グループ内2位で目標としていた2大会連続ベスト4入りを達成。準決勝では開催国韓国に敗れたが、3位決定戦でカザフスタンを破り、アジア大会では1994年広島大会以来5大会ぶりに銅メダルを獲得した。

2014年11月にJBAがガバナンス不足によりFIBAより資格停止処分を受けすべてのカテゴリの日本代表が国際試合に出場ができなくなったため、一時はリオデジャネイロオリンピックのアジア予選を兼ねたアジア選手権(中国・長沙)への出場が危ぶまれたが、その後FIBAより送り込まれた改革組織『JAPAN 2024 TASKFORCE』による改革で2015年8月に制裁は解除され、9月23日開幕のアジア選手権に出場。1次リーグ初戦のイラン戦では大敗したがその後持ち直して1次・2次リーグを突破。決勝トーナメント初戦のカタール戦を81-67で勝利し、9大会18年ぶりのベスト4入りを達成した。準決勝・3位決定戦は敗れてメダル獲得はならなかったが、世界最終予選の出場権を獲得した。

2016年7月、日本代表にとり2006年世界選手権以来のFIBA主催大会となるリオ五輪世界最終予選(セルビアベオグラード)にジョージ・ワシントン大留学中の渡邊雄太らを加えて出場したが、ラトビアに48-88、チェコに71-87で敗れ、予選ラウンドで敗退した[2][3]。長谷川HCは同年のウィリアム・ジョーンズカップとFIBAアジアチャレンジ(FIBAアジアカップより改称、6位)でも指揮を執った後、11月30日付で退任した。

長谷川氏の後任の新HCが就任するまで、11月1日にテクニカルアドバイザーに就任したルカ・パヴィチェヴィッチ氏が暫定的に指揮を執り[4]、2017年6月の東アジア選手権で3位となった。

フリオ・ラマスHC期編集

2017年4月、元アルゼンチン代表HCのフリオ・ラマス氏が7月1日付で新HCに就任することが決定した[5]。同年11月、フィリピン、オーストラリア、台湾と同組となった2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップアジア1次予選が開幕(出場国は前回大会までアジア選手権で決定していたが、今回よりホームアンドアウェイでの総当たり方式に変更された)。日本は初戦から4連敗を喫して敗退の危機に晒されたが、コンザガ大留学中の八村塁と、2018年4月に帰化したBリーグMVP受賞のニック・ファジーカスが加入した2018年6月の1次予選最終シリーズ(第3シリーズ)ではFIBAランク10位のオーストラリア戦と台湾戦に連勝して、2勝4敗のグループ3位で1次予選を突破した。

W杯予選とは別に若手選手中心で挑んだ2018年8月に行われたアジア競技大会において、出場した選手4名に規律違反があったとして、代表認定が取り消された[6][7][8]

2018年9月開幕のW杯2次予選開幕シリーズ(第4シリーズ)ではファジーカスが怪我で欠場したが、メンフィス・グリズリーズと2way契約を結んだ渡邊雄太が加わり、八村とのコンビが存在感を見せカザフスタンとイランに連勝し、通算4勝4敗となる。アメリカがシーズンに入った11月以降は八村と渡邊は代表を離脱したが、第5シリーズも連勝し、6勝4敗。最終第6シリーズもアウェイでイランとカタールに勝利し、4連敗のあとの8連勝で通算8勝4敗とし、W杯出場が決定した。W杯出場は2006年大会以来、自国開催を除く自力での予選突破は1998年大会以来である[9]

愛称編集

日本バスケットボール協会は、日本代表チームの愛称を2011年4月から5月にかけて一般公募した。その中から男女共通の愛称として「隼(ハヤブサ)ジャパン」を選定し、2011年7月に発表し[10]、それを2015年まで使用していたが、2016年から「AKATSUKI FIVE(アカツキファイブ)」に変更されることになった[11]

国際大会の成績編集

夏季オリンピック編集

開催地 成績 備考
1936年   ベルリン 9位 2 1 トーナメント3回戦
1956年   メルボルン 10位 3 4
1960年   ローマ 15位 1 7
1964年   東京 10位 4 5
1972年   ミュンヘン 14位 2 7
1976年   モントリオール 11位 1 6
2020年   東京

