北國新聞

日本の新聞

北國新聞(ほっこくしんぶん)は、石川県金沢市に本社を置く株式会社北國新聞社が発行する地方紙である。

北國新聞
Hokkoku Shimbun Kaikan 2008.jpg
北國新聞社の本社ビル「北國新聞会館」
種類 日刊紙
サイズ ブランケット版

事業者 北國新聞社
本社 石川県金沢市南町2番1号
代表者 代表取締役会長主筆 飛田秀一
代表取締役副会長 温井伸
代表取締役社長 砂塚隆広
創刊 1893年8月5日
前身 北國新聞、北國毎日新聞
言語 日本語
価格 1部 150円(朝刊)50円(夕刊)[1]
月極 4,400円(朝夕刊セット)
3,400円(朝刊のみ)
発行数 (朝刊)34万1278部
(夕刊)5万4023部
(2019年4月、日本ABC協会調べ[2][3]
ウェブサイト https://www.hokkoku.co.jp/
株式会社北國新聞社
THE HOKKOKU SHIMBUN
本社所在地 日本の旗 日本
〒920-8588
石川県金沢市南町2番1号
事業内容 新聞・雑誌・書籍の発行
設立 1893年8月5日
業種 情報・通信業
資本金 4億9800万円
(2020年12月31日時点)[4]
売上高 194億9475万円
(2022年12月期)
総資産 449億8101万4000円
(2020年12月31日時点)[4]
従業員数 380人(2022年現在)[5]
決算期 12月
主要子会社 ショセキ
北國観光
金沢ケーブル
関係する人物 赤羽萬次郎
岡田尚壮
外部リンク https://www.hokkoku.co.jp/list/corporate
テンプレートを表示

夕刊ともに発行しており、全国ニュースは共同通信社[6] と時事通信社から記事の供給を受けている[要出典]

2019年の発行部数は、富山新聞を含め朝刊29万7857部(日本ABC協会調べ、2019年1月 - 6月[7] で、石川県内でのシェアは61.26%で第1位となっている(2019年時点)[7]。一方、富山県内でのシェアは地元紙の北日本新聞読売新聞に押されて1割程度に留まっている[7]

特色編集

関連・友好法人などとして、富山新聞富山市[8]テレビ金沢金沢ケーブルケーブルテレビ)、ネスクインターネットプロバイダ)、エフエム石川(FMラジオ局)、ラジオかなざわラジオななおラジオこまつラジオたかおかコミュニティFM局)の各種系列メディアを持つ[注 1]。2005年以降は、社主・嵯峨家の追放からテレビ金沢開局などの経緯で希薄となっていた北陸放送との関係を取り戻している(2007年より、当社社長(現・会長)・主筆の飛田秀一が取締役に就任)[要出典]

県内で競合する北陸中日新聞および、富山県の北日本新聞福井県福井新聞など近隣の県域紙(京都新聞岐阜新聞信濃毎日新聞など)は読者からSNSで情報提供を受け付ける形式の調査報道のコーナーを開設し、西日本新聞社を幹事社とする「JODパートナーシップ」を通じた記事交換を行っているが[9][10]、北國新聞では調査報道には消極的で、このような企画は当初から参加していない。

かつて国民の祝日の発行号では、富山新聞とともに題字近くに「祝日には国旗を掲げましょう」の表記があった[11]

石川県の民間放送局とは1985年から1992年まで、対立していた時期があった(北陸朝日放送北陸放送を参照)。

事業所編集

 
富山本社

本社編集

本社
  • 石川県金沢市南町2番1号(北國新聞会館、郵便番号920-8588)
富山本社
白山別館(印刷工場)

支社・支局編集

支社
総局
すべて石川県内。
能美(能美市)、津幡(津幡町)、羽咋(羽咋市)、輪島(輪島市
支局
野々市(野々市市)、鶴来(白山市)、山中(加賀市)、内灘(内灘町)、かほく(かほく市)、宝達志水(宝達志水町)、志賀(志賀町)、富来(同)、中能登(中能登町)、中島(七尾市)、穴水(穴水町)、能登(能登町)、珠洲(珠洲市)、

