志免町
志免町(しめまち)は、福岡県福岡市近郊の町。糟屋郡に属し、福岡都市圏の一部である。
しめまち ![]() 志免町 | |||||
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![]() 志免鉱業所跡地 | |||||
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国 |
![]() | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 福岡県 | ||||
郡 | 糟屋郡 | ||||
市町村コード | 40343-1 | ||||
法人番号 | 7000020403431 | ||||
面積 |
8.69km2 | ||||
総人口 |
46,258人 [編集] (推計人口、2025年5月1日) | ||||
人口密度 | 5,323人/km2 | ||||
隣接自治体 | 福岡市、糟屋郡粕屋町、宇美町、須恵町 | ||||
町の木 | (制定なし) | ||||
町の花 | 桜 | ||||
志免町役場 | |||||
町長 | 世利良末 | ||||
所在地 |
〒811-2292 福岡県糟屋郡志免町志免中央一丁目1番1号 北緯33度35分29秒 東経130度28分47秒 / 北緯33.59142度 東経130.47981度座標: 北緯33度35分29秒 東経130度28分47秒 / 北緯33.59142度 東経130.47981度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集福岡市東部に位置する。町域の南部と西部に丘陵地帯があるものの、概ね平坦である。ほぼ全域が市街地化されている。面積は吉富町、糸田町に次いで県下では3番目に狭い。
人口密度は2015年国勢調査基準で全国の町村ならびに鉄道路線の存在しない市町村の中では最も高い[1]。福岡県内では春日市に次いで第2位である。
隣接する自治体・行政区
編集地名
編集- 志免
- 田富
別府(2010年消滅)御手洗(2010年消滅)- 南里
- 吉原
- 桜丘1丁目~5丁目(1979年、吉原より発足)
- 石橋台(1983年、志免より発足)
- 田富1丁目~4丁目(1999年、田富より発足)
- 志免東1丁目~4丁目(2000年、吉原より発足)
- 東公園台1丁目~2丁目(2000年、志免より発足)
- 松ヶ丘(2000年、志免より発足)
- 志免1丁目~4丁目(2001年、志免より発足)
- 志免中央1丁目~4丁目(2002年、志免より発足)
- 片峰1丁目~4丁目(2003年、志免より発足)
- 片峰中央1丁目~4丁目(2003年、志免より発足)
- 坂瀬(2004年、志免より発足)
- 向ヶ丘1丁目~2丁目(2004年、志免より発足)
- 南里1丁目~7丁目(2005年、南里より発足)
- 王子1丁目~4丁目(2006年、南里より発足)
- 別府東1丁目~3丁目(2007年、別府より発足)
- 別府西1丁目~3丁目(2008年、別府より発足)
- 別府1丁目~4丁目(2009年、別府より発足)
- 別府北1丁目~4丁目(2010年、別府より発足)
- 御手洗1丁目~2丁目(2010年、御手洗より発足)
歴史
編集隣町である宇美町にある宇美八幡宮の注連縄(しめなわ)が張られた土地であることから、志免の地名となった説がある。
近現代
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、田富村、吉原村、志免村、南里村、別府村及び御手洗村の区域をもって、志免村が発足する。
- 1939年(昭和14年)4月17日 - 志免村が町制施行して、志免町となる。
歴代町長
編集- 南里久雄(1975年 - 1999年)6期[2]
- 南里辰己(1999年5月1日 - 2015年4月30日)4期
行政
編集町長
編集- 世利良末(2期目)
- 任期:2023年4月30日
町議会
編集- 定数:14人
- 任期:2023年4月30日
消防
編集- 粕屋南部消防組合
- 南部消防署
警察
編集産業
編集糟屋郡南部一帯に広がる糟屋炭田と呼ばれる炭田地域の中心部にあたり、かつては町内に数か所の炭鉱を有し、石炭産業で栄えたが、エネルギー革命の影響で1964年に国鉄志免鉱業所(炭鉱)が閉山したのを最後に町内から炭鉱がなくなった。町のシンボルともいえる炭鉱跡地の立坑櫓(志免鉱業所竪坑櫓)と硬山(ボタ山)は、かなりの土地を占有しているため、長年その利用法は議論されているが、撤去に莫大な費用がかかることと、土地が3町(志免町・須恵町・粕屋町)にまたがっている事などから、未だ手付かずのままである。その内竪坑櫓は貴重性が認められ、国指定重要文化財に指定された。現在は福岡市に隣接していることと、適度に安い地価から、ベッドタウンとして住宅が多数建設され、人口が増加している。
大型商業施設としては町北部にイオン福岡東ショッピングセンターが立地しているほか、隣の粕屋町内にあるイオンモール福岡も志免町中心部から近い。ほかに幹線道路沿いにはロードサイド店舗が多く立地している。
地域
編集人口
編集志免町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 志免町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 志免町
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
志免町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
教育
編集中学校
- 志免町立志免中学校
- 志免町立志免東中学校
小学校
- 志免町立志免中央小学校
- 志免町立志免東小学校
- 志免町立志免南小学校
- 志免町立志免西小学校
町内に高等学校・大学・専門学校はない。
交通
編集空港
編集福岡空港(福岡市博多区)まで4km程度と近接しており、国内線ターミナルと志免町を結ぶ路線バスも運行されている。
鉄道
編集1985年3月限りで勝田線が廃止されたことにより町内の鉄道はすべて消滅し、現在鉄道は通っていない。
福岡市地下鉄空港線の福岡空港駅は志免町と福岡市の境界まで約600mの位置にあり志免町の一部地域から徒歩で利用可能である。このほか、九州旅客鉄道(JR九州)香椎線の酒殿駅・須恵駅・須恵中央駅・新原駅や、篠栗線(福北ゆたか線)の柚須駅も志免町域から1km前後の場所に位置する。
町内からは福岡空港駅、博多駅、宇美駅への路線バスが運行されている。
廃止路線
編集1909年に博多湾鉄道により貨物線として開業した酒殿 - 志免間が志免町内初の鉄道路線で、1915年に志免 - 旅石間を延長し全通した。その後、1919年に筑前参宮鉄道により吉塚 - 宇美間が開業した。町内のこれらの路線は1942年に西日本鉄道が成立した際にすべて同社の路線となったのち、1944年に戦時買収され国鉄の路線となった。
第六坑閉坑で旅石支線のうち旅石 - 志免間が廃止され、残った志免 - 酒殿間は自動車運搬用の貨物線として活用されたが1984年いっぱいで廃止され、勝田線も1985年に廃止された。
鉄道記念公園は旅客ホームの付近の僅かであるが、元の志免駅は貨物駅から始まって居り広大な面積を占めて居た。
バス路線
編集- 西日本鉄道(西鉄バス) - 町内から隣接するすべての市町へ運行している。
- 天神から町中心部へ
- 天神日銀前から32・33・34番
- 博多駅から町中心部へ
- 博多バスターミナル1階14番乗り場から30・32・33番
- 福岡空港から町中心部へ
- 福岡空港前バス停(地下鉄4番出口前)からイオンモール福岡行き、3番、5番、37番
- 天神から町中心部へ
オンデマンド交通
編集2024年3月1日より、町内各地で乗降可能なAIオンデマンドバス「のるーと志免」が運行されている(日祝日運休)。かつて町内を無料で運行していた福祉巡回バスは、のるーと志免に代替される形で2024年3月末をもって廃止された。