奥尻郡
北海道の郡
奥尻郡(おくしりぐん)は、北海道(後志国)檜山振興局の郡。 人口2,170人、面積142.99km²、人口密度15.2人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の1町を含む。
- 奥尻町(おくしりちょう)
郡域
編集歴史
編集郡発足までの沿革
編集日本書紀に記された、斉明天皇6年3月に阿倍比羅夫が粛慎の砦を陥落させた弊賂弁嶋は、現在の奥尻島にあたるといわれている(粛慎の本拠地、樺太とする説もある)。
室町時代には、享徳3年8月28日に松前藩祖・武田信広公が漂着。文明元年6月5日、若狭国の僧随芳が草庵を建立。これは延徳2年大館(渡島国津軽郡松前)に移り松前山法源寺となった。弘治元年7月、上杉謙信の臣宇田遠江守師長が従者3名と漂着。
江戸時代、奥尻郡域は和人地となる。松前藩によってヲコシリ場所が開かれ、元和3年5月、松前山法源寺第4世芳龍が、現在の青苗地区に空谷山大仙寺を建立。寛文7年空谷山大仙寺が松前城下蔵町に移転。安永年間には薬師村(現在の奥尻町字松江)の少彦名神社が創建されている。
江戸時代後期の文化4年には、奥尻郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり津軽藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して奥尻郡が置かれた。
郡発足以降の沿革
編集- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び全域が開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第8大区
- 4小区 : 釣懸村、赤石村、薬師村、青苗村
- 第8大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての奥尻郡が発足。
- 明治13年(1880年)1月 - 久遠郡外三郡役所(久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により函館県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)
- 明治24年(1891年)3月 - 檜山郡外五郡役所(檜山爾志久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、檜山支庁の管轄となる。
- 明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、釣懸村、赤石村、薬師村、青苗村の区域をもって奥尻村(二級村)が発足。(1村)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道檜山支庁の管轄となる。
- 昭和41年(1966年)1月1日 - 奥尻村が町制を施行して奥尻町となる。(1町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 檜山支庁が廃止され、檜山振興局の管轄となる。
参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 1 北海道