沿革編集

社史編集

創設者(社長兼主筆)は赤羽萬次郎「公平を性とし、誠実を体とし、正理を経とし、公益を緯とす。北國新聞は超然として、党派外に卓立す」を創刊理念とする。
  • 1911年9月 - 夕刊を発行開始[13]
  • 1912年12月 - 本社を現在地に移転。同時にフランス製マリノニー印刷機を1台設置[14]
  • 1921年1月9日 - 紙齢が10,000号を達成[14]
  • 1923年
    • 1月 - 加賀地区に『江能付録』、能登地区に『能登付録』をタブロイド版にて発行[14]
    • 5月1日 - 富山新聞の前身である『中越付録』を、富山県高岡市で創刊(1924年1月9日以降は『越中新聞』と言った[14][15]
  • 1925年1月 - 東京府東京市京橋区銀座2丁目に、東京支局を開設[14]
  • 1926年3月 - 愛知県名古屋市東区東新道に名古屋支局を開設[14]
  • 1930年 - 高速度輪転機が稼働開始[16]
  • 1935年10月 - 株式会社に改組[16]
  • 1939年12月13日 - 戦時中の新聞統合の本格化に先駆けて『金沢新報』[注 2]を合併[17]
  • 1940年
    • 7月1日 - 『北陸毎日新聞』を合併し、題字を『北國毎日新聞』に改める[16]
    • 8月 - 越中新聞が廃刊[16]
    • 9月 - 『北陸毎日』を合併[16]
  • 1941年11月1日 -『北國夕刊新聞』を合併[16]
  • 1942年5月1日 - 『北國日報』を合併[16]
  • 1944年2月 - 決戦非常措置で夕刊を廃止[16]
  • 1945年8月2日 - 富山大空襲を機に、新聞社の機能を大同生命ビル1~3階、千代田生命ビル地階、金沢市内郊外各所への疎開を開始[18]
  • 1946年
    • 1月23日 - この日付を以て、新聞本文の横書きが1行1文字の縦書きから左横書きへ切り替えられる[注 3]
    • 3月11日、『越中新聞』を『富山新聞』として復刊[15]
    • 11月18日 - 紙面に『現代かなづかい』を実施[19]
  • 1948年
  • 1949年8月 - 『北國夕刊』を発行開始(後に『夕刊北國』に改題)[20]
  • 1950年1月1日 - 題字を『北國新聞』に戻す[20][21]
  • 1951年9月 - 『夕刊北國』を併合し、朝夕刊セット体制となる[20]
  • 1954年
    • 6月 - 金沢市南町に地上6階・地下1階建ての旧社屋完成[20]
    この旧社屋には『北国講堂』という収容人員500名足らずの小ホールが併設されていて、社内行事の他、講演会・音楽発表会、演劇などのイベントにも利用された(1988年閉鎖)。また、北陸放送の本社が金沢市本多町に移転するまでは旧社屋内に設置されていた。
    • 9月 - 富山新聞社を正式に合併[15][20]
  • 1962年5月 - 紙齢が25,000号を達成[20]
  • 1964年2月9日 - 全国に先駆けて日曜の夕刊を廃止[22]
  • 1966年5月 - 北國新聞縮刷版第1号を発行[23]
  • 1970年10月 - 紙面キャンペーン『北陸の道を無雪に』で日本新聞協会賞を受賞[23]
  • 1976年3月15日 - 紙齢が30,000号を達成[23]
  • 1979年
    • 10月 - 年間企画『されど海へ』が日本新聞協会賞を受賞[23]
    • 11月 - コンピューターによる新聞紙面制作導入に伴う第一次CTS計画に労使合意[23]
  • 1981年7月 - 「ヘリオス」を導入。国産初の全ページ電算写植化を果たす[23]
    「ヘリオス=HELIOS」は、Hokkoku Editing Layout Improvement Original System(北國新聞の新機軸による進歩した編集レイアウトシステム)の頭文字をとり、ギリシャ神話の太陽神ヘーリオスの名になぞらえたもの。1984年、日本新聞協会賞を受賞。
  • 1983年
    • 4月 - 北國風雪賞、富山風雪賞を制定[23]
    • 9月 - 制作センター竣工[23]
  • 1985年
    • 3月 - ワープロによる記事入力を開始[23]
    • 11月 - 北國スポーツ奨励賞を制定[23]
  • 1986年
    • 12月 - 現社屋建設に着手[24]
    • 『北國がん基金』の運動を提唱[23]、紙面キャンペーン『いのち見つめて』の連載スタート。
    『いのち見つめて』は1990年、アップジョン医学賞を受賞。
  • 1988年12月 - 新社屋の建設工事に着手[24]
  • 1991年
    • 1月1日 - 社名・題字を『北新聞』に戻すなどCIを導入[24]
    • 4月1日 - 金沢市香林坊(現在地、2008年に旧町名復活で「南町」に町名変更)に地上21階・地下3階建ての新社屋が完成[24]
    『21階』という数は「21世紀へ羽ばたく北國新聞社」との意味合いがある。近隣のビルよりも抜きん出て高いうえに、兼六園や長町武家屋敷などの観光地にも近く「城下町景観を損ねる」として論争となった。
  • 1992年
  • 1993年2月 - 北國新聞厚生年金基金を設立[24]
  • 1996年 - 石川県松任市(現白山市)に、完全コンピューター制御による最先端のシステムを導入した印刷工場・松任別館が完成
    2002年には業界初の朝刊最大48ページ、24個面のカラー印刷体制を整えた。
  • 2003年 - 石川県根上町(現:能美市)出身の松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースに入団したため、ニューヨーク支局を開設。地方紙としては異例である。
  • 2008年 - 本社社屋横に多目的ホール「北國新聞赤羽ホール」開館。
  • 2010年 - ニューヨーク支局を閉鎖、ロサンゼルス支局を開設[25]
  • 2016年7月28日 - 2017年秋からの開始をめどに、中日新聞北陸本社発行新聞(富山県向け北陸中日新聞朝刊と、中日スポーツの富山・石川県向け新聞)の印刷受託を開始予定[26]
  • 2019年2月1日 - 販売会社を統合「北國新聞販売(株)」が「北國新聞南部販売(株)」「北國新聞小松販売(株)」「北國新聞河北販売(株)」の3社を吸収合併[27]
  • 2020年1月1日 - この年からバーコードが印刷される。
  • 2021年2月1日 - 公式ウェブサイトを有料化し、「北國新聞デジタル」として電子版の運用を開始[28]