FIBAワールドカップ編集

開催地 成績 備考
1963年    ブラジル 13位 1 7
1967年    ウルグアイ 11位 2 6
1998年    ギリシャ 14位 1 4
2006年    日本 17位 1 4
2019年    中国 - - -

FIBAアジアカップ編集

オリンピックまたはワールドカップのアジア予選を兼ねている。

  • 1960年 3位
  • 1963年 - 不参加
  • 1965年 -  優勝
  • 1967年 -  3位
  • 1969年 -  準優勝
  • 1971年 -  優勝
  • 1973年 - 4位
  • 1975年 -  準優勝
  • 1977年 -  3位
  • 1979年 -  準優勝
  • 1981年 -  3位
  • 1983年 -  準優勝
  • 1985年 - 5位
  • 1987年 -  3位
  • 1989年 - 4位

アジア競技大会編集

  • 1951年 -  準優勝
  • 1954年 -  3位
  • 1958年 -  3位
  • 1962年 -  準優勝
  • 1966年 - 4位
  • 1970年 -  3位
  • 1974年 - 7位
  • 1978年 - 4位
  • 1982年 -  3位
  • 1986年 - 6位

東アジア競技大会編集

  • 1993年 - 5位
  • 1997年 - 5位
  • 2001年 -  3位
  • 2005年 -  準優勝
  • 2009年 -  3位
  • 2013年 - 4位

東アジア選手権編集

FIBAアジアチャレンジ編集

歴代のヘッドコーチ編集

歴代の代表選手編集

現在の代表選手編集

2017年6月3日に実施される東アジアバスケットボール選手権大会の代表選手をまとめる。(なお、所属先は2017年5月末時点での所属チームを明記する。)

選 手 スタッフ
Pos # 名前 年齢 身長  体重 出身
G 0 橋本竜馬 31 (1988/05/11 ) 1.78 m (5 ft 10 in) 81 kg (179 lb)   シーホース三河 
PG 2 富樫勇樹 (Yuki Togashi) 25 (1993/07/30 ) 1.67 m (5 ft 6 in) 70 kg (154 lb)   千葉ジェッツ 
SF 6 比江島慎 (Makoto Hiejima) 27 (1992/04/02 ) 1.90 m (6 ft 3 in) 88 kg (194 lb)   シーホース三河 
C 8 太田敦也 (Atsuya Ota) 34 (1984/06/04 ) 2.06 m (6 ft 9 in) 112 kg (247 lb)   三遠ネオフェニックス 
C 10 竹内公輔 (Kosuke Takeuchi) 34 (1985/01/29 ) 2.06 m (6 ft 9 in) 98 kg (216 lb)   リンク栃木ブレックス 
PF 15 竹内譲次 (Joji Takeuchi) 34 (1985/01/29 ) 2.07 m (6 ft 9 in) 98 kg (216 lb)   アルバルク東京 
PG 18 馬場雄大 23 (1995/11/07 ) 1.95 m (6 ft 5 in) 88 kg (194 lb)   アルバルク東京 
SG 24 田中大貴 27 (1991/09/03 ) 1.92 m (6 ft 4 in) 93 kg (205 lb)   アルバルク東京 
PF 34 小野龍猛 (Ryumo Ono) 31 (1988/01/06 ) 1.97 m (6 ft 6 in) 100 kg (220 lb)   千葉ジェッツ 
F 35 アイラ・ブラウン (Ira Brown) 36 (1982/08/03 ) 1.93 m (6 ft 4 in) 105 kg (231 lb)   琉球ゴールデンキングス 
C 43 永吉佑也 (S) 27 (1991/07/14 ) 1.98 m (6 ft 6 in) 115 kg (254 lb)   京都ハンナリーズ 
F/C 88 張本天傑 27 (1992/01/08 ) 1.97 m (6 ft 6 in) 102 kg (225 lb)   名古屋ダイヤモンドドルフィンズ 
ヘッドコーチ
アシスタントコーチ
サポートコーチ
パフォーマンスコーチ
トレーナー
ドクター
マネージャー 
テクニカルスタッフ 
  • 荒川哲史(JBA)


