株式会社日東あられ新社(にっとうあられしんしゃ)は、岐阜県揖斐郡池田町にかつて存在したあられ、おかき、おせんべいの専門メーカーである。

株式会社日東あられ新社
New Nitto Arare Co.,Ltd.
種類 株式会社
略称 日東あられ
本社所在地 日本の旗 日本
503-2416
岐阜県揖斐郡池田町萩原31
設立 1994年4月15日
業種 食料品
事業内容 米菓の製造販売
代表者 代表取締役社長 堀内潔
資本金 3億円
従業員数 138名
主要株主 サンヨー食品
特記事項:2011年11月30日解散、2012年1月11日特別清算開始決定。
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概要 編集

旧・日東あられ 編集

1948年に創業した(旧)日東あられは日東食品工業が前身である。日東あられの社名の由来は明らかにしていない。

亀田製菓などと並んで、日本のあられ、おかき、おせんべいのトップブランドとして知られ、民謡歌手金沢明子蝋燭を前に民謡を歌うCMで知名度を高めた。かつては、数々のテレビ番組のスポンサーを数多く務めたこともあり、在京キー5局在阪準キー5局在名民放5局を中心にスポットCM展開していた。

北海道東海3県など、地域限定の土産菓子を持たない会社である。

1991年2月に創業者・岡崎敬治が亡くなった後、粉飾決算が明らかになり、同年5月23日に、628億円もの負債を抱え、名古屋地方裁判所会社更生法の適用を申請し、倒産した。なお、粉飾決算については、1993年3月11日に、元社長と元取締役経理本部長に対して、商法違反(違法配当)と証券取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)で執行猶予付き有罪判決が言い渡されている。会社は、会社更生手続中のため不起訴となった[1]

日東あられ新社 編集

サンヨー食品の支援を仰ぎ、1994年4月に株式会社日東あられ新社を設立。旧・日東あられから営業権および商標権を承継して、会社を再建。

2011年4月時点の社長は元日東あられ新社常務取締役の堀内潔、前社長は、サンヨー食品相談役(前社長)の井田毅だった。一時、同業種で中堅の越後製菓と業務提携し、「ふんわり名人」などの製造委託を受けていたが、後に業務提携を解消した。

2007年3月期から2011年3月期まで5期連続の営業赤字となり、黒字転換の見込みが立たなかったことから、2011年4月18日の臨時取締役会で自主廃業が決議された。経営不振のため、サンヨー食品からの借入金が30数億円に膨んでいたことが主な理由[2]。4月19日に従業員への説明を行い、最後の受注品の出荷を終える2~3ヶ月後に会社清算される予定だったが、本社をサンヨー食品内に移転させたうえで、2011年11月30日の臨時株主総会で同日付での解散を決議、2012年1月11日付で東京地方裁判所から特別清算の開始決定を受けた。報道によると、負債総額は約30億円[3]。なお、「サラダセブン」「ひなあられ」など一部の商品は、同業の越後製菓に引き継がれており、現在も販売されている[4]。また工場跡地は非上場会社であるイノアックコーポレーション傘下のイノアック住環境が2014年8月に取得し、2015年4月より稼動している。

主要製品 編集

かつての提供番組 編集

CM出演者 編集

  • 加藤茶 - えびせんサラダ(1994年ごろ)

関連項目 編集

  • 越後製菓 - 米菓事業などを譲渡。国内有数の米どころで米菓メーカーの多い新潟県における米菓・包装餅の中堅メーカー。
  • キィポーション - 旧・日東あられ時代の取引先であった乾燥剤メーカーのキムラを事業継承したもの。
  • 名古屋証券取引所東京証券取引所 - 上場計画をもくろんでいた。
  • 伊藤忠商事 - 帳合先・代理店。
  • 寸田製菓 - 当社の自主廃業後、岐阜県内最大手の米菓メーカーの座を譲った。
  • 竹新製菓 - 当社の自主廃業後、東海3県最大手の米菓メーカーの座を譲った。
  • トミダヤ - かつて本社の置いていた岐阜県池田町の池田店などにおいて、特に愛知県名古屋市などのスーパーでも、現在、越後製菓が製造している「味千両」や「サラダセブン」などが販売され、日東あられ時代の面影が残る。
  • 岩塚製菓 - 米菓業界におけるベルマーク運動の参加は26年ぶりの協賛企業。

脚注・出典 編集

  1. ^ 吉見宏「我が国における企業不正事例(4)」『經濟學研究』第46巻第1号、北海道大学經濟學部、1996年6月、72-86頁、ISSN 04516265NAID 120000950853 
  2. ^ 「日東あられ」自主廃業へ、借入金三十数億円 読売新聞2011年4月19日
  3. ^ あられ・おかきなど米菓製造株式会社日東あられ新社特別清算開始決定受ける負債30億円 帝国データバンク大型倒産速報2012年4月25日
  4. ^ パッケージも、ロゴを越後製菓のものに変更した以外は日東あられ時代と同じ柄を使用している。