また、戦時中は戦災に遭った福井新聞の印刷を代行し、敗戦後もマリノニー輪転機や活字を贈るなど、再建の支援を行っていた[29]

歴代社長編集

  1. 赤羽萬次郎(1893 - 1898)
  2. 林政文(1898 - 1899) - 赤羽萬次郎の実弟。汽船で旅行中遭難し行方不明に
  3. 林政通(1899 - 1921) - 政文の養父。
  4. 林政武(1921 - 1943) - 政通の長男。
  5. 嵯峨保二(1943 - 1959) - 政通の右腕だった嵯峨七平の養子。金沢工業大学学園(旧・北国学園)初代理事長。
  6. 嵯峨喬(1959 - 1963) - 保二の長男。北陸放送元社長の嵯峨逸平は実弟。
  7. 宮下与吉(1963 - 1981) - 1907年に11歳で入社し、以来長らく社の中枢で働いた。1960年会長職につくも、喬の急死により社長に。社長引退後は代表取締役顧問。
  8. 宮下明(1981 - 1987)
  9. 岡田尚壮(1987 - 1991) - 参議院議員岡田直樹の実父。
  10. 飛田秀一(1991 - 2012) - 21年間社長を務めたが、2012年2月29日付で代表取締役会長に就任した[30]
  11. 高澤基(2012 - 2016) - 2012年2月29日付で代表取締役社長に就任。
  12. 温井伸(2016 - ) - 2016年4月1日付で代表取締役社長に就任。

