嵯峨 春平(さが しゅんぺい、1951年3月10日 - 2004年8月23日)は、石川県金沢市出身[1]実業家北陸放送第3代社長、北陸東通社長[1]慶應義塾大学法学部卒業。

さが しゅんぺい

嵯峨 春平
生誕 (1951-03-10) 1951年3月10日
日本の旗 日本 石川県金沢市
死没 (2004-08-23) 2004年8月23日(53歳没)
日本の旗 日本 石川県松任市
死因 呼吸不全
出身校 慶應義塾大学法学部卒業)
職業 実業家放送局経営者等)
活動期間 1976年 - 2004年
肩書き 北陸放送代表取締役社長
任期 1993年 - 1997年
家族 嵯峨保二(祖父)
嵯峨喬(叔父)
嵯峨逸平(父)
嵯峨祥平(長男)
さがゆりこ(長女)
池田祥護(娘婿)
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祖父は北國新聞社第5代社長で、北陸放送と金沢工業大学の創設者でもある嵯峨保二。叔父は北國新聞社第6代社長の嵯峨喬。父は北陸放送第2代社長の嵯峨逸平。長男はTBSテレビ社員の嵯峨祥平。長女はタレント・モデルのさがゆりこ。娘婿(ゆりこの夫)はNSGグループ代表池田弘の長男で、新潟総合学院理事長、日本青年会議所会頭の池田祥護。

経歴

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  • 1976年昭和51年) - 慶應義塾大学卒業後、TBSに入社[注釈 1][注釈 2]
  • 1982年(昭和57年) - 北陸放送に転籍し、取締役就任。
  • 1983年(昭和58年) - 常務取締役就任。
  • 1985年(昭和60年) - 代表取締役専務就任。
  • 1989年平成元年) - 副社長就任。
  • 1993年(平成5年) - 代表取締役社長就任。
  • 1997年(平成9年) - 北陸放送でのCM未放送問題をめぐって代表取締役社長を引責辞任し、代表取締役に変更。
  • 2004年(平成16年)8月23日 - 呼吸不全のため、石川県松任市(後の白山市)内の病院で死去[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ
  2. ^ 同期に生島ヒロシ高橋進鈴木順松宮一彦

出典

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  1. ^ a b c 嵯峨春平氏死去/元北陸放送社長」『四国新聞』四国新聞社、2004年8月23日。2024年6月19日閲覧。

参考文献

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先代
嵯峨逸平
北陸放送社長
第3代:1993年 - 1997年
次代
上坂兼松