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常錦 利豪(つねにしき としひで、本名:前田 正三(まえだ しょうぞう)→鈴木 正三(すずき -)、1931年5月31日- )は、福島県東白川郡古殿町(現役当時、現在は石川郡古殿町)出身で、かつて大相撲出羽海部屋に所属した力士である。最高位は西前頭筆頭(1964年3月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は174cm、108kg。[1]

目次

来歴・人物編集

小学校卒業後はトラックの運転手として働いていたが、1949年に故郷で巡業があった際に、福島県会議員の世話で元横綱・安藝ノ海藤島親方を紹介された。これを切っ掛けに藤島が所属する出羽海部屋へ入門し、同年10月場所で初土俵

序ノ口に付いた時より「常錦」の四股名を名乗り、引退までの17年間で一度も改名する事はなかった。

体に恵まれず、また膝の故障にも苦しんだ。だが、1953年頃に藤島が岳父・出羽海親方との確執に悩み廃業を待つばかりの状況であったため「親方の分まで取ろう」と諦めずに相撲を続け、1955年3月場所で十両に昇進。3年後の1958年3月場所で、新入幕を果たした。

前頭筆頭まで出世したものの、殊勲星は1つだけ(1961年7月場所での大関琴ヶ濱戦)で上位進出がほとんどないため、幕内中下位力士の感はやや否めない力士である。また、1勝14敗と全敗寸前の成績が2度ある。ただし12年間関取(幕内26場所・十両41場所)を務めており、引退時の年齢が(18歳で入門したという事もあるが)35歳であり、息の長い力士ともいえる。

同じ出羽海部屋の所属であった北の富士は十両に昇進した頃に常錦から取り廻しを譲ってもらった。北の富士曰く「だいぶ使い込んでいて、股ぐらの所が気持ち悪くてねぇ(笑)」[2]

1967年3月場所限りで引退した後は、年寄関ノ戸や同・稲川として後進を指導していたが、1971年1月場所後に廃業。

以後は郷里・福島で、建設会社を経営した。

トラックの運転手だった事から、「トラ」の愛称があった。

略歴編集

  • 1949年…出羽海部屋に入門し、この年の10月場所で初土俵を踏む。
  • 1950年1月場所…師匠(元横綱・常ノ花)の現役名に因む、「常錦」の四股名で序ノ口に付く。
  • 1955年3月場所…新十両に昇進。
  • 1958年1月場所…13勝2敗という好成績で、十両優勝を遂げる。
  • 1958年3月場所…新入幕。
  • 1959年1月場所…再入幕。
  • 1960年3月場所…3度目の入幕。
  • 1960年11月場所…4度目の入幕。
  • 1961年7月場所…横綱・大関陣との対戦圏内に初めて進出し、初日に大関・琴ヶ濱を降す「銀星」を挙げるも、大きく負け越す。
  • 1963年3月場所…5度目の入幕。
  • 1964年3月場所…自己最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げたが、1勝14敗と惨敗を喫する。
  • 1967年1月場所…関取として迎えた最後の本場所。途中から出場するも不本意な成績に終わり、次場所での幕下陥落が確定する。
  • 1967年3月場所…西幕下2枚目に在ったが、初日から休場。場所後に引退を表明し、年寄・関ノ戸を襲名する。

主な戦績編集

  • 現役在位:86場所
  • 通算成績:577勝603敗38休1分 勝率.489
  • 幕内在位:26場所
  • 幕内成績:166勝223敗1分 勝率.427
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1958年1月場所)

関連項目編集

参考文献編集


脚注編集

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  1. ^ 常錦利豪 (つねにしき としひで)”. sumodb.sumogames.de. 2018年10月10日閲覧。
  2. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)P133