題字の変遷編集

『北國毎日』時代を除き、『ほっこく新聞』と名乗り続けているが、この『ほっこく』の題字は、時代により変遷をくり返してきた。

創刊期から『北國毎日』になるまでは、横に長いデザインの文字で『北國新聞』と表記されていた。 題字を戻した1950年以降少なくとも1953年までは、『北国新聞』と行書風な書体で書かれた新字体の題字を採用していた。紙面の上部に表示されるタイトルも、52~53年の2年間に限り『The Hokkoku Shimbun』と英語表記であった。

それ以降は『北國新聞』と新聞書体風の文字で表記された。

1980年~1990年までは『北国新聞』と新字体で表記された(新字体表記となった際に、新の字の偏も“立+未”から“立+木”に変更された)。

1950年から1990年までは、題字の下に表記される発行社名や、本文中に登場する社名も『北国新聞社』と表記していた。

1991年1月1日以来、題字も本文中の表記も『北國新聞』と旧字体に統一され(ただし、新の字の偏は1980年からの“立+木”を継続)、現在に至っている[24]。『北國新聞社』の『社』も、この年からは旧字体(示+土)で表記している。題字は書道家の横西霞亭によるもの。

事業部門編集

  • 1966年 - 北國新聞文化センター設立
当初は北陸放送と提携し『北国文化センター』と言った。
場所は旧北陸放送社屋から千代田生命ビル、現北國新聞会館へと移動した。

出版部門編集

  • 1945年 - 月間総合誌『北國文華』創刊
当初は『文華』で発刊。1953年に82号で終刊。
当初は年2回発行、2001年の第7号より季刊となり現在に至る

その他編集

2007年より中央競馬において冠レース「北國新聞杯」[31] が新設される。地方競馬では金沢競馬場重賞北國王冠を実施しているが、中央競馬では初めて。第1回が行われる2007年11月25日の北國新聞には、レースの開催が京都競馬場のカラー写真とともに1面に掲載されている。また、中央競馬の重賞レース開催日には出馬表がスポーツ面に掲載される(GI開催日には前日発売のオッズ表も掲載)。

印刷工場では日本経済新聞北陸中日新聞中日スポーツ聖教新聞など外部からの印刷受注も行っている(詳細はショセキの項を参照)。

フランスナンシー市に本社を置くレスト・レピュブリカン社、中国蘇州市の蘇州日報社、ブラジルサンパウロ市のニッケイ新聞社と姉妹紙提携し、記事や記者の交換を通じて交流を図っているほか、ロシア国営のタス通信社(モスクワ市)と報道協定を結んでいる。

将棋棋王戦の主催紙の一つであり、特に五番勝負ではそのうちの1局を担当するのが恒例である(2018年までは第2局、2019年は第1局)。以前は金沢市内のホテルなどで対局を実施していたが、2009年からは北國新聞会館が使われるようになった[32]

これまで、世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)が主催するイベントの模様を紹介する記事をたびたび掲載している。2016年には、同教会が主催するイベント「世界平和統一家庭連合の集い 世界が家族になっていく」を北國新聞社が後援した[33]

