朝鮮中央放送

朝鮮民主主義人民共和国の国営放送機構
画像提供依頼演奏所(局舎)・送信所画像提供をお願いします。2009年10月

朝鮮中央放送(ちょうせんちゅうおうほうそう、: 조선중앙방송 , : Korean Central Broadcasting)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国営放送局

朝鮮中央放送委員会
조선중앙방송위원회
Korean Central Broadcasting Committee
種類 国営
略称 KCBC
本社所在地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国 平壌直轄市 牡丹峰区域 戦勝洞
設立 1945年10月14日(75年前) (1945-10-14
事業内容 放送業
代表者 Hwang Yong-bo (会長)
外部リンク http://www.gnu.rep.kp/
テンプレートを表示
朝鮮中央放送
조선중앙방송
運営 朝鮮中央放送委員会
設立 1945年10月14日(75年前) (1945-10-14
在籍国 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
所在地 平壌直轄市 牡丹峰区域 戦勝洞
朝鮮中央放送
各種表記
チョソングル 조선중앙방송
漢字 朝鮮中央放送
発音 チョソンジュンアンバンソン
日本語読み: ちょうせんちゅうおうほうそう
RR式 Joseon Jungang Bangsong
MR式 Chosŏn Chungang Pangsong
英語表記: Korean Central Broadcasting
テンプレートを表示

朝鮮中央放送委員会(ちょうせんちゅうおうほうそういいんかい、: 조선중앙방송위원회 , : Korean Central Broadcasting Committee , : KCBC)が運営。朝鮮中央テレビとしてテレビ放送も実施している。

概説編集

国内向け放送「朝鮮中央放送」、朝鮮語による国際放送平壌放送」、朝鮮語と外国語による放送「チョソン(朝鮮)の声放送」(英語:Voice of Korea)がある。

朝鮮中央放送及び平壌放送では、放送開始時の国歌愛国歌)演奏後に「栄えあるわが祖国、朝鮮民主主義人民共和国、万歳!」「朝鮮人民の全ての勝利の立役者であり、導き手である朝鮮労働党、万歳!」と言うスローガンを読み上げている。

2003年4月までは、「偉大な領袖金日成同志の革命思想万歳!」「栄えある朝鮮労働党万歳!」というスローガンを使っていた[1])。

歴史編集

前史編集

  • 1936年4月10日 - 大日本帝国の朝鮮放送協会平壌放送局が第1放送の仮放送を開始(呼出符号:JBBK)。
  • 1936年4月11日 - 平壌放送局、第2放送の仮放送を開始(第1放送が日本語、第2放送が朝鮮語という構成)。
  • 1936年11月15日 - 平壌放送局、二重放送(第1放送、第2放送)による本放送を開始[2]
  • 1937年6月5日 - 清津放送局、放送開始(単一放送、呼出符号:JBCK)。
  • 1938年10月30日 - 咸興放送局、放送開始(単一放送、呼出符号:JBDK)。
  • 1941年8月 - 清津放送局、二重放送を開始。
  • 1942年10月 - 開城補助放送所、運用開始(単一放送)。
  • 1943年7月15日 - 元山放送局、放送開始(呼出符号:JBJK)。
  • 1943年8月1日 - 海州放送局(呼出符号:JBKK)・新義州放送局(呼出符号:JBLK)、放送開始。
  • 1943年11月1日 - 城津放送局、放送開始(呼出符号:JBPK)。
  • 1943年11月10日 - 元山放送局・海州放送局、二重放送を開始。
  • 1944年3月 - 長箭補助放送所、運用開始。
  • 1945年8月15日 - 終戦の詔勅を中継放送。
  • 1945年8月26日 - 北緯38度線以北の放送専用線を切断、京城中央放送局(現在の韓国放送公社(KBS)本社)からの中継放送を廃止(南北の放送の分断)。