年代別代表編集

国籍以外で特に制限のないナショナルチーム(A代表)の他に、年齢の上限が設けられた大会に派遣されるいわゆる年代別代表も存在する。

  • U-24日本代表
大学生による競技大会であるユニバーシアードに派遣されるナショナルチーム。原則として大学または大学院に在学中、ならびに大会前年に大学または大学院を卒業した選手が資格を得るが、代表に選ばれる実力を持つ選手のほとんどが大卒であり、24歳以下の選手で構成されるためU-24日本代表と表現する場合もある。ユニバーシアード日本代表は1995年の福岡大会で、世界大会では日本バスケットボール史上初めてとなる準優勝の快挙を成し遂げた。2007年のバンコク大会では「竹内世代」と呼ばれる大卒選手中心の編成でベスト4入りを果たした。
  • U-19日本代表
19歳以下の大会であるU-19世界選手権およびその予選を兼ねたU-18アジア選手権に派遣されるナショナルチーム。2004年までは18歳以下のジュニア日本代表と呼ばれていた。
  • U-17日本代表
2010年に第1回が開催される17歳以下の大会であるU-17世界選手権およびその予選を兼ねたU-16アジア選手権に派遣されるナショナルチーム。2009年に新設。2011年U-16アジア選手権で銅メダルを獲得。

国際大会結果編集

ユニバーシアード編集

FIBA U-19世界選手権編集

  • 1991年 - 16位
  • 1999年 - 14位
  • 2017年 - 10位

FIBAアジアU-18選手権編集

上位に入ると翌年のU19世界選手権の出場権を獲得。

  • 1970年  準優勝
  • 1972年 不参加
  • 1974年 不参加
  • 1977年 6位
  • 1978年 4位
  • 1980年 5位
  • 1982年 5位
  • 1984年 4位
  • 1986年 5位
  • 1988年 4位
  • 1990年  優勝
  • 1992年 4位
  • 1994年 7位
  • 1996年  3位
  • 1998年  3位
  • 2000年 4位
  • 2002年 5位
  • 2004年 9位
  • 2006年 6位
  • 2008年 4位
  • 2010年 8位
  • 2012年 4位
  • 2014年 6位
  • 2016年  準優勝

FIBA U-17世界選手権編集

  • 2014年 14位

FIBAアジアU-16選手権編集

上位に入ると翌年のU17世界選手権の出場権を獲得

  • 2009年 6位
  • 2011年  3位
  • 2013年  3位
  • 2015年 4位

脚注編集

  1. ^ Japan names Julio Lamas National Team head coach
  2. ^ FIBA男子オリンピック世界最終予選 予選ラウンド第1戦 ラトビアに48-88で完敗し、黒星スタート
  3. ^ FIBA男子オリンピック世界最終予選 予選ラウンド第2戦 チェコに71-87で敗れ予選敗退、リオデジャネイロオリンピックの出場権獲得ならず
  4. ^ 日本代表の長谷川HCが退任、後任決定まではパヴィチェヴィッチ氏が暫定で指揮バスケットボールキング2016年12月1日
  5. ^ バスケットボール男子日本代表チーム 新ヘッドコーチ発表記者会見のご報告 -新ヘッドコーチに、アルゼンチンの名将フリオ・ラマス氏が決定-JBA2017年4月13日
  6. ^ 川淵氏アジア大会バスケ男子代表4人帰国処分明かす”. 日刊スポーツ (2018年8月20日). 2018年8月20日閲覧。
  7. ^ 第18回アジア競技大会」 バスケットボール男子日本代表チームの 不祥事に関するご報告とお詫び”. 日本バスケットボール協会. 2018年8月20日閲覧。
  8. ^ バスケ代表をJOC処分へ アジア大会中、深夜歓楽街へ”. 朝日新聞digital (2018年8月20日). 2018年8月20日閲覧。
  9. ^ 崖っぷちバスケ男子を変えた八村、渡辺、ファジーカス W杯は日本版ドリームチームだデイリースポーツ2019年2月25日
  10. ^ バスケットボール男女日本代表チーム ニックネーム決定”. JBA (2011年7月26日). 2014年10月3日閲覧。
  11. ^ “バスケットボール日本代表チーム 記者発表会のご報告 -新ニックネームは「AKATSUKI FIVE(アカツキ ファイブ)」に決定-” (プレスリリース), 日本バスケットボール協会, (2016年4月11日), http://www.japanbasketball.jp/japan/22240 2016年4月11日閲覧。 

関連項目編集

外部リンク編集