主な紙面構成編集

主な連載編集

  • 「ラブラブクリニック」木下陸郎・金沢聖霊総合病院院長(月曜) - 産婦人科医の筆者が、自己の職務などの経験を交え、夫婦生活や恋愛にまつわる話題を連載。
  • 「脳を鍛える」田淵英一・富山短大教授(月曜) - いわゆる「脳トレ」のような問題が出題される。認知症関連の話題にも触れている。
  • 教育一本勝負(木曜) - 読者から寄せられた、学齢期(特に中学〜青年期)の子を育てている上での悩みに金城大学短期大学部教授の丹羽俊夫が回答する連載。
  • うめめ日記(日曜) - 能登町(旧柳田村)出身の梅佳代が撮影した自らの家族やペット、友人、村の人などを被写体にしたカラー写真と、その写真に対する筆者独特のコメントを掲載。
  • ヒラリ君(毎日・4コマ漫画) - 作者は井田良彦。以前は全国各地の新聞で掲載されていたが、2000年4月から北國・富山新聞のみで単独連載。単独連載以後、登場キャラクターは金沢弁で話すようになった。
  • ケロロ軍曹北陸大作戦(土曜・北國こども新聞にて連載) - ケロロ軍曹が石川・富山を舞台に騒動を巻き起こす内容。大槻朱留が作画を担当。

過去の連載編集

  • ふるさと調査『2014年』(1面・2008年) - 香林坊博士とその部下たちというキャラクターがタイムマシーンを利用するなどして調査するという、北陸新幹線の2014年開業に関した内容。
  • 珠姫の金沢は”城下町”じゃ(1面・2009年) - キャラクター化した珠姫(『月刊北國アクタス』連載中の『おてんば珠姫さま!(大西巷一)』の主人公)を主人公に、金沢経済同友会が推奨する「金沢学」にまつわる内容を紹介する。

テレビ・ラジオ欄編集

金沢ケーブルの筆頭株主であり、同局および加賀ケーブルテレビ(金沢ケーブルの連結子会社)で「北國新聞ニュース・プラス」を放送していることもあって、第2テレビ欄は1ページのうちケーブルテレビCS放送番組表が半分以上を占めている。

一方で、ラジオ局は自ら出資しているコミュニティFM局の掲載を優先し、石川県内の系列外コミュニティ放送局であるえふえむ・エヌ・ワンおよびFMかほく番組表は掲載していなかったが、2009年4月1日から掲載されることになった(なお、北陸中日新聞では北國新聞が掲載していなかった頃から前述の2局とラジオかなざわを一緒に地域版に掲載している)。

・テレビ欄

1985年10月4日までは、友好関係のあったMROテレビ(以前は北陸放送、北陸テレビと表記)を一番左に掲載。横にNHK2局などを掲載していた。1985年10月5日から1990年3月24日まではNHK2局の横にMROテレビを掲載していた。1990年3月25日からはサービス放送を開始した、友好関係のあるテレビ金沢をNHK2局の横に掲載している。

1990年3月24日までKNBテレビ(2000年11月30日までは北日本テレビと表記)・BBT(2001年3月31日までは富山テレビ、2018年3月31日までBBTテレビと表記)をフルサイズ、FBCテレビ福井テレビをハーフサイズ(1989年12月31日までは小サイズ)で掲載していた。1989年12月31日までは新潟放送が小サイズで掲載されていた。テレビ金沢のサービス放送が始まった1990年3月25日からは4局ともハーフサイズとなった。チューリップテレビ(以降、チューリップ)のサービス放送が始まった1990年9月24日、チューリップ・FBCテレビをハーフサイズ、KNBテレビ・BBT・福井テレビを小サイズに変更した。1990年11月29日、WOWOWサービス放送開始に伴い、5局とも小サイズの掲載に変更した。以降の朝刊は基本的に小サイズの掲載となるが、2001年2月13日から2002年12月31日までは第2テレビ欄に移し、ハーフサイズで掲載していた。夕刊は富山県3局をハーフサイズ(2局時代はフルサイズ。1990年11月29日からBBTのみ小サイズに変更)、1991年9月21日まで福井県2局を小サイズにしていたが、北陸朝日放送サービス放送開始に伴い、1991年9月24日から5局ともハーフサイズに統一した。