解放後編集

  • 1945年10月1日 - 平壌放送局、「金日成将軍帰国」のニュースを放送開始(朝鮮人民解放祝賀大会に向け、ソ連による群衆動員作戦開始)。
  • 1945年10月14日 - 平壌放送局、戦前からの施設を使用し放送を再開。「ソ連解放軍歓迎・朝鮮人民解放祝賀大会(金日成将軍祖国凱旋歓迎平壌市民大会とも呼ばれる)」の中継放送を実施(現在の朝鮮中央放送の始まり)。
  • 1946年5月 - 平壌放送局、平壌中央放送局に改称。
  • 1947年3月16日 - 平壌中央放送局、ラジオ平壌名義で、中国語放送を開始(現在の「朝鮮の声放送」の始まり)。
  • 1948年2月 - 平壌中央放送局、北朝鮮中央放送局に改称。
  • 1948年11月 - 北朝鮮中央放送局、朝鮮中央放送局に改称。
  • 1950年7月10日 - 平壌放送、日本語放送を開始。
  • 1951年1月1日 - 海外向けとして平壌放送局(平壌放送、Radio Pyongyang)設立。
  • 1955年4月 - 朝鮮中央放送局、有線スピーカー放送(第3放送)を開始。
  • 1955年10月14日 - 朝鮮中央放送局、朝鮮語による独自の対南・対外放送開始(現在の平壌放送の始まり)。
  • 1967年12月 - 朝鮮中央放送、放送系統を朝鮮中央第1放送(対内放送)と朝鮮中央第2放送(対南及び対外放送)に分離。
  • 1972年11月10日 - 組織改編により、朝鮮中央第1放送を「朝鮮中央放送」、朝鮮中央第2放送を「平壌放送」と改称、平壌放送を朝鮮中央放送から分離(1973年当時の日本語放送の局名アナウンスは、「こちらは平壌(ピョンヤン)、朝鮮(チョソン)中央放送局です」)。
  • 1973年4月13日 - 金日成放送大学開学(平壌放送を利用した通信教育)。
  • 1989年1月1日 - 平壌FM放送、放送開始。
  • 2001年2月16日 - 朝鮮語以外の海外向け国際放送「平壌放送」を「朝鮮の声放送」(Voice of Korea)に改称。
  • 2004年10月31日 - 金日成放送大学インターネット配信への切り替えにより放送終了。
  • 2009年4月 - 金日成放送大学、放送再開。

周波数編集

  • 中波(AM)
    • 2015年8月現在
放送時間(PYT) 周波数
00:00-05:00 702kHz、720kHz、810kHz、864kHz、1080kHz
05:00-03:00 765kHz、819kHz、882kHz、927kHz、999kHz
07:00-13:00 1053kHz
17:00-23:00 1053kHz

※PYT=UTC+9 日本標準時韓国標準時に同じ。2015年8月15日から2018年5月4日まではUTC+8:30(以下同文)

1053kHzは1500kWの大電力局のため、同じ周波数を使用する日本のCBCラジオに混信することが多く、岐阜中継局が設置される理由となった。702kHz 720kHz 810kHz 864kHzの周波数は時間外で平壌放送との共用になっている。

1053kHzの周波数は嘗ての地下放送である救国の声放送(2003年8月1日停波)の設備による中継波(2003年8月15日中継開始)となる。 送信所は黄海南道海州市南山洞。出力1500kW。

その他に元山清津咸興沙里院新義州江界平城恵山に系列局があり、ローカル放送も行っている。

放送時間(PYT) 周波数
05:00-03:00 2850kHz、3220kHz、3250kHz、3959kHz、6100kHz、9665kHz、11680kHz

3220kHzは時間外で平壌放送との共用になっている。

放送内容編集

放送時間は午前5:00から翌朝3:00まで。放送開始前にはインターバル・シグナル(IS)として「金日成将軍の歌」を電子オルガンでアレンジした音楽、続いて国歌「愛国歌」の演奏を放送する。(これは平壌放送、朝鮮の声放送も同じ)また、その後には「金日成将軍の歌」、「金正日将軍の歌[3]の音楽が流れる。

放送されたラジオ番組
  • 漫評(マンピョン、まんぴょう) ※評論(風刺)番組 - 笑い声である「ウェー・ハッハッハ」を朝日新聞が原文のまま報じたことで話題となった。
  • 金日成主席の回顧録~世紀とともに~

脚注編集

  1. ^ 音源がアジア放送研究会サイトから聴くことが出来る
  2. ^ 今日の歴史(11月15日) 聯合ニュース2008/11/15
  3. ^ 2011年までは、朝鮮人民軍による合唱が放送された。

関連項目編集

外部リンク編集