成安造形短期大学(せいあんぞうけいたんきだいがく、英語: Seian College of Art and Design)は、京都府長岡京市調子1-25-1に本部を置いていた日本私立大学である。1950年に設置され、2006年に廃止された。学生募集は2002年度まで。2003年度より大阪成蹊大学の設置により短期大学は学生募集を停止し、2006年6月14日正式廃止[1]

成安造形短期大学
大学設置 1950年
創立 1920年
廃止 2006年
学校種別 私立
設置者 学校法人大阪成蹊学園
本部所在地 京都府長岡京市調子1-25-1
学部 服飾文化学科
造形芸術科
研究科 造形芸術専攻
服飾文化専攻
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概要 編集

大学全体 編集

建学の精神(校訓・理念・学是) 編集

  • 成安造形短期大学の建学の精神はその由来は「成安」の名にこそある。「成」とは、成し遂げること。「安」とは、安寧であること。 つまり 「成安」とは人の和を大切に、一人ひとりが自己の使命を追求し、全うし続けることを通じて、心安らぐ平和な社会をつくることに貢献するという意味である。

教育および研究 編集

  • 1920年、教育者の瀬尾チカ(1887年12月30日 - 1956年11月20日没)の創立による成安裁縫学校が起源となっていることから、開学以来とりわけ被服や服飾デザイン関連の教育には力をいれていた。
  • ファッションおよび造形美術やデザインに関する専門教育が行われていた。

学風および特色 編集

  • 元々は、女子短大であったが共学化された。
  • 学生の一大イベントとしてファッションショーが催された。

沿革 編集

  • 1920年 成安裁縫学校が創設される。
  • 1923年 京都成安女子学院に改組される。
  • 1940年 京都成安高等女学校に改組。
  • 1946年 京都成安女子専門学校に改組。
  • 1950年 京都成安短期大学(きょうとせいあんたんきだいがく)として開学。被服科I部を置く。
  • 同年10月1日 成安女子短期大学(せいあんじょしたんきだいがく)と改称。
  • 1951年 被服科に第二部が設置される(1957年3月31日廃止)。別科被服専修(第一部・第二部)を置く。
  • 1958年 意匠科を増設。
  • 1981年 意匠科を造形芸術科と改称。
  • 1987年 キャンパスを上京区相国寺北門前町から長岡京市調子に移転。
  • 1990年 教育職員免許法の改正に伴い、両学科が中学校教諭免許状課程の再認可を受ける。被服科を服飾文化学科と改称。
  • 1993年 成安造形短期大学と改称。造形芸術科を共学化する。
  • 1994年 服飾文化学科を共学とする。
  • 1996年 大学評価・学位授与機構認定の専攻科服飾文化専攻が設置される。
  • 2001年 成安造形短期大学の設置者が京都成安学園から大阪成蹊学園に変更される。
  • 2002年 学生募集を終了。翌年度より大阪成蹊大学芸術学部に改組。
  • 2006年6月14日正式廃止[1]

基礎データ 編集

所在地 編集

  • 京都府長岡京市調子1-25-1

教育および研究 編集

組織 編集

学科 編集

  • 服飾文化学科
  • 造形芸術科
学科の変遷 編集
  • 被服科
    • 第一部→服飾文化学科
    • 第二部[2]
  • 造形芸術科

専攻科 編集

別科 編集

  • かつては被服専修が置かれていた。第二部は1957年3月31日廃止。

取得資格について 編集

附属機関 編集

  • 総合芸術研究所
  • 附属図書館

学生生活 編集

学園祭 編集

  • 成安造形短期大学の学園祭は「白妙祭」と呼ばれていた。

大学関係者と組織 編集

大学関係者一覧 編集

大学関係者 編集

歴代学長

施設 編集

  • 女子学生を対象とした学生寮があった。

対外関係 編集

他大学との協定 編集

系列校 編集

社会との関わり 編集

  • 公開講座を執り行っていた。

卒業後の進路について 編集

就職について 編集

編入学・進学実績 編集

関連項目 編集

関連サイト 編集

参考文献 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 平成23年度『全国短期大学高等専門学校一覧』281頁より。
  2. ^ 昭和30年度版『全国学校総覧』(1379頁)によると、1954年度の学生数は24人。
  3. ^ おおむね1998年度入学生まで
  4. ^ 教員養成課程認定大学短期大学一覧』(1955年)64頁「成安女子短期大学」の欄より。
  5. ^ a b 2000年度用入学案内冊子より一部引用。
  6. ^ a b 『短大螢雪5月臨時増刊 短大・学科内容案内号』(旺文社。2000年5月)454ページより