2000年12月1日、民放のBSデジタル放送開始に伴い、朝刊中面ラジオ欄の上段に第2テレビ欄を設置。2001年2月13日、富山県・福井県のテレビ欄を最終面から第2テレビ欄へ移動した。2003年1月1日、福井県2局の掲載中止。朝刊は2003年2月24日に掲載を再開した。2012年3月17日、夕刊の富山県3局掲載を中止。朝刊では2018年11月30日に福井県2局、2019年3月31日に富山県3局の掲載を中止。富山県3局に関しては元日や新聞休刊日のみ2020年4月12日まで朝刊に掲載していたが、2020年5月以降は掲載されていない。

番組解説(地上波)は通常2番組で写真なしの解説。また、テレビのチャンネル表記は地上デジタル放送開始以前は金沢本局と七尾のチャンネルを掲載していた。2011年7月23日まではリモコンキーIDの番号と番号の下に「デジタル」の表記を記載(富山県および福井県の放送局も同様)。また、番組表内の文字表記においてはステレオ放送は丸印に「」と表記した(通常は「S」と表記する場合がほとんど)ほか、旧字・異体字を使用する人物の場合、旧字・異体字で表記する場合がある。

2011年7月24日に実施した地上テレビ放送の完全デジタル化を見据えて、同年1月31日でGコードの掲載を終了。同年7月24日に番組表を改訂し、チャンネル表記をデジタルチャンネルのみにした他、これまで中面で掲載していた北國新聞ニュース24を最終面に移動した(チャンネル番号は金沢ケーブルと業務提携局で使用の9と表記)。

・ラジオ欄

1985年10月4日まで、友好関係のあったMROラジオ(以前は北陸放送と表記)を大サイズで掲載していた。1985年10月5日以降はNHKラジオ第1NHKラジオ第2KNBラジオ(2000年11月30日までは北日本放送と表記)・ラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)とともにハーフサイズへ変更となった。FBC(福井放送)は1990年1月1日から掲載開始。FBCの掲載開始をきっかけに最終テレビ欄から独立し、1990年1月3日から中面にラジオ欄の掲載を開始した。

1984年12月18日のFM福井開局を皮切りに1985年4月1日にはFMとやま、1990年4月1日にはエフエム石川が開局。それぞれサービス放送開始から掲載した。1996年4月以降、コミュニティFMラジオかなざわラジオこまつラジオななおが開局。開局日より掲載開始。2003年1月1日、FBC(朝刊は2007年6月1日より再度掲載)・FM福井の掲載中止。以降はラジオたかおか(2005年9月21日から2009年3月31日まで)を掲載していた時期があった。ラジオたかおかの掲載と同時にFMとやまの掲載を中止した。2009年4月1日、石川県の系列外コミュニティFMの掲載を開始。朝刊では2020年4月30日を最後にKNBラジオ・FBCの掲載を中止。夕刊では2020年5月1日以降もKNBラジオを掲載している。

最終面編集

フルサイズ掲載

NHKNHK金沢放送局の番組。

4分の1サイズ掲載

第2テレビ・ラジオ欄編集

ほぼ全番組が掲載されているものを記載する。すべて4分の1サイズ掲載。2023年3月1日から、みもの・ききもの欄は掲載されていない。2022年頃からBS11Bs12BSアニマックスJ SPORTS(1から4)・放送大学、2023年3月1日からBS松竹東急BSよしもとの番組表掲載を中止した。また、BSJapanextの番組表は掲載されていない。

BS
ラジオ・FM放送
CS放送(有料)
CS放送(基本)

外部へのニュース配信編集

北國新聞では、以下のウェブサイトへのニュース配信を行っている。

当初、Yahoo!ニュースでは石川県内のニュースのみを配信していたが、2021年2月1日に公式ウェブサイトがリニューアルした以降石川・富山両県の記事を配信している。

現在の関連企業編集

現在の関連企業の詳細は、北國新聞社採用サイト 会社情報 を参照。

関連法人編集

財団法人など
  • 財団法人北國芸術振興財団
  • 公益法人北國新聞健康保険組合
  • 公益法人北國新聞企業年金基金
  • 社会福祉法人北國新聞厚生文化事業団
  • 医療法人社団飛祥会 - 北國クリニック(内科・消化器科・循環器科・呼吸器科・セカンドオピニオン外来)
  • 一般財団法人北國総合研究所
  • 一般財団法人北國新聞文化センター - 各種カルチャー教室のほか、主に中学生対象の「北國塾」や「石川県総合模試」も担当。
  • 公益財団法人北國がん基金 - 旧北國がん研究振興財団
企業
  • 北國観光株式会社
  • 株式会社ほっこくリビング新聞社 - タウン情報誌「リビングかなざわ」発行
  • 株式会社一創 - 広告(主に、北國新聞の広告)代理店
  • 株式会社北國輸送センター
  • 北國新聞販売株式会社
  • 富山新聞販売株式会社
  • 北國土地建物株式会社
  • 株式会社ショセキ - 書籍印刷、日本経済新聞などの受託印刷
  • 株式会社ネスク - インターネットプロバイダ
  • 株式会社ケィ・シィ・エス - パーティー、イベント、会議などの企画・制作・運営など

友好法人編集

その他編集

  • 一般財団法人富山新聞文化センター
  • 片山津ゴルフ倶楽部 - 片山津ゴルフ場、山代山中ゴルフ場

過去の関連企業編集

関連法人編集

  • 株式会社北國新聞事業社 - 人材派遣業務、旅行業務、保険業務
  • 株式会社北國新聞販売センター
  • 株式会社イー・システム - コンピュータソフトの開発販売など
  • 白山ヘリポート株式会社 - ヘリコプター運行、管理業務
  • 白馬グランドホテル

友好法人編集

  • 白山レイクハイランド株式会社 - 白山瀬女高原スキー場の運営
  • 株式会社北陸メディアセンター - TV番組・CM・記録ビデオ・デジタル映像などの制作、制作設備・機材レンタル
  • NPO法人ジャパンテント・ネットワーク - 外国人留学生と石川県民との交流

CM起用者編集

放送施設編集

放送局名 コールサイン 周波数 空中線電力 ERP 放送対象地域 放送区域内世帯数 開局日
ラジオかなざわ JOZZ5AB-FM 78.0 MHz 音声20W 音声42W 金沢市及び周辺地域 - 1996年4月1日

脚注編集

注釈編集

  1. ^ ただし、エフエム石川は中日新聞社北陸中日新聞)も同比率で出資している。
  2. ^ 1920年1月に政友会系機関紙として創刊。経営難のため1926年4月から富山県東砺波郡井波町(現・南砺市)の富豪に経営権が移っていた[16]
  3. ^ 前日の1月22日付朝刊までは1行1文字の縦書きとなっていた。

出典編集

  1. ^ 北國新聞社 1部売り定価を値上げ 月ぎめ購読料は据え置き(2019年7月24日、文化通信社)2020年5月2日閲覧
  2. ^ “19年4月ABC部数”. 新聞情報. (2019年5月18日) 
  3. ^ 富山新聞発行数を含む
  4. ^ a b 第116期決算公告 株式会社北國新聞社(2021年3月13日付北國新聞5面下部)2021年3月13日閲覧
  5. ^ (株)北國新聞社のインターンシップ・会社概要 | マイナビ2024”. マイナビ (2022年6月1日). 2022年6月11日閲覧。
  6. ^ 加盟社・契約社一覧 - 共同通信社
  7. ^ a b c 読売新聞メディアデータ2020 上位3紙朝刊販売部数・世帯普及率” (PDF). 読売新聞広告局. 2020年1月19日閲覧。
  8. ^ なお、石川県内では富山新聞の主催イベント・出版物の広告では「北國新聞富山本社」と表記している
  9. ^ 北日本新聞 あなたの知りたい!特報班(知りとく)
  10. ^ 福井新聞ONLINE みんなで発掘 ふくい特報班
  11. ^ 北國新聞 1997年11月23日付朝刊1面より。
  12. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『誇らかに"言論の公器"を宣言』より。
  13. ^ 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)58ページ。
  14. ^ a b c d e f 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)60ページ。
  15. ^ a b c 富山大百科事典 下巻(1994年8月1日、北日本新聞社発行)472ページ
  16. ^ a b c d e f g h i 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)62ページ。
  17. ^ 『富山県民とともに 北日本新聞百年史』(1984年10月5日、北日本新聞社発行)194ページより。
  18. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『新聞守って敗戦へ・強引に社屋の自社疎開』より。
  19. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)より。
  20. ^ a b c d e f g h 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)64ページ。
  21. ^ 『北國新聞』1949年12月31日付朝刊1面、1950年1月1日付朝刊1面。
  22. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『危機克服へ全社一丸・決断の第一歩、日曜夕刊を廃止』より。
  23. ^ a b c d e f g h i j k 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)66ページ。
  24. ^ a b c d e f g h 『北國新聞創刊100年記念誌』(1993年8月5日、北國新聞社発行)68ページ。
  25. ^ 北國新聞会社概要-沿革(2018年2月28日閲覧)
  26. ^ 中日、北國に印刷委託 北陸で約2万1千部”. 日本新聞協会 (2016年7月28日). 2018年10月7日閲覧。
  27. ^ 販売会社の紹介(2019年10月8日閲覧)
  28. ^ 北國新聞富山新聞デジタル
  29. ^ 『八十年を歩む -創刊から現代まで-』(1973年8月5日、北國新聞創刊80周年記念編集委員会発行)内『戦災の福井新聞を救援』より。
  30. ^ 北國新聞社 社長に髙澤基氏 - 日本新聞協会 2012年2月29日
  31. ^ レーシングカレンダー2020年11月1日(日曜) - 日本中央競馬会
  32. ^ 棋王戦第2局対局場「北國新聞会館」 - 将棋ペンクラブログ・2010年2月27日
  33. ^ 北國新聞社が旧統一教会主催イベントを後援し紙面で紹介…異様な加担ぶりはまるで広報活動|安倍元首相銃撃で見えた 統一教会の実態”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年7月27日閲覧。
  34. ^ Yahoo!ニュース 北國新聞社
  35. ^ Yahoo!ニュース 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ
  36. ^ gooニュース 北國新聞 ニュース一覧
  37. ^ gooニュース 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ ニュース一覧
  38. ^ 「スマホアプリにニュースを配信 北國新聞社」(2020年6月4日付北國新聞朝刊28面)2020年6月4日閲覧
  39. ^ 北國新聞 2018年12月1日 朝刊34面

参考資料編集

  • 北國新聞縮刷版
  • 石川県大百科事典…1975年発行、北国出版社刊
  • 創刊90年~設備近代化の飛翔…1983年発行、北國新聞社
ヘリオス導入を記念してまとめられた社内記念誌。
  • 北國新聞に見るふるさと110年…2003年発行、北國新聞社刊
過去の紙面から年ごとの特徴的な記事をピックアップした本。
  • 石川県大百科事典(改訂版)『書府太郎』…2005年発行、北國新聞社刊
1993年に創刊100年記念として刊行したものの改訂版。かつて『天下の書府』とうたわれた加賀藩にあやかって命名。

関連項目編集

関連人物編集

イベント・映画製作編集

イベント
映画製作

協力番組編集

いずれもテレビ金沢の番組。読売新聞とともに番組協力。

外部リンク編集